25 : Day -60 : Nishi-Ogikubo
「きょうだけは学校を休んでも許すぞ、チューヤ。ちなみにボクは休む」
とケートが言いながら、仲間たちとともに、あくびを噛み殺して帰っていったのが12時間まえ。
白昼、こんな夢を見たのは、ケートつながりか、それとも別の予感か……。
「インド土産だ」
と言って、ケートが部室に持ち込んできたゲテモノの数々。
いま思えば、あのときの土産が、インドから隅田川駅に送られたというコンテナのなかにあったのかもしれない。
「さまざまな文化の多様性というやつを、これで学んでもらいたい」
テーブルのうえに並べられたものは、なぜか生々しい色彩をした、肉、卵、正体不明の塊。
要するにいやがらせのような物体が、大部分を占めている。
「なんだよ、これ。生ごみなら三角コーナーまで頼む」
げんなりした表情のリョージ以下、部員たち。
確信犯であるケートは薄笑いを浮かべ、
「失礼だな、キミたちは。これは多文化主義であるボクからの問題提起だ。他国の食文化というものを、理解・研究してもらいたいというな。思い出せ。この部活の正式名称を」
鍋部。
正式名称は、民俗化学部。鍋料理という文化を通して、世界の……。
ともかく、提供されたネタを中心に集まる部員たち。
「とかなんとか言っちゃって、とってつけた理由なんでしょ」
「インド人って菜食主義者なんじゃないの?」
「ヒンドゥーやジャイナ教の戒律によれば、たしかに菜食の宗教は多い。だがダリット(不可触民)は伝統的に屠畜業に携わっていて、肉を食う文化も成熟している」
文化的な発言に対しては、文系のヒナノが賢しくも対応する責務を負っている。
「不可触民、国際社会ではたいそう憎まれていますわね」
「他国の文化だ、ごちゃごちゃ言うな。それがいいかわるいかは、当事者が判断して、彼らの必要に応じて変えていけばいい」
その国の秩序は、その国が決めればいい。
そういう多神教的な秩序を、ケートは信奉している。
一神教的な光明に寄り添うヒナノは、こわごわと、触れそうなものを選んで手に取りながら、
「ヒンドゥーは牛を食べないし、ムスリムは豚を食べません。幸いキリスト教系では、時期的に控えることはあっても、基本的に食べ物への制限はないわけですが」
パウロがユダヤ教由来の食のタブー撤廃を主張して以降、キリスト教における禁忌的な食習慣はほとんど存在しない。
ケートはうなずき、
「たしかに宗教上、肉系のタブーは多い。食っても鶏、羊、魚介類ってところか」
「つまりインドでも、ぎりぎり卵はOKってわけね」
机のうえのものが、そうしてみると食べ物に見えないこともないこともない、とチューヤは自分を励ました。
「すくなくともボクの知り合いには、カツカツに戒律に縛られているような宗教者はいないけどな」
「だけどこの料理(?)は、インドというより、インドネシアじゃないのか」
「似たようなものだろ。孵化直前まで育ててから食う卵料理だ」
「あの気持ちわるいやつでしょ。ピーマンとか」
「ピータンな。あれは中国料理だろ。作り方もちがう。これはバロットってやつだが、まあ味付けアヒルの卵だな」
女たちの評判は、基本的によろしくない。
「どうしてゲテモノばかり持って帰るのよー」
「そうですね。インド土産なら、サリーとかビンディとか、いろいろあるでしょうに」
「そんなもの持って帰ったら、キミたち喜ぶじゃないか」
「なんて性格のわるい……」
さあ食べてくれたまえ、とばかり推しに出るケート。
「ワニ、虫、ドリアン、サソリ、なんでもあるぞ」
「台湾が混ざってるな」
一応、他国の食文化に対する敬意として、一同のまえには皿が並べられてはいる。
だが、だれひとり、箸は進んでいない。
ケルベロスを一瞬見かけたが、いつの間にか姿を消していた。
犬のくせに、なんて危機管理本能の高い……いや、犬だからこそか、とチューヤはひどく感心したことを思い出した。
だからこそ、異世界線との融合などという危機的事態からも、ぬるりするりと逃げ延びて生きているのだろう。
ケートはつまらなそうに、
「なんだ、みんな食わないのか?」
「残飯処理係、あとは頼んだ」
「言われようは気に食わんが、食わないのならもらっておく」
こういうときは頼もしいマフユが、その細い体躯からは想像もできない食欲で、バリバリと目のまえのものを胃の腑へと収めていく。
複雑な表情で見つめるのは、ケート。
不倶戴天の仇敵であるマフユにゲテモノを食わせるのは、彼の望むところではあるのだが、いとも平然と平らげられていくのは……ちっともおもしろくない。
「もっとリアクションのおもしろいやつに食ってもらいたいんだが」
憮然とするケートに、裏手を入れるサアヤ。
「はい、本音出ましたー。ええ加減にしなさい!」
「残念だったなケート、こういうタチのわるいネタで楽しもうっていう、おまえのけしからん思惑は」
「フユっち先生の鋼鉄の胃袋と食欲のまえに、見事敗北を喫したわけでございますー」
ケートは肩をすくめ、みずからの敗北を見つめる。
「……蛇だな、まるで」
「見た目がキモかったら、丸呑みしたらいいじゃない」
「ヘビー・アントワネット談」
「あれ? ここにあった卵は?」
「ウズラの卵だろ。食ったよ」
「いや、もっとでかくて固いやつだよ。まさか飲み込んだのか」
蛇の顎の骨は人間のようにつながっておらず、上下左右にパカーッと開いて、頭より大きなものも飲み込めるようになっている……。
マフユは、正体不明の何かをバリバリと咀嚼しながら、
「固くなかったぞ。茹でて剝いてあったんじゃないのか。なんか動いてたけど、腹のなかにはいれば同じだ、食った」
唖然とする一同。
ここまでくると感心するしかない。
「ほんとに悪食だな、おまえ」
「感心を通り越してあきれていましたが、一周まわって感心しました」
「さすがフユっち、驚きの胃袋だね!」
「……まあ、死にゃしないだろ。蛆虫のチーズもあるくらいだし」
と言うケートを、いやそうな顔で見つめるチューヤ。
「持ってくるなよな、それ」
ケートは悪びれもせず、
「カマトトぶるな。生食や踊り食いは日本の文化だろうが。そもそも人の胎盤だって食ってるんだぞ、世界各地で。現在はともかく、ちょっとまえまでは健康食品だったんだ。いや、いまだって形を変えたプラセンタ系の商品はいろいろある」
「人肉サプリメントの話はやめろ」
あいかわらずの鍋部。
日々を楽しく過ごしているリア充高校生の放課後理想像として、チューヤの記憶を楽しませてくれる思い出が、じつはただの伏線でしかなかったという経験を、ごく短い間に何度か体験している。
こんな夢を見たということは、今夜は……。
「呼ばれて飛び出てー、おっとっと」
「危ないな。無茶すんなよ、サアヤ」
窓から聞こえる会話。
どうやら昨夜からの無理がたたって、普通の女子高生サアヤの体力も限界を迎えつつあるらしい、と思いやる普通の男子高生チューヤ。
「もういいから玄関からはいれよ」
窓には、その外側から長い手に支えられたサアヤの影がある。
「そういうわけにいかないよ。わざわざ窓際に靴を並べて、私たちを迎えようとがんばっている引きこもりチューヤの心意気に、水を差すわけにいかないからね」
「……そんなつもりはねーよ。で、今夜はマフユってわけね。なんかそんな気がしてた」
当然のように、チューヤはそこにある長い影を見つめる。
長い手足を窮屈そうに縮めて、サアヤのあとにつづいてはいってくるマフユ。
「なんだ、そんなにお待たせしてたのか。悪かったな、チューヤがそこまであたしを好きだなんて知らなくてさ。わるいけどおまえの気持ちは、のし付けて返させてもらうよ」
チューヤは先に立ってドアから出ながら、
「はいはい。サアヤもお疲れみたいだから、とっとと片づけようぜ。いいから玄関から出てくれ。まったく……」
そのまま玄関に向かう。
今夜、サアヤを連れ歩くのは、やめたほうがいいかもしれない。
すくなくとも、なるべく早く帰してやらなければ。
それが、できるなら……。
「オヤジさんとか、怒ってないか?」
チューヤは、西荻窪のいつもの通学路を駅に向かって歩きながら、後方のサアヤに問いかける。
「お母さんがちょっと心配してるー。でも、鍋部のみんなと合宿みたいなものって言っといたから、なんとか平気ー」
「それで平気なのもどうかと思うが。……で、マフユは腹具合、平気か?」
「なんであたしの心配材料がパラグアイなんだよ」
「南米か!」
手を合わせ、きゃっきゃ笑う女子。
チューヤはしばらく黙ってから、
「先週の卵さ。あれ、生きてたろ」
すぐにその意味を察した時点で、マフユも相当、事態に食い込んでいる。
「ああ、あれな。あのあと、ちょっとお腹痛かったんだが」
「しっかり取り憑かれていて、しかも平然としてるところがすげえなって」
「なに言ってるの、チューヤ」
足を止めるサアヤ。なんとなく、雰囲気がおかしい。
チューヤは、こめかみを指でトントンとたたきながら、
「ナノマシン起動して視覚スケールを調整して見ろよ。アナライズ機能の拡張版だけど」
サアヤは、きょとんとして首をかしげる。
「そんな機能ないけど……」
「ああ、だったら2個目のカプセルに特有の機能なのかもしれないな」
そのままチューヤはマフユに視線を転じ、
「──当人が見せようって思えば見せられるはずだろ、マフユ。見せてやれよ。どうせみんなナノマシン持ちだ」
マフユは短く嘆息すると、すぐにうなずいて、
「そうか。怖がらせたらわるいなと思っていたんだが、見えるやつには、なにもしなくても見えるんだな。……エグゼ」
瞬間、マフユの身体のうえを這いまわる蛇が、しっかりとサアヤの目にも見えた。
きゃっ、と短く悲鳴を上げてチューヤに抱き着くサアヤ。
マフユはどこか悔しそうに眉根を寄せたが、蛇を怖がる女子の気持ちはわからなくもない。
如才ないサアヤは、すぐに気を使って引きつった笑顔をつくりあげ、
「群馬の蛇センターで、そういう写真撮ったことあったかもー」
チューヤは改めて、その取り憑かれ方のプロセスを考える。
「じっさい、蛇神を体内で孵化させて、ちょっとお腹痛いレベルで済むところがすげえよ、マフユは」
マフユの細長い身体にぴったりと寄り添い、首元でとぐろを巻く蛇。
インドからやってきた、その名は。
「まあとにかく、ナーガの力は手に入れた。これから行く先で必要になる力だ」
マフユに重ねて、チューヤはアナライザを起動する。
悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
ナーガ/龍王/8/紀元前/古代インド/法華経/成城学園前
「メスの場合はナーギニーだけどな。まあナーガでいいだろ」
ナノマシンを持っている理由も含めて、彼女から聞くべきこともまた多いようだと、チューヤは内心、肩をすくめる。
「どんな力があるの?」
サアヤの問いに答えて、
「キシャーッ!」
ふりかえりざま、チューヤに向けて「威嚇」するマフユ。
ぴたり、と動きを止めるチューヤ。
「ま、マフユ、まじ、こええんスけど」
マフユはにやりと笑い、
「それだけか?」
「それだけ……? あ、あれ? 足が、動かねえ、手も……」
「これは、蛇眼ってやつだ」
マフユの眼球が、ぐるりと裏返るように開いて、閉じる。
まさに、蛇の目のように……。
「Rタイプか……」
喉を動かしたつもりなのだが、うまく声にならない。
ARMSのうち、自身のSも含め、これまでAとMは見てきたが、はじめてのRとの遭遇は、ある種のショックだった。
Rは肉体ごと悪魔に「リフォーム」してしまうタイプで、肉体性に依拠した特殊なスキルを継承することができる、という。
「すっごーい。ほんと動かないの? これ」
ちょんちょん、とチューヤの身体をつつくサアヤ。
金縛りにかかったように、ぴくりとも動かない。
マフユも笑いながら、チューヤのほっぺたを往復で張り飛ばし、
「3ターンというわけのわからない時間だけ、敵の動きを止められるらしいという俗説がある」
その性質から、もっとも悪魔に近接するタイプRは、悪魔の能力を身に着けるに際し、肉体の変形を伴う。
今回は、それが眼球に結実している、ということのようだ。
「ふーん。まさにヘビに睨まれたチューキチだね」
平面ガエルの物語は、ごく身近の公園が舞台になっている。
「シャツにつぶされるカエルは、石神井公園の話だろ。いいから解いてくれ。動けないじゃないか」
訴えるチューヤに、背を向ける女たち。
「そのうち解けるだろ。……で、サアヤはどんなスキルなの?」
「あたしはねー」
「おまえらなあぁあ!」
その後しばらく、放置プレイをたしなむことを余儀なくされるチューヤだった。




