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「なにが起こってんスか、中谷さん……っ」


 メガネが吹っ飛び、かすれた視界を満たす赤い激痛が、混乱した現実感に唯一の意味を与える。

 死、そして悪魔。

 そう表現するしかない黒い物体に、自分の肉体が──食われている。


「気合入れろ、土屋! こんなとこで死んでんじゃねえぞ」


 中谷は絶叫し、巨大な昆虫じみた悪魔の腕に向け、壊れたテーブルのフレームを打ちつける。

 二度、三度。

 しかし悪魔は微動だにせず、土屋の生命を食らうことをやめない。


 ちぎれる腕。噛み砕かれる足。

 捕食とは、そういうこと、そういうもの。

 人間が他の生物たちにやってきたように、こんどはわれわれがその立場に立つ。

 循環する生命のリングとは、こういうことだ。


「こんなもん持ってても、人、助けられないんじゃ意味ないっスよねえ」


 警察手帳を手に苦笑する土屋。

 昔の刑事ドラマに、そういう名ゼリフがある。

 彼もご多聞に漏れず、多くのドラマや小説の影響を受けて、警察という正義を担おうと決意した。


 目のまえで血の気を失っていく相棒。

 中谷は全弾打ち尽くした拳銃の銃床で、悪魔の頭部に殴りかかるが、鈍感なそれはまるで感じていないかのようだ。

 ただ、目のまえのエサを食うことだけは、けっしてやめない。


「……てめえの入庁のきっかけなんざ知らねえよ! フラグ立ててんじゃねえ」


 悪魔から生えている毒々しいトゲのような皮膚に自分の身体が傷ついても、中谷は相棒を救うための努力をやめるわけにはいかない。

 土屋は悲しそうに首を振る。


「無理だ、離れてください、中谷さん」


「仲間を見捨てる刑事がいるか!」


「なるほど、じゃ、こう言えばいいかな。……中谷さん聞いてくださいよ、俺、この戦いが終わったら、結婚するん」


 ぐしゃっ、と潰れる背骨。げはっ、と漏れる血。

 回収の早すぎるフラグだ。笑いも出ない。


「土屋ァア!」


 ──これが、異世界線による、捕食。

 ()()()()()()()()

 一定の割合で、人間の数を減らす。

 そういう契約を悪魔たちと交わしたのだから、これは単に契約の履行に過ぎない──。


 ほんの十数分まえに、中谷はその事実(?)を知った。

 老練の政治家の女婿となった土屋、いや塩川の案内で、上層階に引きこもる政治家たちを訪ねたときだ。


 ……そんなバカげた話を、いきなり信じたわけではない。

 悪魔など、妄想甚だしい。

 行方不明者が極度に増えている社会不安につけこんだデマゴーグだ。

 そう考えることが良識あるおとなだ、と信じた。

 直後、このような惨劇に襲われた事実をもって、常識は崩壊し、もはや考えることすら意味がないように思える。


「だとしても、おまえは生き残る側じゃねえのかよ、なあ!」


 目のまえで、部下が死んでいく──。

 蜘蛛のような悪魔は、むしゃむしゃと土屋の身体を咀嚼しながら、その複数の目を中谷のほうに向ける。


 相棒の仇だ。

 殺した以上、殺されてもらう。

 決意をこめて武器を取る中谷のまえ、悪魔の動きは奇妙だった。

 最初、中谷を襲おうとした気配は一瞬で、すぐに、恐怖に震えあがってその場から飛び退く動き。

 そして、中谷のほうを空恐ろしげに一瞥し、キーッ、と短い叫びを残してカサカサと去っていく。


 瞬間、ぞくりと寒気が走った。

 この動きの理由を、中谷も理解したのだ。

 ──背後に悪魔。

 殺意は感じないが、なぜかひりつくほどの「死」が触れている、そんな気がする。


「そういう交渉に批判的な議員とつながろうとするから、こうなるですよ。うまいことモメてもらわないと、こちとら困るです。しょせん桜田門ごときが、永田町にケンカ売るのは千年ハエーんですよ。ポリ公には3割4割、死んでもらうですよ」


 背後からの声は人間……それも女らしいが、もちろん味方とは信じない。

 その発言からして、殺しにきている。

 武器を握る手にあらためて力をこめ、ふりかえった瞬間、見透かしたような笑い声とともに、気配が消える。


「チューヤ部長に免じて、あんたの命だけは助けるです──」


 その一瞬に見えた、まさかの小柄な体躯、囁き。

 しかし、すぐに隣室から巻き起こった爆発に物理的対応を迫られ、思考を進める暇はない。

 ひとつひとつの現象、どれをとっても現実感がなかった。

 いや、現実感など、そもそも最初に悪魔が出現した瞬間から、なくなっている。

 これはいったい、どんな悪夢だ……。




 国際政治におけるトップ層の現状把握。


 第1期とされる「侵食」は、地球標準時9月22日13時31分46秒。

 国家ごとに、その時期は多少の誤差が確認されている。

 当初の被害エリアは、おもにアフリカと中南米各国。

 いわゆる第3世界に集中したのは、当該政府の()()()()が低かったからと断定してよい。

 この時期から被害を受けている国家群を、グループ1とする。


 現地エージェントからの複数の報告を見るかぎり、侵食開始当初の行動は手探りで、最適の手順や方法を模索しているかのようだ。

 一方、()()()()も、時間をかけて「侵食」の一般形態を学習することができた。

 その開始時期を遅らせることに成功した先進国は、各国の対応策を練る時間を得た。

 国別についての詳細は別記。


 事象としては、「行方不明者の激増」。

 そもそも犯罪被害の多い第3世界の国々の多くでは、民間レベルにおいて当初、気づかれることすら少なかった。

 現状、統計の把握にも支障をきたしている。

 追加報告。

 7週間経過時点、グループ1の最大被害エリアでも、国別の被害者数は全人口の0.7%を超えない。

 同一ペースでの被害拡大を想定した場合、最大でも人口比1~2%の範囲内に収まると推計される。


 先進国比較。

 日本への「侵食」はグループ3、しかもその最終盤であると確認されている。

 先進国中では、最初期から被害を受けたのはアメリカ合衆国で、グループ2にあたる。それ以外の先進国は、ほぼすべてグループ3に分類されている。

 アメリカへの第2期からの侵食開始(グループ2)は、大統領のタカ派的態度が原因であると考えられる。

 異世界線との交渉方法としては失策であったと、CIA長官からオフレコのコメントが届いている。


 国別侵食時期、最終報告。

 グループ1──9月22日開始。

 グループ2──9月29日開始。

 グループ3──10月6日開始。

 日本への侵食開始は10月13日、日本時間では14日午前。

 世界でもっとも遅かったことを確認。

 グループ4分類の追加を提案。


 侵食傾向。

 地域は世界中に散らばっているが、エネルギー均衡の関係で、夜間に被害が多く発生している。

 異世界線は、「秩序ある混沌」を望んでいる。

 新たな交渉の余地がある。

 利害の一致点を模索されたい。




 中谷はゾッとして、目のまえで燃やされるペーパーの一部に目を通した。

 このときはまだ、まさか数十分後、土屋があんなふうに死ぬなんて、夢にも思っていなかった。


 ──殺された人間がいる、どうやら政治家らしい、という情報で、中谷を筆頭にかなりの人数が上層階へ移った。

 花嫁はヒステリーを起こしたが、土屋も刑事として参加しないわけにはいかない、と同行した。

 当然のように帯同したのが、結婚式にもほとんど中心人物のように参加していた、花嫁の祖父にして与党民自党の政治家・塩川だった。

 彼はそもそも、このホテルで同時開催されている「会議」に参加するためにやってきたのだが、むしろその予定に合わせて結婚式が開かれた可能性すらあった。


 事件の捜査は、当初から奇妙な静寂を伴いつつ、そのじつ混乱を極めていた。

 まるでわざとのように初動は迅速だったが、同じ警察内部で、予定調和の結末を目指そうとする流れができていた。


「この事件は、高度に政治的だ。警察の関与は最低限にしてもらいたい」


 塩川の発言に沿うかのように、まず地元麹町署が不自然にオミットされた。

 多くの刑事が、事件現場とされる部屋のまえで門前払いをくわされたのだ。

 そのなかで貫地谷が、塩川となにやら短いやり取りを交わしたあと、中谷と土屋だけを捜査線に投入することを承諾させた。


「どういうことだ、貫地谷」


 中谷の問いに、おそらく一定の「インサイダー」である貫地谷は、言葉を濁す。


「まあ、おまえはオマケみたいなもんだ。入れてやらんと、勝手にもぐりこむだろうしな」


「だれのオマケだよ……ああ」


 理解した表情で、中谷は土屋のほうに視線を転じる。

 そこでは孫婿である土屋に対して、塩川がなにやら訓戒を垂れていた。


「この先で知る事実を、きみがどう判断するかだ。それがきみ自身の将来を決める。賢明たれ。一寸先の未来を左右される問題と心得よ」


 はっきり「こうしろ」と指示しないところは、好感が持てる。

 だが、より高度な政治的判断に基づいている可能性も、即座に忖度される。


 80歳の高齢とは思えないかくしゃくとした口調で、塩川はそれだけ言い置き、奥の部屋へと移動して行った。

 別室では秘密会議がつづいているという。


 その会議を妨害する可能性のある、ある種の「反対者」が死んだらしい。

 ──室内には、たしかに政治家の死体があった。

 彼は、会議で使われた「ペーパー」を外部に持ち出そうとしたのだという。


「これは本来、この場で焼却されなければならんのだ」


 塩川が残していった屈強なボディガードが、床に散らばるその重要な「証拠」に火をつけた。

 慌てて止めにはいろうとする中谷を、貫地谷が止めた。


「やめておけ。あれは仲間だ」


「……なんだと?」


 政治家が個人的に雇った警備会社かと思っていたが、どうやら警備部から派遣されてきた正規のSPらしい。

 つまり警察内部の人間だ。


「彼を殺した犯人は、わからない。だが、この情報が外に出ることを好まない人間は、少なくないのだ。おまえたちも、そろそろ知っておいたほうがいい」


 そうして読まされたのが、先ほどの資料だった。

 現在、世界中で進行している「侵食」なる異常事態について、国家のトップのレベルがどれだけのことを知っているか。

 また、それ自体にどのような影響力を行使しているか。

 あまりにも重要な情報を、一介の警察官が知らされることの意味は──。


「ぼくたちは、知らなくていいことを知ろうとしているんでしょうか」


 ゾッとした表情で、つぶやく土屋。

 そのまま中谷たちは、ボディガードに導かれ、塩川の消えた奥の「会議室」へ。



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