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「これより本日第3試合、リミックス・タッグマッチを行います」
アナウンスが間髪を容れず、つぎなるエンターテインメントを呼び込む。
「ダイコク先生ぇえ!」
ストンピングで迎えるチューヤ。
「おまえ先生好きだよな」
「このベルトもらった恩義があるからね!」
肌身離さず、つけっぱなしのチューヤの腰痛ベルトを眺めて、得心するリョージ。
「そうか、おまえのガーディアンか。……しかし、あのひともよく働くよな」
議員、ヨウチューバー、そしてプロレスラーという三足の草鞋を履く男。
オオグロ議員、ダイコク・ゲームス、そして大王黒獅子仮面という名をもって八面六臂、いつ寝ているのかは謎だ。
平日は議員、夜はヨウチューブ、そして休日はプロレスラー。
「あのひと、寝ることあるのかな?」
「プロレスラーは鋼鉄の男なんだよ!」
圧倒的に盛り上がるチューヤのまえで、4人のレスラーがリング上にそろう。
ゴングが鳴り響く。
最初は邪教とタニオの力比べからだ。
「……邪教?」
と、そのとき、どこかで見たことのある小人が、鉄柵のうえでストンピングしているのに、否応なく気づかされるチューヤ。
「がんばれお館さまぁあ!」
ナノマシンを起動しなければ見えない小人が、リングサイドの柵のうえで、黄色い声を張り上げている。
この状況は、スルーしていいとは思えない。
「……おい、なにやってんだ、おまえ」
「話しかけんな! いまはプライベートやよし、公私混同は許されないざんす」
小さな身体をめいっぱい背伸びして、リングにかぶりついている邪教テイネ。
ポケットから鉄道時計を出してみるまでもなく、チューヤの邪教システムを窓口に出現していることはあきらかだ。
他人の時計から勝手に出てきて公私混同もないものだが、彼女にしてみれば、たまたま出入り口になるシステムの一端をチューヤが持っていたから利用しただけであって、彼がいなければ別の端末を利用しただけのこと、と言い募るつもりである。
もちろん公私混同だ。
しかし彼女の趣味が、まさかプロレス観戦とは思わなかった。
いや、彼女の場合はプロレスを観戦しているのではない。リングに上がっている、ひとりの老人にのみ注目している。
「おい邪教。お館さまって、もしかして」
「邪教システムの創業一族にして、最強の悪魔合体マスターざんす」
ふりかえり、薄い胸を張って、にやりと笑うテイネ。
「年で引退したから、おまえらが跡を継いだんじゃないのか。じゅうぶん元気じゃないか」
「だれが老衰で引退して死にかけてるなんて言ったざんす!? 新たな道に踏み出しただけで、たまには邪教の館にももどってきんなますわいな」
「そこまで言ってないが……そうか、邪教さんは元気なのか」
「きょうはお遊びのリミックスマッチでも、邪教、無道、下郎のカミってるトリオの3悪役は、史上最高のチームざんすよ」
「隠し砦の三悪人みたく言うな。そうか、邪教さんは社会になじんでるのか」
おまえとちがって、という言葉は飲み込んだ。
この「邪教の味方」という職業も、よくわからないものがある。悪魔合体のシステムを運営する、妖精的な存在であろうと当たりをつけているが、幽霊に近いようなところもあったりなかったりする。
チューヤとしては、プログラム的な存在なのだろう、という理解だ。
ほぼ静止した時間軸である「魂の時間」には、生きている者と死んでいる者の気配が濃厚に漂い、まさに境界の境界という雰囲気である。
一瞬、チューヤは足元に不安な気配をおぼえ、片足を浮かした。
それからすぐに頭を振り、考えすぎだと自分を納得させる。
周囲の空気は、魂の時間でもなければ、境界化の気配もない。
いまは、ただプロレスを楽しむ時間。それでいいはずだ。
テイネはリング上の展開に興奮している。
ちょうどコーナーで邪教が、暫定パートナーであるダイコクとタッチしたところだ。
大仰なリアクションで叫ぶテイネ。
「幸運だったな、若造! ダイコクごときも、味方となれば使い捨ててくれようぞ」
「どの立ち位置だよ、おまえ……」
リング外でも、邪教はレフェリーの注意の外、リング下から取り出した凶器を準備して集合しようとしている。
悪役らしい立ちまわりだ。
「ぶっ殺せぇえ、お館さまぁあ!」
「悪魔のような応援だな」
「合体マスターなめんなオラァ!」
リングはさらに盛り上がっている。
序盤は狂言まわし的な邪教たちによる、シナリオ通りのコミックアクション。が、誤解を恐れずに言えば、それこそまさに「プロレスらしいプロレス」といえる。
互いに目つぶしを応酬し、持ち上げて落っことし、ロープに振って跳ね返らず同時にズッコケる。
タッチして交代しても、邪教にはやることがいくらでもある。
椅子をもって割り込み、倒れた相手を殴りはじめたところで、正義の味方であるダイコクが、看過し得ない味方の行為を止めにはいる。
注意をするダイコクがヒゲを、受ける邪教がマスクをつかんで、にこやかに引っ張り合う。仲間割れ風味のコミックショーだ。
もう一方のリングサイドでは、神親ダッドの十字架をラリアットの道具に使おうとしていたタニオが、ダッドに叱られている。
こうして、ひととおり笑いをとってから中盤、4人で順に必殺技を披露。
通常マトモに決まればフィニッシュの可能性が高い技だが、タッグマッチなので相方が助けにはいることにより、決まらない。
まずは神親ダッドの必殺技、神事。コーナートップに立って十字架のように両手を広げ、「見よ!」と叫んでから飛ぶ、ただのドロップキックだ。
これを受けて倒されたダイコクをすかさずフォール、カウントにはいったところで、邪教がコーナーマットをふりまわして殴りかかる。
注意する審判を突き飛ばし、倒れたダッドを持ち上げ、邪教のDDSが炸裂。
殺虫剤的な意味のDDTからの派生技で、デジタル・デビル・スクリュードライバーの略だという。一般的なDDTにひねりをくわえた技だ。
そのままホールドに向かうが、すぐさま飛び込んできたタニオのラリアットで吹っ飛ばされる。盛り上がる実況。
「さあ、いつもより多く飛んでいます、これがタニオからの往復葉書だァア!」
「いやあ年を感じさせないな、まるで鬼のようだ」
タニオの必殺技はただの空中ラリアットだが、これは芸術であるという意味を込めて、フライング・ラリーアートと名づけられている。
何度もロープに振られ、ラリアットを受けてふらふらの邪教を、こんどはダイコクが助けにはいる。もちろんプロレスマンは、基本的に相手の技を受けなければならない。
そうして予定調和のように、最後にやってきた主人公ダイコクとタニオのマッチアップ。
流れるように必殺技、派手な前置きからのダイコク柱ドライバーが、タニオに決まる。
「決まったァ、まさに飛ぶタニオを落とす勢い、屹立するダイコク柱だーっ!」
「いやあ、豪華ですね。これだけつづけざまにフィニッシュホールド見られるのは、なかなかないですよ」
「ええ、さすがです。これぞプロレス、彼らは観客の気持ちをよくわかっています。まさにプロレスマンたちですね!」
「そうですね!」
最後の相槌は、実況席のうしろのチューヤの声だ。
テレビ用の解説実況に乗って、だれより盛り上がっている。
娯楽の王様、プロレスリングとは、かくのごときものだ。
試合は後半、やや真剣勝負の度合いを増している。
あらためてダイコクとダッドが向かい合い、ガチマッチ。
寝技から絞め技、投げ技、華麗なプロレスを展開しつつ、最後は邪教とタニオが場外乱闘をしているあいだに、ダイコクがダッドから3カウントをとって決着。
雰囲気ができあがった、という判断だろう。
たしかに、ある程度のシナリオはあったとしても、それを感じさせない「説得力」で試合を決められるのは、ダイコクとダッドの「役者」としての「格」による。
「ダイコク先生ェエ!」
「お館さまァア!」
勝ち組に乗って、立ち上がるチューヤとテイネ。
その横で椅子に座ったまま、それほどでもないリョージとサアヤ。
勝ち名乗りを受けたダイコクの横では、マイクを奪った邪教が巻き舌で叫んでいる。
「ルルルラァアベルがちがうんだよォオ!」
その決め台詞の意味は、きみたちとは品質の「ラベルがちがう」という挑発だ。
いくつかのお約束をこなして、第3試合は終了した。
満足げにつぎを待つべく腰を下ろすチューヤの横で、リョージが立ち上がった。
「トイレか、リョージ?」
さきほどの試合に大満足のチューヤは、一仕事終えた男の虚脱感とともに言った。
一方のリョージは、これから夜勤に向かう仕事人の顔だ。
「いや、控室へ行く。ダッド選手に会いに」
「え? まさか、知り合い?」
「驚くことか? おまえだってダイコク先生と知り合いだろ」
顔を見合わせるチューヤとサアヤ。
たしかに直接、会話を交わしたことはある。
「いや、知り合いってほどでもないけど……おまえの場合、なんか親しそうじゃん」
「それほどでもないが、ちょっと家庭の事情がたいへんらしくてな」
「家庭の事情まで介入するって、そうとう親しいだろ……。また厄介な話に首突っ込んでんのか、おまえ」
「負けてたし、調子わるそうだったろ? 私生活の問題ちゃんと解決して、プロレスに全力投球してほしいじゃん」
「そりゃそうだけども、そういうのは」
当人の問題で、リングに私生活を持ち込むほうがわるい、という考えにこだわらない、それがリョージという男だ。
「チューヤ、おまえも手伝う義務あるぞ」
「なんでよ!?」
「チケットもらったろ?」
「そういうチケットかよ! ったく、まあリョージにはいつも世話になってるから、手伝うけども」
やれやれ、と立ち上がるチューヤ。一仕事終えたつもりだったが、落ち着いて考えればなにもやっていない。
リョージはすがすがしく笑ってチューヤの肩をたたき、
「助かるぜ。なんだかんだ役に立つ男だからな、チューヤは」
「そりゃどうも……」
歩き出す男たち。
立ち上がろうとしないサアヤ。
その肩を、がしっとつかむチューヤ。
「さ、行くぞ」
「え? もうつぎの試合、はじまるよ」
「わるいなサアヤ、試合はまだ終わってないんだ。ダッド選手のターンがな」
リョージに言われては、サアヤも立ち上がらないわけにはいかない。
「しょーがないな。リョーちんに言われちゃ」
一列になって歩きだす3人。
人の流れに逆らい、勝手知ったる体育館を進む。
「俺、ダイコク先生にサインもらってもいいかな」
「ま、いんじゃね」
「公私混同自重チューヤ」
「いいだろ、そのくらい。……で、ダッド選手、どうかしたの?」
チューヤの何気ない問いに、
「生まれたばかりの赤ちゃんが、誘拐されたらしい」
飄々と言い放つリョージ。
さすがのチューヤ、サアヤも開いた口が塞がらない。
ようやく広めの廊下に出て横に並び、声を張るチューヤ。
「──警察案件ですよね、それ!」
「ちょうどいいじゃないか。警察関係チューヤくん」
「オヤジと俺は関係ありませんけど!」
「いや、警察を絡めるわけにはいかない、複雑な事情もあるらしくてな。手伝えることはないかと」
チューヤは短く嘆息し、やれやれと首を振った。
「あんまり、なんにでも鼻を突っ込むなよ、リョージ」
「できることは手伝ってやりたいじゃないか」
「そりゃリョージは、たいていのことはできるけども。とはいえ、おまえがひとりで世の中のたいていのことを片づけてくれるわけにもいかないだろ」
「ま、そんなにはな。ケートとちがって、オレにはこの腕っぷししかないんだから」
リョージとケート。
宿命のライバルのように、すくなくともケートのほうは思っているが、あまり比較すべきでないことをリョージは自分でもある程度、理解している。
原始時代はともかく、現代のように知的に成熟した社会では、ケートのように天才的な知能をもっているほうが、物の役に立つ。
もちろんできることも、彼のほうがはるかに多いだろう。
だが、リョージの謙遜に、チューヤは注釈を加えざるを得ない。
「現代社会も、腕っぷしで解決できることがけっこう多いぞ……」
いいわるいはともかく。
やがて3人は、大田区総合体育館のバックヤードへ──。




