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悪魔合体の学問的側面については、チューヤもジャバザコクで学んでいる。
邪教は厳密な数理であり、解析可能な「学際」であり「産業」だ。
「なにしろ、戦後この学校に鍋部をつくったのは、うちのお館さまざんすよ」
最初、その意味がわからなかったチューヤたちだが、徐々に理解されてきて、その爆弾的発言の意味を考える。
──戦後、この学校に、鍋部をつくった。
「お館さまって、邪教のボス?」
「ざんす」
「青い帽子でハゲ散らかした、あのおっさん?」
「おっさん言うな。お館さまと言え」
「彼は分子生物学の泰斗として、わが校が誇る卒業生の偉人のひとりだった」
と、校長がまとめた。
過去形ということは、途中から道を踏み外して、悪魔合体のほうに進んだということだろう。
それが結果的に成功だったのかどうか。
すくなくとも、あの青い帽子のハゲたおっさんは、20世紀後半、デジタルデビルを合体させまくって、大活躍していた。
その後、悪魔召喚プログラムは飛躍的な進化を果たし、そのなかで青いおっさんの果たす役割は相対的に減少していったが、その根源を担った偉業が色あせることはない。
「……悪魔合体は学問である、と」
「そんな授業あったら優等生だね、チューヤ」
「いやあ、ははは、それほどでも」
てれてれするチューヤに向かう、他の部員たちの視線は冷たい。
「わたくし、その授業は取りませんわ」
「合体とか少数派のサル山のサル(Sタイプ)しか関係ないだろ」
「電気物理とか素材化学系はわかるけど、生物は、工業科にはあんまり関係ないかな」
「そもそも無意味なんだよ、お勉強とか、ちゃんちゃらおかしいぜ」
背を向ける部員たち。
いつもの雰囲気にもどるのが速すぎる。チューヤは顔面をヒクつかせ、
「……俺が優秀だとなんか気に食わないの、みんな!?」
素直な鷹匠・石野とふたりで、新しい世界に旅立ちたいという鬱勃たる思い。
考えてみれば、この部活の連中は全員が敵……と、ヒナノと同じようなことを考えかけて、あわててその思考を打ち消した。
危ない危ない、みんな友達なんだから、仲良くしないと。
そんなチューヤを、校長が見つめている。
もちろんその表情は……まったくわからない。
「そもそもチューヤごときが、自分が優秀とか誤解していること自体が気に食わないんじゃない? みんな」
「黙って! サアヤさん黙って!」
泣いているチューヤを無視して、話は進む。
「人間のDNAの半分は、ウイルスからできている、という話を聞いたことがあるかね?」
遺伝子生物学は昨今、長足の進歩を遂げた。
ゲノム解析は進み、多くの事実があきらかになっている。
DNAの半分がウイルス由来、というのは学問的事実だ。
多くはトランスポゾンと呼ばれる、自由に動きまわれる遺伝子の断片で、進化の途上でウイルスがヒトのDNAにもぐりこんだ結果と考えられる。
ヒトの半分が、ウイルスの切れ端でできている。
その大半は現在、意味のある働きをしていないが、将来にわたって無意味というわけでもない。
ウイルスを寄せ集めて、こね上げられた鋳型、それがヒトだ。
いや、ヒトだけではない。
すべての生命が、ウイルスの遺伝子を取り込むことで、突然変異を起こし、多様化していった。
ウイルスのうち、役に立つ働きをする部分が選択されて残り、それ以外のジャンクは眠っている。
「なにが言いたいんですか、校長」
「悪魔合体も、同じということだ。古今東西、さまざまな思想と、創造と、妄念と、娯楽と、夢想とを鍋に入れて混ぜ合わせ、捏ね上げたホムンクルス。それが悪魔たちであり、きみたち自身の影なのだ」
「忌まわしい……この世は唯一の神によって創造された……人間がよもや……」
ヒナノは唇を震わせ、反撃の言葉を探す。
もちろん彼女は理性のある人間なので、文字通りの「創造説」を信じているわけではないが、唯一の神が存在し、宇宙を築いたという底辺の思想については全幅の信頼を寄せている。
それ以外の考え方のほうが、むしろ不自然だ。
世界は、神が、つくったのだ。
その神を、人がつくったなどと──。
「あきらめろよ、お嬢。あんたらの妄想は、20世紀とともに終わりを告げたんだ。もう一度言ってやる。神なんてもんは、しょせんその程度のガジェットなんだよ」
「まあまあ、ケート。それについちゃ、信じる信じないは個人の自由というか」
めずらしくリョージがなだめにまわったことを、ヒナノは心強い視線で見つめる。
同じことを自分が言っても、あの視線はもらえなかったんだろうな、と内心ため息を漏らすチューヤ。
一方のケートは、あいかわらず戦闘的だ。
「黙れリョージ。貴様の甘っちょろい自然保護なんていうぬるま湯思想も、そもそも欺瞞なんだ。多様性? 持続可能? 笑わせるな。生物の希少性うんぬんさえ、たかが突然変異の蓄積にすぎない。大量絶滅、ご随意にって話だ」
「ほう、チビもたまにはいいこと言うな」
にやにや笑うマフユ。
慌てて軌道修正するケート。
「黙れ! おまえのは行き過ぎだ! ──われわれは、ようやく達したのだ。制御可能な滅びを演出できる段階にな。わざわざ絶滅させに行く必要はないが、どこぞの生物種が滅びたところで、消えた数だけ、新たな種を生み出してやればいい」
「人為的な生命。たしかに、新たな種ではあるけども……」
「キミに批判はできないぞ、チューヤ。キミが悪魔合体の使い手であるかぎりな。そうやって神でも悪魔でも合体して使い倒してやろう、っていう思考は合理的で好きだから安心しろ」
「わたくしは、許しません。そのような行動は、不遜の極致です」
多神教の偶像崇拝を蛇蝎のごとく毛嫌いする一神教の聖典は、みずからが彼らと同列に置かれることを厭悪し、そのようことを片言でも言おうものなら、脳天の血管をブチ切れさせて怒り狂うこと疑いない。
ヒナノは努めて冷静を装っているが、チューヤに対する視線はムシケラを見るごとき冷たさに変わった。いや、そもそも冷たかったが。
「おやおや、最近はチューヤの才能も認めだしてるのかな、と思ってたが」
「能力を認めることと、生理的に無理なのは、別の話です」
くっくっく、と含み笑うケート。
「だってよ、チューヤ」
「わたくしは礼儀を重んじるので、当人に直接伝えるつもりはありませんが」
「もう伝わってます……」
床にうずくまり、「の」の字を書くチューヤ。
「ま、とにかく、唯一神さんも他の多くの神様とおんなじってことで、平和的な結論じゃないか。考えてみれば、つとめてフランス的な思想だろ。近代社会のたどり着いた自由、平等って世界観が、神さまにまで広がってくれてボクもうれしいよ」
再び笑いだすケート。
こんどの笑いには、それほど不快な響きはなかった。あくまでも事実として受け入れる、という淡白な気配だ。
あらためて結論するまでもなく、すべての神話、神々、宗教は、そのようにして誕生した。
日本神話、イザナギ、イザナミも、北欧神話、オーディン、トールも、インド神話、ヴィシュヌ、シヴァも。
「そういうことだ、生徒諸君。みずからの背景を理解する一助となったかね?」
校長の「授業」は、生徒たちに一定の共通理解を与えた。
それは、どんな授業よりも濃密で、リアルで、背徳的な内容であった。
「先刻承知だよ、校長。アーリア人が土着のドラヴィダ人たちを駆逐し、吸収していく過程で、もといた神様を取り込んだのがシヴァであり、ヴィシュヌだからな。ヴィシュヌは化身という形でクリシュナやラーマの姿をとるし、シヴァは行く先々の土地土地に嫁がいる。壮大な系図の出来上がりだ」
「中国系の場合は、別の名前を与えて取り込む、という形をとることが多いな。道教は顕著だが、たとえばケートのおもりのハヌマーンは、道教では斉天大聖孫悟空行者、とかいう御大層な長い名前を与えられている」
「おもりとか言うな。護身術インストラクターだ」
「孫悟空、かっきー!」
「仏教も同じだよな。サアヤは詳しかったっけ?」
「一応ね。おじいちゃんとかから聞いてはいるよ。近所に、りっぱな仏教学の先生も住んでるし。こんど紹介したげるね! けど、そもそも原始仏教は、宗教ではないんだよー」
お釈迦様が生きていたら、世俗化した葬式仏教の集団をどう見るだろう。
「で、謎を暴かれた一神教のお嬢さまのご意見は?」
話題がこなれてくるのに比例して、ヒナノも落ち着きをとりもどした。
そもそもこの手の議論は、ある程度、自家薬籠中のものでさえある。
「ありませんね。使い古された瀆神のロジックです。いまさら感想を述べる価値もありません」
「使い古された神さまの、すり切れた聖骸布にすがりついて毎日お祈りしているお嬢の言葉とも思えんが。ま、たしかに自由主義者による合理的解釈の過程で、反論の余地のないところまで追い込まれた教皇様の、緩やかな降伏のお言葉には薄笑いしか浮かばないがね」
「どういう耳をしているのですか、あなたは」
ヒナノの鋭い視線に、輪をかけて鋭い舌鋒をもって報いるのが、ケートのスタイルだ。
「そっくり返す。もっとちゃんと謝れや、ゲスのカトリックが」
「もう、ケーたんもヒナノンも、けんかしないで!」
科学と宗教の戦いは、事実、あまりにも根深い。
一部の科学者は、教会こそがヨーロッパに暗黒の1000年をもたらしたと信じて疑っていないし、現に教会によって殺された天才たちの恨みを忘れてやるつもりもない。
宗教は、宗教同士が傷つけ合い、恨みを募らせると同時に、「科学」に対しても大きな借りがある。
近代科学を導入した日本においても昨今、「迷信」を排除するという形で、多くの宗派や民間信仰が痛手をこうむったわけだが、諸外国に比べればそのダメージは軽微といっていい。
とくに、みずからの血肉で「啓蒙」思想を贖ったヨーロッパにおいては、多少の「利権」の後退ごときで、それ以前の何千年にもわたってくりかえしてきた「理性」への攻撃と抑圧を、忘れてやるわけにはいかない。
マルクスにおいて頂点に達した宗教に対する「アヘン」呼ばわりは、その思想が崩壊した現在も、根深い嫌悪と敵意の形で一部の「無宗教」者たちに脈々と受け継がれている。
にもかかわらず、この「無宗教」国家日本で、神学機構が首都の枢要を押さえるほどの勢力を維持しているのは、なぜか。
これは、非常に重要な視点だ。
校長の「授業」は、前回よりもさらに深く、生徒たちの背景を切り開いていく──。




