24 : Day -60 : Eifukuchō
「それってさ、超レア悪魔なんじゃね?」
ワクテカが止まらない顔で、チューヤがとくに盛り上がっている。
そんな一同に取り巻かれ、ケートはやや居心地が悪げだ。
「なにがよ」
「ハルキゲニアなんて悪魔、見たことないよ!」
「古生物だからな。悪魔じゃないんだろ」
そもそも「悪魔」という言葉からしてどうなの、とケートは思っている。
「だってそこにいるじゃん! 海外勢かな?」
「たしかにしょっちゅう海外には行くが、最近は日本から出てないぞ」
チューヤはうろうろとその場を歩きまわりながら、
「葛西に用事が多いってことはさ、羽田を通過するじゃん?」
「まあ川の手線を使えば、そうなるな」
「羽田さ、たまに外国のレア悪魔が出現することで有名なんだよね、目当てのマニアが常駐してたり……」
「悪魔はだいたい外国だろうが。なにが言いたい?」
「古生物悪魔勢、どこよ!?」
蒐集癖が暴走する。
これは悪魔使いにとっていい傾向だ。
「知らんがな。こいつに出会った場所なら」
「それよ、どこよ!?」
「いや南千住に用があったときに……」
「南千住はスサノオでしょ!」
ケートは辟易しつつ、
「だから知らんて」
「ええと、南千住……常磐線、日比谷線、つくばエクスプレス……近くに都電荒川線もあるけど……」
スマホ上にオフラインマップを呼び出しつつ、ぶつぶつつぶやきながら考える。
「都電なんか乗らん。あそこ、なんか空恐ろしい雰囲気ないか?」
ケートが本能的に覚えた恐怖感は、故なきことではない。
ハエの魔王、すなわちベルゼブブが支配するのは、なぜか都電荒川線のターミナル、三ノ輪橋と設定されている。
都電にどんな魅力があるのかは謎だが、三ノ輪橋と言えばベルゼブブ、ベルゼブブと言えば都電荒川線、と『デビル豪』マニアのあいだではよく知られている。
地元住民にとっては「蠅の王」かよ、とあまり評判は芳しくない。
背景としては、つぎのような理由が想定されている。
三ノ輪橋周辺から南千住にかけては、仕置き場──かの有名な小塚原が、二百年にわたり存在した。
その間、20万ともいわれる刑死者を飲み込み、周辺寺社の火葬場機能も盛り込んで、19世紀初頭には、江戸の北の一大火葬埋葬センターとなっていた。
沿線の拡張工事のたび、掘り返すたびに骨が出る、と言われるこのエリア。
「たしかに、そう考えると、山のような死体に群がるハエの大群と、魔王ベルゼブブこそがふさわしいのかもしれない……」
魔王クラスの攻略は非常に困難なので、このエリアはたいてい後まわしにされる。荒川線の駅はベルゼブブの配下で多くが占められ、その難易度はかなり高い。
都電は「終盤の難所」と言われつつ、楽しまれてもいる路線だった。
チューヤの悪魔趣味は、役に立たないこともないようだが、この会話に意味があるかは微妙だ、とケートは考えはじめている。
「で、いつまでゲームの話をするんだ?」
「まちがいないんだよ、そのハルキゲニアは、つぎのアップデートで追加される新悪魔なんだ。告知もされてる。けど23区内の駅は、もう全部埋まってるはずなんだ」
「駅? なら、南千住の近くに、もうひとつあるだろう。所用で行ったはいいが、ちょうどフェスティバルの準備がどうとか……」
ぴん、とチューヤの脳内に閃きが走る。
画面を疾駆する指。オフラインなのでネット検索はできないが、地図アプリにダウンロードされている関連ワードから、情報が脳内に交差し、電球がピカッと光る。
このへんの直感力を「デビル脳」という。
なるほど、そういうことか。
隅田川駅貨物フェスティバルの告知を発見するに及び、答えは出た。
「貨物ターミナル……だからか……一般の旅客は普通行かない……」
「おいチューヤ」
「そういうことなんだ! 新系統悪魔は、貨物専用駅に関連付けられている!」
「いや、そのときはインドから届いた貨物の話をだな」
チューヤはケートの首を締め上げ、
「行ったんでしょ、隅田川駅!」
「あ、ああ。だから輸入した……」
「隅田川駅は旅客の発着がなくて、ふつーの人は行かないんだよ。そういうことか、アップデートで言ってた新しい隠し要素、これのことか……」
隅田川駅をはじめ、東京貨物ターミナル駅、新小岩信号場駅、田端信号場駅、越中島貨物駅など、普通の鉄ちゃんですらあまり知らないマイナーな貨物駅は、都内にもいくつかある。
日本貨物鉄道は多数の駅を保有するが、その大半は旅客鉄道と共有しており、多くは定期貨物列車の設定すらない。
そんななか、貨物専用で運用される数少ない駅に、超レア古生物悪魔が住むのではあるまいか。
「おもしろい。じつにおもしろい!」
「元気になれてよかったな」
「これが新悪魔……ハルキゲニア……」
陶然とした表情で、チューヤはケートのガーディアンを見つめた。
ハルキゲニアは、約5億2500万~約5億500万年まえ、古生代カンブリア紀前期中盤に存在していた、海中生物である。
まじまじと観察すべく、チューヤが顔を近づけた瞬間、ずいっ、と動いてトゲの隙間から声が聞こえた。
「ねじを巻け、騎士団の長よ。きみの世界は84だとしても、カフカは羊飼いとともに、終わりの世界をめぐるだろう」
悠然とその頭をもたげ、明確な言葉を紡ぎ出し、一同の注目を集めるハルキゲニア。
「……こいつ、しゃべるぞ」
飛び退くチューヤをはじめ、いちいち驚く一同に、ハルキゲニアとケートは泰然として動じない。
ハルキゲニアという名の「悪魔」に昇格することで、いかなる能力に達したか、ケートは知っている。
「そりゃしゃべるだろ。なかなかおもしろいやつだぞ、なあハルキゲニア」
「それは趣味の問題だ。ぼくはきみから嫌われるかもしれないし、そうでないかもしれない。だけどそれは、ぼくには関係がない」
特有のハルキゲニア節が展開されていた。
さほど悪魔に興味のないサアヤをもってしても、こうなってくるとおもしろい。
「なんか、おもしろいね、これ。こんちは、ハルキン?」
「ぼくがしゃべるのは自由だが、きみがそうする自由について、ぼくの力は及ばないだろう。たとえそれが、ぼくの名前ではなかったとしても」
それはゆっくりと歩き、見上げてくる。
進化の象徴としての登場。トゲの生えたミミズのようなもの。
ケートは頭のうえに載せたハルキゲニアに向け、
「変な趣味のやつがいるようだからな、拉致されないように気をつけろ」
「与えることと得ること、奪われるものと失うもの。完璧な絶望が存在しないように、完璧な孤独もない。さあ、スパゲッティを茹でてくれたまえ」
「あいよ、家に無事、帰れたらな」
チューヤは、噛み合っているケートとハルキゲニアを、半ば感心して眺めながら、
「なんか、めっちゃ文系な感じだな、こいつ」
「そうか? 意外に理系トークで盛り上がれるぞ。なにしろ5億年まえのこととか知ってるからな。もっとも地球には45億年の歴史があるし、ハルキゲニアさえ、たった5億年くらいまえのことしか知らない、とも言えるわけだが」
理系のケートに、文系を混ぜたハルキゲニアは答える。
「45億年とは心外だ。それはただ確認できる最古のつちくれから、単純に計算しているに過ぎない。だがつぎの知らせは、ワインの傾きにつれて聞くとしよう」
古生代カンブリア紀。
澄江生物群、および、バージェス動物群に属する動物。
「けっこう小さいんだな」
チューヤの素朴な感想を、ケートが言下に否定する。
「バカはこれだから困る。ハルキゲニアは本来、もっと小さい(全長5~30ミリメートル)んだ。5億年かけて成長したんだよ、ここまで」
言いつつ、耳につけた巨大なピアスをピンと弾く。
3センチ程度のそれは、たしかに化石を意匠したピアスであり、おそらくは本物の化石なのだろうと思われた。
「そ、そうなのか」
「キミの大好きな悪魔ってのは、要するに概念の存在だろ? 微生物由来の〝病魔〟だって、場合によっては目に見えた形をとる。ペストという名の死神はよく知られているな」
学問的な問題になってくると、途端に口数の減るチューヤではあるが、新規探索傾向は他の「男の子」たちにも引けは取らない。
とにかくケートのスキル「ニードルストライク」と「麻痺針撃」はハルキゲニアから受け継いだもののようだ。成長すると「刹那五月雨爆撃」を習得するらしい。
それ以外にも、ケートはクリスの関係から使える魔法をいくつか会得してもいる。
ケートの能力はじっさい、リョージに勝るとも劣らないレベルにある。その能力の一端を支えるのが、この超レア悪魔、ハルキゲニアということだった。
「奥が深い! 東京、鉄道、悪魔!」
「おいチューヤ、ゲームの話はもういい」
ケートがそろそろ怒り出すな、と察したチューヤはすぐにその場で正座をする。
「はい。……で、なんの用で行ったの? 隅田川駅」
「世界を破壊する兵器、ブラフマーストラを輸入してきた」
「……おい」
「ジョークがわからないとアメリカには行けないぞ」
「タチわるい冗談だと思うけどね、この状況だと!」
意趣返しを果たしたケートは、ふんと鼻先で笑いながら、
「きみは、この状況で延々ゲームの話をしてたじゃないか」
「ごめんよ!」
「とにかく、この国にはボクの知るかぎりでも、4つ以上の勢力がしのぎを削っている状態なんだ」
一同、改めて周囲を見わたす。
東京を支配するいくつかの勢力のうちのひとつが、この地下空間を支配しているのだという。
「それじゃ、ここは……」
「すくなくともインド系の新世界秩序勢力は、関係ないはずだが」
「自由主義の混沌勢力も関係ない、とサレオスは言っているぞ」
リョージのガーディアンも交えて、現状認識が更新されていく。
せいぜい、カオス、コスモス、ニュートラルくらいで済んでくれると、ゲーム的にはシンプルでいいのだが、とチューヤは思う。
その3分割すら、ゆとり仕様で「ごり押し正解ニュートラル」に統一されつつある昨今、それ以上のシナリオ分岐を求めてくるライターは、ふつうに首を切られるんじゃないかな、と無用の心配をしてみる。
「あとは、だれがいるんだよ」
「国際犯罪組織のダーク系。たしかあの蛇女の関係者が、川東連合とつながっていただろう」
「うげ、それって」
顔面をヒクつかせるチューヤ。
鼻先で笑うケート。
「さすが組織犯罪課の刑事の息子、川東連合の恐ろしさは知っているようだな。あとは神学機構だ。ある意味、こっちのほうが厄介な相手だよ。ガブっちと、いずれは敵対するかもしれないと思うと気が滅入る」
ケートの認識する世界は、どうやら四つ巴で均衡しているようだった。
ほへえ、と気の抜けたような吐息を漏らすチューヤ。
「複雑なんだな、世界って」
「むしろ、どれだけ単純化して見ていたんだ、キミは」
「アメリカがいい人で、中国がわるい人とか、もう通用しなくなってるからな」
中華料理店に勤務するリョージとしては、主に台湾系ではあるが、漢字文化圏に親しい人物が多い。
現実問題、海外はもとより国内ですらチャイナとのJVが増えている、とゼネコンの末端に位置する父親も言っていた。
アメリカ生まれのケートは、いつもの反骨精神を発揮して、
「そもそも日本人を何百万人もぶっ殺してくれたのは、アメリカ人だしな」
「ヘイトをまき散らさない! もう、どんどん闇に染まってるよ、みんな気を付けて!」
サアヤが急いで火消しに走る。
この会話が無意味なものとは思わないが、なんらかの邪悪な影響を受けていないとは言い切れない。
男子三人、しばらく顔を見合わせ、意識的に呼吸を整えてから、
「いや、すまん。……この地下空間を見るかぎり、どの勢力にも属さないアウトローっぽいな。アウトロー自体を糾合しているのはダーク勢力だが、あいつらに秩序ある支配なんて期待しようもない」
「つまり井の頭線のゾンビラインは、いわゆる野良勢力ってことか」
現在、善福寺緑地公園の地下を移動しながら、南を走る井の頭線に沿って、最寄り駅を浜田山から西永福、永福町へと向かっているところだ。
「ゲームにそういうストーリーはないのか」
「だから言ったと思うけど、このゲームにストーリーはないの。設定だけ放り込んで、あとは自由に遊んでください、っていうゲームなの」
「ゲームの話はもういいと言っただろうが」
「あんたが訊いたんでしょ!」
相方を組み替えて盛り上がるチューヤたちを制し、リョージが立ち上がって外に目を走らせる。
「おい、ドツキ漫才している暇はないぞ。そろそろ朝だ。動くなら、いましかない」
「ようやくか。それじゃひとつ、実力を示してこようかね、ハルキゲニアくん」
「きみがそうすると決めたことを、きみがやる。ぼくはそれを見守り、時に手を貸すかもしれないが……」
再び呼び覚まされる、悪魔の力。
4人の人間と、そのガーディアンたち、そして召喚される4体の悪魔。
すべての戦力を駆使し、若者たちは勝利へ向けて駆け出す。
戦いは再びはじまり、そして日の出とともに幕を閉じる──。




