57 : Day -38 : Shakujii-Kōen
忙しい高校生たちの登校は、おおむね午後からだった。
校長公認で堂々と重役出勤してくる鍋部の面々。
そんななか、最初にその「コソドロ」に気づいたのは、チューヤだった。
──部室から出てきた、くたびれたスーツ姿の、おっさん。
その手には、鍋。
「……は?」
直後、背を向け、全力疾走で逃走するおっさんを、反射的に追いかけるチューヤ。
見た目50代にも見えるが、やけに身体能力が高い。
部室棟を飛び出し、壁沿いに用務員室のほうへ向かうおっさんに、
「待て、この泥棒!」
叫んで周囲の生徒に協力を求めるが、昼休みのひとときを、そのような事件にかかわりたくない生徒たちの反応は鈍い。
ふだんならチューヤもそちら側の一員だから、あまり苦言も呈せない。
だが現状、彼を逃がすことで被害者の立場が確定するチューヤとしては、必死に追跡せざるをえない。
しかし、鍋なんか盗んでどうするんだろう……。
「これはおれのだ、おれの家族の鍋なんだ!」
走りながら叫ぶおっさん。
「うそつけ! それはリョージが、境界の変なヘアスタイルした奥さんからもらって、変な女神さんと交換した鍋だぞ!」
変なヘアスタイルかどうかは定かではないが、チューヤのイメージでは、そういうことになっている。
おっさんとチューヤの脚力は、ほぼ同じくらいだ。
しかし先行して道を切り開かなければならない分、そして校内の地理に生徒ほど詳しくない分、おっさんが不利だった。
周囲を見まわし、用務員室のドアを開けて飛び込むおっさん。
その床下に死体が隠してあることを知っているチューヤとしては、いやな予感がする。
室内に飛び込み、おっさんの行方を目で追う。
窮鳥懐に飛び込むを地でいっているような状況だ。
部屋の奥は行き止まりで、窓から逃げ出すくらいしかないが、そんなことをしている間にチューヤがタックルをぶちかますだろう。
くるりとふりかえったおっさんは、鬼気迫る表情で叫ぶ。
「どうしても取り返すつもりなら……ひどい目に遭うぞ!」
「なんだと、やれるもんならやってみやがれ」
「後悔するなよ……混ざれ世界!」
瞬間、おっさんの周囲が境界化した。
ぎくり、と背筋をふるわすチューヤを巻き込んで、用務員室が境界化する。
さらにナノマシンを起動したらしいおっさんの身体が、鳥へと変化していく。
マフユと同じ、タイプRだ。
「おっさん……いや、鳥!?」
チューヤも即座にナノマシンを起動し、臨戦態勢を整える。
「クケーッ!」
鳥から鋭い先制攻撃。
チューヤはダメージを受ける。
……痛い。
痛いが、たいしたことない。
アナライザを見るまでもなかった。そういえば、この悪魔には見おぼえがある。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
フケイ/凶鳥/7/紀元前/秦/山海経/東高円寺
「なんだ、ザコかよ! くそ」
召喚を途中でやめ、腰から剣を抜く。
このレベルなら、タイマンでじゅうぶんだ。
「ケーッ! よく見ろ、悪魔だぞ、怖いだろう! さっさと逃げ出せば、今回だけは勘弁してやるぞ!」
周囲を限定境界化して悪魔の姿を見せることで、これまでの相手はたいてい、ビビッて逃げ出した。
即座に境界化を解き、目的を果たして立ち去る。
それがこのおっさんの、新しい世界線に適応した生き様なのかもしれない。
チューヤはひとつため息を漏らしてから、威嚇するおっさんの頭を、鞘に入れたままの剣でぶん殴った。
「いいかげんにしろ、おっさん! あんたが人間やめんのは勝手だが、ふつうの人間を困らせるんじゃないよ!」
吹っ飛ぶおっさん。
即座に霧消する境界。
悪魔の力を失い、ただの老けたおっさんにもどるおっさん。
だが、抱きしめた鍋は放さない。
「なんでだよ、くそ、ビビれよ、おかしいだろ、これはおれの恋人のものだ、おれにキャビア鍋をつくってくれるって、彼女言ったんだ!」
「……彼女? あんた、あの奥さんと浮気してたのか?」
「奥さん言うな! 彼女はたまたま結婚していただけで、ほんとうに愛し合っている相手はおれなんだ!」
鍋を抱いてめそめそしている男を眺め、チューヤはなんだかめんどくさくなってきた。
この世とあの世の境界が揺らいでいる気がする。
リョージがこのおっさんの幸せを破壊したと考える気は毛頭ないが、そもそも泉の女神が交換してくれた鍋なんじゃないのか?
本物はどれだろう。
この世に、果たして「本物」なるものが実在するのか。
おっさんを置いて立ち去りたい気もするが、鍋を取り返さないわけにもいかない。
リョージから預かっている、大切な「裏鍋」だ。
しかしおっさんは、亀のように床に丸まって、鍋を抱いて泣いている。それをひっくり返してやる気には、なかなかなれない。
「なんて学校だ! 俺の人生を、一から十まで、壊して殺して奪い去っていきやがった! 俺だけじゃない、家族みんなだ、妹も、恋人も!」
叫ぶおっさん。
そこへ、背後からドアの開く音とともに、聞きなれた声。
「ああ、こちらにいらっしゃいましたか。ええと……福森さん」
ふりかえったチューヤの視線の先、ハスキーボイスを発するハゲ散らかした男。
校長だ。どうやら知り合いらしい。
場所を譲るチューヤに代わって、福森と呼んだ男のまえに立つ校長。
福森は地面にうずくまったまま、恨みがましい視線で校長をにらみつけた。
「校長! 妹はまだ行方不明なのか!?」
福森の問いに、
「申し訳ありませんが……」
校長は首を振る。
「妹?」
チューヤの問いには、
「商業科の原島キキさんのお兄さんなのだよ」
小声で答える校長。
「父兄だ!」
叫ぶおっさん。
いろいろ突っ込みどころが多いな、とチューヤは思った。
苗字がちがうのは、両親が離婚して姓が変わったとか、そのあたりの理由だろう。不幸ぶるにはふさわしい。
父兄がフケイに化けたことは、まあ……突っ込まないでおいてやろう。
あの顔でお兄さんってなんだよ!? 見た目は50代、実年齢は20代、ってか。
突っ込み属性をこじらせるチューヤに、校長は言った。
「鍋は、私があとで中身をつけて持っていこう。行きたまえ、午後の授業がはじまるよ」
「授業とか。……ああ、そうか、校長だっけ」
立場上、勉強させないわけにはいかないのだろう、と察した。
その場に父兄と校長を残し、踵を返すチューヤ。
世界を侵食するのは境界ばかりではない、人類を侵食する悪魔相関プログラムについて、もっと深刻に考えたほうがいいかもしれない。
そんなことを思った。
放課後の部室に、鍋を手にアクマダモンがやってくる。
それはある意味、とてもシュールな光景だった。
「これでよいかね、生徒諸君」
六角形のテーブルに着席し、6人の部員がまっすぐに校長を見つめる。
その目は、校長がもってきた「裏鍋」に、いっぱい詰まった霜降り牛肉を見つめている。
まず、チンチンと手元の皿をたたきながら、マフユが言った。
「スキヤキだ。リョージ」
「あいよ」
コンロの火を入れる料理担当。
表鍋の温まるのを待つ間に、校長から裏鍋を受け取る。
関西風は鉄鍋を使う必要があるが、関東風なら土鍋でだいじょうぶだ。
割り下のはいった汁が煮立つのを待ち、まず野菜を投入する。
「まあどうぞ、校長」
チューヤが椅子を引いて、校長に座らせた。
「で、なんでまたアクマダモンなんスか、校長」
リョージの問いに、
「立場上、個別の生徒に差し入れるわけにはいかんモン」
筋を通す校長。
言い換えれば、校長でないかぎり、ご相伴にあずかるのは自由、という立場も堅持するようだ。
ずっしりと、その重そうな尻を椅子に落ち着ける。
「なるほど。あくまでもアクマダモンというわけですな」
鼻先で笑うケート。
「バカバカしい……」
ため息を漏らすヒナノ。
「フユっち! まだだよ、ハウス!」
よだれを垂らすマフユの首を引きもどすサアヤ。
「がるるる……」
肉をまえに野生化するマフユ。
──いつもの鍋部の光景だ。
リョージは裏鍋に満載されていた肉を別のトレイに移すと、鍋を洗ってもどってきた。
そして校長のまえにそれを置く。
目くばせすると、チューヤがまえに出てきて、言った。
「教えてもらいたいんですけどね、校長。この鍋、もともとこの部の備品だったらしいじゃないですか?」
「ここは学校だモン」
アクマダモンが、あたりまえのことを言っている。
「知ってますけど……」
鼻白む一同に向け、
「学校の備品に、学問の探求と涵養に資するものがあるのは、当然だモン」
宣揚するアクマダモン。
「それが、その土鍋というわけですの?」
問いを重ねるヒナノ。
煮える鍋。
肉。最初の一枚は、不可避的にマフユの小皿へ。
順次、鍋奉行のリョージが「公平な分配」を進めていく。
校長のまえの小皿にも、やや大きめの肉が置かれる。
アクマダモンは両手を合わせ、行儀よくいただきますと言うと、口のまえにもってきてから、小皿をもどし、左手で首元に隙間を開け、右手で箸をもちなおすと、ふるえる手で肉をつかみ……。
「あーもう! うっとうしいな! 脱いでくださいよ、校長!」
しばらく考えていたアクマダモンは、部屋の隅に行くと、頭と手の部分だけ脱いで、それをハゲ散らかした頭上に乗せた。そうして目深にかぶった帽子のようにして視線だけは隠しつつ、椅子にもどってきた。
サアヤがすこし驚いて言った。
「その着ぐるみ、セパレートタイプだったんだね!」
「アクマダモンはアクマダモンだもん、中の人なんていないモーン」
言いながら、校長はみずから持参した肉を、ハフハフと頬張った。
アクマダモンも食欲には勝てぬ、ということのようだ。
「そんなことより校長、鍋の話を進めてもらいたいんですが」
校長であれば当然、この鍋部の歴史について、よく知っているはずだ。
チューヤたちが知っているのは、ここ1年と数か月程度の歴史でしかない。
だが校長は、そこにいたる長い歴史のすべて、とは言わぬまでも多くにタッチしている。
彼が狂言まわしであることは、みずから認めているとおりだ。
鍋部に入れるために、東京各地から条件に合った名前(?)と能力、背景の持ち主を集め、ごく自然の成り行きであるかのように、同じ部活に所属させた。
どういうつもりか。
鍋をつつきながら掘り下げるに値する話である──。




