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関係者以外立ち入り禁止の控室。
会場ではまだ試合中だけあって、廊下には関係者やスタッフなどが多い。
出待ちの観客が増えるのは、試合が終わってからだ。
「老先生の紹介で」
リョージがスタッフとなにやら短いやり取りをしている。
ほどなく彼らは、関係者以外立ち入り禁止のロープの向こう側へ通された。
控室のひとつでは、試合を終えたばかりのプロレスラーが集まって、試合後のミーティングなどをしている。
一応パーティションで区切られて、ダッドとタニオ、ダイコクと邪教というチームの場所は分けられてはいるが、試合の敵味方は現実にはあまり関係ない。
よほどのメインイベンターや、因縁を演出している関係でもないかぎり、同じ団体に所属するプロレスラーが和気あいあい話し合うのは当然だ。
目的のダッド選手を探し、そちらのほうに歩きだしているリョージをしり目に、
「先生!」
まっしぐらマスクマンに駆け寄るチューヤ。
「おお、きみは」
ちょうど邪教とミーティングをしていたダイコクが、やや驚いたように顔を向ける。
リョージは、ダッドとタニオの話し合いがやや激しいことに遠慮してか、とりあえず声をかけるのを遠慮して、チューヤたちのほうを顧みている。
そのとき、
「お館さま!」
と叫びながら、チューヤの背中から飛び出してきた小人のような存在は、ダイコクの目には見えない。
邪教には見えるらしく、彼はやや困った表情でダイコクから距離をとった。
それを、自分と客人らしいチューヤを気遣ったものと受け取ったダイコクは、にこやかに右手を差し出してチューヤと握手を交わす。
力強いその手に感動をおぼえつつ、チューヤは横のリョージを紹介する。
「いい試合でした。あ、えっと彼、俺のダチのリョージ」
「どーもです。いつも楽しませてもらってます」
軽く会釈するリョージ。
敬意は払っているが、ファンというわけでもない態度。
一方、熱烈なファンであるチューヤは、自分のTシャツを広げて、
「サ、サインお願いします」
「かまわんが、勝手になかにはいってはまずかろう?」
さらさらと手慣れた動きでチューヤのTシャツにサインをするマスクマン。
「それなんですが、リョージがダッド選手の関係者らしくて」
「先生、お時間です」
と、チューヤの言葉をさえぎるように、小柄な男が現れて言った。
いつもの秘書、周防だ。
「そうか。いやすまんな、ちょっと地元の後援会と話があって。──邪教くん、それじゃまた」
邪教と短い挨拶を交わし、立ち去るダイコク。
惚けて見送るチューヤたち。
「あいかわらず忙しいひとだなあ」
「チューヤとちがってね」
「なんで俺と比べるの! あのひとは特別!」
「まあ三足のわらじだもんねえ」
こんなマルチタレントは、そうはいない。
「おい、そこの子ども。お館さまに紹介してやるぞ」
と、入れ替わるように寄ってくるテイネと邪教。
「だれより子どもは、おまえだろうが」
と、突っ込もうとしたつぎの瞬間、響きわたる絶叫。
「てめえは、そんなこと考えて試合してんかよ!」
タニオの声。
一斉に視線を向けた先、ダッドとタニオのディスカッションが激しさを増していた。
「うるせえ! てめーなんかにゃわかんねーんだよ!」
「ああ!? わかりたくもねえわ、そんなもん!」
ヒートアップするミーティング。
いや、もうそれはミーティングなどと呼んでいい状況ではない。
「おい、どうした」
割ってはいろうとする邪教の身体が、数メートルも吹っ飛ばされた。
静まり返る控室で、響きわたるのはタニオとダッドの叫び声。
「くだらねえな、とっとと認めちまえよ!」
「なんで、てめえにそんなこと言われなきゃならねえんだ!?」
「わかるまで言ってもらわなきゃ、わかんねえからだよ! じゃ言ってやる。ガキを殺して埋めたんは、てめえだろうが」
「なんで俺が、自分の……っこど、もを」
聞いていて、あきらかにおかしい。
チューヤはナノマシンを起動する。
……境界化がはじまっている。悪魔の姿が、見える。
「自分のだァ? そうじゃねえって知ってんだろうが。あの子は、おまえの子じゃねえ、おまえは、どっかの、わけのわかんねえ男のガキを、育てさせられてんだよォオ!」
「てめぇェあァ!」
もはや喧嘩である。
ここまでくれば、いくらなんでも、仕事上のミーティングというわけはあるまい。
「神の親なんだろ、てめえはよお! そういうもんだって、最初から知ってて名前つけたんじゃねえのかよ、ああ? 教えてやんよ、てめえの女房がホスト狂いの売女だってなァ!」
「口を閉じろ、タニオぉお!」
いま、タニオのうえには、タニオ以外の姿がハッキリと見えている。
冒瀆の言辞が届く範囲、世界線の境界が拡大されていく。
神親ダッド。
その名によれば、戸籍上の父であるヨセフは、処女マリアと結ばれていない。
2000年前、ヨセフのまえには、その子は神の子だから黙って育てなさい、と告げてくれる天使が現れた。
マリアの腹に、ほんとはだれが子種をぶち込んだのか、ヨハネに知らせる親切な友人はいなかった。
いま、神の親たるダッドに告げるタニオの──いや、オニのように。
「侵食……っ」
タニオを中心に、邪悪な気配が広がっていく。
「悪魔に憑かれていたのか。なるほど、わるそうなオニだな」
アナライザを起動するチューヤの視覚に、いつものデータが投影される。
名/種族/レベル(現在)/時代/地域/系統/支配駅
オニ/妖鬼/14(?)/中世/日本/民話・郷土信仰/蒲田
「いや、ちがう。よく見ろ。ダッドのガーディアンを」
背後から聞こえる声は、邪教。
言われ、アナライザをダッドのうえに再フォーカスする。
「あれは……ヨシツネ?」
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
ヨシツネ/英霊/36/12世紀/日本/義経記/京急蒲田
源義経。源平合戦の英雄として有名な武将であり、「牛若丸」という幼名でも知られる。
平安時代の末期から、鎌倉時代初期にかけて活躍。源家の総帥である源義朝の九男として生まれ、京都の東の外れにある鞍馬寺で育てられたとされる。
伝説では鞍馬山の天狗に武芸を教わったといわれており、五条大橋での武蔵坊弁慶との戦いで知られる。
壇ノ浦の戦いで平家を破ったあと、兄である頼朝と対立して追われる身となり、衣川で自刃したと伝わるが、有名な異説多数あり。
「なるほど、ダッド選手の華麗な飛び技は、このガーディアンの力もあったわけだな」
「まさにスピード重視の京急行っとけダイヤだね。それもこれも原点は、やっぱヨシツネ7100形だと思う!」
鉄ヲタにとって、源義経といえば蒸気機関車だ。
1880年、北海道初の鉄道を走った一連の機関車には、義經、辨慶、光圀など、歴史上の人物にちなんだ愛称がつけられていた。
引退後、1952年に復元、展示されて以降は、その愛称からたびたび再会イベントに引っ張り出される「義經」と「しづか」の知名度により、現在でも知る者は少なくない。
──そんな鉄ヲタの誤った意見は、もちろん壮絶に無視された。
重要なのは、英霊に憑かれた表情が、暗黒に染まっていく事実だ。
「まずいぞ。鬼退治の主人公が……鬼に負ける」
「つけこまれているな。ああいう心理状態は、悪魔の大好物だ」
疑心、憎悪、怨嗟、悔恨。
神の親は、自分が親ではない事実をまえに、ついに正気を支えつづけることができなくなってしまった。
──つぎの瞬間、床が割れて吸い込まれていく神の親。
あわててその黒い穴をのぞき込むと、ダッドを抱え、トンネルを奥へと走るオニの姿。
一瞬、ふりかえり、にやりと笑うオニ。
「オニさんこちら、ってか」
「逆だろ」
源家は、頼政、頼光など、妖怪退治でよく知られている。
義経自身、鞍馬山で天狗に剣術を習ったという。
「鬼退治」には格好のキャスティングといえるが、現状、むしろ歴史からの復讐を受けているかのようだった。
「やれやれ、タニオはしょうがないにしても、ダッドにはこのまま消えてもらうわけにはいかんぞ」
ぼやく邪教が、本性を現しつつある。
青い帽子を目深にかぶり、ゆるめのローブで隆々の筋肉を隠した邪教は、20世紀には悪魔合体のマスターとして世界にその名を知られた。
「……そういや、校長が言ってたけど、邪教さん、あんた」
「ん? 白泉校長は死んだと聞いたが。……ああ、なるほど?」
耳元でささやくテイネ。
短いやり取りでいろいろ理解できるのは、邪教がもともと持っている情報量が圧倒的に多いからだろう。
「そういや校長、言ってたよな? 邪教さんて、うちの高校のOBなんか?」
「らしいね……」
にわかプロレス・マニアのチューヤとしても、邪教の出身高校まではチェックしていなかった。
邪教は室内を一瞥し、そのなかで自分にもっとも近い存在──すなわち「悪魔使い」を選んで歩み寄ると、ゆるやかな重低音で言った。
「悪魔が集えば邪教の味方が、よォうこそ」
職業病に近い定型句。しかしてテイネとは圧倒的に年季がちがう。
悪魔合体という概念を提出し、現代につながる邪教ネットワークを構築したのち、現在は引退して趣味のプロレスに興じる日々。
趣味にもかかわらずプロとして通用しているのだから、もともとのポテンシャルが異常に高いということなのだろう。
「尊敬してます、邪教さん、ええと、いろんな意味で」
頭を下げるチューヤを制し、
「いまは合体の話をしてる場合ではない。……どうやら、並のオニではあるまい」
黒い穴の奥を見透かして言う邪教。
「かなりレベル高い感じっスね。ミルコのパターンかな」
うなずくリョージ。
「ミルメコレオな。……となると、かなり手ごわいな」
邪教は短く嘆息し、軽く肩をすくめる。
「事情は理解できているかね?」
「ああ、その、最初にタニオさんがオニに取り憑かれて、それでダッドさんの心の闇につけこんで、巻き添えにしようとしてる感じ、ですかね」
「愚直な戦いばかりに心を傾けてきた脳筋男が、女房の裏切りを処理しきれないというのは、ありそうな話だ」
「俺、浮気相手について調べてくれる私立探偵、知ってますけど。……まだ生きてれば」
チューヤの胡乱な提案に、
「タイミングいいのかわるいのか、わからんな」
半ば呆れるリョージ。
邪教は深い穴に腕を突っ込み、一発気合を入れてから、なにかを引っ張り出した。
それは、白いヨシツネの影。
「これで、ダッドの目を覚ましてやるしかない」
マスターレベルで邪教ネットワークにアクセスできる以上、ノーマル状態の分霊素体を引っ張り出せるのは当然だ。
そもそも英霊の属性はニュートラルに近いが、ダークに偏った場合には、ノーマルの分霊をぶつけて希釈してやるのが手っ取り早い──らしい。
「ちょっとレベル高すぎて、俺ごとき駆け出しの悪魔使いには取り扱えないんスけど」
「……のようだな。ではタイプAに頼るとしよう」
邪教は、それをリョージのまえに突き出し、言った。
もちろんリョージも駆け出しといえば駆け出しだったが、
「ガーディアン付け替えろってことスか? ま、いいけど」
「話が早くて助かる。……後継者たちも、優れたシステムを構築したものだ。ガーディアンであれば、レベルに縛られない」
「分霊からレベルに見合った力を授けられるだけですからね。レベル99のアッラーフのお守りも、レベル1の信者にそれなりの恩恵を与えてくれますし。そもそもガーディアンの目的は」
「スキル継承だからな」
「おおっ、すげえ。これがヨシツネの力か。身体が軽いぜ!」
持ち前のパワーにスピードが加わったリョージ。
どんどん強化される仲間は、もちろん心強くもあるが、他人の強さを頼るサモナータイプとしては、みずから強さを増していくアビリティタイプが羨ましくもある。
チューヤは自分のレベルが足りないことを悔やんだが、こればかりはしかたない。
「くれぐれも頼んでおくが、生かして連れ帰ってくれよ。タニオはともかく」
「ダッド選手は人気ありますからね。団体の経営的に、失いたくはないと」
「源氏の白旗をきみに託す、若人よ、行くがよい」
こうして投げ込まれる、大田区総合体育館地下の境界。
マッスルな物語がはじまる──。




