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 早めに迎えに行ったところ、ガソリンスタンドは大騒ぎだった。


「みんな……」


 唖然とするチューヤの目のまえで、ケートとマフユがケンカをし、ヒナノとリョージが笑って会話している。


「なにやってんの、こんなとこで!」


「なにって」


「給油に決まってんだろ」


「西原くんが送ってくれるそうなので、先に車は返しましたわ」


 どうやら、最初にやってきたのはケートで、ほとんど同時にマフユがやってきた。

 働くサアヤを断固として見守っていたところへ、あいかわらず他人の手伝いで届け物をしていたらしいリョージが原付で乗りつけた。

 最後に、お抱え運転手のリムジンでヒナノがやってきた、というわけらしい。

 暫定鍋部の開催となり、ケートのクルマにつけられるかぎりのオプションをぶちこむ注文が進むなか、話題に花を咲かせる高校生たち──というのが現時点のようだ。


「だいたい、世界が滅びるかどうかっていうこの大変なときに、バイトとかなんなんだよ。呑気すぎるだろ」


 チューヤの苦言に、平然と応じるサアヤ。


「世界は()()()()よ。あたりまえでしょ」


「そういうのを正常化バイアスといってだな、危機に対応できないんだぞ」


「できるよ。わかる。滅びないよ。だって世界が滅びまくったのは昭和までだもん」


 自信満々で、時間と空間を超え断定する。

 ガソリンスタンドの制服に許される限界を超えているな、とチューヤは思った。


「どういうことだよ。昭和娘」


「昭和までのコンテンツは、主題が第三次世界大戦だったんだよ。現実に核戦争の危機に瀕していたんだって。うちのお父さんも、戦争を知らない世代がうらやましいって言ってたよ」


「おいおい、おまえのオヤジいくつだよ」


「とにかく当時、世界は滅びなくちゃならなくて、スペースコロニーを落として全人類の半分を殺すみずからに恐怖した戦争世代なんだよ、うちのお父さんは。あのころは、魔女っ子からヒーローまで、みんな世界を救うために戦っていたんだってさ」


 ちなみに全人類の半分を殺した戦争は、一年戦争と呼ばれている。

 当時の男の子たちは、恐怖しつつ狂喜していたようだ。


「だからその……」


「だからね、どんだけ滅ぶ滅ぶいってても世界は終わらないって、みんな気づいたんだよ。そう簡単に終わるわけないじゃん。世界の終わりとか、単なる娯楽だから。そういうの、アニメとか漫画とか特撮だけだから」


 ビシッ、と指を突きつけられると、チューヤにも返す言葉がない。

 たしかに「世界終末産業」は、20世紀末を乗り越えて一時休止した。これは重要なメルクマールだ。


「まーな。サアヤの言うことにも一理ある」


「だれより戦さ好きのリョージさんが同意とは、これいかに」


 視線を集めたのはリョージ。

 彼は世界戦争のなかでこそ真価を発揮する、戦士タイプのはずだが。


「いや、オヤジの話なんだけどさ。……ノストラダムス効果って知ってる?」


「終末のはじまりだーっ」


「ノストラダムスって、テキトーなことぶっこいて外す、って話だろ?」


「オヤジが言ってたよ。MMR責任とれって。ノストラダムス信じて、どうせ世界終わるならいいか、と思ってできたのが、うちの姉ちゃんらしい。それ聞いて姉ちゃん、しばらくヘコんでた」


「な、なんだってー!」


 マンガのように驚く一同。

 あまりの意味内容に、しばらく理解が追いつかない。

 ──平たくいうと、こういうことだ。


 あるマンガが「地球は20世紀で終わりますよ」と全力で煽った。ノストラダムスがそう言ってんだから、まちがいないんだよ、と。

 当時、ヤンキーマンガで育っていたリョージの父は、マガジンを信じて「じゃあ避妊しても意味ないな」と思ったそうだ。

 そうしてできたのが、リョージの姉らしい。

 もちろん世界は終わらなかったので、若いカップルはしかたなく(?)家庭を持ったという……。


「あははは! MMRが姉ちゃんの父だったんだ、超笑う!」


 文字通り、笑い転げるマフユ。

 昭和のヤンキーマンガに影響されている、という意味では彼女にも一定の理解がある。


「おまえのオヤジは天才か……」


 唖然とするケート。

 ケートをもってしても、昭和のヤンキーという強烈な思考体系には理解の及ばない部分が大きい。


「MMRってなんですの?」


 ポカーンとするヒナノ。

 一言でいえば、彼女とはもっとも縁遠い世界だ。


「20世紀にあった漫画だよ。ノストラダムスで世界が滅ぶとか、すげー煽ってたやつ」


「そうですか。わたくしマンガはあまり読みませんので」


「うちはさあ、古いマンガけっこう多いよ。新しいのもあるけど。親がマンガしか読まない人でさあ」


「この親にしてこの子ありか。非常にわかりやすいな」


 昭和の影響はかなり遠くなっているものの、いぜんとして一定の影響力は保持している。

 21世紀中こそ、もっとも研究すべき時代が「昭和」かもしれない。


「まあさ、1999年にも、2012年にも、地球は滅びなかったわけだし。もういいんじゃん? そういうの」


 ゆえにサアヤには、「世界は滅びないもの」という信念がある。

 オオカミ少年のように嘘ばかりついていると、だれにも信じてもらえなくなるのだ。


「いや、どの時点でもあるんだよ、地球が滅びるとか、破滅するとか、そういう終末論。いまにはじまった話じゃないし、むしろあるべきなんじゃないの、一定の需要があるんだろうからさ」


「まあな。終末論のたびに地球には滅びてもらわないと、ゲームも漫画も盛り上がりに欠ける」


 昭和の子どもたちがおとなになってから気づいた事実に、令和の子どもたちは最初から気づいてしまっていた。

 教育効果は短期集中的に成果をもたらしている。


「けれど、予言が当たることも、たまにはあるのではありませんか? ノストラダムス・エフェクトは、当たるほうの効果についてですよ」


 ノストラダムスの国で生まれたヒナノとしては、かの予言者の肩を持っても罰は当たらない。

 実現はしなかったものの、終末論が現実になる「可能性」はつねにあったのだ。


「偶然だろ。テキトーなことでも100回言ったら、1回くらいは当たる」


「じつは、全部当たってたとしたら……?」


「……は?」


「世界が滅びる予言は当たっていて、それで滅びた世界がたくさんあったら?」


 その言葉をだれが発したのか、にわかに思い出せないほど、混沌とした空気が場を支配していた。

 世界の根幹にかかわる重大な問題提起がされたような気もするし、いつもの鍋部の妄言集に組み込まれてしかるべき駄文のようでもある。

 一瞬の静寂を経て、突っ込みにまわる冷静な面々。


「ヒステリーチャンネル見すぎだろ」


「あの番組、しょっちゅうそういうことやってるからな。楽しめばいいんじゃない?」


 オオカミ少年効果と正常化バイアスの狭間、この期に及んでもまだ「世界はもとにもどる」と信じている。

 悪魔相関プログラムに食いつかれてなお、これは「ちょっとしたイベント」にすぎず、しばらくすればもとにもどる、そんな世界に自分たちは暮らしているのだと──彼らは信じたい。

 サアヤは弱々しく笑って言った。


「ごめんね、変なこと言って」


「いいえ。そもそも終末論は、昭和というより宗教そのものでもありますから」


 ヒナノの場合、他の面々と()()()が異なる点については、注意が必要だ。

 互いに「世界宗教」を奉じる、ヒナノとサアヤが見つめ合う。


「ヒナノン、クリスチャンだっけ?」


「一応、そういうことになっていますわ」


「国石って神道系の学校だよね」


「国つ神をお祀りになっているらしいですわね。まあミッション系の学校に仏教徒が通っていないかと言えば、そんなこともないわけですから」


「そのへんゆるいところ、日本のいいところだよね」


「ええ。わたくしも、黙示録と終末論を語る教会の一部の方々に、半ば辟易していたところもございまして」


「仏教的な〝末世〟と相通じるのかな?」


 キリスト教には世界を滅ぼす四人の騎士のお話があり、仏教には末法思想がある。

 多くの宗教が滅亡の恐怖を煽る。

 なぜなら、そうしたほうが「集金に都合がいい」からだ。


 もちろん宗教にかぎらず、同じロジックは「市場経済」においていくらでも応用されている。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ──。




「はい、みんな! 給油とか掃除、終わったよ! 用が済んだら帰って帰って!」


 ひとしきり店長から注意を受けてもどってきたサアヤが、仲間たちに解散を促した。

 ぶーたれるのはマフユ。


「えー、いいじゃんよ。このあと遊び行こうぜー」


「ダメ! リョーちん、フユっち連れて帰って! ケーたんも、ちゃんとヒナノン送るんだよ!」


「はーい」


 サアヤにだけは素直な面々。

 たまには俺の指示にも従えよ、と思いながら帰っていく同級生たちを見送る。

 ごく自然に、チューヤだけが残ることを認められた。

 彼が保護者である件については、さしあたり問題にされなかったようだ。


「いやー、長居する以外は、いいお客さん連れてきてくれたねー、新バイトくん」


 そこへ店長らしき中年が顔を出した。

 あわててあいさつをするチューヤ。

 そもそもこのために、一日コマネズミのように動きまわったのだ。


 ──店長は、若いころはヤンチャをしていて、皺のひとつひとつに青春の苦い記憶を刻み込んだまま、年を取ったかのような人だった。

 還暦に近く、中年より老境にさしかかっているのだが、若者たちの気持ちがよく理解できるので、チューヤたちを否定するようなことは、けっして言わない。


「先週は迷惑かけちゃったから、利益に貢献しないと。ケーたんはお金持ちなので、高い整備とかタイヤとか、いっぱい買わせちゃっていいですよ!」


「ケートに怒られるぞ……」


 つぶやくチューヤ。


「ははは、毎度あり!」


 笑顔の店長。

 なぜサアヤがバイトすることになったのか、話を聞くと、どうやらサアヤの父親と店長が昔の知り合いということだった。


「やっぱ時代はGSだよね!」


 ちょうど客が途切れたところで、エアギターをかき鳴らす店長。


「好きさ好きさ好きさ、忘れられないんだ♪」


 自然に乗っかり、歌い出すサアヤ。


「おまえの、すべて~!」


 息ぴったりのふたり。


「なにそれ?」


 一応、訊いておくチューヤ。


「知らないの!? ザ・カーナビーツ!」


「カーナビ?」


「カーナビーツ!」


「よくわからんが、ガソリンスタンドにはピッタリらしいな」


 GS全盛期を彩ったグループ・サウンズのひとつ、ザ・カーナビーツは1967年に結成され、69年に解散した。

 ひとしきり歌いきったふたりは、満面の笑みで互いの演奏をたたえ合った。


「グッジョブ、サニーサアヤ」


「オゥイエ、ジミテンチョ」


 サニーとテンチョのアンバランスなコンビを、無感情に見守るチューヤ。

 にこやかに肘を合わせるサアヤと店長。


「いやあ、きみがバイトしてくれて、ほんと助かるよ」


「いやあ、給料アップですか店長」


「がはげへごほ……」


 どこでも漫才をはじめるところが、芸(能)人サアヤらしい。


「で、バイト何時までよ」


 チューヤの問いに、


「あと15分でーす」


 挙手して答えるサアヤ。


「うむ、だけどいい演奏してくれたから、きょうは上がっていいよサニー!」


「給料引くつもりですか店長!」


「いやいや、ちゃんと出すから。彼氏に送ってもらいなさい」


 どうやら彼女が無事に家に帰れるかは、店長にとっても心配の種のようだった。

 彼女が「方向感覚ゼロ」の件については、親御さんからも重々、申し伝えられているらしい。


「彼氏ちゃいますけどね」


「おいチューキチ! そうだけどおまいが言うな!」


「はいはい。さっさと着替えてこいよ」


 サアヤが姿を消してから、チューヤは店長に向き直った。

 一瞬、まじめな表情になる。


「……事情、ご存知ですよね」


「ん? なんのことかな、彼氏くん」


 半ばトボケつつも、表情は徐々に引き締まる。


「店長は、サアヤの家族とも知り合いなんでしょ。だったら彼女が、いまさら()()()()()()()()()を、知らないわけないですよね」


「……必要なら、当人から聞きなさい。私の口から言うべきことではない」


 たしかにそのとおりだ。

 チューヤは口を閉ざした。

 しばらく黙ってタバコをふかしていた店長は、ゆっくり言った。


「──彼女がどうしたいかは知らない。私が知っているのは、彼女の()()()()()()()の話だ」


 ごくりと息を呑むチューヤ。

 当人に訊けと言いながら、かなり核心に踏み込んできた、と理解する。


「ジャンキーでしょ。逮捕されて、獄中で死んだって聞きました」


「だが、()()()()()()()()()んだよ」


 店長の言葉の意味が、チューヤはにわかに理解しえない。


「クルマ、は……?」


「そんな都市伝説があるらしいねえ」


 と、店長は突然破顔し、さっきまでの雰囲気を一掃してしまった。

 もどってきたサアヤの勢いに巻き込まれ、話はそれで終わった。




 帰路。


「なかなか個性的な店長だな」


「ジミテンと呼ばれてるらしいよ」


「地味じゃないだろ」


「いや、ジミ・テンチョリクスの略」


 本家のジミ・ヘンドリクスは、アメリカのロックに絶大な影響を与えたパイオニアで、右利き用ギターを左利きの構えで演奏したり、火を放ち、破壊するパフォーマンスなどでも知られる。

 27歳で夭折した「最も偉大なギタリスト」だ。


「テンチョリクス……」


「若いころはだいぶヤンチャリクスしてたらしいけど、現在はりっぱな還暦のGS店長!」


 店長は、店ではエアギターにとどめているが、じつは非常に高度なエレクトリックギターの技術を有しており、地元でオヤジバンドも主宰しているらしい。


「ある意味りっぱだよ、たしかに。で、そのジミ店長はどこまで知ってんだ?」


「んー?」


 あいまいに首を振るサアヤ。


「……クルマが生きてるって、なんだ?」


 ぴくり、とサアヤは肩を揺らした。

 しばらく答えない。


「怪談好きな店長って困るよね」


「怪談?」


「そのクルマに乗ると、気が狂う。死んでしまう。みんなが不幸になる。そんな、呪いのクルマがあるんだって」


 多数の人々の手にわたり、多数の死亡事故を引き起こしてきた。

 かかわった人間はつぎつぎと死んでいくのに、クルマは廃車されない。

 なぜか破損が軽微で、すぐに修理できるから。有名なクラシックカーで、それなりの価格で売れるから。

 こうして、その悪魔のクルマは、いまも日本のどこかの中古車店で、流通しているという……。


「都市伝説?」


「バカみたいでしょ。弟を殺したクルマが、まだ走ってるって聞いて、どうしても見つけなきゃって思っちゃった」


 『ザ・カー』という映画がある。

 はじめてクルマという物体が悪魔化した、伝説的なアメリカのホラー映画だ。

 その映画でベースになったのは、リンカーン・コンチネンタルマークⅢだった。


「アメ車のクラシックカーを探してるのか?」


 脳内の『悪魔全書』を渉猟しながら問うチューヤに、


「ううん、ドイツ車みたい。なんとかワーゲン」


 首を振るサアヤ。


「……フォルクスワーゲン?」


「その、すごく古いやつ。たまに現れるんだって、あのスタンドに。それで、どうしても」


 唇を噛んで言葉を呑み込むサアヤ。

 いろんな感情が湧き出しているらしい。


 弟を轢き殺した犯人は、獄中で死んだ。

 それでひととおり、心の整理はついたはずだった。表向き、彼女もそう言った。

 だが、心のどこかにまだ割り切れないものが残っていた。

 人間を変える悪魔がいて、取り憑かれたクルマがあって、しかもそれがまだこの国の公道を走っているとなったら……。


「そうか。最初から言えよ、そういうことなら」


「だって、見つかるかどうかわかんないし」


「見つかったらどうするんだ?」


「……走らせておくわけにいかないでしょ、そんなクルマ」


 その一瞬にサアヤが見せた表情は、決然として頼もしい。


「だな。その点は同意するよ」


 チューヤにしても、サアヤの弟は、家族のようなものだった。

 大切な家族を殺した悪魔のクルマを、黙って走らせておいていいはずがない。


「よし、じゃあチューヤは月水金でシフトにはいれ!」


「なんでだよ! 月水金とか、鍋どうすんだ!?」


「チューヤの分はみんなで」


「食わせねえわ! てか、事情を話してスタンドのみんなに協力してもらえよ!」


「だいじょぶ、店長には話してあるよ。だから、見つけたら教えてくれる」


 ある程度、話は出来上がっている、ということのようだ。

 ことここに及んで、ようやく知らされたことにチューヤは曰く言い難い不満を感じたが、こうして現在、その渦中に自分も参加できていることで、溜飲は下げることにした。


 問題は、その「悪魔のクルマ」とやらだ。

 いやな予感しか、しない──。



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