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 緒戦は短時間で終結し、戦闘終了の事後処理をナノマシンがオートマティックに片づける。

 チューヤは、まぶしそうな目でヒナノを顧みる。


「問題でも?」


 ヒナノの問いに、


「い、いえ、まったく。なんというか、ロマンスカーっぽくて逆に」


 バカっぽく首を振るチューヤ。

 ──小田急電鉄には、ロマンスカーという特急がある。

 30000形の愛称はEXE(α)。

 素敵で優秀な特急列車「エクセ」は、エクセレント・エクスプレスの略だ。


「どうして電車の話になるのですか……」


 成城に住んでいるヒナノは、たまたま沿線である小田急電鉄の特急エクセを知っていた。

 こんなのはロマンスカーじゃない、という意見まではともかく。

 チューヤは、彼女がロマンスカーを知っていることで、思わず調子に乗ってしまった。


「小田急といえば箱根登山鉄道だよね。あそこには碓氷峠をしのぐ80パーミルの急坂があってね、粘着運転としては……」


 ここにサアヤがいないのは、痛恨だった。

 鉄ヲタを放置しておくと、被害が拡大するのは世の常だ。

 速やかに黙らせるのが得策なのだが、ヒナノはその手の突っ込みに慣れていない。

 完全放置プレイのスタイルにおいては、チューヤがみずから気づくしかない。


 幸い、今回は状況の変化によって、鉄ヲタトークを継続している暇はなくなった。

 敵を倒すと同時に境界化は解け、周囲には「現世」がもどっている。しかしかぎりなく境界に近い現世であり、先ほどのように、容易に化け物が出現しうる空間に切り替わる。


 ──どうやら遅れて会議に到着したらしい面々にまぎれて、チューヤたちはパーティ会場に潜り込むことに成功した。

 歩み寄ってくるのは、ヨーロッパ人らしいゴテっとした服装の紳士。

 その露骨な疑いの視線に対して、ヒナノは片足をすこし引き、ひざまずいて頭を下げる。

 英国式の最敬礼だ。

 相手は納得したようにうなずき、話しかけようとして呼ばれたことに気づき、そのまま通り過ぎて行った。


「ふーん。頭ペコペコすんのは日本人だけかと思っていたよ」


 紳士の背中を見送りながら言うチューヤに、


跪礼カーツィは英国子女のたしなみですよ」


 短く応じるヒナノ。

 ──かつて社交界入りする英国貴族は、何度もカーツィの訓練をさせられたという。

 高度なバランス感覚が必要であり、やり慣れないと、ぎこちないしぐさに見えてしまう。言い換えれば、流麗な動きでカーツィをこなす英国貴族がいたら、それは本物と見ていい。

 英国では現在も、きわめて高位にある王族、あるいは頂点に近い宗教関係者に対しては、伝統的に行なわれている。

 日本にやってきた礼儀を知る各国の貴族も、天皇陛下に対しては跪礼を行なった。


「さすがの外人も、そうとうに高い地位に対しては、頭を下げるんだね」


「その意味では、だれにでもペコペコするのは、たしかに日本人だけでしょうね」


 ともかくヒナノのおかげで、違和感ありすぎる高校生の男女がこの場にいる、という不自然さが多少なりとも和らいだ。

 ヒナノのポケットで短く鳴る携帯電話。

 表示に目を落とした彼女は、眉根を寄せて考え込む。


 と、その瞬間、鋭い視線を感じて、ハッとするチューヤ。

 ──窓の外。

 ま・た・お・ま・え・か。


「ホルス」


 ちょうど窓枠の上部に、ハヤブサのくちばしがかかったところ。

 見る間に、その身体が現れてくる。

 生物最速といわれる、その降下速度は時速390キロ。

 いま、この鳥が窓を通り過ぎるまでの時間が与えられたことの意味は──。


「惨劇を回避しろ。犯人を見つけて、殺されるまえに殺せ」


 ()()()()()が、そう言っている。

 すべての隠された秘密をあきらかにする、真実の目。

 チューヤは室内に視線を転じる。


 ──毎度おなじみ、魂の時間。

 視線と思考くらいは動かせるが、それ以外は微動だにしない。

 ハヤブサが数メートル進むのに要する時間内に、この部屋にいる犯人を探し出せ、というミッションらしい。


「どういうことですか?」


 背後からの声に、ハッとしてふりかえるチューヤ。

 そこには当然のようにヒナノがいるわけだが、どうやら彼女もまた魂の時間に引き込まれているようだ。

 ということは、届いたのは彼女の声ではなく、魂の声、一種のテレパシーだ。


 チューヤは手短に説明する。

 身動きひとつできない短時間、視線と思考だけを使って、この部屋にいる「敵」を発見する。時間の流れがもどると同時に行動すれば、惨劇が防げる──らしい。


「信憑性はわからないけど、ホルスは味方だと思う」


 窓のほうを振り仰げば、たしかに肉眼ではとうてい認識不可能なハヤブサの姿。

 与えられた状況を受け入れることには慣れてきた。むしろそれを利用すべき必要に、現状迫られている。

 ぴくり、と肩を揺らすヒナノ。


「あなたはエジプト勢とつながっているのですか」


「つながってる、っていうか、付き合いはあるって程度だけど。──さっき、なんか連絡あった?」


「ミカエルからでした。どうやら犯人の目星がついたようです。ヴァチカンから宝物を盗み、この国に持ち込んだのは、外交団のひとりらしいです。彼らには外交特権もありますし、盗品の流通には最適の運び屋です。どうやら〝ナンバー2〟と呼ばれているようですが、名前はわかりません」


 チューヤは窓の外に視線を転じる。

 今回のホルスは、前回よりもだいぶ速いような気がする。

 もう窓の半分まで通過した。

 魂の時間は、このような「謎解き」局面では、ほとんどチートのように役立つわけだが、それでも与えられた時間は無限ではない。


「たぶん、警察もいる」


 チューヤは、会議室内にいるスーツのうち、ひとりかふたりは日本の警察官かもしれない、と看破する。

 警備局から派遣されたSPの可能性もあるが、事件を嗅ぎつけて内偵に動いているとしたら、頼れる存在だ。


「警察は、事件が起こってから動くのではないのですか」


 予防原則を徹しようとすると、特高警察のような弊害が生じる。


「俺は警察官じゃないから。──で、だれが犯人なの?」


 見わたした空間には、おそらく少数の「犯人」と、多数の潜在的「被害者」がいる。


「テーブルチャートはどうなっていますか?」


 ヒナノは周囲を見まわす。

 身動きひとつできないが、視線は動かせる、という状況にどうにか慣れてきた。

 意識を集中すれば、かなりの「ズーム」もできる。


「テーブル? ああ、座席表のことかな」


 床に落ちている席次表を指さすチューヤ。

 参加者のだれかが、たまたま落としてくれていたらしい。

 ヒナノはフランス語で書かれているそれと、パーティ会場を見まわしながら言う。


「どうやら()()()()()ですね」


 パリ出身のハイソサエティならではの視点。


「そうなの? それで?」


 チューヤにはもちろん、意味することそのものがわからない。

 ──国際的なパーティの席次には、一般に、英国式、フランス式、スタッグ、などの種類があって、英語圏が支配的な国際関係上、英国式が多いが、かつての「フランス文化」の影響は根強く、日本でもフランス式の採用例は少なくない。


 英国式では、ホスト・ホステスは長方形のテーブルの短い側に座るが、フランス式では長い側の中央に座る。

 ホストとホステスの右隣は、異性の第一賓客が配される。中央から順に、大事な賓客が並んでいる、と考えればよい。

 基本的に男女交互に並んでおり、夫婦を隣や向かいに配置することはない。


「犯人が〝ナンバー2〟であれば、あのあたりでしょうか」


「助かるなー。フランスに詳しい人がいてくれて」


 時間は止まっているので、すぐに取り押さえることはできないが、どのあたりを狙って動けばいいか、という指針をもって現実時間にもどれるのはありがたい。

 ──20人掛け程度の長テーブル。

 ヒナノが目をつけた相手は、50代くらいの男性、上品なスーツに勲章らしいものをたくさんつけた白人。

 左右の女性は慣例上、その紳士の関係者ではないはずだが、女性が犯人である可能性も捨てきれない。


 ──刹那、ハヤブサの姿が窓から消えた。

 動き出す時間。


 刑事のような動きで、ヒナノが示唆した男を目指すチューヤ。

 いくつかの視線が彼を追い、また別の視線が別の動きを追う。

 外交官、ビジネスマン、警察官、その他関係者あるいは犯罪者、さまざまな立場と思惑が入り乱れる空間で、最初に動いたのはやはり「犯罪者」だった。


 キィェエェエーッ!


 若者の耳にはとくに厳しい高音域、超音波に近い波長が空間を満たす。

 破鐘のような絶叫は最初の被害者。

 飛び散る鮮血と首は、チューヤが目指した方向とは別の場所から届く。

 ハッとして視線を転じる。

 音波に汚染されるかのように空間は境界化しており、悪魔の「捕食」が開始されている。


「うしろ!」


 ヒナノの鋭い一言に、チューヤは間一髪、脳天を貫通しかけた銃弾を回避した。


「てめ……っ、銃刀法違反だぞ、ゴルァ!」


 召喚した悪魔の爪が、敵の皮膚を切り裂く。

 悲鳴を上げて倒れたのは……人間?


 ハッとして周囲を見まわす。

 部屋ごと境界化したということは、パーティ参加者の全員が「獲物」になっているということだ。

 チューヤに向けて撃ったのは、人間がその「捕食者」に反撃するため──彼がこの空間の元凶に見えたからかもしれない。


 事実、チューヤは悪魔を召喚して人間を殺した。

 室内は瞬時に、阿鼻叫喚の地獄絵と化していた。

 チューヤたちの動きと逆方向、人間の首を落とした悪魔から逃れるように、他の「獲物」となった人間たちが出口に殺到する。

 チューヤとヒナノは目線を交わし、敵を見極めて同時に動く。


名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅

サキュバス/夜魔/38/中世/ヨーロッパ/民間伝承/東松原


 アナライザのデータは、かなり手ごわい中ボスを意味している。

 現状ベストの悪魔を召喚し、戦線を展開する。

 ヒナノは後方から魔法攻撃で援護。とくに効果的だったのは、ライトヒロインらしい強力な破魔系の魔法だった。

 だったが──。


 チューヤの耳に、まとわりつくような歌声。

 動きが鈍る。

 スキル、淫歌。


 ふらりとよろめくチューヤ。

 ヒナノは眉根を寄せ、彼に駆け寄る。

 どうでもいいただの同級生だが、ここで倒れられると厄介だ。


 耳からはサキュバスの魔力に満ちた歌が、鼻からは駆け寄ってくるヒナノの高貴な香りが。

 魔力回路が、高校生男子の性欲中枢に作用する。

 全世界の同年代男子には、強力な生物学的本能がある。

 ──こうかはばつぐんだ!


「うれしいよ、お嬢もそんな気持ちでいてくれたなんて!」


 がばっ、とヒナノを抱きすくめるチューヤ。

 ぞわぞわぞわっとヒナノの全身に悪寒が走る。

 チューヤがどんな妄想世界を漂っているのかは知らないが、ヒナノにとってそれは犯罪行為でしかない。


「なにを、言っているのですか、あなたは……っ!」


 全力で引きはがしにかかるが、弱者の高校生とはいえ、男子である。

 貴族のたしなみとして学んだ護身術で、とりあえず羽交い絞めを解き、股間に膝蹴りを入れる。8割の力に手加減してやったのは、一応のやさしさだ。

 一瞬、苦悶の表情で地面に転がるが、その目に宿る獣欲は衰えていない。

 再び襲い掛かり、抱きしめ、揉みしだき、脱がしにかかる動きには、もちろん強力なサキュバスからの干渉があるが、問題は、そもそもチューヤ自身が持っていた願望が根っこにあることだ。


 にやり、と笑うサキュバス。

 同性であるヒナノには効果が弱いが(逆なのはインキュバス)、とくに適齢の男子に対する効果はあまりにも強い。

 もはやチューヤの目にはヒナノしかなく、彼女を犯すことのみに邁進する。

 状況は喜劇的な悲劇の方向へ、転がり落ちる──。



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