17 : Day -33 : Yoyogi-Uehara
約束の場所は駅前ロータリーだったが、気を利かせたチューヤの意見で、さきに目的地を訪ねることにした。
極東の回教寺院。
小田急に乗っていればいやでも目につくので、サアヤすら道に迷う心配はない。
……いや、彼女の場合、反対方向の出口から出て、反対方向に進むおそれはあるかもしれないが。
きょうはチューヤがいっしょなので、もちろん、どんな場所でも行ける。
「ようこそ、ウエハラ・キャミイへ」
入口のあたりに立つ善良そうな初老のトルコ人が、にこやかにチューヤたちを迎えてくれた。
日本最大の回教寺院。その資金の多くをトルコ政府が負担する。
日本とトルコの友好の懸け橋ということになっており、重要なウラマー、司祭もほとんどがトルコから派遣されているが、日本の回教徒の数を考えれば過剰ですらあるかもしれない。
「いやあ、まさかこの場所を訪ねる日がくるとは」
小田急からいつも眺めていた、たまねぎ屋根。
あまりにも異質な文化圏であり、一生関係がないと思っていた。
看板には、日本語とアルファベットで、施設名が併記されている。
正式名称は東京代々木上原回教寺院。
英語表記では、トーキョー・センチメートル・ジャーミー。
ちなみに「ジャーミー」は、マスジット・アルジャーミーから派生した言葉で、もともとの意味は金曜モスク。大きなマスジッド(モスク)を意味する。
「サアヤまだ、16だから~♪」
斜め後方で歌っている少女とは他人のふりで、
「センチメートル? ってなんですか?」
「10分の1メートルだよ。いや、ははは。近くて遠い信仰の神髄。そのさきへ踏み出すことが、アッラーへの回帰ょう、なんちゃって」
なにが「なんちゃって」いるのか、いまいちよくわからない。
これがターキー・ギャグということなのだろうか。
「ええと、いわゆるモスクですよね?」
略称はウエハラ・キャミイ(cmey)。
日本の回教徒が集う場所であり、時節に合わせ、さまざまなイベントも執り行なわれる。
「そういうことになるね。この国では、まだ微々たる力だ。センチメートルからはじめよう、という千里の道を歩きはじめた心意気が、にじんでいるだろう?」
初老の男に促されて、寺院の内部へ。
──モスクでは、結婚式が執り行なわれていた。
井の頭通りに面して、「見学はご自由に」と垂れ幕もあるとおり、自由に参列していい、という。
お祝いしてあげてください、とにこやかに勧められた。
ニカーフ。
イスラームにおける結婚式である。
イスラームには神父や牧師はいない。イスラーム法を知る者であれば、だれでもニカーフを行なうことができる。
通常は、モスクにおいて、そこのイマームが執り行なう。
「アッラーは、ひとりの人間からおまえたちを創り出され、その身体の一部から、おまえたちの配偶者を創られた。そして、そのように男と女とを増やされていった。アッラーを畏れよ。おまえたちが願い事をするとき、その名を唱えるお方を。母なる子宮との関係を正しく保つよう心がけよ。まこと、アッラーはおまえたちを見守っておられる」
ヒゲ面のイマームがアラビア語で、そのようなことを告げている。
チューヤたちは、出入り口に近いあたりで、遠くその誓いの儀式を眺めている。
たしかに自由らしく、あまり関係のなさそうなひとが、普段着でカメラを向けたりもしている。
いろいろなひとに祝ってもらう、というスタイルの結婚式は、世界各地にみられる風習だ。
多くのひとの視線が集まるのは、やはり花嫁である。
イスラームらしく、白く美しいヴェールで、しっかりと髪の毛を覆っている。
幾何学模様の刺繍が美しい、ヒジャブドレス。その手には白いバラのブーケ。薄い手袋やケープにも、印象的なアラベスクがあしらわれている。
男のほうはごく一般的なスーツで、イスラームらしいのは、頭に白いタギーヤをかぶっているところくらいか。
やはり結婚式の主役は、どこの国でも花嫁なのである。
「いいねえ、結婚式。幸せだねえ」
ほんわかと喜びの表情で、祝福の視線を送るサアヤ。
一方、微妙な表情はチューヤ。最近、結婚式ではいやな思いをしている。
そもそも結婚という制度自体が……。
「チューヤ。いま、ものすごく不愉快なこと考えたでしょ」
「はっ! サアヤさん超能力者!?」
イスラームの結婚式といっても、国によっていろいろある。
エジプトの結婚式は夜に行なわれるし、サウジアラビアでは男女別々に行なう。
トルコなどでは、もっとはるかに自由だ。
本日のカップルも、平日の昼間にササッと済ます、なかなかビジネスライクな選択をしたらしい。土日忙しい仕事であれば、そういう選択肢も必要だ。
モスクでは形式的な宗教婚を執り行ったという記録だけ残し、本番はこれからくりだすパーティなのかもしれない。
「こんなときでも、ひとは愛を育み、明るい未来を夢見るんだな」
高校生らしからぬ深いことをつぶやいたつもりのチューヤ。
たしかに現状、世界が終わるかどうかという瀬戸際、とまでは一般に浸透していないが、すくともかなり悲惨な状況が世界各地から報告されている。
日本は比較的ましとはいえ、浮かれていていい場合ではないとも思われるが、だからこそ彼らは幸せになろうとしているのかもしれない。
そう、明日世界が滅びるとしても、私たちはリンゴの木を植えるのだ。
「ひとこと言ってもいいかな?」
「……なんでしょう?」
「くたばっちまえ♪ アーメン」
サアヤの歌声に、何人かが視線を向けた。
チューヤはあわてて人差し指を立てる。
「お口がわるいですよ、サアヤさん」
「昭和の女はおそろしいのだよ、チューヤくん」
皮肉たっぷりの歌詞と美しいコーラスで知られる『ウェディング・ベル』は、昭和56年のヒット曲だ。
一部でキリスト教への冒瀆と批判され、NHK神戸放送局では自主規制まではいったという、悲惨な時代でもあった。
「……どゆこと?」
ようやくチューヤも、サアヤが何事か伝えたいのだ、ということを理解した。
ちなみにイスラームのモスクでキリスト教の「アーメン」を唱えても、さして違和感はない。同じアブラハムの宗教であり、イスラームでも「アーミーン」と唱えるからだ。
とくにイスラームは、異教徒との結婚を禁止しているが、キリスト教とユダヤ教だけは例外としている。彼らは同じ「啓典の民」だからだ。
「斜め横、うしろ。ふりかえらない! ……あのひと、変じゃない?」
「はあ、なるほど。たしかに、怨念のこもった眼をしていらっしゃる」
結婚式に破滅をもたらす予言。
モスクの片隅で、ものすごい顔で新郎新婦を凝視している小さな女。
もはや厄介な予感しかしない──。
彼女は、とても小さかった。
ただしそれを病気と呼んでいいのかどうかは、微妙なところだ。
小人症(成長ホルモン分泌不全性低身長症)という症例は、1万人あたり3人程度とされている。
3:1の割合で男児に発症するが、早期に発見して治療を行なえば、かなり改善されることがある。
一方、女児の場合は「小さい子だな」で済まされるケースがままあり、治療にいたることが少ない。というより、当人(や家族)が問題を感じておらず、重大な疾患も併発していない場合、単なる著しい低身長というだけで、治療対象ではない。
「呪わしい男……わたしの処女を……あの苦痛……約束したのに……恨み晴らさで……」
あきらかにホラーな顔で式場を凝視する、小さな女。
彼女の恨みは骨髄に徹しているようで、その矛先はもちろん男にもむかっているのだろうが、なぜか女に対しても等しく……いや、より以上に燃え盛っているようだ。
つぎの一瞬、チューヤは冷たい空気が走り抜けるのを感じた。
ハッとして天井を見上げる。高い天井の一部に、変なものがある。
……赤い液体が、いっぱいにはいったバケツが、ひっくり返った。
響きわたる悲鳴。
赤く染まるウェディングドレス。
落ちてきたバケツが新郎の脳天を直撃する。
絶叫する花嫁。
──あの女は「汚れた娘」として罰されたのだ!
サイキックホラーの古典、まさしく『キャリー』の世界に巻き込まれながらも、チューヤは冷静に状況を見極めている。
このおそろしい舞台を積極的に動かしているのは、おそらくあの小さな女でまちがいない。
が、彼女だけがオフェンシブのプレイヤーであるとも思えない。舞台設定からして、ひとりで全部仕組めるものではないだろうからだ。
悪魔の力が作用していれば別だが……。
「境界化」
一瞬、硬直した空気は、殺伐の巷たる境界へと、一同を引きずり込む──かのモーメントは、たしかに作用した。
作用したはずだが、それを強引に引きもどす別の力が、この「場」には満ち満ちていた、らしい。さすがはモスク、といったところか。
──冒瀆の世界線、許すまじ。
アッラーの恵みのもと、世界の所有権は現にこちら側が留保した。
一連の動きの正体について、チューヤの理解はまったく追いつかない。
どこかで境界化が起こりかけたのに、それを反転させる力が別の場所で働いた、というように感じられたが、すべて「印象」にすぎない。
ただ、事実としてモスクは通常空間のままだったし、であれば当然のように展開すべき修羅場、悲鳴、怒号が連続し、事態の収拾と犯人追及が同時進行していく。
新婦側のひとりが、こちらを指さした。
当然だ。
彼らの横で、小さな女の子が気が狂ったように哄笑しているのだから。
ざまあみろ、あいつは死んで当然、赤く染まれ。
日本語で叫んでいたので、彼女は日本人らしいが、新郎新婦側の列席者は外国人が多いものの、日本で暮らしている者の多くが日本語を理解する。
あの女だ、あの女が犯人だ、捕まえろ、ぶっ殺してやる!
さまざまなひとの流れが、ターゲットを定めて動きだしている。
泣き叫ぶ花嫁をなだめる者、倒れた花婿を介抱する者、状況に追いつけずただ唖然としている者、犯人捜しを開始する者。
アズ・スーン・アズ、ターゲット、ファウンド・アウト!
怒涛のようなひとの流れ、それも殺意のこもった危険な流れが、自分たちに向かってくる。
チューヤたちは恐怖を感じたが、同時にチューヤに常駐するナノマシンは冷静に、事態の流れを分析・把握するという仕事をつづけていた。
祭壇の正面、儀式を執り行なっていたイマームが、悲惨な結末に終わろうとしている結婚式について慨嘆し、そのはけ口として発見したらしい男に向かい、罵声を浴びせている。
その男は従容として叱声を受けているものの、表情に反省の色はかけらもなく、むしろ楽しそうに混乱を眺めている。
そして一瞬だけ交わした、隣に立つ小さな女とのアイコンタクト。
チューヤがこれを見逃さなかった点は、彼の注意力を褒めていい。
小さな女は短くうなずくようなしぐさで、踵を返し、脱兎のごとく逃げ出した。
逃げれば追う。数名の関係者が、チューヤたちの横を駆け抜けて、捕縛すべき対象を追跡する。
近くにいた、というだけでチューヤたちが巻き込まれるリスクは、なんとなく解除された格好だ。
安堵もつかの間、チューヤは視線を前方にもどす。
しばらく年かさの男の叱責を受けていた男だったが、最後に二言三言、彼に言葉を返した瞬間、相手は鼻白んだように口を閉ざし、そのまま踵を返した。
追い払うような手の動きで、男は祭壇から離れる。
悲惨な結婚式の状況を録画するカメラが、そのまま男を追いかけているのは、彼がとてもいい男だったからか、撮影者が女だったからか、あるいはその両方だろう。
リアルタイムで配信している向きはないようだが、おそらくこの動画は数時間後には編集され、おもしろおかしくどこかのSNSにアップされている可能性が高い。
「悲惨なことになったな」
「不幸を呼ぶんだね、チューヤって」
「やめてくれる!?」
突っ込むチューヤの横から、静かな男の声。
「はじめまして、こんにちは」
ハッとしてふりかえる。
そこには、さきほど儀式を主宰していた老人から、激しく怒られていた若い男が立っていた。




