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パンデモニカ / PanDemonicA  作者: フジキヒデキ
鍋る・ライク・トーキング
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37


「ちょうどいいから、キミたちにボクたちが極めた学問の成果を報告してやろう」


 ケートの頭上にハルキゲニアが浮かぶ。


「興味ねえよ、黙っとけ」


 マフユは一言に断じたが、


「いいえ、聞かせていただきましょうか。あなた方の秩序(コスモス)を」


 肯じるヒナノ。

 すでに物語は、再び転がりだしていることを、他のわずかな面々だけが自覚する。


 ──彼らは複数の「勢力」にわかれて、角逐をくりひろげる状況にある。

 互いの「立ち位置」を把握しておくことは重要だ。

 ケートは備えつけのホワイトボードを引っ張ってくると、ミミズののたくったような文字で記号を書き出していく。


「……ほんとにやんのぉ?」


 げんなりして嘆息するチューヤ。


「稀代の天才に授業してもらえることを感謝しろ。──諸君も知っていると思うが、この世は4つの力で動いている、と言われている」


「今週は話、進みませんよ~。興味ない人は、また来週~」


 手を振るサアヤ。


「だれに言っている。たいへんな進み方をするから、耳かっぽじって聞け」


 ホワイトボードをたたくケート。

 ──4つの力は、強い力、弱い力、電磁気力、そして重力である。

 それぞれ、ボソン、ウィークボソン、フォトン、そしてグラビトンというゲージ粒子によって媒介される。


「マフユ、寝んな。はじまったばかりだぞ」


「あー? いま以上に眠るべき時間が、ほかにあるか?」


 食後の惰眠をむさぼるマフユ。

 舌打ちするケート。べつに彼女を説得する気はないが。


「ちっ、おまえでも数くらいは数えられるだろ、蛇女。1、2、3、たくさん、という数しか持たない民族もいるが、おまえはどうだ? 100くらいまで数えられてくれると、助かるんだがな」


「バカにしてんのか、てめえ。50円玉と100円玉の区別がつかなくて、自販機の下をあされるか。いいか、穴が開いてるほうが50円玉だ」


「そ、そうか。日本の硬貨には穴があるのか……」


 日本は意外に硬貨や紙幣の使用率が高いが、これは偽札などのリスクが低いためと考えられる。

 カードや電子マネーでたいてい済ませる社会に暮らしていたケートにとって、硬貨を使用する生活に実感はない。


「宇宙の話じゃないの? 50とか100くらい数えられても、役に立たなくね?」


「そこだ。宇宙は巨大だが、素粒子は極小だ。そして両者の構造はよく似ている。ビッグバン理論に関係してくるが……。まず、世界を把握する単位系の問題を認識しろ。宇宙はでかい。それはもう、でかい」


「宇宙やばいね」


「137億光年といわれているが、こんなものを実感できる人間は少ない。生活のなかで使わないからな」


「あなたの家では使っているではないですか、億とか兆という単位を」


「オヤジがね。正直、ボクには興味がない。だが重要なスケールではある。この規模を把握するのに便利な単位が、10の累乗だ。このスケールは本当に重要だから、よくおぼえとけ。これを使って、100まで数えられれば、宇宙から素粒子まで理解するのにじゅうぶんだ。まずは10の0乗メートル、つまり1メートルからはじめる」


 ケートが両手を開く。

 彼なりに、わかりやすく説明しようとしているのだろう。


「ぜろじょー! って、そういう意味なんだね!」


「10の1乗、10メートルだ。2乗で100メートル。ここから校門まで、ってところか。このくらいは実感できるよな」


「宇宙の話じゃないの?」


「すぐわかるさ。10の3乗、1キロだ。4乗、10キロ。5乗、100キロ。6乗、1000キロ。日本列島が見えてきたな」


「なんか、そういう動画、見たことあるかも。地面に寝ている人間から、どんどん離れていくやつ」


 おもしろい動画の再生数は多い。

 多くの人はその再生数に惹かれて一瞥し、去っていく。

 一部の人は、その興味深さに気づいて、掘り下げていく。

 ケートはもちろん、一部のなかの一部に属する。


「7乗、1万キロ。地球が見えてくる。飛ばすぞ、8乗、9乗、100万キロ、月が見えた。よくおぼえとけ、チューヤ。おまえの大好きな月齢を決めるのが、この月の軌道だ」


「べつに好きじゃないですけど……」


「10乗、11乗、12乗。お嬢の好きな使徒の数、EUの星の数だけ累乗すると、太陽から木星の軌道まで見える。たしか、宇宙はこのくらいのサイズで、しかも地球を中心に太陽と星が回転してるんだったよな、カミサマの創造したクリエイティブな宇宙論ってやつによれば?」


「皮肉はけっこう。そういう不幸な時代があったというだけで、わたくしたちには関係ありません」


 鼻先で一周するヒナノ。

 ケートは憮然としつつ、


「ふん。……13、14、15、16乗。さて、ようやく宇宙らしくなってきたな。1光年だ。このサイズも大いに語りたいところだが」


「なんかその説明、テレビで見た気がする。たしか宇宙の白熱教室で」


「良い番組だ。3回は見ただろうな、もちろん」


「最初の15分の記憶しかない……」


「廊下に立ってろ、このバカチン!

 さて、アホのいびきが大きくなるまえにつづけよう。17、18、19乗。このあたりで宇宙の大規模構造が見えてくる。20、21乗。おなじみ、銀河系のサイズだ。

 さて、そろそろ終わりにしようか。22、23、24乗。局部銀河群から銀河団、その上が超銀河団だ。この世でいちばん大きな構造物で、それ以上のものは存在しない。いままでも、これからもな。

 25乗、26乗。100億光年だ。現在、これ以上遠くを見られない距離、それが137億光年といわれている。

 じっさいは、ただ見えないだけで、外側にはもっと広がっているはずだが。すくなくとも見える範囲は、10の27乗のスケールでみれば、すっぽりと収まってしまうわけだ」


 ぱん、とホワイトボードをたたくケート。

 一同感動の嵐であろう、というケートの思惑ほどには、残念ながらさしたる影響も及ぼしていない。


「長いお話をありがとう。それで?」


「起きて、フユっち。終わったみたいだよ」


 ケートはやや憮然としつつ、もう一度腕をまくり上げて話を継いだ。


「……まあ、あわてるな。つぎは素粒子だ。キミたちも原子核物理の授業で、やっているとは思うが」


「えー? そんなの1ミリも聞いたおぼえないよ」


「理系特進の授業内容は、他科とは大きく異なるようですね」


 その言葉を聞いたケートは、拍子抜けたように心から驚いた。


「は? こんな基礎の基礎も知らないで、よく息が吸えるな」


「貴様の息の根も止めてやろうか?」


「蛇も冬眠から覚めたところで、大事なのはここからだ。──目線を下げていく。量子論の世界だ」


 上には27まで数えた。

 つぎは下に向けて数えていく。


「よっ、ケート劇場!」


 皮肉でもなんでもなく拍手するリョージ。

 宇宙とか世界の構造、仕組みというやつは一応、男子のロマンではある。


「10のマイナス1乗メートル、10センチだ。マイナス2乗、1センチ。マイナス3乗、1ミリだな。チューヤの尻の穴くらいだ」


「そうそう、俺の尻は……って、なんなの!?」


「これから大きくなるんだよな、チューヤは」


「リョージまで……はいはい、小さい男ですが、なにか!?」


「開き直るなよ。一部の方々にはモテる尻だ。……マイナス4、5、6乗。単位はマイクロメートルだ。マイナス7乗でDNAが見えてくる。8、9乗。ナノメートル。最近の工学技術は、このあたりの世界を取り扱っているな。

 さて、ここらへんから重要になってくるのが、量子論だ。古い考え方でつくられた電子機器の制御に、問題が起こりはじめている。トンネル効果を使った新しい技術も開発されてはいるが」


 隣の長い身体をゆさゆさしながら、サアヤが訴える。


「ケーたん、フユっちがまた寝ちゃうよお」


「ほっとけ。──マイナス10、11、12、13、14乗。原子核の大きさだ。100兆分の1メートル。つぎの桁で陽子、そのつぎでクオークも見えてくる。このへんから、量子力学と相対性理論の統一が問題になってくる。測定不可能な揺らぎの世界だ」


「なるほど、わからん」


「ヒッグス場の世界だ。確認されて大騒ぎになったはずだぞ、日本でも」


「そういえば、物理学者さんたちが、えらい喜んでいたね」


 さすがにヒッグス場や重力波など、科学史上最大級の実績の話になると、内容はわからないまでも「なんかすごいらしいな」というくらいは、一般人にもわかる仕組みになっている。

 ただでさえ日本は、ノーベル賞を重視するお国柄だ。


「大型ハドロン型加速器。こいつのおかげで、ずいぶん多くのことがわかってきた。日本やアメリカでもやってるが、とくにEUが有名だな」


「セルンですね。フランス国境にあります」


「あそこにはシヴァの像が建っているんだぜ。知ってたかい?」


 ヒンドゥーの破壊神シヴァ。

 その像が置かれている中庭で「悪魔の儀式」を行なったとして、セルンのお偉いから「悪ふざけにもほどがある」と怒られた人々がいた。

 ブラックホールをつくれる、という月刊『ヌー』も大好物の大型施設であるだけに、そういうネタはいろいろと転がっている。


「それは……」


「ボクたちは、探求しているんだよ。真に美しい理論を。たったひとつの法則コスモスによって、この世界は動いている。その美しい世界を描く、もっともシンプルな記述法が、数学だ。インドは、たまたまその真理に近づく最短距離にいた。0を発明した数学の国らしいな。この国の神々の力を借りることを、ボクたちは選んだ」


「……科学至上主義というわけですね。とくに20世紀初頭に持ち上げられた考え方ですが、愚かな開発や非人間的な搾取をもたらして、失敗に終わったでしょう」


「実験に失敗はつきものだ。とにかくやってみることが大事なのさ。社会主義の実験は失敗して、まちがいであることがわかった。だが、科学は()()()()()()()()()()()ことが証明された。あとはやり方を改良していくだけだ」


「資本主義のまちがいも指摘されはじめていますが」


「ボクもそうかもしれないと思う……が、社会思想の話は文系でやってくれ。ここは理系の教室だ。……さて、20乗から28乗あたりまでやってきた。ここで、話を宇宙にもどす。といっても、その始まりだ」


 右と左に、大きく「極大」と「極小」の世界が広がるホワイトボード。

 ケートの白熱教室は、いよいよ佳境に達した。


「宇宙と素粒子がつながるの?」


「もちろんだよ。20世紀に出現したビッグバン理論は、どうやら正しいらしいことが観測によってあきらかになった。では、どうやって始まったのか? 解き明かさないわけにはいかないよな」


 うなずくチューヤとリョージ。

 彼らは最初から、意外にまじめにケートの話に耳を傾けている。

 その男子たちの世界を、女子たちは、やや距離を取って眺めている。

 男には自分の世界があるらしいから……。


「男子の食いつき、いいね」


「彼らは基本的に好きなのですよ、こういう話が」


 文学的な女子をしり目に、ケートの授業はつづく。


「──宇宙のすべてを決定づけたのは、最初の1秒といわれている。わかりやすい言いまわしだが、じっさいはもっと小さい。宇宙は爆発の瞬間から、10のマイナス37から35乗秒ほど後までに相転位し、指数関数的に膨張した。この世界では、量子論も相対性理論も通用しない。そこから10のマイナス27乗くらいまでの世界の出来事が、わからないんだ」


「ええと、サイズじゃなくて時間の話?」


「同じだよ。空間、時間、質量、エネルギーは、イコールなんだ。統一理論ってのは、全部を同じルールで取り扱えなきゃいけない。だからこそ、天才たちが必死こいて探求してる。それだけ価値のある理論だからな」


 ケートは何気なく、ホワイトボードに数式を書き出す。

 もちろんだれにも意味はわからないが、それは「tp=」ではじまっている。

 プランク時間だ。

 プランク時間は、プランク長に等しい距離を真空中における光速度で通過するのに必要な時間であり、ビッグバンが起きてから「1 tP」以内のことをプランク時代という。

 したがって、プランク長は、この時代の終末の宇宙の大きさといえる。


「ごめん、ちょっとわかんねーんだけど」


「ああ、そうか。べつにこんな数式はどうでもいい。いや、よかないが、まあいい」


 手短にまとめると、こういうことだ。

 1981年、インフレーション理論が提出される。

 2014年、南極からの観測データが科学界を騒然とさせる。

 それは宇宙誕生直後に起こったことを伝える痕跡であり、観測データは、インフレーション理論に合致した。

 多元宇宙に、つながる。


 科学が、どうやら真実らしいと確かめられるには、ふたつの方法がある。

 先に理論があって、それを証明するために観測する、その代表は重力波だ。ヒッグス粒子などもそうだろう。

 そしてまた、観測データから導かれた理論が、多元宇宙と合致した。


 ──その刹那、空気が冷え切っていることに、まだだれも気づいていない。

 この謎は、解き明かしてはいけないと……もし解いたら氷の底に閉じ込めて、永久に沈黙させられるのだと。

 そのことに、まだ、だれも……。



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