09 : Day -34 : Hiro-o
応接間の高級なじゅうたんに、チューヤは土下座をしていた。
「頼む、消してくれ。誤解なんだ、あれは」
その横では、サアヤがしずしずと紅茶を飲んでいる。
「ボクに納得のいく話が、まだ聞けていないのでな」
手のなかで、くるくるとスマホをまわすケート。
画面を開き、さっき撮った写真を拡大する。
そこには、チューヤとサアヤが広尾の愛のホテルから並んで出てくる画像があった。
「だからそれはですな、あきらかな誤解であって……おいサアヤ、なに落ち着いてお茶飲んでんの!? おまえもちゃんと説明しろって」
「言い訳なんて男らしくないよチューヤ。ちゃんと責任とると言え」
「おいい!」
その言い方に、逆に納得したケートは、うなずいた。
「ま、ヘタレのチューヤが、そんな冒険するはずないわな」
「ヘタレだからね」
「おい! まあ、ともかくだ、話せば長くなるんだが」
ケートは憮然として口を「へ」の字に曲げながら、
「リョージかおまえは。わかったよ。くらやみ坂とかいうところで戦って、キンナラって悪魔と話し合って、貢物を差し出して、送り返してもらったというわけだろ」
「そう! 一晩じゅう戦って交渉して、こちとら疲れ切っていたから、キンナラさんがサービスでホテルで休ませてくれたのよ。もう泥のように寝たよな、サアヤ!」
「モーニングは9番でフロントを呼ぶらしいよ」
「なんのことだよ!?」
へー、こんになふうになってるんだー、とラブホの雰囲気をひとしきり満喫する女子。
それがいずれ彼女の「仮面」に変わる日を思うと、おそろしい。
何事も考えすぎるケートはうなずいた。
「ともかくチューヤたちはチューヤたちで、魂の売り払われるさきとか、そういう大変なシナリオを埋めていたんだと、そう言いたいわけだ」
「言いたいってか、そうなんだよ!」
「あ、おばさま。この紅茶、とてもおいしいですね」
老人受けの如才なさはサアヤ特有だ。
やってきた品のいい老婆が、にこやかにお茶請けの高級そうなお菓子をテーブルに置く。
ここはケートの祖父母宅で、ちょうど借りていたクルマを返しに来た孫が、たまたま近所のラブホから出てきた怪しげな男女を激写、というのが昨今の情勢だった。
かつて恵比寿あたりのミッションで、ケートが乗りまわしていた高級車の出どころは、ごく近所だったことも判明した。
高級住宅街である広尾に、車庫が複数ある広大な一戸建てをかまえる祖父母にとって、国内最大手メーカー最新鋭フラッグシップカーの一台や二台、孫に貸し与えてもどうということはない。
現在、千歳烏山に一人暮らしをしているケートだが、たまには広尾にもどって祖父母孝行をするのもいいものだな、とあらためて思った。
こうしてチューヤたちの弱みになりうる、めずらしい場面を捉まえ得たのは、孝行の威徳によって天の感ずるところだろう。
「しかし悪魔使いってのはすげーな。ボスキャラとも話し合いで解決とかできんのかよ。ゲームバランス崩壊だろ」
「いや、たいてい無理だよ。ただ今回は、キンナラさんのイベントを引き受けたおかげかな」
「キンナラのイベント? なんだよそれ」
「昔の貴重な音楽CD、じゃなくてレコード?」
「ソノシート」
「そう、それを持って行ってあげると約束したんだ」
「うちのでしょ。勝手にひとのものあげちゃうなんて、えらくなったもんだよチューヤも」
ソノシートは1958年、フランスで開発された薄い録音盤である。
レコードよりも安価であり、文字どおり薄いため雑誌の付録などとして普及したが、国内の製造メーカーが消滅している現在は、その希少価値によってレトロ趣味市場の一端を形成している。
「サアヤだって了承したでしょ! それで戦わずに済むなら、って」
「あの場はそうする以外になかったからね」
キンナラは仏教に取り入れられてまじめな神将になったかのように見えるが、もともとインドの神であるころには、音楽と踊りを司る明るい神さまであった。
境界から抜けるには、たいていの場合、戦って勝つことが唯一かつ最短の方法だが、話し合いで相手に納得してもらうというのも重要な方法である。
悪魔使いは、すべての悪魔と会話ができるので、選択の幅が非常に広い。
他のタイプの面々は、もちろん会話できる悪魔もいるが、ほとんどの場合は話が通じない。
ケートやサアヤにとって、まさに異質なオタク野郎、それがチューヤなのだ。
「人間とは目を見て会話もできない子だったのに、悪魔とは堂に入った交渉ができるわけか。おそるべき内弁慶、いや悪魔弁慶だな」
「褒められてる気がしないんですけど……」
「チューヤごときが褒められようなんて、おこがましいと思わんかね?」
サアヤやケートにいじられるのはたいてい慣れていたが、一応、地団太を踏んではみせる律儀なチューヤ。
「なんなの、もう、怒ってみせるよ、一応! ……それで、ケートのほうはどうなの? 平日の昼間に車で帰ってくるとか、警察に捕まっても知らないよ?」
「平日の昼間に同級生とラブホから出てくるよりはましだ。そもそも、ホスト遊びをしていたんだろうが、キミたちは」
「話聞いてた!? たしかにホストクラブきっかけではあるけど……」
と、そこでサアヤの目が座った。
どん、と飲んでいた紅茶のカップをテーブルに強く置く。
そして、ほろりと涙をこぼす。親戚のナミを思ってか、くらやみ坂に積み重なる男女の愛憎劇を思ってか。
さっ、と空になったティーカップを差し出し、歌い出す。
「水割りをください~♪」
「ど、どうぞ」
自分の紅茶を差し出すチューヤ。
「ぐびぐび……ぷはー。涙の数だけ~♪」
受け取り、飲み干してから、涙で薄まったカップを再び差し出すサアヤ。
あたりを見まわし、水差しを見つけて、どぼどぼと注ぐチューヤ。
いつもの漫才かと察しはつけつつ、いつも以上に呆れるケート。
「おいおい、チューヤ」
「水で割るんだろ?」
「それただの薄い紅茶じゃん……」
「あいつなんか、あいつなんか、飲み干してやるわ~♪ ぷはー!」
歌うサアヤさんモードにはいってしまったら、もはや止めることはできない。
男子2名は寄り添って、宴の終わりを待つ。
彼女の歌う『メモリーグラス』は、昭和56年の堀江淳の楽曲だ。
「なんかあったのか、サアヤ」
「たぶんホストクラブを含む業界の現実について、思い知った件だと思うよ」
「男女の機微を知るには若すぎるだろ」
「いや、女子は侮れないぞ」
「まあな。なにしろサアヤだからな。昭和から生きてそうだし」
並んで愛すべき女子を眺める男子2名に、愛されるべき女子はだんと足踏みをして、順に指先を突きつける。
「ちょっと男子! そこに並びなさい」
「も、もう並んでます」
「どういうつもり? 女子はあんたらのおもちゃじゃないのよ!」
「お説ごもっとも、重々承知の助でヤンス」
だんだん、と足踏みをするサアヤ。
どうやら男子の応対にご不満らしい。
「どういうことですか、って訊け!」
「ど、どういうことスか……」
「よくぞ訊いてくれました!」
「なんか長そうだな……」
ホストと客、男と女、多くの悲しいエピソードは、あらゆる歌にも歌われている。
昭和にかぎらず、男女の愛憎劇を歌い上げる楽曲は、古今東西の芸能史を埋め尽くしていると言っていい。
チューヤにとっては単なる交渉の材料に過ぎなかったが、昭和の音楽文化を収集する悪魔がいても、おかしくはない。
「というわけで、その責任を取るのだ男子よ!」
「俺たち関係ねーじゃん」
「わるいのは、わるいことをした男だけだろう」
「女もたいがいバカだしな」
「黙らっしゃい! こういうものは連帯責任ですぞ!」
「……ぶーぶー」
「ブーイング禁止!」
だん、と足踏みするサアヤ。
女子の感情論は、黙って受け止めておくにかぎる。
チューヤは過去を思い返しつつ、静かに話を進める。
「けどさ、そりゃわるいやつもたくさんいるけど、すくなくともあのホストのひとは、わるくなかったじゃん。なんかナミさんを助けているように見えたぞ」
「これだから男子は! すぐ男の味方をする。あたしゃだまされないよ。あいつらは、わるいことしきゃ考えてないんだから。金金金金、金がすべて! 金引っ張るために、悪だくみしてるだけに決まってんだ、あたしゃ許さないよ!」
「やりてババアかよ」
「サアヤさんそれは偏見というものですぞ」
ともかく話の流れとしては、まだ解決していないホストの問題をどうにかしなければならない、ということだ。
さしあたりキンナラさんにソノシートを届けるという仕事もあるが、あとでサアヤが探しておいて学校でチューヤにわたすことになっている。
キンナラさんで、ポンと手を打つチューヤ。
「そうだ。ケートには俺たちを手伝う義務があるぞ。なにしろ、きのうからずっと俺たちは、ドゥルガーとかキンナラとか、インドの古い神さま助けまくってるんだからな」
「それがどうしてボクの義務に変化するんだよ」
「ケート、インド代表でしょ?」
「じゃねえわ! それに、いかなるインドの首相だろうが富豪だろうが、キンナラとやらの恩を返す義理はないと思う……が、まあ、チューヤが世話になったなら返してやるのもやぶさかではない」
「いや世話したの俺なんだけど……」
東京で展開されている魂の奪い合いは、通奏低音のようなものだ。
多くのシナリオが同時進行しているが、なかでも全体に影響のあるシナリオのひとつといっていい。
神学機構と舎利学館、そのあたりの事情を手短に説明する。
しばらく何事か考え込んでいたケートは、
「なら、ちょうどいいかもな。古典派絡みだ」
「古典? そういうのはお嬢に訊いて」
「宗派の話じゃねーよ。ボクたち全員に関係はするが、とくにキミはお世話になっているだろう、運命の3女神には」
「あああ、あの個性的なお姉さま方ね! 早く死んでくれないかね!?」
チューヤを東京から出さないでいてくれる、なかなか拘束感の強い女子らだ。
「下手なこと言うと舌が曲がるぞ。……そいつらのボスを知ってるか?」
「……そーいや言ってたね。ボスがどうこう。そりゃ自分らだけの考えでやってるわけじゃないらしいってのは、なんとなくわかるけど……つまり?」
「運命の女神のボスの名前くらい知っとけ。……ゼウスだよ」
「ゼウス解禁! 北千住だね」
『デビル豪』脳のチューヤにとっては、そういうことになる。
諸般の事情でデビル豪界隈では、もっとも有名な神名といっていい「ゼウス」がシリーズ中、長らく使用されてこなかった。
しかしついに本作にいたり、ギリシア神話の主神ゼウスが登壇することと相成った。
実装当日は、コアなデビル豪ファンが北千住に集って記念イベントのクエストを楽しんだものだった。
「ゲームの話じゃないが……そうか、北千住か。下調べは完璧らしいな。そのゼウスをガーディアンにしてるのが、北千住の町工場の社長、城之内ってエロジジイだ。そのおっさんが、運命の女神どもを動かして、なんぞ企んでるってのは……まあ置いといて」
「置いとくのかよ」
「あらゆる事象はリンクしている。ところでボクらは、ゲームでいえばチートなアイテムを開発しているんだが、それがまた超やべえ火力でな、バランス崩壊の最終兵器といっていい」
かなりインサイダーな情報だ。
げんなりするチューヤ。
「わかりやすく説明してくれてどうもありがとう。じゃあもう勝ち確だね。エンディングまで一直線だわーい」
「完成すればな。その製造に、城之内……ゼウスのおっさんが社長してる雷文ホトニクスの技術が、どうしても必要なんだ。ボクたちが求める精度の光量子増倍管をつくれるのは、世界広しといえども雷文ホトニクス以外にないんでな」
「RPG的にはそうなるでしょうね。てか、ふつーに発注したらいいじゃない」
「雷文ホトニクスをもってしても、まだ精度が一桁足りない。つまりいっそうの技術開発が必要なんだが、そんな金はねえと言いやがった」
「金ならあるだろ、出してやれよ」
不満げなケートに、平然と突っ込むチューヤ。
たとえそれが平民の彼にとってどれだけ桁外れの額であろうとも。
「ついでに、別の仕事で忙しいとか抜かしてやがるんだよ。つまり、あんまり乗り気じゃないんだな」
「技術を持ってる会社って、なんか偉そうな感じあるよね」
「ともかく雷文ホトニクスの技術はどうしても必要だ。いや、それ以上の技術がな。社長決裁で最優先研究開発をしてもらえるとありがたいんだが」
「その気はない、と」
「たぶん交渉のつもりだろう。おっさん、いろいろ問題かかえてるらしい。──キミならわかるんじゃないかな、渡ら死の河を越えた日の暮れる里の霊園の件。……なあ、ニシオギのアクマツカイ?」
張り巡らされた伏線が、つぎつぎと回収されていく──。




