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「……セポ姐ですね」


 せぽねえ。

 デビル豪のイベントで、ゼウスと同時に実装された何体かのギリシャ神話系神々のうち、「セポ姐」として慕われているのがペルセポネだ。

 ゼウスにとっては娘にあたり、冥界の女王、という設定がギリシャ古典劇以来、受け継がれている。


 ゼウスは北千住に設定されており、ペルセポネは日の暮れる里、つまり日暮里にいる。

 その間に横たわるのが、死の河ならぬ隅田川である。

 パリのセーヌ川、ロンドンのテムズ川と並ぶ、東京を代表する川。

 もっとも古い記録は承和2年(835)の「住田河」。その後『伊勢物語』『更級日記』などにその名が登場するが、「角」「墨」「澄」など異なる字が当てられたり、流域ごとに名が変わるなど、一定していない。

 永井荷風、佐藤春夫、谷崎潤一郎などによる作品の影響で、明治以降、隅田川の名称が定着した。

 浅草、両国、築地、月島など、東京の代表的な観光エリアを貫通しており、このエリアに設定されたペルセポネ救出イベントは、チューヤもすこしやりこんだのでおぼえている。


「だからゲームの話じゃないっての。じつはそのゼウスのおっさんの娘が、アメリカから日本に帰ってきたらしいんだよ」


「ゼウスの娘はアメリカ人なのか」


 昨今、多国籍化は進んでいるので、さしたる驚きもない。


「母親の国籍を取ったらしい。アメリカ女とのハーフだが、城之内の姓を名乗っている。平たくいえば愛人の娘ってことだな」


「ゼウスって昔から好色だよね……」


「その娘がまた有能らしい。FBIの捜査官で、仕事で日本にやってきた。米国企業ソンブレロ社が、買収した他国の研究所で違法な研究をくりかえしていると、国際問題になっている。その捜査活動らしいんだが」


「またインターナショナルな話になってきたね」


 ぼやきつつ、脳内に絡まりつつある線を、なんとかつないでいく。

 一本、また一本と、どこかで聞いたことのあるワードが、意味のある物語へと紡がれていくこと自体は、なんとなく心地よい。

 そもそも乗り鉄にとって、「路(伏)線」の「回収」は「本能」ですらある。


「千駄木にある買収先の本社に潜入するという報告を最後に、連絡がとれなくなった。娘を探してくれ、という依頼だ」


「探偵にでも頼めよ! てか大使館に頼めよ、FBIだろ」


「国際問題になるじゃないか。それに国は動きが遅いからな。もし娘を助けてくれれば、いろいろ便宜をはかってくれるらしい。技術開発の話ばかりじゃないぜ。たとえば……呪いを解くとか」


「やりましょう」


 東京から出られない呪いを解いてもらう。

 これは、ぜひとも必要である。


「行くのか、千駄木」


「がんばろう、みんな!」


 だれも呼応しないが、彼は自分と悪魔に言い聞かせているだけなので、それでよい。

 悪魔使いが人間を動かすなど、おこがましいのだ。


「……ていうかさ、チューヤ。ソンブレロ社って」


「え、あ……そうか、ちょっと待ってケート、千駄木の買収された会社、わかるか?」


「たしか医療工学……」


「生体医療工学研究所? それって、ナミさんの勤務してる会社だよね」


「最近、外資に買収されて、社員がみんなおかしくなったって。たぶん、ナミさんも」


 一瞬、視線が絡まり合う。

 これほどの偶然があるだろうか?

 いや、まさに必然だ。


「なんだよ、キミたちの目的とも合致かよ。……よし、これで遠慮する必要はないな。予定調和のタイムテーブルってやつだ」


「遠慮する気なんかないくせに……」


「ふん、行くぞ。千駄木の本社については、キミたちのほうがよく知っているかもしれんからな」


 そんなわけないだろ……とブツブツ言うチューヤたちを引っ立てて、家を出るお金持ちのボンボン。

 廊下ですれちがった祖母を、アメリカ人っぽく抱擁して、ケートにしては最大限にやさしい猫撫で声を絞り出す。


「じゃ、行ってくるな、ばーちゃん」


 優しい笑顔でうなずく祖母。


「いつでも、また連れてきんさい。……あの子たち、お友達ね?」


「ああ、ボクの親友だ」


「ほんに、よかったねえ」


 再びおばあちゃんに抱きしめられ、家を出るケート。

 部分的に欠損した愛は、代わりのもので埋められる。そうして人は成長していく。

 できるだけの愛で埋め尽くされるべき成長の過程を、まだ多く残している若者たち。

 彼らはティーンエイジャー、高校生なのだ──。




 広尾から千駄木は、日比谷線から千代田線で所要時間27分。

 と主張するチューヤを、ケートの祖父から借りたレクサスに詰め込む。

 あたりまえのように運転席に乗るケートに、一応、苦言を呈するチューヤ。


「ここ日本ですけどー」


「自動運転だからいいだろ」


 ピピッ、とコンソールを操作するだけで、クルマは勝手に動き出す。

 祖父のIDを使わせてもらっているため、CPUは合法な運転と判断している。

 昨今の自動車のセキュリティでは、他人の所有するクルマを簡単には運転できないのだ。


「目的地を設定しました。自動運転を開始します。緊急時に備え、道路状況から目を離さないでください。万一、事故の場合の責任は運転者となります。──目的地まで、23分です」


 レベル3の自動運転は、加速・操舵・制動すべて車両が自動的に行なう。

 ただし緊急時や限界時にはドライバーの操作を必要とするため、運転者の乗車は必須であり、当然その責任も運転者に帰される。

 つぎの段階になると運転者すら必要なくなるが、このレベルの自動運転は、まだ東京全般には普及していない。


「くそ、23分か! 首都高め、地下鉄の敵!」


 チューヤの怒りの矛先は、あいかわらず謎である。

 鉄ヲタがクルマを敵視することはほとんどないが、状況によっては勝手にライバル心を燃やすこともある。

 安く、速く、安全、快適に。

 移動媒体に課せられた使命だ。


 その点、今回は「安さ」以外かなり分がわるい。

 とくに重要な「速さ」が問題だ。

 鉄道の場合、乗車時間に駅からの移動時間も加えなければならない。地方ならともかく、完璧に鉄道網が整備された首都で、この体たらくは鉄ヲタの心に痛い。

 ドア・トゥ・ドアでの移動が可能な自動車と比較すると、どう考えても「旧世代の移動」の感は否めない。

 はてしなく地表を移動してきた人類は、ついにその手段を完全自動運転車両に委ねる時代へと達しつつある。


 その技術で地表を埋め尽くすのだ、という考えがケートだ。

 一方リョージは、都市にかぎって移動を許す、という思想の持ち主となる。

 むずかしい選択だが、未来は彼らの世代が決めなければならない──。


「どしたのチューヤ、おもしろい顔して。もう慣れなよ、ケーたんの運転、けっこううまいよ」


 当然のように助手席に乗るサアヤ。


「さすがガソスタの娘、ドライバーにやさしいね」


 満足げにうなずき、運転席になじんでいるケート。


「なんの話だよ!? もう、むずかしいこと考えるのヤメた!」


 後部座席でむくれるチューヤ。

 肩をすくめるサアヤとケート。

 謎のタイミングでふてくされる、という現象はどんな人間にも見受けられる。それぞれの人間が、地雷的嗜好や黒歴史といったものを抱え込んでいるということだろう。


「とにかく、おばさんに話を聞いておかないと」


 移動通信端末を取り出すサアヤ。

 かけ慣れたナミの名前をタップする。


「よかったらスピーカーにして、そこのポッドに置くといい」


 ケートの指示どおり、サアヤはスマホをダッシュボードに置いた。

 ただの通話には不必要な高速回線を経由して、数キロメートル離れた場所とコネクトする。

 つながったナミの電話に出たのは……男の声。


「あらやだ! ホストめ、ついにおばさんの電話まで手中に」


「おはよう。きみたち、無事でよかった」


 意外にやさしいイッキの声。

 だいぶ疲れている気配があるが、理由については詮索しないことにした。

 後部シートから身を乗り出し、チューヤが口を開く。


「もしもし、どうも、きのう、というかきょうか、会ったばかりですけど、チューヤです。電話、スピーカーなってます。ナミさんいます? ちょっと聞きたいことが」


「ああ、疲れて眠っている。いま、目を覚ましたようだ。……ナミ、親戚の子」


 もぞもぞと蠢く音。

 あきらかにベッド内、衣擦れの音、まともに服は着ていないと考えてよさそうだ。


「おはよう……サーちゃん?」


「おばさん! 平日の真っ昼間から、仕事もせずホストとベッドでイチャコラとは、いい御身分ですぞなもし!?」


「あははー、ごめーん。けど、そう言うサーちゃんも女子高生なのに、平日の昼間に首都高から電話って変だねー」


 ついさっき、首都高2号天現寺料金所から入線したという報告が、自動運転装置から告げられている。

 ──まったく余計なことをするクルマだよ!


「うぐっ、それはそのー」


「まあまあ、もういいだろ。──これから、ナミさんの会社に行きます。たしか外資に買収されたんですよね」


 チューヤがそう言った瞬間、電話のむこうから苦悶の声。

 頭を抱えてうめいているようだ。

 会社、という言葉が彼女に多大なストレスを与えたとしたら、五月病の新入社員でもないわけだから、別に大きな理由があると考えるべきだろう。


「かなりつらそうだ。だいじょうぶ、ぼくが伝えるよ。……どうやら、そうとう問題のある外資のようだな。ソンブレロ社……名前は有名だが」


「アメリカのバイオベンチャーだ」


 ぽつりと付け足すケート。


「ガクトさん、だから、買収は受けるべきでは、ないです……」


 ナミのかすれた声。


「ガクトさん?」


 チューヤの問いに、


「社長だよ。誇り高い研究者だったようだが、買収劇以来、どうもみんなおかしなことになっているようだ。あんな会社に行かせておくわけにはいかないだろう」


 イッキが答える。

 どうやら彼がナミの出社を止めていることには、それなりの理由があると考えてよさそうだ。

 買収を受けた生体医療工学研究所は、ごっそりとスタッフが入れ替わったのだという。かなりやばい連中が多かったようで、いまや悪魔の会社になっている──らしい。


「噂どおりだな、残念ながら」


 小声でつぶやくケート。


「光が丘のラボはまだもちこたえているが、千駄木の本社はもうめちゃくちゃだということだ」


 イッキの声。


「……ナミさんも、だいぶまともじゃなくなってるしね」


 電話のむこうから聞こえる、うわ言のようなナミのつぶやきに、親しい高校生たちはため息しか出ない。

 彼女を助ける方法があるかどうかはわからないが、とにかくやるべきことをやろう。




「てかさ、そのソンブレロ社の話って、ついさっき決まったんでしょ? ケートのもともとの用件はなんだったの?」


 進行方向、目的地まで10分の声に重ね、チューヤが運転席に問うた。


「言っておくが、ボクはとても忙しい人間なんだ。いつも処理しなければならない案件をたくさん抱えている。そこで、こいつを使う」


 サイコロを手にするケート。


「あー! 俺もよくやる、テストで。出た目にしたがって決めるんだね」


「今回のように優先順位が繰り上がった場合は別として、どうせやらなきゃならない案件で、順番はどうでもいいって場合はサイコロにかぎる。まあどうでもいいってことはないんだが、気が進まない理由もないわけじゃないしな」


 常日頃、シナリオ分岐に悩まされているチューヤとしては、うなずくしかない。


「きのうの話? えーと、トーコ先生とかいうひとに話を聞きたいんだよね」


「それもある。もっとまえから進めなきゃならなかった話も、いくつかある。アムステルダムとか……」


 その一瞬、ケートが見せた暗さの原因を、チューヤよりはサアヤのほうが知っている。

 心配そうなサアヤに気づいたケートは、奮い立たせるようにいつもの憎まれ口をたたく。


「ともかくだ、キミたちパンピーとちがって、ボクくらいのエリートになるとやるべきことが有り余ってるんだよ。無限に手伝ってくれていいんだぞ」


「さいですか……まあ無理のない範囲で……」


「あらゆる事件はリアルタイムで進行中だ。ボクたちがこうして動いているあいだにも、リョージやお嬢、あのヘビだって、どうせろくでもない動きをしているはずなんだ。どこの話を、どの順番で、どの程度やっつけるか。こいつが未来を決めるんだぜ、チューヤ」


 含蓄のある示唆だ、とチューヤも認めざるを得ない。

 ケートにとってもそうだろうが、自分にとっても、エンディングを決めるのは積み重ねたシナリオ分岐なのだ。

 その選択肢の結果、ここにいる──。


「ま、とにかく、今回は強制参加っぽいから気楽でいいね。どんな自由度の高いゲームも、ぜったい通らないといけない必須イベントってのはあるもんだよ」


「黙れゲーム脳。──さて、ここが恐れ入谷か」


 首都高の終点、入谷で降りて昭和通りを左折、言問通りへとはいる。

 自動運転を終了させ、近場の駐車場を検索する。

 さすがに敵の会社の駐車場には直接、乗りつけないほうがいいだろう。

 左に寛永寺第一霊園、右には名高い谷中霊園だ。

 なるほど、日の暮れる里は死者の国、というわけだな……。


「どーでもいーけどさ、私きょうバイトなんだよね。夕方までに片づけてくれる?」


「ちょ、サアヤさん! 大事な親戚のナミさんにかかわる重大イベントですぞ! バイトとか、なにを悠長なこと宣っていらっしゃるんでしょうかな!?」


「はああ? 稼ぎもない穀潰しが、ようゆうたな、おうこら!? 明日のおまんま食えるのは、だれさまのおかげじゃ思うちょるんや、このガキデカが!」


「もうサアヤさんがなにを言ってるのか、俺にはさっぱりわからないよ……」


「うるさいやつらだな。ほら、着いたぞ」


 運転席から降りるケートにつづいて、チューヤたちも台東区の空気に混じる。

 時間貸しの駐車場から通りを隔てた先、不気味にたたずむ社屋がある。

 ソンブレロ社によって買収された、生体医療工学研究所。

 いま、彼らは日の暮れる里の物語へ。



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