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日本語の「死ぬ」の語源は、シイヌ(息去)だという。
文字どおり、息を引き取るわけだ。
象形文字である漢字では、「死」はひとが骨になった状態を表している。
生命活動を停止したひとは、二度と動くことはない。
この事実をもって、ひとは死んだら終わりなのだ……と、考えるのは早計だ。
ほとんどあらゆる宗教が、死後の世界を設定している。
そこからもどってくる物語も、枚挙にいとまがない。
日本神話はとくに、この世とあの世との境界があいまいだ。
北欧やケルトでも、薄絹のむこう側にあの世が広がっていたりする。
仏教の輪廻転生は、ある種の永劫回帰だ。
天下のキリスト教やイスラムにさえ、復活を取り扱う場面は見受けられる。
彼らは肉体と別に、魂というものの実在を前提にしていて、それは死なないし、むしろ永遠に変わらないものだ(イスラムでは肉体と魂は一体的に語られることが多い)。
キリスト教においては、精神的実体「ペルソナ」とも呼ばれる。
人間としての営みは、肉体に依存する。
だが唯物論者が決めつけるように、脳の営みがすべてを決定するわけではない。そこには身体に由来しない霊魂、ペルソナが介在するのだ。
ならば肉体が滅びても、魂の合一を経て、新たな肉体に転生するという行為は、ひとつの「死」を超越する方法でありはしないか。
壊れた肉体を簡単に乗り換える、などという行為が倫理的に認めがたいことを前提としても、やむを得ない不可避的、悲劇的な事故の結末を回収する最良の方法を、われわれは手にすることができた、そう考えられないか。
合体、転生。
そうして、魂は、蘇る。
「……同じことを、あんたもやっているんだ、そうだろ」
倒したモウリョウが吐き捨てる。
隣でサアヤが唇を噛む。
頭上で鳴くケルベロス。
「ちがう、悪魔合体は……死んだものを生き返らせるためにやるわけじゃないんだ」
首を振るチューヤ。
「でも、その方法があるとしたら?」
背後からのサアヤの声に、キッと鋭い視線を返す。
「俺は与しないぞ、サアヤ。おまえの考えは、正しくない」
「じゃ、まちがってるの? どこが? どうして?」
「……正しくない、と言っただけだ。それは俺が、正しいと思えないってだけの話で、だからべつに、まちがいだとまでは言ってない」
このへんが、チューヤの弱いところだ。
生命倫理の話になると、とたんに立ち位置が曖昧になる。
いや、自分が正しいと思う感覚的な場所は把握しているつもりだ。
すくなくとも生命を「もてあそぶ」ような実験がくりかえされることは、厳に慎み、戒めなければならない。
──この「墓場」に降ってくる死体、魂たちの多くが、その非道な実験に使われたらしい「失敗作」たちであることを、ここまでの戦いのうちに理解した。
そうして上で行なわれていることが「邪悪」である、とチューヤは考えることにしたが、サアヤたちも基本的に同意はしているものの、部分的に理解を示せるロジックがないわけではない。
「どんな手段でも、助けられる方法があるなら、やればいいじゃない?」
サアヤがそう言うことには、同意する人々も少なくないのかもしれない。
スパゲッティのようにチューブにつながれて、ただ心臓を動かすだけの人間を量産する、という現実をどこまで正当化できるのかはわからないが。
「科学が新たな道を切り開くときには、犠牲はつきものだ」
ケートの思想も、一片の真理を突いている。
もちろん彼も核兵器のように「やりすぎる」ことは戒めるべきだと考えるが、どこに境界線を置くかは、「個々の科学者ごとに全員ちがう」と言っても過言ではないのだ。
鍋部の会合でも、いつもそうだった。
部分的に同意できても、どこかが相反する思想の持ち主。
互いに相手を全否定も全肯定もできない。
そういう微妙な状況から、自分の道を選ばなければならないのが人生だ。
このミッションは、全人類が背負った業、その深刻な問題を浮き彫りにする──。
生医研の地下は、半分が「牢獄」、半分が「墓所」であり、現在も鋭意拡張中だった。
上階の実験室で死んだ者は、そのまま「墓所」に埋められる。このシステムはソンブレロ社の買収以降、ほぼ明文化されているという。
境界という新たな世界が、その死の世界を拡張していく。
古来、牢獄と墓場の親和性は非常に高く、死を覚悟して踏み込む、というよりも放り込まれる場所だった。
牢獄にみずからの意思で踏み込む者は少ない。
だから彼らの「襲撃」は当初、あきらかに想定外の出来事だった。
しかし墓所の管理人たちにとって、どのみち、やるべきことは同じなのだ。
死者たちとの戦闘の果て、たどりついた「牢獄」は、まだ生きている人間を、死ぬまで、あるいは実験台に選ばれるまで閉じ込めておく場所。
その「牢獄」のひとつに、彼女はいた。
一瞬、チューヤと視線が絡む。
ファースト・コンタクト。それだけで、じゅうぶんだった。
「中ボス戦、開始だ! 行くぞ、仲間たち!」
ボス戦BGMを背景に、声を張るチューヤ。
「いいからナカマを呼んで勝手に戦え」
仲間たちから返る声は、意想外に冷静だ。
当然のように、仲間たちは独自の戦線を張っている。
チューヤがやらなければならないのは、現状に最適のナカマたちを召喚して、戦線を優位に維持すること。
──死者系の敵が多い。
破魔系の魔法やスキルを得意とする悪魔を中心に選びつつ、戦場をコントロールする。
「ザコは任せろ、チューヤ。おまえはあのデカいのをやれ」
「それがいちばん大変そうですけど……」
向き合うは中ボス、巨大な幽鬼ヴェータラだ。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
ヴェータラ/幽鬼/42/11世紀/古代インド/ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー/永福町
ヒンドゥー教や仏教で語られる餓鬼の一種で、無数の餓鬼のなかでも、とくに危険で力の強い者がこの名で呼ばれる。
耳や首、四肢の関節などが弛緩し、長く垂れさがっている。
墓に潜み、呪文で死体を操って人間に害をなすとされる──。
レベル30そこそこのチューヤにとっては、かなり手ごわい。
可能なかぎり最適の布陣で立ち向かうが、相手の基礎パラメータが高すぎる。
「くそ強えな、おい! 中盤の入り口とは思えないぞ」
それでも今回は、話し合って解決、などという悠長な戦法は不可能だ。
悪霊や幽鬼系とは、そもそも話が通じづらい。
しかもボス戦ともなれば、策を練る余地は少ないのだ。
じり貧の展開が脳裏をよぎる。
悪魔使いのわるい予感は、たいてい当たることになっているから、なおさら始末がわるい。
──いや、策はある。
チューヤは攻撃陣をいったん引き、中央を大きく開いた。
ヴェータラとチューヤの間に、空白の直線が引かれる。
その線に向かって、互いが突進する。
「あ、バカ、なにやってんの!」
叫ぶサアヤ。
「デンジャラス・ゾーン! ヒャッハー!」
トキソプラズマに追い立てられるチューヤ。
──危険に身をさらす。
それ自体の快感に引き寄せられるチューヤと、ヴェータラの一撃が交錯。
基礎体力に圧倒的な開きがあり、一方的に吹っ飛ばされるチューヤ。
驚くほどのダメージで、鮮血がヴェータラの半身を染め上げる。
即死の瞬間、チューヤは悪魔使い恒例の「最終ターン」に、コカクチョウを合成。
そうだ鮮血のアーチをくぐれ、と指示した。
コカクチョウは先日、握手をしたアイドルにも取り憑いていた東方系の悪魔で、鬼神の類ともされる妖鳥である。交渉の結果、ナカマになってもらったばかりだ。
人間の少女をさらっては自分で育てるといわれ、その子どもに血で印をつけることもあるという──。
チューヤの血は、ヴェータラが腰から垂らしていた「牢獄の鍵」へ、一直線に伸びている。
本能的に反応したコカクチョウは、その血のアーチをくぐって宝島を目指す。
ヴェータラの腰から、引き裂くように奪った鍵を空中に抛った。
カラン、シャラシャラ、カシャーン。
牢獄へ落下する鍵の束。
そのさきには、捕らえられた女。
彼女は静かな表情で、小さなネコの亡霊を撫でていた。
よくやってくれた、キャット。
へへ、あんたには生きてほしいんでね。
──そんな会話があったかどうかは、定かではない。
「もう、なに無茶してんのチューヤ、死にたいの!?」
サアヤが全力で瀕死のチューヤを回復する。
「死ぬ気で突っ込んでこそ、開く道もあるのだよサアヤさん」
まだ臨死体験にくらくらしながら、身を起こすチューヤ。
その視線のさき、開く牢獄の扉。
──よし、彼女を助けるという目的は達成した。
あとはこの中ボスから逃げる算段を立てよう。
悪魔使いらしく迅速に戦略の変更を企図する。
ヴェータラは強すぎる。
あたりは墓場で、援軍も無限に送られてくる。
やはり、どうにかして逃げる算段を立てたい。
もちろん逃げることは、倒すことよりもむずかしいという場合も少なくないが……。
そう考えはじめたチューヤの目前で、状況は別の方向へ、劇的に転がりだしている。
ヴェータラは一瞬、恐怖の表情らしきものを浮かべて、顧みる。
その視線のさきには、牢獄から解放された女。
恐怖にヒステリーを起こしたように、ヴェータラはもはやチューヤたちに対するいっさいの関心を振り捨て、両手の武装を解放する。
放たれる魔弾に向かって、女はゆらりと踏み出した。
チューヤの目に、それは映画のスローモーションのように見えた。
タイトな黒いシャツとパンツのみを身に着け、粗末なブーツとリストバンドという軽装。肩から腰へ吊って締められた皮ベルトのホルスターは空っぽだ。
魔弾の隙間を縫うように突き進んだ女は、ヴェータラのふりまわす腕を踏み台に舞い上がり、空中で武装スキル解放。
空っぽのホルスターから、「拳銃」というプログラムを引き出した。
ドン、ドン、ドン、ドン!
両手のリボルバーが火を噴く。
着地までに放たれた弾丸は、すべてヴェータラの弱点を直撃。
悲鳴をあげて倒れる幽鬼。
物理攻撃ではなく霊的な弾丸だったようだ。
着地した瞬間、両手を振ると同時にオートマチック・リロード。
さらにすばらしい動きで、群がるゾンビどもをつぎつぎと殲滅していく。
唖然として、状況の変転を見守る高校生たち。
どんな映画だ、これは……。
ほどなく周囲は死屍累々、霊気の硝煙に包まれた女の姿が、ゆっくりと晴れていく。
彼女はFBI捜査官──その名も、
「ミカ・ジョノウッチ!」
うれしそうに叫ぶチューヤ。
ケートは、なるほど、と理解を示しつつやれやれと首を振る。
「変な発音するな。城之内だ」
このミッションに誘った当初、町工場の工場長・城之内の娘の名は教えていた。
ふっ、と銃口から漂う硝煙を吹きながら、ミカは米国人らしい動作で言った。
「Ya……ヨロシク、日本人諸君。協力、感謝する」
父親が日本人だけにまあまあの日本語だが、幼いころから長らく留学していたおかげで帰国したときには「ネコ」という単語しかおぼえていなかった、という昔の帰国子女のような一種の頼りなさはある。
しかし一方で高い信頼に足る能力、伸びやかな肢体、俊敏な身のこなし、獲物を狙う野生的な目、ハスキーなネコ科の猛獣のような声を持っている。
もちろんネコ派のチューヤは、彼女をとても気に入った。
「はっ、ヨロシクですぞ、ジョノウッチ捜査官!」
「ミカでいい。……死体は眠らせておけばよいものを」
その手に魔力が帯びられる。
群れ集う死者に向かって振るだけで、あるべき場所へともどらせる力。
まさに冥界の女王──ペルセポネだ。
どうやらタイプA、物理系のスキルを優先的に習得している。
ガーディアンはもちろんペルセポネ。
場合によっては、その特有スキルも活躍してくれることだろう。
「いやあ、頼れる仲間ができて、俺はほんとに心強いですぞ。臆病なガキどもの世話には、ほとほと手を焼いていたところでしてな」
ガキの集団である鍋部のなかでは一応、チューヤが最年長ということになっている。
ケートとサアヤは、そのありさまを静かに眺める。
「調子乗ってるな、キミの旦那」
「しばいていいよ、ケーたん」
ともかく道は切り開かれた。
皮肉にも、トキソプラズマによって。




