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「で、なにやってんだチューヤ」
ケートの問いに、
「井戸の底から縦に出るのはむずかしいみたいだが、横への広がりはあるらしいから」
壁をたたきながら答えるチューヤ。
こつこつと、閉塞したようにしか見えない壁を調べていく。
調べれば調べるほど、いやな気分になってくる。
井戸に落とされた半屍体が、永久に出ることかなわず、ひたすら横に掘りつづけたとしたら……どうなるだろう。
そう思わせる無数の爪痕と、血と肉の滓が痕跡が残された、古井戸の底の壁。
「ホラー映画の見過ぎだよぅ」
泣き声を漏らすサアヤを、
「井戸から出るのに横に掘り進むバカだぞ、あんなやつ見捨てろ」
寄り添って抱きしめるマフユ。
「たしかに常識では、縦に出る方法を考えたいところだけどね」
あえて横に向かうのが正解。
それを教えてくれたあちら側の自分のことは、面倒なので黙っておいた。
「だから縦とか横とかなんなのよ。垂直移動すればいいってこと?」
サアヤの問いに、
「物理的に考えればそうだが、ここは境界だからな。たぶん次元とか位相とか、そういう話になってくるんじゃないか」
ちらり、と横を見るチューヤ。
自然、一同の目線はケートに集まる。
彼はやれやれと首を振り、あきらメロンの口調で答える。
「数学が万能だと思うな。たしかに紙とペンさえあればできる学問だが、どれだけ栄光ある理論を生み出しても、発表できなきゃ事実上は無意味だ。そういう〝牢獄〟に可能性をつぶされた天才が、歴史上どれだけいると思う? ──おい蛇、おまえの友達は、ボクらを助けてくれようって気はなさそうか?」
「……泣き声が聞こえんだろ。女がめそめそしはじめたら、簡単に話が通じる状態じゃないってこった」
凍結した世界で、キキーモラは泣いていた。
ここで永久にひとり。
いやだ。
でも、ふたりなら。
つぎの瞬間、チューヤの振り下ろした剣の柄がも微妙な反響をもたらした。
このむこう、空洞になっている。
泣き声は反響して、どちらから聞こえてくるのかはわからない。
だが、あきらかに「横」にいる。
マフユは激しく壁を蹴りながら呼びかける。
「おい、キキ! もういいかげんにしろ。その死体ならくれてやる、煮るなり焼くなり好きに食え。だが、あたしたちはここから出せ!」
井戸の底。
おそらく、そこに落とされた女が、横に掘り広げた空間。
現状、つくりなおされた壁が隔てているが、この奥がもともとの「底」だった可能性が高そうだ。
そこに閉じこもっているのが、キキーモラなのだろう。
いまや、その場所を目指し、1時間近く穴を掘りつづけているチューヤ。
マフユも間断なく呼びかけてはいるが、壁のむこうからの答えはない。
「ちっ、腹減ってきたな」
大声を出すと、空きっ腹に響く。
「呑気なやつだ。永遠に食えなくなるかどうかの瀬戸際だってのに」
ぶつぶつ言うケート。
「とにかくさ、横に出ようよ、横に」
サアヤの言葉に具体策があるわけでは、もちろんない。
横に出る、というアイデアはチューヤが出した。
だれでも思いつく、壁に穴を開けるという方法を、それぞれが試してもみた。
そして、ほどなくあきらめた。堅すぎるのだ。
しかしチューヤだけは、信じるものに向かって一生懸命、掘り進んでいる。
組み合わされた石材は脆くはなかったが、なんとか剣の柄をぶつけて掘り崩していくごとに、この先に空間が広がっている確信が深まる。
「……寒い」
自分の身体を抱いてつぶやくサアヤ。
「寝るな、サアヤ、寝たら死ぬぞ!」
お約束っぽく声を張るケート。
「もう死んでるようなもんだけどな」
投げやりなマフユ。
深刻ぶってはいるが、一同にそれほどの危機感はなかった。
もっと深刻なサバイバルを、先週、生き抜いてきたばかりだ。
現状、どうにかなりそうな気がするのは、チューヤが黙々と掘り進んでいるという事実。
彼の確信的行動は、たしかに一定の安心感を与えてくれる。
「ちぇ。おい、腹減ったと言ってるだろ」
マフユの言葉に、
「冷蔵庫に肉がなければ、買いに出ればいいじゃ……ない!」
ひさしぶりにチューヤが発した言葉に合わせて、思い切ってぶつけた剣の柄が、空間を切り開いた。
壁に穴が開き、あちら側に広がる世界へと空気が流れだす。
一穴さえ開けば、あとはぼろぼろと崩れ出した。
つぎの瞬間。
ガッ!
開いた穴の向こうから伸びてきた、青白い手。
「ひゃっ!」
素っ頓狂な声をあげて飛びのくチューヤ。
臨戦態勢を整えるケートたち。
集まる視線の先、その腕は、崩れかけの壁を自分の身体がはいる分だけ壊しながら、ずるずると這いずってくる。
「ごめんなさい、あなたの家を壊したのはこいつです!」
チューヤを差し出すサアヤとケート。
「ちょ! みんなそれでも友達!?」
叫びつつ、目前の敵に向かい合う。
「おまえ……キキか?」
井戸の向こうから這ってきた女に、もちろんマフユは見おぼえがある。
視線の先、現れた悪魔はキキーモラと呼ばれる悪魔だが、それに凍結死体のような色をした少女の影が重なっている。
死体を憑代に、悪魔が活動していると考えるべきだろう。
先刻の宇多田のケースと同じだ。
「ああ……あ、さむい、さむいぃ……!」
チューヤは、悪魔相関プログラムから会話を試みる。
TALK
──話にならない!
コマンド?
「どうやら戦うしかなさそうなステータスなんですが」
チューヤの指摘に、
「……ちっ、あたしの知り合いだからな、覚悟して倒せよ」
舌打ちするマフユ。
「味方を脅すなよ!」
ともかく、開戦の幕は切って落とされた。
戦闘が開始される。
敵は会話にならない精神状態だが、すべての意識を戦闘に向けているという意味で、手ごわい。
名/種族/レベル(現在)/時代/地域/系統/支配駅
キキーモラ/夜魔/29(?)/中世/ロシア/民間信仰/小竹向原
しかも、初期レベル29とは思えない強さだ。
あきらかにブーストアップされている。
「くっそ、強いな、なんだこいつ!」
チューヤは敵に合わせ、ナカマの陣容を組み替える。
悪魔使い単独であれば、敵とのレベル差は5くらいまでが許容限度だ。
そこに力強い仲間補正を受けることにより、レベル10以上の差も乗り越えられる経験を積んできた。
が、マフユとケートの活躍をもってしても、かなり厳しい現状。
おそらくキキーモラは、なんらかのブーストアップを受けている。
マフユは狂気の笑いを貼り付けて言った。
「それでこそあたしの知り合いだ、強くないやつに発言権なんかねえ、欲しい男を、欲しい女を、手に入れるために必要なのは、暴力! これしかねえ!」
「そういうこと言っちゃいけません!」
後方からサアヤ。
戦闘は熾烈を極めたが、なにしろチューヤたちは歴戦のパーティだ。
ハロウィンの夜を潜り抜け、幾多の戦闘を切り抜けてきた悪魔使い(憑き)高校生4人を相手に、いかにレベルアップしているとはいえ、キキーモラごとき中ボスの手には余った。
そもそもほとんど攻撃しないサアヤはともかく、だれも手を汚そうとしていない気配を感じ取ったチューヤが、しかたなくトドメの一撃を放った。
くずおれるキキーモラ、霧散する悪魔の霊魂。
残される、ひとつの死体。
「てめえ、あたしの友達になんてことしやがる」
これが言いたかったらしいマフユ。
「あんたもさっきまで攻撃してたでしょ!」
一応突っ込むチューヤ。
「トドメ刺したのはおまえだろ」
マフユは言いながら、キキに歩み寄る。
「こうなると思って控えてたんですけどね!」
チューヤも同様、死体に向き合った。
手遅れとわかっていても、サアヤが駆け寄って、状態を確認する。
青白い肉体はチューヤたちの攻撃で破壊され、あきらかに「死体にムチ打ってさらに壊された死体」でしかない。
さっきまで動いていたのは、そこに取り憑いた悪魔の力だが、それも完全に打倒された。
こうなると、さすがのサアヤも回復魔法をかける気にもならないが……。
突然、その死体の口が、ぐにゃり、と開いた。
「ひっ」
あまりの不気味さに、思わず飛びのく。
一同の集まる視線の先、死体が崩れていく。
その開かれた口から、一枚のぺらぺらしたプラスチックのようなものが吐き出された。
「……なんだ、これ」
手を出すチューヤを、
「バッチイよ、チューヤ」
いさめるサアヤ。
「待て、どこかで見たことあるぞ、それ」
ケートが身を乗り出す。
「ちっ、そういうことかよ」
舌打ちするマフユ。
4人の態度が錯綜している。
吐き出されてきた薄っぺらいプラスチックから、吐瀉物のような汚れを払うと、130ミリ四方のディスクらしいことが判明した。
「ほう……めずらしいものを吐くじゃないか」
訳知り顔のケートが、指先で薄汚れたそれをつまみ上げる。
その視線は、そっぽを向いて素知らぬ顔をしているマフユを睨んでいた。
「なんなんだよ、それ」
「フロッピーディスクだ。知らんのか」
「知るか!」
「えー? うち、昭和チックなアナクロアイテムがたまにあったりするけどさ、フロッピーディスクってもっと小さくない?」
「たぶんサアヤが見たのは、3.5インチだろう」
パソコンの草創期を支えた記録媒体、フロッピーディスク。
8インチ、5インチ、3.5インチと小型化が進んで、世界的に普及したのは3.5インチである。
現在、目のまえにあるのは5インチのフロッピーらしい。
これらの古いフォーマットは、一部、現在進行形で使用されている。
世界的に普及したカセットテープや3.5インチのフロッピーにいたっては、新品を買おうと思えば簡単に買える。
レコードのリバイバルも盛んだ。
しかしもちろん、5インチやレーザーディスクになると、最近の若い者は知らないだろう。
「よく知ってるな、ケート。最先端を行く人間だとばかり思っていたが」
「ま、そうだが、技術史に残る発明品については、それなりに知識はある。おまえが蒸気機関車の知識を持っているのと同じだよ、チューヤ」
「機械式っていいよね、うっとりする」
笑顔で相互理解を交わす男子、約2名。
「ちょっと男子ぃ」
「ああ、すまん。……そろそろ一部の女子にも、発言してもらう必要がありそうだな。おい、そこの腐れ蛇、冬眠から醒めて口を開けよ」
ふりかえる一同の視線が、こんどはマフユに集まった。
彼女は壁際にもたれて腕組みしながら、不敵に一同を見下ろしている。
諸悪の根源は、またしても──。




