73
完全防音を実現した荘重な会議室には、その広さを十全に活用して、離れた席に数名の政治家が着席している。
サウンド・オンリーに近いような、薄暗い明度に保たれた室内。
手元のみを照らす照明で、多くの老人が配られた資料を飛ばし読んでいる。
発言者の氏名と立ち位置、相互の関係性は不明。
その声のなかには、塩川もいる。
「いつから政府は知っていたのか」
薄暗い室内は静寂に満たされ、小声でもじゅうぶんに響いた。
「質問は正確に頼む。そういうマスコミからの質問に、どう答えればいいか、だな?」
「残念ながら、ボロボロと出てきはじめているな。知っていたことの証拠、というやつが。アメリカの危機管理を見習うべきところだが」
アメリカ大統領には、みずからの責任を回避するため、「戦略的無知」という選択肢がある。知ることのできる事実をあえて知らないことで、「知らない」と答えても偽証罪に問われないようにするのだ。
とくにUFOや陰謀論にまつわる文脈で、まことしやかに語られることがある。
「逆に考えればよい。われわれは被害を最小化しているのだ」
「そう強弁するには、まだ時期尚早だ。さしあたり、まずは後進国の政府からだろう。彼らは、国民の被害者意識を国外にそらせる必要が、安定した先進国よりも大きいからな」
アフリカ諸国を中心とする被害推計は、かなり大きな規模になっている。
とくに比較対象に日本を置くと、その差が歴然となる。
「みずからの国民を殺す政治家は、古来多かった……というのは言い訳にはならんだろうな。彼らは……われわれは、多かれ少なかれ国民の命を悪魔に売っている」
「国民の命を、悪魔たちに……」
ごくり、と息を呑む中谷。
その横では、土屋が唇を噛んでいる。
この忌まわしい事実を知る公務員の職責のなかでは、警部補というのはもっとも低い部類にはいるかもしれない。
部屋にはもちろん、彼らの椅子は用意されていない。
ドアの横の片隅に、貼りつくように立ち尽くす中谷、土屋の耳に、政治家たちのしわがれた声が届く。
「どのみち、混沌が避けられないなら、可能なかぎりの秩序のなかで、淡々と進行してもらいたい。そう望むのは、無理からぬ話だと思わんかね」
「だが、あまりにも唯々諾々と」
会議に参加する声の主にも、中谷と同じような視点を保っている者はいるようだ。
その選択に批判的ではあるが、かといって代案もない。
「従わない国がどうなるかは、アメリカを見ればわかる。あの国は、基本的にはわれわれと同じ道を選んでいる、というよりも選ばざるを得ないわけだが、そのかぎられた選択肢のなかで最大限、悪魔たちに抵抗している。おかげさまで、先進国のなかでは被害もいちばん大きいよ」
「その代わりに、悪魔たちにもそれなりの仕返しを果たしているんだから、溜飲は下げてるんだろう」
「どうだろうな、それを、どれだけの国民が望んでいるかは、わからんよ。もっとも、あの国の連中はゾンビが大好きだから、それなりに楽しんでいるのかもしれんがね」
そのとき、中谷の横のドアが、むこうから静かに開かれた。
はいってきた秘書官らしい男が、全員に新しい資料をわたしていく。
代わりに、そのまえに配られていた資料を回収していく理由は、数分以内に融解して、この世から消滅することになっている資料だからだ、ということを中谷たちは先ほど知った。
それを外部に持ち出そうとした政治家が消されたらしい、ということも。
「……この期に及んで、まだ占い師を頼るかよ」
配られた資料のいちばん上に見えたオカルトな名前に、舌打ちする老人。
その名前の下には、占い師らしいあいまいな言辞による指示が連なっている。
「そう言うな。それなりの結果は出している」
「国家の行く末を占う。日本に、それを託せる占い師は、ふたりしかいない」
「ひとりは足立のか」
「あれは異教の徒だ。たしかに、すさまじい力を持つが、日本の行く末を悪魔に委ねるわけにはいかない」
「しかし日本の中枢は事実、唯一神に押さえられてしまっているだろう」
霞が関を中心に、一神教の系統の「神」の分霊たちが「支配駅」を確立している事実を指す。おそろしい事実だが、興味深いのは、それがゲームレベルで公開されていることのほうだ。
「敵は誘い込んで叩け、という戦術もある」
「策の内というわけか。では、やはりもうひとりの」
「弥生、いや縄文の昔から、そうだったではないか。──この国の行く末は、巫女に委ねられてきた」
「高輪の卑弥呼か」
西がデルフォイの神託なら、東は邪馬台国の鬼道。
卑弥呼の占いに委ねた結果、この国は最善の道を選んだ──はずだ。
この場に参加する多くの政治家たちは、そう信じるに足る事実が積み重なっていると判断しているし、そうでなかったとしても信じておいたほうがいろいろと都合がいい。
「ユーロ・スクールの意見を無視しているわけではない。事実、足立の母に日参している議員もいる。われわれはバランスを保たねばならない」
「アメリカもEUも切り捨てるわけにはいかないが、インドや中国とも適度に関係を保ちつつ、独自の道を行くと」
「外交の自由は、どこの国にもある」
「にしてもアメリカは、我が道を貫きすぎてはいないか」
「あの国はすごいと思うよ。あれだけのコストを払っても、まだ戦いつづける意志と実力を持っているのだから」
先進国のなかでは、現時点ではもっとも被害が大きい。
ただし、そもそもの規模が桁外れに大きいので、多少の被害は「織り込み済み」という考え方もできる。
「戦争に負けることに慣れていないのだろう」
「今回ばかりは無謀だと思うが」
「どうかな。勝ち残る目がないとは言えないぞ」
「悪魔を地獄の炎で焼き払うというのだから、皮肉は効いているな」
AGM-114ヘルファイア。
アメリカ軍の空対地ミサイルで、もともとは「ヘリコプター発射の撃ちっぱなし」を略した言葉だ。
アメリカ合衆国大統領は史上初、その兵器を自国民に向けた。
「境界化した空間にミサイルをぶちこんで、中の悪魔を人間ごと殺そうというのだろう? よく国民が許しているな」
「悪魔に殺されるか、大統領に殺されるか、か。究極の選択だな」
「さすがは福音派とライフル協会の国だ、黙って悪魔に殺されるくらいなら、戦って死ぬと」
「一応、境界用の特殊なミサイルを使用している、運が良ければ人間は助かる、というアナウンスメントはある。初回攻撃の生存者は、大々的に取り上げられた」
手元の資料には、めずらしくカラーの写真つきで、戦場のような雰囲気のなかで軍人に背負われた「生還者」らしい姿。
英雄の大好きな国柄、利用価値の高いピクチャーだ。
「3枚目を見ろ。第3回攻撃の生存者0──これで政権を維持できるか?」
「まだこの情報は出ていない。おそらく修正が加わるだろう」
「驚くべき話だな。いや、大統領命令の内容うんぬんではない。このご時世に、まだ情報のコントロールができているところだ」
「出したところでフェイクとの見分けがつかんからな。公式かどうかのほうが、いまのところ重要なんだろう」
「せいぜい内輪で殺し合うがいいさ。増長したアメリカ人は、もうすこし痛めつけられるべきだ」
世界史上、まれにみるほど多数の外国人を殺戮しまくった国家、それがアメリカ合衆国である。
自国民が殺されたとしたら、いかなる被害が出たとしても、殺し返さなければ気が狂ってしまうような人々が、つねに政権中枢に居座る仕組みになっている。
だれの気が狂っているのかは、もちろん、どの視点から見て判断するかによって異なってくるだろう。
だれかを悪魔呼ばわりするのは楽だが、そこで思考停止した結果がたいてい悲惨なものになることは、歴史が証明している。
アメリカ(という名の軍産複合体)は、そのとき、悲惨な結果が自分たちではなく相手側であるかぎり、つねにこの選択肢をとってきた。
今回は、その被害がかなり大きいようだが、人口調節という意味で受け入れた可能性もある。アメリカの中枢に、その手の秘密結社の影があることは、よく知られている。
そのとき、日本の選択は──。
「たしか、わが国も同等の戦術を持っているのではなかったか?」
「いえ、質的に大きく異なりますが──7枚目に、三宿からの報告が上がっています」
「……ブラフマーストラ計画か」
資料には、川の手線を中心とする遠大な「計画」のアウトラインが浮かんでいる。
圧倒的な量の伏線が詰め込まれているインフラ、それが川の手線なのだ。
「このレベルの兵器を一国のみでつくれるのは、アメリカくらいだろう。数学的に、きわめて高いハードルがあって、葛西の力を借りないわけにもいかんようだ」
「しかし、よもや地下鉄が、そのまま加速器の役割を果たすとは……」
「なんのために川の手線を建造したと思っている? すべてシナリオ通りだよ」
「それにしては、遅れているのではないか?」
「想定の範囲内だ──」
配られたペーパーが回収される。
会議室の明かりが、ひときわ暗く落ちた。




