54 : Day -39 : Kitami
喜多見の駅を降りた瞬間、呼び止められた。
「チューヤさん、こんにちは!」
元気に左手を振りながらやってくる少女、石野須美と会うのは2週間ぶりくらいだろうか。
もう何年もまえのことのように……。
と、不埒な思考をぶった切るべく、超高速のハヤブサがチューヤの視界を横切った。
それは空中を旋回し、石野の腕にピタリと静止する。
そう、彼女は地元では知られた女子高生「鷹匠」だ。
「あ、どうも」
反射的に手を挙げるチューヤは、内心どぎまぎしていた。
ここで彼女に会うのもなにかの縁だ、などという思いは欠片もない。
なぜなら彼は、彼女に会いにきたからだ。
見透かしたように、ハヤブサが瞬膜を細める。
──あれから何度か、石野とは連絡をとっていた。
あいさつ程度にすぎないが、一応、知り合いと友達の中間くらいになっているような気が、しないでもない。
チューヤが彼女に送ったのは、きょう、ちょっと用があるから喜多見のへんに行くんだ、という報告的な短文。
そうですか! という元気な応答があっただけで、なんの約束もしていない。
それでも彼女と、こうしてすんなり出会えたという事実に、チューヤはぞわぞわするような感覚をおぼえていた。
もちろん不快な感情ではない。
なんというか、もっとこう青春にありがちな、淡い情動……。
「ちょうどよかったです! 私も、キタミ・ペットショップに用事があったんですよ」
淡い感情をカンナで削るように、石野はあっけらかんと言った。
「え、用事……?」
自重せよ、と言われるまでもなくチューヤは内省モードに切り替えた。
歩きながら聞いたところによると、動物虐待のウワサ(事実だが)などにより閉店を余儀なくされたキタミ・ペットショップに、購入証明書の写しを取りに行くところ、ということだった。
日本では基本的に、猛禽類の飼育に許可はいらないが、国内に自生する猛禽類については全種類が保護の対象であるため、「捕獲」して飼育することは禁止されている。
傷ついた鳥などを拾った場合でも関係省庁から保護許可を受ける必要があり、無許可で飼うと違法行為として処罰される。
また、大型種(特定動物)の飼育には、自治体の許可が必要な場合もある。
幸い、小型のハヤブサは「特定動物」には含まれず、日本鳥学会もその分類を猛禽類からインコやスズメの仲間に変更するほどだが、ハヤブサがハトやウサギなどを捕食する凶暴な鳥であることは変わりない。
とりあえず石野は合法的に「チュー太郎」を購入したことを証明できればよく、ショップに保管されているはずの販売証明書の控えを手に入れたい、ということのようだった。
「でも、もう閉店してるよね、お店」
「はい。弁護士さんに電話したら、鍵の場所を教えてくれて、調べて勝手に持って行っていいよ、と言われました」
「なんちゅうテキトーな……」
管財人である弁護士にあるまじき態度であるが、善意に解釈すれば、名のある女子高生鷹匠を信頼した、ということだろう。
ほどなく、目的の店が見えてきた。
きたみふれあい公園に近い、23区としては自然が豊かなほう。
多数の動物を飼育する環境としてはわるくないが、その敷地内の劣悪な環境と、そこで行われていた虐待は、目を覆わんばかりだったという。
「困ったお店です。早くチュー太郎を買ってあげられてよかった」
羽に軽く指を当てながら、いとおしそうに言う石野。
彼女はほんとうにハヤブサが好きなのだろう。その動物愛護の精神も余人の追随を許さないほど強いにちがいない。
ちょうど通りかかった小田急の検車区を眺め、どんな研修してんだろうな、と考えていたチューヤは、なんとなく自分が恥ずかしくなった。
──ペットショップは、数か月まえに閉店したときのまま、うつろに鄙びていた。
動物虐待を憎む人々からの投石や落書きなどの被害も若干見受けられたが、彼らのしていたことを考えればそれも当然だろう。
裏口にまわりこんで、弁護士に教えられた植木鉢の下のタイルの下を探ると、店の鍵が見つかった。
鍵を開け、なかにはいる。
異臭。動物の糞尿と腐臭、そして薬剤の臭いが混ざった、いやな空気が満ちている。
乱雑に積まれ、崩れたケージの山を縫って、2階の事務所のほうへまわる。
店内に生き物はいないはずだが、チューヤは最初から「いやな気配」をビンビンに感じていた。
これまで何度も重ねてきた経験値が、彼をして確信せしめる。
渦巻く憎悪。
強力な悪意と魔力、飢餓感と復讐心が目指すもの。
彼らは獲物として、見つけられたのだ。
世界は当然のように、境界へと転がり落ちる──。
ペットは大量に消費されるもの。
このような文化がわが国に移入されたのは、ごく新しい。
日本は仏教国であり、みだりな殺生は厳に戒められていた国柄だ。
定期的にやってくるペットブーム。
もちろん殺すために飼う人はいないが、飼えなくなれば捨てる人もいるのは道理。
すべからく増える、殺処分。
引き取り手がない犬や猫が対象をして、保健所により、年間10万匹が殺されている。特殊な装置に入れられ、二酸化炭素が送り込まれ、数分で死に至るという。
殺処分がなくなることを目指して、改正動物愛護法が施行された。
これにより表向き、殺処分の数自体は減っている。が、その影に隠された数多くのペットの死に、多くの人は気づいていない。
法律により、自治体が殺処分を拒否できることで、有料で引き取ってくれる業者の需要が増した。
引き取り業者。ペットは売るだけでなく、引き取ることでも金になる。
当然、このペットショップも、両輪で稼げる儲け話に食いついた。
もちろん悪質な業者はごく一部であるが、そのような連中が引き取った「不要なペット」を、どう取り扱うか。
想像するまでもない。
ペットはモノというよりもカネ。このワンちゃんは栄一3枚。
そうして大量に引き取った動物が、近所の河原に遺棄されたことから、事件が発覚した。
「恨む気持ちもわかるけど、俺たちのせいじゃないから……」
ぼやきながら、悪魔を召喚し、戦陣を整えるチューヤ。
ハッとして、斜め後方を顧みた。
そこには石野が、いつものまじめな表情で、じっとチューヤを、そして取り囲むように出現した、悪霊となった動物霊たちを見つめている。
その横を駆け抜けるホルス。
魔神ホルスのスピードは、このレベル域では桁外れだ。
相手が攻撃態勢を整える以前に、かなりの数の悪霊を蹴散らし、薙ぎ払う。
往復して切り返してくるホルスに、悪霊が一矢を報いる。
わずかなダメージを負いつつも、じゅうぶんな戦果で引き返してくるホルスを迎えた石野が、回復魔法でそのダメージを癒している。
なるほど、とチューヤは理解した。
彼らも、どうやら魔界と接近しつつある世界線の現状に、それなりに適応しはじめているらしい。
ホルス自体、本体である「チュー太郎」というハヤブサに憑依している体裁なので、ハヤブサが死ねば存在を維持できない。
いろいろ苦労が多そうな主従だ、と思った。
「だいじょうぶ、下がって。──アレス、ネコマタ、攻撃頼む。エイル、ハーピー、バックアップ!」
悪魔たちを召喚し、前線に立つチューヤ。
その戦いを、石野が後方から敬意をもって見つめている。
「すごい、ほんとに4体同時召喚なんてできるんだ」
鍋部の友人たちにとっては当然のスペックなので、だれも驚きもしないところに、素直に感心してくれる石野の視線が心地よい。
それにしても、手ごわい敵だ。
強力な攻撃を受けて、前線の一角が崩れかけている。
「まずい、回復……」
ナカマに指示しようとしたとき、
「はい、任せてください!」
石野の声とともに、回復魔法属性らしい彼女の力でチューヤのナカマが回復する。
単純な共同戦線。
鍋部の仲間たちと戦っていてもよくあることなのだが、このときチューヤは猛烈な感動をおぼえていた。
彼にとっては鉄板の回復役である、サアヤという女。
あたりまえのように傍らにいて、かすり傷ひとつでも許さぬ勢いで回復してくれる。
事実、言わなくても回復してくれる彼女は、パーティの回復要員としてあまりにも優秀だ……が。
いま、石野は「チューヤの指示で回復」してくれた。
これは、彼にとって非常に新鮮な体験だった。
なにしろ彼が付き合っている人間の仲間たちは、チューヤの言動などとはまったく無関係に、自由に動く。
たまに言うことを聞いてくれることもあるが、「はい!」といい返事で呼応してくれる仲間というものには、ついぞ出会ったことがない。
チューヤは悪魔使いなんだから、悪魔だけ使ってればいいんだよ!
チューヤごときが人間を使おうなんて、おこがましいとは思わんかね?
仲間たちの罵詈雑言が脳裏をよぎる。
しかし世間は広い。
この世の中には、チューヤの指示に素直に従ってくれる人間も、いるのだ。
すばらしい体験を味わいつつ、ペットショップ・ミッションは進む。




