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「行っちゃったねー」
聖堂の2階から、出現したまさかの地下階段を下りていく男たちのうしろ姿を見送る、サアヤとヒナノ。
ここで待つ以外、いまのところ彼女らにできることはない。
「殿方の武運を祈るのは、古来より定めではあります」
軽く十字を切るヒナノ。
彼女が祈るのは、もちろんリョージの生還だけだろう。
「そーいえば、チューヤから聞いたんだけど」
「なんですか」
いやそうな顔で儀礼的に応答する。
「いや、この話は私からのお願いなんだけど」
「うかがいましょう」
一転、優しい笑顔で応答するヒナノ。
「あのね、おばさんが大変なことになってる話はしたと思うんだけど」
「ホストの方に入れ込んでいるとか、そういうお話でしたね」
「そうそう。それでね、チューヤが調べてくれたところによると、それを治療できるひとは、この世にひとりしかいない、かどうかはわからないけど、たぶんそれができるいちばん有名な人物の名前は、ラファエルなんだって」
ぴくり、とヒナノの肩が揺れた。
ラファエル。
言わずと知れた4大天使の一角であり、ミカエル、ガブリエルに次ぐ不動の第3位といっていい。
「なるほど、たしかに。あの大天使なら、いかなる病も癒せるかもしれません……」
「それだけ優秀なひとだと、やっぱりお金かかるのかなあ?」
「いえ、彼は医者ですから、救いを求める者を拒むことはしないでしょう。……聖理科病院のドクター・ラファエル・フランケンシュタインをお訪ねなさい」
「ふ、ふらんけん? なんか怪物っぽいね……」
「フランケンシュタインはドイツ人のよくある、というほどではないですが、実在する姓ですよ。ちなみにメアリー・シェリーの小説で有名な『フランケンシュタイン』は、それをつくった博士の名前であって、怪物の名前ではありません」
「そ、そうなんだ。それで、そのドイツ人さんが聖理科病院にいるんだね?」
「たしかドイツ系スイス人と聞きましたが。診断医として勤務しているはずですよ。紹介状を書くようにガブリエルに依頼しておきましょう。あなたのおば様が健康を回復するよう、祈っておりますわ」
「ありがとー。心から感謝するよ、ヒナノン」
「困ったときはお互い様ですわ。ほほほ」
チューヤが頼んだら絶対こうはならなかっただろう。
地上で有意義な約束が交わされていた、そのころ。
「いま、きみは倒した敵からお金を奪ったかな?」
しかつめらしい表情で、イスハークは、戦闘終了のリザルトを回収するチューヤに言った。
肉体そのものに蓄積される経験値とともに、所持するお守りとカードには、エキゾタイトとマッカインが自動的に回収されている。
チューヤは、このRPG特有のルールに対する、いまさらながらの疑いにさらされた。
「え、ああ、はい。そういう世界観なので」
「きみたちはムスリムになったのだから、これからは、われわれの教義に従ってもらう。いいかね? お金を奪ったら手を切られるのだ。こうしなさい」
イスハークに指示されるまま、左右の手でつくったオーケーマークをくっつける。
そのまんなかへ向けて、手刀を切るウラマー。
「エンガチョ、切ーった!」
「…………」
「これでよろしい。きみはいま、イスラーム的に許された」
「……ほんとかなあ!」
このウラマーのもとでは、そういうルールが適用されるようだ。
「毎回やるんスか、これ」
隣ではリョージも同じようにエンガチョ切られている。
「いや、まあ、きょうの分はこれでいいだろう」
めんどくさいからね、と小声で付け足す。
「そっすか、助かります」
イスラームの一日は日没からはじまるので、しばらくはだいじょうぶそうだ。
破戒僧イスハークに特有のイスラーム的ルールに則って、戦いはつづく。
「それでさ、ヒナノンは、どうしてリョーちんが好きなの?」
ぶっ、と飲みかけていた紅茶を吐き出して、ヒナノはおそるおそるサアヤに視線を向ける。
「な、なんのお話ですか、突然……」
「そーいう面倒なリアクションいいから。だって、みーんな知ってるよ?」
「そんなバカなことが……」
「だね、たしかに言い過ぎた。男子はバカだから、気づいてないトンチキもいるかも。女子も……フユっちとかは、なんの興味もなさそうだけど、私は女子まっしぐらだからさ、そりゃー気づくよ」
知られているのがサアヤだけなら、被害は最小限といえる。
というか、そう簡単に認めていいわけはない、と決意を新たにするヒナノ。
「誤解ですわ、そんなことは、ありえません」
「ふーん。まあ、それじゃ、それでもいいけど。だけど、おかげで私は安心してるんだ」
サアヤのふりまわす女子トークに、周囲の女性ムスリムたちも注目している。
世界中の女子の多くは、愛とか恋とか好きとか嫌いとかいう話が大好物なのだ。
「誤解ですが、どういうことか一応、うかがっておきましょうか」
「つまりね、あるひとがあるひとのことを気にしているんだけど、そのあるひとはそのことにまったく気づいていない、というよりも、そのひとのことについて考えることすら眼中にないレベルなのよ」
「ややこしいですが、まあいいでしょう」
「だけどね、そのひとの気持ちを考えると理解はできるの、だってそのひとは、ものすごくカッチョイイ別のひとのことばかりを見ているからね。だからそのひとがいるかぎり、そのひとのことを気にするあるひとが、そのひとに受け入れられる可能性ゼロであることは確信できるわけ。という人物相関図に基づけば、そのひとのことを気にしているあるひとは、すくなくともその点では安心していられるというわけよ」
近くで耳をそばだてて聞いていた女子のどうやら半数くらいが、その関係性をなんとなく察したようにうなずいていた。
ヒナノも、やや不愉快な内容ではあるが、とりあえずうなずいておく。
「……まあ、なんとなくは、理解しました。反芻する気にもならない、ばかばかしい話ですが」
「女子はそーいうことばっかり考えてる生物らしいよ?」
「あなただけです」
聞き耳を立てていた数人の女子が、なんとなく視線を逸らせた。
「ふーん、そう? それじゃまあ、そーかなー?」
「……これは私見ですが、あなたのような女性は、みんなから愛されるようにできているのかもしれませんね」
あらためて、サアヤの外貌を見下ろす。
ぱっつんおかっぱ、太い眉、大きな目、と書くと往時のオードリー・ヘップバーンのようだが、くわえて間の抜けた垂れ目と脳天で揺れるアホ毛が、すべてを台無しにしている。
言い換えれば、それが彼女を「あこがれ」の対象ではなく、「愛すべき」者にしているのだ。
ヒナノは、人々からの「羨望」を一身に集めることには、慣れている。
だが「愛された」記憶は、ついぞない。
「女の子は、みんなそうだよー。私たち、よく似てるよね、ヒナノン!」
サアヤの言葉をどう解釈すべきか、ヒナノは一瞬、戸惑った。
おおよそ似ているようには思えなかったが、内面を掘り下げれば、こういうことだ。
チューヤとマフユに、一定の(それなりに強い)自己嫌悪、という共通点があるように、サアヤとヒナノにあるのは、一定の(かなり強烈な)自己愛である。
彼女らは、ともに世界の中心は自分だと思っているし、それぞれ、尊敬を受けるべきもの、愛されるべきもの、としての自信と誇りをもっている。
本来なら混じり合わず、場合によっては対立しかねないが、そこはサアヤ天性の「愛され体質」が与って、すべてを丸く収めている。
「──わるい意味ではありませんが、あなたは魔女ですね」
「やだなー、美魔女と呼ばれるのは、もーちょっとさきでいーよー」
チョーチンアンコウのように揺れる髪の毛のさきに魔力の源を感じて、ヒナノは自然、目線をそらせた。
そこへ周囲の女たちの視線が、ゆっくりともどってくる。
「お、るぁっ! 行くぞチューヤ」
「ガッテン、兄貴!」
意外にナイスなコンビネーションで、戦場を切り開いていくパーティ。
突撃する兄貴、残敵掃討の弟分。最前線で混沌を切り開く主力と、細かい戦術を切り盛りする後方支援・兵站担当。
この組み合わせは、戦術的にベターだ。
チューヤの悪魔使いという属性が、攻撃重視や回復重視など、戦力配分の組み替えを弾力的に実行できる能力に依存する。
要するに、たいていのパーティをうまくこなせるのが、チューヤというヘッドクォーターなのだ。
「さすが兄貴っすね、どこまでもついて行きますぜ」
「そのキャラやめい。まあ、おまえのバックアップのおかげだとは思ってるよ」
「謙虚なところもカッチョイイね。……ほんと、好きになる気持ちもわかる」
ぽつり、とつぶやくチューヤ。
彼の念頭にどんな思いがあるか、もちろんリョージは忖度しない。
「ははは、友情の言葉と受け取っておこう」
「そうしてくれる? まあリョージならね、俺もしかたないかなーとは思うよ、思うけどさ、こういう形の付き合い方においては、あまりお似合いだとは言えないと思うよ。だって、ふたりとも完全にオフェンスタイプじゃん。白兵戦と爆撃戦で、攻撃いっぺんとう」
「なんのこっちゃ。チューヤは回復偏重のパーティも組めるだろ」
「そうよ! そこ、それが俺のいいところ」
リョージという完全な攻撃役がいる以上、チューヤが攻撃系の悪魔を召喚して戦う必要はほとんどない。ただ、リョージが安心して戦える環境だけを整えてやればいいのだ。
しかしヒナノの場合、多彩な遠隔攻撃オプションを有してはいるが、回復や防御は期待できない。その場合、チューヤが前線を維持しながら、適宜回復役を配分する、というバランス戦闘が求められる。
もちろんここにサアヤが加われば、回復を考慮する必要はほとんどなくなる。あらゆる戦闘にバランスがいい。
「それが悪魔使いのいいところ、ですなあ」
横から声がする。イスハークだ。
その周囲には、彼が召喚した悪魔たち。なんと彼は、めずらしい悪魔使いタイプだった。チューヤとは気が合うはずだ。
悪魔使いがふたりもいれば、あたりには「軍団」を形成できる。
リョージという大艦巨砲主義の主砲が火を噴いて道を築き、悪魔使いたちの召喚した無数の砲台が残敵掃討する。
彼らは着実に、困難な戦場を切り開いていった。




