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ウォンバリー。
各国の有力者が、人類の故郷である南アフリカに集結し、母なる人類、すなわち女性のための組織をつくりあげた。
表向きは、そういうことになっている。
だが、正体は異なる。
もちろん結成の主旨通り、各国で女性のための活動も展開している。
ちょうどいい目くらましだからだ。
「裏では、欲しいものを売ってくれる、トンデモナイ組織だ。結成段階から、各国の有力者のなかに闇のカルテルが多く噛んでいた。当然、そうなるよなあ?」
院長が、いやらしく笑って言った。
「Wombally」は、南アフリカの公用語であるコサ語で、「とんでもない」とか「たいへんだ」という意味だという。
それを分解するとウォンブ(子宮)とアリー(同盟)になり、そのまま大文字にして「シキュウ同盟」が結成された。
コサ語は、ネルソン・マンデラの母語であり、複数の国家にも採用されている讃美歌「神よ、アフリカに祝福を」の原曲語でもある。
虐げられた黒人がアパルトヘイトに抵抗したように、いまこそウィメンズ・マーチに乗って女性を解放するのだ、と。
歌い上げるウォンバリー。
その裏側で取引されているものは──人間という工場によって生産されるもの。
組織を、中心となって動かしているのは、各国の有力者の妻たちだという──。
「まさにヒステリーだ! 女の闇を、つなぎ合わせた組織というわけだよ!」
げらげら笑う男の院長。
マフユは眉根を寄せ、動かない。
この言葉が、彼女にどんな精神作用をもたらしているのか。
チューヤたちには推し量るすべがない。ただ、彼女自身に語ってもらうか、もしくは目のまえの化け物が、暴露するまでは。
それが真実かウソかは、わからないが……。
「その女は、女衒になり果てたのだ! かつては女を売ったが、いまは男が売られている。女は金を持ってやってきて、男を買うのだ! みずからの望む男の精子をな!」
院長の叫びは、現代社会の裏側を、ものの見事にえぐっていた。
それは、キャリアと呼ばれる女たちの心の奥底に巣食う、本能に根差した闇。
たとえば自然にありふれた現象であるライオンの「仔殺し」を、ある種の人間の目は忌まわしいものとして見る。
同様に、本能に根差した自然な行為、欲求であっても、それを具現化した世界が出現した瞬間、多くの人々にとってそれは嫌悪感を拭えない存在である可能性もある。
シキュウ同盟は、そういう種類のネットワークだ。
愚劣な二等兵男どもを極限まで虐げ、最高級男の精髄だけを絞り取る……。
「リリス、リリム、サキュバス、インキュバスもオブザーバーで参加しておる。悪魔の市場へようこそ、人間たち!」
女たちは考える。
自分の望む子どもをつくりたい、最高の遺伝子がほしい、と。
彼は世界最高の美と、肉体と、知能とを持っていて、その能力は100。
その能力が欲しいと思うのは、単純に、女としての基本的欲求に類するものだ。
自分も低能ではないが、彼ほど高性能でもない。
たとえば自分には50の能力しかないとして、50の能力の男と結婚するのが、世間的には「お似合い」なのだろう。
だが、そんな古い社会の常識に、いつまでとらわれていればいいのか?
女性は解放されたのではないのか? ならば自由を許してほしい。私たちの欲するものを、与えてほしい。
私は、100の力を持つ男の遺伝子がほしいのだ。
50と50の間にできた子は、50にしかならない可能性が高い。
だが100と50の子どもなら、75の能力が生まれる可能性がある。
女として、自分の能力を超える子を宿し、産み、育てたい。
私は彼の遺伝子がほしい。人類最高の性能を持った遺伝子がほしいのよ!
女たちが20世紀を通じ、21世紀にかけて、その抑えられてきた地位と能力を開放することを、ついに許されるようになった時代、彼女らは必然の要求を開始した。
最高の遺伝子をよこせ、と。
地球はシキュウに支配され、つぎの段階へと人類を押し上げるでしょう。
ようこそ、シキュウ同盟へ。
「先生、結婚してただろ」
チューヤの指摘に、マフユはうなずきつつも、
「旦那の機能に問題があったらしい。旦那も納得はしていると言っていた」
すでに精子バンクは存在しており、そこから買えばいいだけの話だが、それ以外の要素を求めたい場合は、どうするか。
登録された人間のなかから好みの精子を選ぶのではなく、登録されていない高性能な天才、アスリート、有名人の精子を要求する、その権利を買うことはできないのか。
いわば種牡馬の種付け権に近い。
人類はついに、馬に匹敵するほどのブラッドスポーツになっていく──わわれわれはいま、その道筋にいる。
それは強力な、選良育英のネットワーク。
子どもは育てるところにもエネルギーが注がれなければならない。
そのエネルギーを配分してくれる、シキュウ同盟。
至急、手助けが必要。子宮に子種も必要。日常に支給される潤いも必要。
すべてを含めて、届ける組織。
「シキュウ同盟に、あの女を連れてきたのは、おまえだ」
ぬらぬらと光る指にさされ、マフユの表情は青白く死人のよう。
チューヤたちは厳しい表情でマフユを見つめる。
否定しろ、首を振ってくれと願いながら。
「ほんとなの、フユっち」
「なんで、おまえが先生の妊娠に関係してるのか、って思ってたけど」
マフユはゆっくりとふりかえる。
その表情には、なんの感情もない。
「先生は、憧れの人、本当に好きな人の子どもが欲しいと言った。それだけだ」
チューヤは厳しい表情で、まっすぐにマフユをにらみ返す。
「……なにをしたんだ、マフユ」
「ガキが知る必要はない。あの悪魔を殺せ、チューヤ」
「教えて、フユっち。そんなふうに、赤ちゃんつくろうとしたの?」
家族が増えるよ、やったねフユちゃん……。
マフユの心がかきむしられる。
ささくれ立って、加害者の自分と被害者の自分が混濁する。
「黙ってくれ、サアヤ。いまは、いまだけは……あたしはこの件に、先に始末をつけなきゃならない」
「なにをした、なにをさせた、マフユ!」
苛立って、叫ぶチューヤ。
院内に反響する、生命冒瀆への弾劾。
彼女は、生命をもてあそんだのか。
女が所有する機能を、自然が予定する以外の方法で使わせたのか。
だが、そこに本能的な忌避感情があるからといって、全否定で済ませていいのか。
人類が抱える大きな問題を、一介の高校生は、どう取り扱えばいいのか。
奥深い闇が通底することは、理解している。
マフユも、闇のなかに取り込まれ、一体化して、染まっている。自分が正義の味方だなどと思ったことは、一度もない。
彼女は、気圧されることなくまなじりを決し、まっすぐにチューヤを見返した。
「自分のものを、好きに使って、なにが悪い?」
人類最古の商売・売春そのものが合法な国は、先進国にも少なくはない。
彼女らは、ただ自分が持っている資産を、合意できる価格で売却しているだけだ。
単なる商行為を、なぜ他人から制限されなければならないのか? それは女性の権利であり、自由の範疇であるはずだ。
もちろん女衒に強いられてするものは、悲惨な「悪」のとば口になるだろう。
しかし、みずから進んでそれをする以上、当然に合法であるべきだ。
同じ理屈で、別の要望がある。
売り手がいて、買い手がいる。
買い手の動機は本能。本能を違法にはできない。
「好きな男の子どもが欲しい。これは本能だ。先生には、その欲望を満たす権利がある。十分な代価さえ支払えるなら」
「……代価?」
「買うんだよ、精子を。どこの国にもあるだろうが、精子バンクくらい。子どもが欲しいんだよ、先生は。好きな男のな。そいつが売ることに同意するかどうかは関係ない。組織は注文を受けて、必要なものを提供した」
すべてをボランティアでまかなうことが望ましいとされる理由が、ここにある。
金を払えば、本来提供されるはずのない精子、あるいは卵子さえ、手に入れることができるかもしれない。
「先生の好きな男って」
「人気俳優のだれかじゃなかった?」
短い会話を発した高校生たちの背中に、冷たいものが走る。
このことの背景には、想像以上に大きな力が働いている。
もし、それがシステマティックに行なわれているならば。
おそらくは悪魔を使って調達する、違法なDNAの塊──それらをネットワークするもの。
闇社会、組織犯罪。
チューヤは、オヤジが着手しそうな案件だな、と思いながら、
「そんなものまで……そんなことをすると、知っていて、マフユ、おまえは」
「あたしは知らない。ただ、そういう仕事もある、ってだけだ。売り手と買い手が接触する必要はない。仲介する人間が必要な仕事をする。それだけのことだ」
「マフユ、おまえ、そんなこと……そうやって売られて、ひどい目にあったんだろう、だったら」
「そうだな。あたしは、男にひどい目に遭わされた。だから男は嫌いだ。だけど、やりたいことをやる力があるかぎり、やるんだよ。自動的に、勝手に、それはやられるものなんだ」
被害者が加害者になる理屈に、相通じる。
だから彼女はなんでもするし、自分がなにをされてもしかたない、とも思っている。
これが社会の闇、ということ。
「それで先生が幸せになるなら……」
「幸せ? 幸せだと? くく、あはは、あーっはっは、げらげらげら」
突如、笑い転げる院長。
眉根を寄せるマフユ。このハゲは、まだなにかを隠している。
「なにを笑っている、貴様」
悪魔は吐息のように毒を吐く。
「おまえたち、エイルを倒しただろう。あれで最後の引き金が引かれただろうなあ」
「なんだと?」
「必死で守っていたのにな。おまえたちの先生を生かそうと、必死で薬草を調合し、生かしてやっていたというのに。その女神を、まさか、おまえたちが倒してしまうとはなあ」
「どういうことだ! てめえ……っ」
「あの女は、人間には重すぎるものを懐胎した。もちろん奇跡が起これば、あの女は魔王の母にでもなれただろう。だが、奇跡とは容易に起こらぬから奇跡なのだよ。女神が祈っていた真下の病室で、いまごろ、魔王のなりそこないに食い尽くされてでもいるのではないか、おまえたちの先生は。くくく、はーっはっは」
両手を広げ、ゲラゲラと不愉快に笑い転げる院長。
そのありさまに、人間性はカケラもない。それはそうだ。彼はもう、どこからどう見ても悪魔になり果てている。
「貴様、先生の望む男の精子を、受精させたんじゃないのか」
「ああ、望み通りのことはした。ただ、それ以外のこともついでにやらなかった、とまでは言うつもりはない」
「てめえ、そんなことをして川東連合……ロキ兄に、どんな目に」
ひくっ、と神経質に表情を吊り上げ、院長は金切り声で叫ぶ。
「ロキか! 愚かな邪神、ロキよ。史上最高のトリックスターなどと煽て上げられ、調子に乗るから、足元をすくわれる。自分がだますのはよくても、だまされるのは耐えられないか? わしが、あのような恫喝に屈して、まともな手配をするとでも信じたか。ははは、あーっははは」
「てめえ!」
「……選べ! いまから病室に向かって、必死におまえらの先生を助けるか。それとも、わしにここで殺されるか」
答えは決まっている。
サアヤなどはすでに走り出しかけていたが、院長が黙ってそれを許すには条件がある。
「おまえは残れ、四倍体」
無視して踵を返しかけたチューヤの動きを制するように、もう一度鋭く言う。
「聞こえないのか、おまえだよ、モザイク」
チューヤの背中がピクリと揺れる。
モザイク。彼にこの呼び方をできる人間は、かぎられる。
「病院の……」
だれにも話したことはないが、話の流れである程度はサアヤも知っているし、その意味することについても今回の件で大いに理解が深まっている。
テトラソミー・モザイク。
チューヤは自分の染色体を、このように表現する医者の話を聞いたことがある……。
 




