53 : Day -39 : Omokagebashi
ヒナノが護国寺でガブリエルと面会をしていたころ。
極東カテドラルの横を走る目白通りを、わずかに進んだ先。
目白台の片隅にひっそりとたたずむ雑居ビルの地下駐車場に、ケートとサアヤがいた。
先に助手席から降りるのは、サアヤ。
「バイトの時間までに終わらせてね、ケーたん」
運転席から降りたケートは、そのままラゲッジからシックな装いの女性服を取り出し、
「わかってる。……これに着替えろ、サアヤ」
両手でその服を吊るし持ったサアヤは、
「なーにこれ、ババくさい」
「むしろ、そのためだ。制服で行くわけにいかないだろ」
「あー、まーねー。りょーかーい」
服を手に、駐車場奥のトイレに向かうサアヤ。
──夫婦であることを証明する義務はないが、それらしくふるまう必要はある。
ほどなく着替えてきたサアヤに、ケートは、マーヤ・ママからもらってきたアイシャドーを手わたす。
「なーにこれ、こんな青いの! ほとんど黒じゃん!」
「それがオトナってもんらしいぞ」
「オトナというより、エジプトのファラオじゃない!?」
もともと眼病の予防や魔除け的な意味合いが強く、きわめて歴史の古い化粧法である。
「いいから塗れ。オトナの女になったサアヤを見せてくれ」
「ほんとに必要なのォ?」
「小学生だと思われたら困るだろ」
「失礼な話だね!」
「まったくだ!」
ロリータ系の小柄なふたりが、並んで憤慨している。
勝手に決めつけて勝手に怒っているようだが、必ずしもゆえなき懸念というわけではない。
──事実、前回の訪問では、だいぶ胡散臭い目で見られた。
どう見ても高校生以下、中学生かもしれないふたりを迎え、「子どもができない夫婦」を主要顧客としている組織の受付としては、対応に戸惑う部分もあったろう。
しかしケートが偽造したライセンスカードには、ちゃんと二十歳という年齢が刻まれていた。
「二十歳に見えないと困るんだよ」
「サアヤまだ、十六なのに~♪」
昭和の歌を歌いながら、女子としてとりあえず心得ている化粧法により、古代エジプトのファラオに生まれ変わるサアヤ。
それを見たケートは、
「……じつに、すばら、しい。クレオパトラ、かと……思ったよ」
「おい! ものすごく笑ってるだろ! 自分で太ももつねるのやめたら!?」
騒がしいふたりが、地下駐車場からエレベーターに向かう。
彼らはこの先、シキュウ同盟「ウォンバリー」の顧客として、面談を受けることになっている──。
落ち着いた調度の一室。
柔らかいソファーに、並んで腰を下ろすケートとサアヤ。
静かに流れるクラシックの名曲は、この手の雰囲気に恐ろしくなじんでいる。
「で、ケーたんは、なにを調べたいの?」
サアヤの問いに、
「あんまり大きな声じゃ言えないがな」
ソファのひじ掛けに頭を載せるように低くして、サアヤの耳元にささやく。
一見、愛し合っているふたりが睦言を交わしているように見えないこともないが、その内容はきわめて剣呑だ。
「耳の穴かっぽじるよ。ふむふむ」
「……シキュウ同盟は、いろんなものを供給してるだろ? 精子や卵子から、コラーゲン、プラセンタ、各種栄養剤まで。そのほとんどが、人体を材料としているんだよ」
「怖いねえ。けど、胎盤とかは医療用に使えるっていう話だよ?」
「まあ、その倫理的な是非を議論するつもりはない。議論したところで答えも出ないしな。問題は、われわれのような顧客が存在する一方で、われわれが必要とする原材料を供給している側の人間も、また存在するということだ」
需要と供給の理屈。
当然、そういうことになる。
「あーね、てことは……」
なんとなく察するサアヤ。
じつは、ケートのことを、部員のなかでいちばんよく知っているのが、サアヤかもしれない。
彼は重要な局面で、好んでサアヤを連れ歩く。
必然的に彼女にも、ケートの事情が耳にはいってこざるを得ない。
たとえば先々週、チューヤたちと東京拘置所へ行ったとき。
ケートは、とある邪悪きわまる犯罪者に面会をした。
彼は年端のいかない少女たちを監禁し、ビデオに撮り、乱暴し、組織売春のあっせんはもとより、あまつさえ、その死体まで売買していたという……。
「そのパーツがな、ここにも流れた可能性がある」
ぶるっ、と唇を震わすケート。
自分の言葉そのものが呪わしい、と言いたげだ。
事実、あまりにも呪わしい行為であることに疑いの余地はない。
「だけど、死んでるんでしょ、その子」
「パーツが生きてるとしたら、追いかけたい気はするよ。……心配すんな。そんなホラーな目的で動いてるわけじゃない。卵なり胚なり、生殖補助医療を必要としている人は、たしかに存在するわけだからな」
念頭にはもちろん、成田先生。
「それじゃケーたんは」
「問題は、売り先じゃなく、売り元だ。供給サイドの情報も当然、ウォンバリーの側で調査するはずだ」
「けど、その悪魔みたいな人は、とっくに逮捕されてるんでしょ?」
ケートとサアヤは、その姿を小菅の拘置所で見ている。
あの後どうなったか、ケートは語った。
「逃げ出したよ、あの吸血鬼は。侵食のどさくさで死んでる可能性もあるが、まだどこかで生きている可能性も捨てきれない。だとしたら、始末つけなきゃな。居所を見つけるには、できるだけ多くの情報が必要だ」
「ケーたん得意のハッキングってやつで、なんとかならないの?」
「これからそれをやるんだよ。かなりセキュリティが厳しくてな。サーバまではたどり着くが、その先が半ばスタンドアロンなんだ。潜入してデータを引っこ抜いてくるしかない」
ケートの服の各ポケットには、スパイ映画さながらの秘密道具が無数に仕込まれていた。
敵にまわすと恐ろしいが、味方にすると頼りになる少年だ。
「……それさ、チューヤとかリョーちんとか連れてきたほうが、よくない?」
「必要ならそうする。きょうのところは偵察だ。……かわいいぜ、ハニー」
サアヤを抱き寄せ、キスのマネをする。
ちょうどドアが開いて、コンサルタントの女性が姿を現した。
面談の予約時間が終わる1時間以内が、勝負だ。
窓際に立ち、南のほうを眺める。
この先に神田川が流れ、面影橋がかかっているはずだが、暗くゆがんだ空間の先に視界を得ることができない。
♪君には君を愛する人がいつもそばにいるのに
僕の口づけを受けたわけがわからない
見つめ合うケートとサアヤ。
ある意味、お似合いのふたりではある。
「帰したくなくなった?」
問うサアヤ。
「まあな。だけど」
半分うなずくケート。
「だけど帰すんでしょ。ケーたんはやさしいね」
ほほえむ。
「チューヤが悲しむことは、したくないからな」
ほほえみ返す。
ケートの笑顔は、それ自体かわいらしく、おそろしいほど人を惹きつける。
サアヤは内心のざわめきを努めて押し隠す。
あらゆる恋愛事情について、たとえまったく無関係の芸能人や架空のキャラであろうとも、猛烈な食いつきを示す女子らしい「理解」が底辺にある。
部員たちの恋愛性向についても、それなりに把握しているつもりだ。
「そのへん複雑だね、ええと、バイバイキン?」
「バイセクシャルだ。バイしか合ってねえぞ」
「男も女も好きって、考えてみれば平和だよね」
「争いばかりの世界だよ」
男も女も愛せる「バイセクシャル」にとって、
「……そうか。ライバルも二倍だ」
「だけど、好きなやつには幸せになってほしい、って考えも二倍だ」
「好きじゃない人間に対する冷酷さも二倍だよね」
「それは三倍だ」
にやり、と笑うケート。
彼ほど敵味方を冷酷に峻別するタイプもいない。
それが彼の「秩序」であり、美しい世界のあるべき姿に向け、最短距離を疾走する覚悟と能力に満ちている。
「極端少年!」
瞬間、BGMが戦闘曲に切り替わる。
ゆっくりとふりかえるケート。
許容されたエリアを超えて踏み込み、サーバへ侵入を果たした。
重要かもしれない情報をダウンロードしていたところ、空間が境界化した。
どうやらバレたらしい。
「……おいでなすったな、悪魔どもが」
ケートはナノマシンを起動する。
極端に高い「知恵」は魔力回路を還元して、高い魔法防御を示す。
ある種の特殊攻撃力の威力を担保し、スマート・ウォーを支配する。
「いけ、ケーチュウ、100ボルトだ!」
「家電製品か。……まあいい、スタンしてろ!」
炸裂する電撃魔法が、襲いくる悪魔の動きを止める。
「よっ、電撃少年!」
この世のあらゆる科学のなかでも「電気」はいちばんシンプルで、強大かつ広範な応用範囲を持っている。
四つの力(相互作用)のひとつであり、この世の現象のほとんどすべては「電磁気力」に支配されている、といっても過言ではない。
「地も水も火も、電磁気力の表現方法の差にすぎない。キミの魔法もな」
それを「理解」するケートは、相手の攻撃に対する還元回路を構築することで、その威力をコントローラブルにする。
「地」が物理量で勝負してきたときは「弱い力」も関係してくるので、その点、リョージにだけは一定の敬意を払っているが、それもケートの世界の内側に押し込んで理解できないわけではない。「弱い力」は、グラショウ・ワインバーグ・サラム模型によって、「電磁気力」と統一的に記述できるようになったからだ。
弱い力が唯一、対称性を破る相互作用である点を考えれば、むしろリョージこそがケートにとって重要な可能性すらある──。
「スマート! ケーたん!」
考え事をしながらでも、悠々と勝利するケート。
若干のダメージはあったものの、サアヤの魔法で容易に回復する。
敵の防衛力が貧弱だったわけではない。
レベル21の邪鬼ヤクシニー程度の中ボスでは、日本を代表する御霊をガーディアンとするケートの敵ではない、ということだ。
境界を脱して、即座に敵陣から離脱する。
必要な情報は得た。
あとは解析し、目的を果たすだけだ。
「きょうは助かった。送るよ」
約束どおり、バイト先へと向かうケート。
その運転席の横顔を見つめ、何事かを思うサアヤ。
彼が一瞬見せる複雑な表情の影には、重要な秘密が隠されている気がしてならない。




