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「こうなったら、境界をつくっている中心の悪魔を倒すか、話し合いとかで解決するまで、この世界から抜けられないってことですよね」


 初歩的な境界知識を確認する石野。


「そうだね。……だけど、この境界の事情にはホルスが詳しそうだ」


 ホルスの目が光る。

 その視線は、地下を凝視している。


「この奥か」


 チューヤはホルスに指示されるまま地下への入り口を発見し、閉鎖を意味するチェーンをたたき切る。

 鳥の姿では、はいりこむのに苦労する場所かもしれない、と忖度した。

 人間なら、簡単だ。店舗という設備は、人間の利便性のためだけに考えられ、つくられた場所なのだから。


「勝手にはいって大丈夫ですか?」


「どうやら()()()()がいるらしい。()()()()とっては一応、故郷だろうからね」


 適当なことを言って、チューヤは重く閉ざされた地下室の跳ね上げ戸を開く。


「そっか。チュー太郎、お友達がいるんだね?」


 石野の問いに、ホルスは目を閉じて答えない。


「チュー太郎って、何歳なの?」


「5歳です。いちばん強い時期ですよ」


 ハヤブサの寿命は15年といわれているが、163年生きた個体も存在する、という都市伝説がある。


「5歳の子どものくせに、偉そうにすんなよ」


 クワーッ、と怒りの声を上げるホルス。

 ごく古い神々からすれば、十年単位の寿命しか持たない変種のサルごときが、調子に乗るなということになる。


「えと、チュー……ヤさんは、ニシオギのアクマツカイさん、なんですよね」


 石野の問いに、チューヤは頭を掻きながら、


「ああ、まあ、異世界線にはそういう悪魔使いも存在するみたいだね。俺は最近ポッと出の新米悪魔使いにすぎないんだけど」


「そうなんですか。そういうこと、ぜんぜん知らなかったんですけど、このまえ、チュー太郎がいろいろ教えてくれて。あ、紹介が遅れました。チュー太郎は、ホルスさんっていう神さまらしいです」


 先刻承知だったが、頭を下げておく。


「よろしく、太古のエジプト神ホルス殿」


 たまりかねたように、口を開くホルス。

 もちろん彼はオウムの声帯を持っていないので、脳に直接語りかけてくるやり方だ。


「おぬしこそ、さっさとこの地を訪れた理由を明かしたらどうじゃ。わしの須美に会いにきたのか?」


「ちょっと、なに言ってるの、チュー太郎、チューヤさんに失礼ですよ」


「いや、ごめん。まあ、そうなんだけど……いや、じゃなくて、ホルスに訊きたいことがあってきた。喜多見駅を支配するのはホルスだからね」


 23区の辺遠に位置する駅には、エジプト系の悪魔が多い。

 悪魔使いとして、これまでそのいくつかと知己を得てきているが、あえてホルスに問い合わせようと考えたのは、いちばん事情に詳しそうだったからでもあり、また、石野に会いたいという潜在意識的な理由もなかったとは断言できない。


「訊きたいこと?」


「俺の友達が、リョージってんだけど、エジプト勢がなんか変な動きをしているって情報、仕入れてきた。エジプト系は、あいつにはあんまり縁がなさそうだったし、気になって。あんたら、どんな陰謀を企んでる?」


 するとホルスは、見透かしたように笑った──ような気がした。

 なにしろ鳥なので、表情から内心を読み取るということがむずかしい。


「そのリョージとかいう男が、どんな女と浮名を流しているか知りたいというわけか?」


「ちょ、なに言ってんの、リョージが聞いたら怒るよ。だいたい、あんたそういう俗悪なキャラじゃないでしょ」


「ふん、意趣返しじゃ。まあ、答えてやらんでもない。おぬしは、いまのところ味方か、それに近い立ち位置におるからな。──聞け、われわれはセーフティネットを敷いている」


 バッ、と両翼を広げるホルス。

 美しく手入れの行き届いた羽に、神々しさが宿る。


「意味がわかりません。政治家かよ」


「ファラオは偉大な政治家だ」


「昔の話でしょ」


 内心忸怩たる思いを噛み締め、両翼を閉じるホルス。

 その嘴を蠢かせつつ、脳に語りかけてくる。


「……少数勢力が生き延びるには、なんらかのカードを持たなければむずかしい。インド勢も、中国勢も、もちろんアメリカも、強いカードを持っている。日本も例外ではあるまい?」


「そうなの? わが母国ながら、よく知らんのだが」


「むしろ、おぬしの仲間のインド人が、いちばんよく知っておるはずだがな」


「インド人の仲間はいないが、ケートのことかな?」


「正直、わしも詳しくはわからぬ。()()()()の話ができるのは、一部の知恵者にかぎられるでな。詳しい話はトトにでも訊くがいい」


「トト……。サッカーくじじゃないよね」


 くだらないボケは無視された。

 トートはエジプトを代表する「知恵の神」だ。エジプト勢の進路を決定するのに、重要な役割を果たしているであろうことはまちがいない。

 一方、ケートと知恵というキーワードも、たしかに密接につながる。

 あの陰謀論者は、またしてもヤバい世界にかかわっているのか。


「カードをそろえても、適切に使える()がなければ意味がない。()宿()()()で、互いの勢力の言い分も含め、不断の調()()は行われている。これが不調に終わらぬためにも、切り札は必要だ」


「新宿会議……?」


 さっきから阿呆のように同語反復しかしていないチューヤ。

 彼がまともな主人公であれば、赤面していいくらいの無知さかげんだ。


「おぬしは、そんなことも知らんのか。主催者はおぬしの守護者であろう」


「ダイコク先生……じゃなくて、オオクニヌシ? たしかに、新宿はオオクニヌシの支配駅だけども」


「わしもオブザーバーの権利で、ときおり訪ねることがある。先日、代々木の謎のビルにも行ってきた。そういえば帰りに恵比寿で知った顔を見たので、すこし観察した気がするな」


「……ああ、あのときか! いやあ、その節は助かりました」


 ホルスが窓を通り過ぎる一瞬、魂の時間が訪れた。

 結局、意味があったのかどうかはわからないが、状況を変えるために必要な貴重な時間を得られたことは事実だ。


「ふん、どうやら、すこししゃべりすぎたようだな」


「いやいや、遠慮しないで。もっと具体的に教えてくれると助かるんだけど」


「……八百屋の娘にでも訊けばよかろう」


 ちょいちょいと翼を唇で梳き、毛づくろいをするホルス。

 あいかわらず首をかしげる無知なチューヤ。


「八百屋……? もしかしてナナちゃんのことかな。リョージにホの字の」


「貴様らの愚劣な情緒など知ったことではないが、エジプト勢に動きがあるなどという情報を仕入れることができるのは、当人かその身内くらいのものであろうよ」


「たとえば石野さんみたいな?」


 突然振られて、あわてて首を振る石野。


「私は、詳しいことはなにも……」


「たしか、六()御息所(みやすどころ)と呼ばれておったかな? 八百屋娘の母親は。あまり近寄りたくはない……おそるべき()()()よ」


 気のせいか、舌打ちのようなものが聞こえた。

 ──ナナもたいがい「女」だが、まだしも「少女」の部分を残す。

 これを磨き上げると、いわゆる「オンナ」になっていくわけだが、王家の血を引くホルスにとって、その手の「大奥」につきもののドロドロした記憶は、少しく忌まわしいもののようだ。


 チューヤごときに正しい洞察は不可能だったが、とりあえず家族ぐるみのお付き合いを願うには面倒なご家庭らしい、ということくらいは察した。

 リョージのことながら、内心合掌しておく。


「その母親がエジプト勢なの?」


「いや、亭主のほうだ」


「最初から父親って言えば!?」


「わしの父親でもあるのでな……」


 脳内で情報が錯綜している。

 悪魔使いは、あわてて悪魔全書を参照した。


「もしかして、あの元祖バラバラ事件の人かな……」


 データをエジプトでソート。

 主要登場人物を整理する。

 オシリス、イシス、セト、ホルス──。


 権力を奪うため、王であるオシリスを殺した、セト。

 その肉体はバラバラにされ、エジプト各地にばらまかれた。

 狂乱した妻イシスは、必死にその肉体のかけらを集め、神に祈って一夜だけの契りを結んだ。そのときにできた子どもが、ホルスだ。


「バラバラ、か。もうすぐだ、わが母の復活は近い。……のう、須美」


「お母さん、助けたいです」


 ぽつり、と言葉を漏らす石野。

 長らく彼女を無視して会話していたことを申し訳なく思ったチューヤは、彼女の抱えている問題について掘り下げる義務を感じた。


「助けたい? お母さん、どうかしたの?」


「具体的な場所はわかりませんが、なにをしているかは知ってます。たくさん借金あって、返すために働いてるって聞きました。私には関係ないようにって、叔父さんの家に預けられてますけど。……お母さん、大変な仕事をさせられているんでしょう? ねえ、チュー太郎」


 うなずくホルス。


「イシフは、かの女……須美の母しか織れる者がおらぬでな。……準備が整ってのち、われらは被服廠を訪なうであろう」


「被服廠?」


 もう吹っ切って情報収集に徹するチューヤ。

 そもそも、世の中には陰謀が多すぎる。


本所ほんじょの慰霊堂だ。哀れな被災者たちの魂が渦巻いておる」


 脳内に地図を展開するまでもなく、その情報は社会科で学んだばかりだ。

 関東大震災による火災旋風発生の場所として知られる、本所区・陸軍被服本廠の跡地は、現在、東京都慰霊堂となっている。


「できれば終盤にお願いします……」


 敷地内に避難した4万人が、瞬時に焼き尽くされるという大惨事。

 一概には言えないが、吉原跡や仕置場跡など、多数の死人を呑み込んでいる心霊スポットと紙一重の土地は、難易度の高いステージとして設定される傾向が強い。


「あ、心配しないでください。私、ひとりでがんばれますから」


 どうやらチューヤの協力を仰ぐのは迷惑そうだ、と察した石野。

 早々に遠慮されて、逆にあわてるチューヤ。


「あいや、遠慮しないで。ホルスの頼みならともかく、石野さんの頼みは断れないよ」


「ありがとうございます。……ほんとに困ったら、ご相談するかもしれません。そのときは、助けてくれますか?」


 否やはない。

 チューヤは、この女子高生鷹匠のことが、だいぶ気に入っている。


「いいよ、いつでも言って。えっと、俺、練馬のほうにある国津石神井……クニイシ高校なんだけど、石野さんは?」


「私は柿の木坂高校です。目黒ですね」


 カキノキザカコーコー。

 どこかで聞いたような気がするが、思い出せない。


「そっか。……うちの学校、変な部活があってさ、鍋部っていうんだけど。俺、その部長」


「そうなんですか。鍋部っておもしろいですね。正式な部活ってだけですごいです。私は鷹匠同好会というのにはいってます。部員2名の弱小同好会なので、来年は正式な部活に昇格できるよう、頑張ってます」


 マイナーな部活。

 本来、このあたりでチューヤも記憶のカケラくらい拾い集めてしかるべきだが、本能が忌まわしい記憶の一端としてクサいものにフタをしている可能性もある。


「そっか。がんばって!」


「はい!」


 この「いい返事」ができる仲間が、残念ながら鍋部にはひとりもいない、というのが部長の悩みのひとつだ。


「おぬしの利益にもなることだ。イシフの供給をつぶせば、赤羽の輩どもも、すこしはおとなしくなるであろう」


「ああ、そうか。そっちとも絡むのか……」


 人体をバラバラにして、寄せ集め、自分に都合のいいアイドルをでっちあげる。

 そんな変態のドルヲタと、AKVN14がどうとか、マフユが言っていた……。


「近いうちに連絡をする。心して待て」


「うぇい……」


 重要なストーリーの接点が、いくつも明かされた気がする。

 その意図を手繰り寄せ、まえに進む。

 問題は、だれとともにか。

 一介の高校生に、重すぎる「選択」がのしかかる──。



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