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 ダンジョンは攻略する者に開かれる。

 ペットショップの地下は、ペットショップらしからぬ高難易度のダンジョンだったが、ホルスのスキルと知見にも助けられ、ほどよい成長物語を演じつつ、最終局面へと達しつつあった。


 本能が「この先ボス戦」を告げてくる。

 ホルスの表情に緊張がよぎっている、と見えたのは気のせいか。

 悪魔相関プログラムが、中空に「ホルスの目」を投影する。

 どうやらこの先は、エジプトからつながる世界線だ。


 ──有名なエジプトの象徴、ホルスの目。

 これもまた神話では、セトにバラバラにされるが、知恵の神トートが集めて元通りにしたという。


 その目が探す以上、逃げ隠れすることはむずかしい。

 そして、相手にも逃げ隠れするつもりはないようだ。

 堂々と、それは、彼らを出迎えた。


「騒がしいな……」


 ゆっくりと顔を上げたのは、()()()()()()

 脳内BGMが、ボス戦直前に特有の静かな、しかし緊張感のあるリミックスで満たされる。

 ──ペットショップに巣くっていた動物霊たちをまとめていたのが、どうやらこのネコらしい、とチューヤは理解した。

 ネコ好きの彼をもってしても、なにか忌まわしい気配を感じて、背筋のゾクゾクが止まらない。


 高級そうな敷毛布の上で丸くなっていたものが、ゆっくりと片手を持ち上げてペロリと嘗める。

 その横でポツリとつぶやく、ホルス。


「スフィンクス……おまえか」


 それは、ブリーダーたちを歓喜させた、毛のないイエネコ。

 別名カナディアン・ヘアレス。


 人間が、その飽くなき欲望の結果、生み出した奇形。

 人間の好みに合わせて、究極の特殊化を遂げたペットの代表格。

 繁殖や健康に問題を抱え、人間なしでは生きていくことができない「異常な生態系」の象徴。

 毛もヒゲもなく、暑さにも寒さにも弱い。

 毎日皮脂を拭き取る必要があり、不用意な交配は重大な障害の発生する恐れがある。

 数十万円の価格で取引される血統書の名は──スフィンクス。


「たしかに、ペットショップに恨みを抱いていてもおかしくないボスだね。……スフィンクス!? って、品種じゃなく!?」


 脳内の悪魔全書が、かなり危険なデータを提示している。

 チューヤは飛び上がって、あたふたしながらホルスを問い詰める。

 ホルスは首を振りつつ、


「アフリカの()()()、スフィンクスだ」


「原初……スフィンクスって、そんな古いの?」


 その原型をどこに求めるかによるが、古代エジプトの神獣「シュセプ・アンク」の起源は、古代オリエントのライオン信仰と考えるのが一般的だ。

 しかし、場合によっては後期旧石器時代の「ライオンマン」まで遡る考え方もある。

 20世紀、ドイツの洞窟で発掘された、およそ3万2000年まえの象牙の彫刻。考古学的にはオーリニャック文化のものとされているライオンマンは、「獅子頭の立像」である。


 一方、スフィンクスは「ライオンの身体に人間の顔」を持っている。

 日本の都市伝説「件」(牛と人間のキメラ。頭が牛あるいは人間の2パターンがある)につながる、動物とのキメラという伝統的フォーマットの嚆矢といっていいだろう。


「だから厄介なのだ……そう、ひさしいな、スフィンクス」


 ホルスは不承不承といった感じで、まえに踏み出した。

 どうやらホルスは、スフィンクスを苦手としているらしい、とチューヤは察した。

 自分のほうが「王」であり、えらいのだ、という自負がある一方、あまりにも古い起源に率直な畏怖を抱いてもいる、といったところか。


 正統な後継者である息子に対し、父王が死ぬまえ、かの老臣の言うことだけは聞け、本物の父親と思え、と言い置いて逝った状況に似ているかもしれない。

 絶対君主である新王も、先代からの功臣で大恩ある重鎮である彼にだけは、気兼ねして言いたいことが言えない、という感じだ。

 身分的にはあきらかに「王」のホルスが上なのだが、スフィンクスをただの「門番」として片づけることなど、とうていできはしない。


「そーいえば、ピラミッドも古いけど、スフィンクスはその倍も古い、って説あったね」


 ケートが得意な話題だな、とチューヤは思った。

 スフィンクスが1万年まえにつくられ、5000年まえに、それに合わせてピラミッドがつくられたのだ、という手の話は月刊『ヌー』の大好物である。


「……なにを見ている」


 ホルスは内心の焦燥を押し隠すように、やや尊大な語調を取り繕ってスフィンクスに問いかける。

 スフィンクスは悠揚迫らず、ぺろりと舌なめずりをしながら答える。


「べつに。話し相手を見つめるのは、わるいことではあるまい」


「獲物を見る目ではないのか」


 ネコとトリ。

 なるほど、と思いながら、はらはらと状況を見つめる人間たち。


「バカな。猛禽はそちらであろう」


「ヘビやネズミは食らうが、ネコを捕食するトリは見たことがない」


「なるほど、わしもチキンは大好物だがな。──何度も言うが、おまえは猛禽だ。プライドを持て」


 最古の「門番」は、堂々と「王」を叱責した。

 ホルスは内心忸怩たる思いで、


「おまえも貴族であろう。イエネコの頂点に君臨する、究極の種族なのではないか?」


「皮肉を聞かせるつもりなら、スコティッシュ・フォールドでも探せ」


 ぺたんと寝ている耳がかわいいということで、日本でも大人気となった。

 もちろん耳が閉じたように見えるからといって、聞きたくない話を聞かずに済ます能力を備える、というわけではない。

 一方、毛がないことでも有名なスフィンクスは、耳も特徴的で大きく、あらゆる話を聞き集められる能力を備えているかのようだ。

 映画ETのモデルになったとも言われている。


「変わったものよな。お互いに」


「ハヤブサはまだマシであろうよ。多くの家畜は、もはや原形をとどめぬ」


「イヌ、ネコはもちろん、ウシ、ウマ、ブタもか」


「人間とは恐ろしいものよ」


 ちらり、と2匹の動物の視線がチューヤたちの上をなぞった。

 現状、ホルスとスフィンクスという神格は圧倒的に人間のレベルを凌駕するが、地球全体、歴史自体を見返したとき、人類の果たした役割はあまりにも巨大すぎる。


「彼ら自身も、みずからを更新しようとしている段階だ」


「自分を変えるのは勝手だが、望んでもいない他の種族にまで手を加えるのは、いらぬ世話であろう」


「人体の改造は、まだ思いとどまっているようだが」


「ふん、かろうじて残す倫理とやらのくびきを、いよいよ解き放ってくれようか」


「死なばもろともか」


「はなからさ」


 どうやら世間話をたしなんでいるらしい、エジプトの古い神々。

 石野にはまったく思いの及ばない領域の話だったが、チューヤには自分を「改造」して悪魔の力を身につけた女の姿が、否応なく思い浮かんでいる。

 たしかに人類は動物の形を極端に改造したが、それを追いかけるようにみずからの存在形態そのものをも、つぎの段階へと更新しつつある。

 人類2.0の時代、それこそ「デメトリクスカプセル」を含む能力者の地平に重なる可能性がある。


 ふと、ホルスがふりかえって、チューヤを見つめた。

 その向こうでは、スフィンクスがペロリと手を舐めて顔を拭いている。


「どうやら、呼ばれたのはおまえのようだな、悪魔使い」


 きょとん、として自分を指さすチューヤ。

 ホルスはふわりと舞い上がり、石野の肩に座をもどす。

 旧交を温めるべく呼ばれたのはホルスである、というのが当然の見方だが、さにあらず、遠方よりきたる友はチューヤであった……?


「んなアホな。あんな高級ニャンコに知り合いはいないざますよ」


「恩知らず、ということかな?」


 スフィンクスの冷たい声音が耳朶を揺する。

 さして拘泥もない口調だが、恩知らずという単語には、ネガティブな響きしかない。


「恩……え? 俺のこと、だよね。ネコの恩返し……じゃなくて、俺が助けてもらったってことかな、いやたしかにネコ系の悪魔には世話になってるけど、それは他の悪魔も同じだし、スフィンクス・レベルにはもちろんまったく手が届かないというか、悪魔全書のデータによると、もっと堂々としたライオンぽいんだけど、もちろんそのスフィンクス・キャットの姿は世を忍ぶ仮の姿だよね、ほんとはもっと巨大なライオン……ライオン? ホラアナライオン……あー! あんとき助けてくれたの、あんたか!?」


 怒涛のようにしゃべっているうちに、記憶の棺桶が掘り起こされることは、ままある。

 スフィンクスは興味もなげにチューヤを一瞥し、軽く首をかしげた。


「時間はつねに一方向、未来に向けて流れる。量子化された重さのない仮想空間であっても、必要以上の情報の垂れ流しは、不断の調整を受けねばならない」


「そういうむずかしい言いまわし、ケートと気が合いそうだね! 調整……そうか、それで途中からハルキゲニアは消えたんだね?」


「おまえたちに注目する原初神は、当地の四柱ばかりではない。否、おまえたちは物事の始原から、すでにして巨人の掌の上にあると知れ」


 言いつつ、すとん、と床に降り立つスフィンクス。

 複雑な表情で、取り扱いのむずかしい「老臣」と、悪魔使いの小僧っ子を見比べるホルス。

 どうやら予想以上の大物らしい、という尊敬の視線でチューヤを見つめるのは石野。

 当のチューヤは、若干こそばゆい。


「スフィンクス」


 ホルスの呼びかけに、スフィンクスはふりかえり、どうやら笑ったように見えた。


「安心せい、歴代のファラオより、おぬしのことは任されている。わしがおぬしらの敵にまわることはない」


「……味方ともかぎらん、か?」


 うがった見方のホルスに、スフィンクスはツンと顎を上げて歩き去る。

 恐ろしいほどに、王を王とも思わぬ功臣の態度には、おそらく強固な思想根拠がある。

 永劫とも思える「時」を、このライオンマンは、太古のアフリカという大陸とともに過ごしてきた──。


 ともかくも、戦闘は回避されたようだ、と安堵するチューヤ。

 そもそも桁外れの強さであるスフィンクスが相手では、現状、勝負にはならない。


「え、どちらへ? あの、スフィンクスさん……どうなってんの、ホルス?」


「べつに、どうもならんよ。やつは、やつのねぐらに帰るそうだ。このペットショップは、あくまで仮寓であったということよ」


 ふと、光の漏れる気配を感じて、チューヤは部屋の奥に視線をもどす。

 スフィンクスのまえに、さらなる地下へとつづく通路が現れ、かのネコはそこに飛び降りようとしていた。

 その直前、ふわりとふりかえったネコは、


「この星の動物どもは、いかなる方向に進むのであろうか、興味深くはある。長生きはするものよ、のう、ホルス」


 それだけ言って、姿を消した。

 冷たい空気が奥に向かって流れている。

 チューヤたちは、吸い込まれるように、さらに地下へとつづく通路のまえまで進んだ。


「……なんだ、この地下道」


「東京の地下は〝炭鉱〟だ。おぬしも知っていよう」


 ホルスは、さして興味もなさそうに言った。

 しかし「エジプト勢」としては、無関心というわけでもないはずだ。


「あーね。駅を鉱脈とするエキゾタイトの掘削地であり、輸送路でもあると」


「さて、帰るとするか、須美」


 通路の奥に身体が向いているチューヤに対して、ホルスの身体は地上へともどる道のりを向いている。

 チューヤは一瞬考えてから、


「俺、あのネコについて行ってみたいんだけど、いいかな?」


 彼にしてはめずらしい冒険心の発露。

 ホルスは、さらに興味を失ったように答える。


「おぬしの行動など、知ったことではない。命が惜しくなければ、ひとりで行くがよい」


「命は惜しいけど、なんて言うか……ネコについて行くと、いいことがある気がするんだよね。9万年まえの世界でも、そうだったし」


 ホルスの表情から感情を読み取ることはできないが、もしかしたら多少の敬意らしきものは呼び覚ますことができたかもしれない。

 12柱の原初神を除いて、地上の()()()()()すべて、()()()()()()()()ものだ。

 いかに歴史の古いホルスといえども、その例には漏れない。

 非常に古いエジプトの神も、9万年というオーダーの知見には遠く及ばないのだ。


 ──原初の大陸とともに地球に住んでいた(らしい)ライオンマン、その結実する表象、スフィンクス。

 このネコ科大型獣に一度ならず助けられたチューヤは、幾星霜を閲した「つながり」に重要な意味があると信じることにした。

 ネコ好きにわるい人はいない! という強弁の信憑性はともかく、ネコ派の直観には侮れない価値がある……かもしれない。

 それを証明するかのように、つぎの瞬間、チューヤのプラグインに新たな反応が加わった。


[アクセス権付与。ルート「東京共同溝」が追加されました]


 ナノマシンが、目のまえでスフィンクスが開いた通路と、追加されたプラグインの関係をロジカルに理解せしめる。

 ニシオギのアクマツカイに対して、東京の門番であるスフィンクスが、新たな地下通路の鍵を与えてくれた、と考えてよさそうだ。


「東京の門……そうか、スフィンクスの支配駅は品川だっけ」


 品川といえば、もちろん東京の玄関口だ。

 ナノマシンの解説によれば、スフィンクスがくれたのは東京の地下に張り巡らされている「共同利用のための境界」に、自由に出入りできる鍵だという。

 現在、出入りできる場所はそれほど多くないが、このルートを使えばいくつかの重要拠点に対するアクセスの利便性が、飛躍的に高まるという。


 東京の玄関口・品川を守る、永遠の門番スフィンクスは、ひとまず敵ではない。

 エジプト勢とは、うまくやっていける。

 そう確信しつつ、まだ一抹の不安も拭いきれてはいない。


 だが、進むと決めた。

 開かれた地下道へ第一歩を踏み出したチューヤの背後、


「……やめておけ、須美」


 ホルスがくいっと首を持ち上げ、それに応じて石野は足を止めた。

 ふつうにチューヤについて行こうとしていた彼女を、ホルスが引き留めている、といった格好だ。


 スフィンクスは品川に帰った。

 この先は共有境界だ。自分がはいろうと思えばはいれるし、出ようと思えば出られる。

 基本的に「通路」というものは、それほど厳密に立ち入りを制限されない。

 自由に往来できるからこそ、経済もまわるというものだ。

 チューヤは鍵を手にしているわけだし、それなりに使い倒してもいいことになっている。


「えっと、俺は先に進んでみるけど」


「で、あろうな。もどるぞ、須美」


「え、でも」


 シナリオ分岐だ、とチューヤは思った。

 彼女はたぶん、いっしょに来てくれる? と頼めば、ついてきてくれるかもしれない。

 彼女自身はあまり役に立たないが、ホルスの先制攻撃力は圧倒的だ。

 まだまだレベルの低い石野が、この危険な世界で生き延びてこれたのも、彼女に危険が及ぶまえにホルスが決着をつけてしまっていたからだろう。


 そのホルスを戦力に従えられるのは助かるが、それは必要以上にエジプト勢に肩入れすることになりはしないか……?

 しばし考えてから、チューヤは言った。


「とりあえず、ひとりで行ってみるよ。石野さんはもどってて。また、なんかあったら連絡してよ」


 石野は一瞬、何事か言いかけたが、すぐにうなずいて言った。


「気をつけて。また、近いうちに」


 チューヤは軽く手を振り、共同溝に向かって踵を返す。

 そもそも、ひとり旅が好きなのだ、と自分に言い聞かせながら。



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