34 : Day -41 : Hachiman-yama
「……んで、バイトどうなのよ?」
川の手線は南へ向かう。
「あー、まあ、まだ1日だから、どうとかわかんないけどー」
座席はすいているが、ふたりは並んで窓際に立っている。
「火、木、土だっけ?」
「うん。平日は夕方からで、土曜は午後ちょっと長めー」
「……なんでだ?」
「うん?」
首をかしげ、質問の意味を問い直すサアヤ。
チューヤは考え、どう言葉を選んだものか逡巡する。
「だって、クルマだろ……」
「ああ、ね」
サアヤの弟は、クルマに轢き殺された。
この事実は、死ぬまで彼女を桎梏するはずだ。
逃れられない呪詛のような事実を、単に彼女は乗り越えたというだけのことだろうか。
それとも……。
「いや、答えたくないならいいけど」
「そんなことないよ。ま、その話は追い追い、ね」
彼らにしてはめずらしく奥歯にものの挟まったようなやり取りのうちに、電車は千歳烏山へ。
京王線に乗り換え、駅ふたつ。
「ほらチューヤ、ここだよ!」
スマホの画面を見せるサアヤ。
「ふーん」
一瞬だけ見て、あとは目のまえの街路を眺めるチューヤ。
彼の脳裏には、すでに目的地までの最短距離ができている。
サアヤも安心して、スマホをポケットにもどす。
チューヤに地図さえ見せておけば、あとはついて行くだけだ。
八幡山駅は杉並区所在だが、世田谷区との境界線に近く、そちらのほうに歩いてほどなく、件のガソリンスタンドは見つかった。
「んじゃ、働いてくるね。3時間で終わるから、そのころ迎えに来てくれてもいいよ」
突き放すサアヤに、
「店長紹介してくれんじゃないのかよ」
不満げなチューヤ。
「だから、3時間で終わるって言ってるじゃん」
最初からそのつもりだったようだ。
「はいはい。しかし、この地球存亡の危機に、バイトとかねえ……」
ため息を漏らすチューヤに、
「たとえ明日、世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるんだよ」
どこかで聞いたことのあるセリフを残し、サアヤはガソリンスタンドへと向かった。
ルターが最初に言い、マザー・テレサが広めた、とされている希望の言葉。
はたしてリンゴは収穫できるのか。
「ふむ、3時間か」
顎に手を当て、つぶやくチューヤ。
こんなとき、鉄ヲタの考えることは決まっている。
世田谷線で三軒茶屋まで往復できるじゃない!?
京王線の沿線に立つ以上、彼のような痴れ者が考えるのは、その程度だ。
もちろん三軒茶屋には、重要なキーパーソンのひとりである『デビル豪』開発者、室井がいる。
ジャバザコクで出会ったジャミラコワイ博士のことについても、報告しておかなければなるまい。
なるまいなるまい言いつつ、もちろん路面電車に乗りたいだけだ。
いや、だけではない。
そもそも路面歴程という重大なキーワードもある。
荒川線は、たいがい恐ろしい。
ベルゼブブからルシファーまで、危険な名前がそろっている。
では世田谷線はどうか?
まあ……それほどでもない!
というわけで、チューヤが世田谷線を目指すのは既定路線だった。
およそ30分後、三軒茶屋の駅前で、名残惜しくデハ300形を見送るチューヤ。
数人の乗客が、見ないふりをして離れていく。
ひとしきり満足して、株式会社タイタンを目指す。
その第二制作室のはいっている雑居ビルに近づいたとき、チューヤは恐怖を感じて足を止めた。
境界化──いや、まだだ。
むしろ、それがこちら側の物理法則にのみ従って引き起こされている、という事実に慄然とする。
黒いコートを着た男が、棒のようなものを手に、駐車場の奥まった場所へ、ひとりの男を追い詰めているような雰囲気。
追い詰められているほうに、見おぼえがある。
「室井さん……」
チューヤは動けない。
ただ音をたてないように、静かに近寄る。
大通りからややはいったところの細い一方通行。
道を隔てて時間極め駐車場の奥をうかがう。
ナノマシンを起動する。
もちろんこちら側なので悪魔の召喚はできないが、感覚を鋭敏にするくらいの効果は持っている。
「……室井。久しぶりだな」
コートの男の声。
「山田か。呼んでねえぞ」
室井の声。
山田と呼ばれたコートの男は、にやりと笑い、持っていた棒を2本に分割した。
そういえば山田という名を最近聞いたような気がする──が、それについて思い出している暇もない。
ハッとして、目を凝らす。
持っていた棒が2本に……? いや、あれは、刀だ。
それはあまりにも自然で、ほとんど携帯電話を取り出すくらいの感覚。
「そっ首、落としたもうや」
ひたり、と室井の首元に刀身を添える。
冷たい光を放つ、日本刀。
室井の全身に走る、死の感覚。
だが彼は、驚きもせずに言った。
「サンソンと競争でもしてんのか」
すると山田は、鼻白んだように刀を腰にもどした。
お互い時間はあまりない、とでも言いたげに話柄を開く。
「トラムの下のカタコンベだが」
「おいおい、単刀直入だな。そんなもの存在しねえよ、と交通局を代弁しとく」
「数えきれない死を飲み込んできた大都市の地下に、あの世が存在しないと考えるほうが見当を外している」
「ただでさえ営業妨害だと思うが、まあいい。──荒川線は、いちばん地獄に近い幽霊電車だからな」
室井の声が、どこか嘲弄を帯びている。
聞きおぼえがある、とチューヤは感じた。
彼は、何事かを伝えようとしているのか……?
「営業妨害はおまえだろう」
山田は言った。
「それで、地獄の釜の底が抜けでもしたのか」
「近いな。あの世との境界が、あいまいになっている」
「東京も終わりだなあ、おい」
「東京にかぎらん。だが、終わりにいちばん近いことも事実だろう」
「大深度に逆さ五芒を描いた時点で、終末カウントダウンに裏書きしたようなもんだからな」
一瞬の間を置いてから、山田は言った。
「──弟が行方不明でな」
ぎくりとするチューヤ。
「知らんよ。おまえの家族の問題なんか」
応じる室井の声には、微塵も感情が乗っていない。
「俺も知らんさ。どうでもいい弟だが、帳尻だけは合わせねばな。まだカタコンベに送り込まれてはいないところを見ると、生きている可能性もあるが。……調べられるだろう?」
「なんでそういつも、俺を使いたがるかねえ。まあいいや、あんたには借りがある。調べておくよ」
「そうか。では、またな」
山田は言うと、あっさりと踵を返して立ち去った。
チューヤは急いで電柱に影に身を隠したが、意味があったかどうかはわからない。
しばらく呼吸を整えてから電柱の影を出た、その眼前には、薄笑いを浮かべた室井が立っていたからだ……。
自販機で買ったコーヒーを飲みながら、室井は言った。
「ふん、そうかい。山田の弟を消したのは、おまえの仲間だったか」
買ってもらった同じコーヒーを手に、口ごもるチューヤ。
「いや、たぶんですけど……別人かも」
室井は鼻先で笑いながら、
「俺に言い訳する必要はねえだろ。心配すんな、俺の口から伝えることはねえよ。──それより悪魔使い、物語は順調に進展してるみたいじゃないか。お喜び申し上げるぜ」
「はあ、それはまあ……で、そのジャバザコクのドクターから伝言を預かってきました」
ぴくり、と室井の眉が跳ねる。
「……だいぶ掘り下げてるようで、感心だねえ」
やはり彼は知っていた。
おそらくチューヤの何倍も多くの秘密を、このゲームクリエイターは、灰色の脳みそのなかに隠し持っている。
「ジャミラコワイ博士のこと、ご存知なんですね?」
だいぶ多くのデータをインストールされ、多くのサブミッションも授けられた。
時間があるときにすこしずつ進めているが、まだ道のりの先は長い。
「知ってんよ。悪魔相関プログラムをナノマシン化した張本人だ」
「すごい人、ですよね……」
「共同謀議……いや、共同作業が必然の業界で、あくまで単独で限界までやり尽くそうとした、意固地な爺さんだ。そうかい、まだ生きてたかよ」
「共同謀議に加わらないことに対する復讐で、だれかが硫酸でも投げつけたんですか?」
──それから室井に伝えておけ。わしの肉体をどう壊してくれたところで、わしは貴様のように、ぶざまに水槽に沈むつもりはないとな。貴様らのようなやり方を、ジャバザコクは認めぬ。
「そんなこと言ってたか?」
「いや、それらしい容貌だったので、意訳です」
「ははは。ありゃただの病気だよ。俺たちの謀議に加わろうが加わるまいが、やってることは悪魔の所業なんだ。天罰覿面くらっただけだろ」
「そう、なんですか。それで……」
どう質問すればいいのかわからない。
肉体を壊す。ぶざまに水槽に沈む。貴様らのようなやり方。
具体的に聞きたいような気もするし、聞きたくないような気もする。
「……いつか、おまえに頼みたいことがある」
暗い顔で、ぽつりとつぶやく室井。
「え……?」
「おまえならできる気がするんだよ、いろんなことが……」
「…………」
沈黙。言葉が見つからないチューヤ。
やおら室井は表情を変えた。
「なにしろ時の三女神に魅入られた男だからな、ははは」
「鬼女ですけどね」
ごまかされたと理解したが、追及はできなかった。
「やつらの属する旧世界、なかんずく古典派の考えることは、かなり深いぜ。びっくりするくらい深遠な思想を含んでいたりな。まあ、油断のならない連中ってことだが。さすがはギリシャの哲人だよ」
「そう、その派閥という概念もむずかしい。勢力がいくつも錯綜する難解さには感心してますけど……あなたがつくったんですよね、このゲーム」
「ゲームはつくったが、俺は見てきたものを、そのまま写しただけだ」
そう、室井が多くを知っているのは、当然なのだ。
彼は見てきた。
悪魔たちが支配し、何度も滅びたという、もうひとつの世界を。
「──異世界線、か」
複雑に絡み合った地図を、どうにか解きほぐす必要に迫られつつある。
「……裏鍋があるんだろ? 校長呼んで、話を訊いてみな。たぶん、いろいろ知ってるはずだぜ、おまえんところのアクマダモン先生は。それでもし道が開けるようなら、おまえに……いや、まあ、そんときはそんときだ。じゃ、がんばれよ」
それだけ言うと、室井は踵を返した。
指針を得て、チューヤももと来た道を引き返す。
一日というものは、とても長いな、と思った。




