78 : Day -36 : Nishi-Ogikubo
駅前のファストフード、モックキングでバーガーをパクついていると、後方から「おはよっ」という掛け声とともに、激しくどつかれた。
「ぶほっ」
食いかけのブランチを鼻から漏らしながら、ふりかえるチューヤ。
「汚いなー。鼻でハンバーガー食べるとか、非常識だよ?」
残念そうな表情のサアヤに、
「おまえがな! ……たく」
飽き飽きした突っ込みを置いてから、ナプキンで顔を拭う。
ちょうど昼食まえの空いているタイミング。
自炊という概念の薄いチューヤが、休日にこの店でエネルギー補給をしている可能性は、けっこう高い。
健康的な食生活を励行しているサアヤは、コーヒーだけ手にチューヤの横に座りながら、
「お父さん入院したんだって?」
「どこから仕入れてくるんだよ、そういう情報」
「チューヤんちになんかあったら、うちに連絡くることになってるんだよ」
「どんな非常連絡網だ。……ま、そうな。命に別状はないらしい」
残りのバーガーを片づけながら言う。
彼にとっての父親は、バーガーと等価であるという意思表示も兼ねているのだ、という中二病な幼馴染を冷たく眺めるサアヤ。。
「それはよかったねえ。たったひとりの父親だもんねえ」
「パパが何人もいる女子のほうが問題だろ」
チューヤの微妙な意趣返しは、華麗にスルーされた。
「それで、ひどいの?」
「全治3週間だってよ」
「ふーん、じゃ2、3日で現場復帰だろうね」
「甘いな。まあ日曜くらいは休むかもしれんが」
あの父親を仕事から引き離すことは不可能だ。
両者は密接不可分であり、仕事を取ったら抜け殻しか残るまい。
「定年後とか、どうするつもりなんだろうね?」
「犯罪者の逮捕は、民間人でもできるって言ってたぞ。身体が動くかぎり、なんかやんだろ。ま、その心配はねえって言ってたけどな」
覚悟しとけよ、シンヤ。中谷家の男で、長生きしたためしはねえんだ。
そう言って笑う、恐るべき親。
自分の名前「Shinya」が「死にゃ」の意味だとは、思いたくない。
一方、チューヤも老人になった父親の姿は想像できない。
犯人逮捕のためなら、どんな危ないアクションもあえて避けないタイプ。
どこかで「殉職」するか、それに近い死に方をするにちがいない。
が、そういう「死」と直結する会話は、サアヤにとってタブーだ。
すぐさま話題を変える。
「さて、行くよチューヤ!」
「……どこに?」
「病院、お見舞いに決まってるでしょ! 伝えておくこと、いくつかあるしね」
ほぼ家族であるサアヤが見舞いに行くことに合理性はあるが、それ以外の目的もありそうだ。
「おなじみ中野の犬屋敷だ。行ってらっしゃい」
東のほうを指さして言う。
中央線で乗り換えなし。サルでも行ける、という意味だ。
かつて将軍・綱吉が、中野に築いた「犬屋敷」の跡地は、戦前に有名な「陸軍中野学校」として運用され、戦後は警察学校などを経て、現在は東京警察病院となっている。
「さ、行くよ!」
有無を言わさず引きずられるチューヤ。
日曜日がはじまる。
病院にほど近い公園で展開されるゲリラライブを、遠巻きに眺めるチューヤ。
垂れ幕には「中野総選挙・小菊に清き一票を」とある。
ワゴン車を中心に展開された設備をステージに、AKVN14のメンバーらしい女子が、軽快な流行歌を歌っている。
ベンチに腰かけて、一息つく。
チューヤも一応、病室までは行ったが、父親の顔を見ただけですぐに出てきた。サアヤには公園で待ってる、と言い置いて。
彼女は病室に残り、雑談と業務連絡をこなしているらしい。
中野総選挙……そういえばマフユがなんか言ってたな。
あまり思い出したくないダークな世界なので、記憶の表面に出てくることが少ない。
それでも重要な選択肢のような気がするので、努力して思い出そうとした……そのとき、病院から出てくるアホ毛を発見した。
反対方向に歩き出し、しばらくしてから、くるくると周囲を見まわしている。
チューヤは嘆息し、立ち上がる。右手を挙げると、どうやら気づいたらしく、とてとてと近寄ってくる。横目でゲリラライブを見るともなしに眺めながら。
「昭和のアイドル・サアヤさんとしては、大後輩であるAKVNには興味ないの?」
チューヤの問いに、
「うーん。私はオニャンコで卒業かなー」
おっさんのようなことを言う、16歳女子高生。
──おニャン子クラブ。
1985年、昭和末期を飾った女性アイドルグループである。
「ニャンコ? じつに興味深い」
「……ネコの話してないからね」
サアヤの昭和歌謡への造詣は深すぎるが、平成以降の楽曲にはあまり関心がない。
もちろんネコ派でもない。
むしろ江戸幕府が設置した「犬小屋」のほうに興味がある。
およそ300年まえ、生類憐みの令を受け、この場所は「中野御用御屋敷」として膨大な数のイヌなどを収容していた。
「東京に歴史あり、ですな」
陸軍中野学校跡の石碑を眺めながら、つぶやいた瞬間、ぞくり、とチューヤの背中に悪寒が走った。
──悪魔が通り過ぎた、すぐ近くを。
ハッとして周囲を見まわす。
アイドルグループのライブだけに、人の流れは偏っている。
人が集まれば、より被害は増すだろう──被害?
そのとき、ポロポロポロポロロン、とどこかで聞いたことのある音が鳴り響いた。
サアヤの冷たい視線がチューヤの懐に注がれる。
「なによそれ、また新幹線?」
そんな着信音を使うのは、チューヤくらいだ。
「これは北海道・東北・秋田・山形新幹線のチャイムだから、リョージからの着信だな!」
言いながら、ポケットからスマホを取り出す。
サアヤはげんなりして、うれしそうに車内チャイムの着信音に耳を澄ませる鉄ヲタを眺める。
「私の番号はちがうんだ」
「サアヤのは東海道・山陽新幹線だよ。車両にもよるけど、いちばんメジャーだからね! ちなみにケートは」
「もういいからさっさと出ろよ、リョーちんを待たせるんじゃない」
言われて、慌てて着信をとる。
「もしもし、リョージ? ああ、うん。いや、だいじょぶ。……うん、え? まじ?」
とくに聞き耳を立てるでもなく、ぽよんぽよんとアホ毛をぶんまわしているうちに、男たちの短い会話は終わった。
会話中に、どうやらライブは終わり、撤収する動きに移っている。
「昼食ったら蒲田こない? だってさ」
チューヤは危険な雰囲気に警戒しつつ、はいったばかりの新たな予定を打診する。
サアヤは小首をかしげ、
「蒲田? リョーちん、蒲田いんの?」
「いや、これから向かうっぽい。大田区体育館で3時から、プロレスだって」
「プロレスかー。とくに興味ないけど、せっかくだからリョーちんに会いに行くよ」
「無理しなくてもいいよ……」
控えめに遠慮するチューヤを、ぎろっとにらむサアヤ。
「ケーたんによれば、最近チューヤが色気づいてるらしいからね。保護者として、警戒しておかないと!」
「なんの話だよ!? くそ、ケートのやつ……」
おそるべき情報網を持つケートのことだから、知らなくていいことまで知っているにちがいない。
一応、秘密は守れるタイプらしいから、安心はしているが。
いろいろ考えながら、チューヤは別の思考も進めなければならない。
おそらく、ここはシナリオ分岐だ。
AKVN14中野総選挙の件で手伝えと、マフユが言っていた。──調べるか?
蒲田のプロレスにリョージが呼んでいる、ダイコク先生も出る。──行くか?
ほとんど考慮の余地がないような気がした。
チューヤは内心でマフユに頭を下げると、すぐに駅のほうに視線を転じた。
「で、何分?」
問うサアヤ。
目的地までの時間であろうと察したチューヤは、人間乗換案内として、ただちに複数のプランを提出する。
「そうだなあ。何回乗り換えコースで行くかによるけど」
「何回したいの?」
「まあ2、3回はしたいよね。せっかくだから都電荒川線を楽しみつつ、日比谷線から浅草線で京急直通、と見せかけて泉岳寺から高輪ゲートウェイ行っちゃう感じ?」
「最短は?」
「……1回。JR乗り継いで京浜東北線、45分くらい。川の手線に乗り換えて左回り、40分くらい」
中野から蒲田は、川の手線を使ったほうが早い。
一度、西荻窪までもどっても、「地下鉄最速」を誇る川の手線は、蒲田まで30分とかからないからだ。
一方、JRのいいところは、ほとんどが地上区間であることだ。
なんの景色の変化もない地下鉄より、地上を走ってくれたほうが景色を楽しめる。
二子玉から東急がすぐに地下へ潜ったことに、サアヤもぶーぶー言っていた。
「ふーん。川の手線は飽きたから、もういっこのほうのルートでいいよ」
あえて恩を着せるサアヤに、
「……お気遣い、どうも」
すなおにうなずく弱者。
太陽の位置を知らせない曇天の正午をまわって、長い1日の後半がはじまる。




