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「行きたまえ、生徒諸君。きみたちの選んだ道へ」


 いつのまにか、四辺に、四つのドア。

 それぞれのまえに、仲間たちがいる。


「どこ行くんだ、みんな」


 チューヤの問いに、


「どこって」


 ぽけーっと応じるサアヤ。


「帰るんだろ」


 重なるリョージとケートの声。


「このドアから」


 同じくヒナノとマフユ。


「家へ」


 すべての声が重なる。

 四つの道をたどり、それぞれの家へ帰るんだと。

 帰り道は、ひとつじゃない。


 回転する部屋に立ち、チューヤは「世界」を見わたす。

 どこかのドアから、帰るのだ。


 つぎの瞬間、4人の姿が消えた。

 彼らは、彼らのドアを開き、境界から元の世界へともどっていった……らしい。

 だが、ドアが閉じる音は、まだひとつもしていない。

 チューヤは慌てて、いちばん近いドアのほうに駆け寄った。

 薄く開いたドアの向こう、長い背中が見える──。




「なんだ、おまえか」


 マフユがかすれた声を絞る。


「そんなところでウンコ座りしてんなよ。地方のヤンキーか」


 チューヤは足を止める。


「うっせえな、疲れたんだよ。帰るぞ、あたしは」


 気だるい表情で、ふらりと立ち上がるマフユ。

 たしかに、だいぶ疲れた表情をしている。

 彼女の脳は、あまり考えることには向いていない。

 それが、さっきからめんどくさい話ばかりを聞かされて、正味の話、辟易しているのだ。


「おまえにだけは、なかなか近づきづらいんだが」


 チューヤの足は、根が生えたように動かない。


「あ? 近づいてくれって、だれが言ったよ? むしろ離れろ、男なんか」


 ひらひらと手を振るマフユに、


「ですよねー。てかさ、おまえの世界の話。業界ってか、背負ってんだろ、一応」


 一応、掘り下げる。


「背負ってねえよ。まあ、どっちかっつったら手を貸すぜ、ってだけだ。兄貴だからな」


 マフユが動いているのは、ほとんどロキの掌の上ということだ。


「ダークすぎんだよ、おまえの世界。ぶっちゃけ、正してやりたい」


「お断りだ」


「でしょうね!」


 マフユはゆらりと顧みて、うっすらと口角を上げた。

 チューヤという人間を、ひさしぶりに対等に眺めた、という気配。


「まあ、言いたいことはわかるさ。ポリの息子じゃ、しゃーねーよな。けど忘れんなよ。腐った警官はもちろん、世の中の大半が、あたしの仲間なんだって」


「大半は言いすぎだろ」


「大半が、抱えているんだよ、心のどこかに、闇をな」


 ぎくり、と再びチューヤの背中が揺れた。

 彼女の言質は、ときどき心に刺さる。

 事実、マフユの世界は盤石の「実力」をもって、世界に少なからぬ影響を、創世の原初から与えつづけているのだ。


「世に悪の種は尽きまじか」


「悪? はん、くだらん決めつけだ。だから、貴様らにはヘドが出る」


 マフユの物言いはシンプルだが、アテネのタイモンの昔からつづく「人間ぎらい」の系譜は、そこに複雑で歪曲した、しかも説得力のある理屈を築き上げてきた。

 厭世観。悲観論。滅びの美学。

 すべて、マフユの道に直結している。


「人類なんか終わるのが当然だろ。クズが」


「まあまあ。そういう思想の人々がいるのは事実だけど、どちらも、それはとても極端だと思うよ」


「ふん」


 短く鼻を鳴らすマフユ。

 ふと、チューヤは背後に気配を感じて、ふりかえった。


 そこにもまだ閉じられていないドアがあり、リョージの背中が見えた。

 そのとき背後から、ぱたん、とドアの閉じる音がしたが、チューヤはふりかえらなかった。

 ふりかえる資格はない、と思った。




「やっぱ、マフユのつぎにくるのは、リョージだよな。おまえも人類の生存圏を縮小しよう、って思想だろ?」


 リョージのほうに一歩を踏み出し、チューヤは言った。


「思想ってほどたいそうなもんじゃないが、まあそうだな。人はもう、地球上に居場所を取りすぎた。そろそろ返すべきだよ、自然の生き物たちに」


 リョージはふりかえり、ドアをすこしだけ開ける。


「時代は変わったね。カオスといえば、力こそが正義、世界を混沌に帰すんだ、みたいなアブナイ人々のことだったのに」


 そのまま進む気になれず、足を止めるチューヤ。


「いや、返すよ、混沌にな。自然とは本来、混沌なんだ。人類が築いた秩序は、行き過ぎたんだよ。幸い、人類のテクノロジーもじゅうぶんに成熟した。

 オレたちはもう、それほど広い土地を必要とはしなくなっている。都市に集中すればいい、野菜はビルでつくれる、たぶん動物性たんぱくも。だから()()()、生き物たちに()()()や」


「リョージ、おまえの道は……」


 すばらしく思える、チューヤにも。


「いっしょにくるんだろ? チューヤ」


 その笑顔は、あまりにも魅力的だ。

 あらためて一歩を踏み出し、しかし決意できずに止まる。


「リョージのオヤジ、ゼネコンだよな?」


「お? ああ、そうだぜ。国土を創る会社だ」


 にやり、と笑うリョージ。

 ──オクテート建設。

 東京の地下を掘りまくり、億の暮らせる帝都を創ろうとしている中堅ゼネコンだ。


 圧倒的な機能集中型都市。

 世界中にシンガポールをつくるようなものだ。人類はそこに集まって暮らし、あとは自然に返せ、というのがリョージの思想であると理解している。


 大都市に暮らすかぎりは、一生守ってくれる。

 住民に、そう約束できるレベルの安全性を、ある地域にかぎって提供する。

 それ以外の地域の安全は、自分で守れ。

 そう突き放すことで、住民の意識を変える。

 一生安全に暮らしたければ都市へ、安全は自分で守るつもりなら地方で。

 そうやって、ゆるやかに人間の流れを変えていく。


「すごい思想だな、それ」


 あらためて感心するチューヤ。


「遠大だろ。さすが老先生だよ。百年の大計どころか、千年、万年の都市計画が必要なんだって。それが本来あるべき国家の考え方だとさ。国土こくどうがつ者、すなわち国士こくしたれ」


 老先生は、老子『道徳経』から引用して、このように表現した。

 鑿戶墉以為室、当其無、有室之用。故有之以為利。無之以為用。

 門や窓をうがつことで、家屋は生まれる。家屋は空間があることで、家屋として用いられる。「有」は人の利便にくみし、「無」によってその効用は発揮される。


 この老子の考え方は、アメリカの近代建築科フランク・ロイド・ライトにも影響を与えたことで知られている。

 オクテート建設は、その考え方をさらに発展させ、億の帝都という思想に到達した。

 人の利便を極点まで高めた「都市」を築こう、あとの世界は「自然」に返そう、と。


「なんちゅうか、国士無双な先生だな」


「なんちゅうか、ほんちゅうか!」


 日本や中国は、この計画を推し進めるのには向いている「国民性」だという。

 体制的に進めやすいのは中国なのだが、技術レベルでまだ日本に優位性がある。

 そこで老先生は、日本を実験台にすることにした。


「わるくない選択肢のはずだ。オレも賛成する」


「都市に全人口を集めて、ほかは自然に返す、か。……いや、いいのかもしれない。それ自体、あんまり反対する要素はない気はするよ」


「地方の鉄道に乗れなくなるけどね」


「それな!」


 だん、と激しく足踏みをするチューヤ。

 しょせん鉄ヲタの考えなど、その程度だ。


「それかよ。そんなもん、自然に消えてるだろ」


「言うな! 俺は泣かないぞ!」


 チューヤはリョージを見つめる。

 彼の道()、正しいように見える。

 彼とともに進んでも、よいのではないか。そのくらい魅力のある考え方だ。


 ただ、チューヤの問題点は、ケートと話していても、たしかにそうだ、説得力がある、と思ってしまう点だ。

 彼は他人に影響されやすい。

 プロレスも、ソシャゲも、完全に他人の影響ではじめ、ハマった。


 だが今回にかぎっては、安易に決めていい問題ではない。

 しばらく黙ってチューヤを眺めていたリョージは、うっすらと笑みを浮かべ、腕を引いた。

 チューヤの目前で、ぱたり、とドアが閉じた。




 目のまえにはヒナノが立っている。

 思わずその身体を追いかけたくなるが、さすがに自制した。

 彼女は誇り高い無表情で彼を迎え、まっすぐに孤高の位置から託宣する。


「神の名を唱えなさい。その唯一の名を」


「お、お嬢」


 ふざけた回答のつもりは、当人にはない。


「このドアの鍵は開かれています、世界の半数に対して」


 あくまでも孤高のヒナノ。

 ぞくり、とチューヤの全身がふるえた。

 この物語の主人公はヒナノ。どこかのだれかの言葉が、脳裏をよぎる。。


「お嬢は、どういう思想なの?」


 どきどきしながら問うてみると、


「すべてを都市に、という考えは極端すぎるとは思いますが、同じ地球という箱舟に暮らす者として、自然を保護する必要は認めます」


 どうやらリョージとの会話も聞いていたらしい。


「なるほど、お嬢の思想は、つまり両極端な世界は拒絶しつつ、中庸を行くと。気が合いそうだね、俺たち!」


 調子に乗るチューヤを見つめるヒナノの視線は、


「神の名のもとに、ね」


 アブソリュートのように冷たかった。


「無理して合わせようとするな、チューヤ」


 背後からの声に、ふりかえる。


「ケート」


 そこではドアを大きく開けたまま、ケートがチューヤを見つめていた。


「やつらは古い西欧文明で、世界を塗り上げるつもりなんだ。一神教っていうアイデアは事実、世界の半分を塗っちまった」


 ケートがヒナノを批判するのは、いつものことだ。


「新しいものが正解とはかぎりませんよ。あなたの世界こそ、どうなのですか?」


 いつものように、背後からはヒナノの反駁が聞こえる。

 ケートはゆっくりと視線を挙げる。

 チューヤを境にして、巨大な組織をバックに屹立する両者が対峙する。

 ケートの道と、ヒナノの道。


「箱舟の話なら、まさにそれが答えだろう、お嬢。キミらは、自分たちに()()()()()()()()()をひとつがい、()()()船に乗せたんだろう?

 自分たちに都合のわるいものどもは絶滅しろ、と聖書に書いてある通りだよ。ただ、ボクたちは()()()()を読んでいる、ってだけだ」


「別の聖書?」


「科学、なかんずく数学だよ。世界は数学の言葉で書かれている、って名言の通りだ。紆余曲折はあったが、結局はこれが答えなんだよ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 地球を自然に返す? はっ、ちゃんちゃらおかしいな。地球は、もう人類がつくり変えて、すべて都合の良い形に更新しちまうべきなんだ。自然? そんなものは、()()()()んだよ。いや、()()()()()()人類が()()()んだ」


 瞬間、その言葉にひそむ極端さに、チューヤはゾッとした。

 ある種、マフユの思想に接したときに近い恐怖だった。

 これは、彼の思考がゆがんでいるためではない。むしろ鋭敏に、本質を的確にとらえているからこそだ。


 ケートとヒナノの思想も鋭く対峙してはいるが、同時に両極端と思われるケートとマフユの思想が、異常に接近する瞬間がある。

 ただ、言葉の一部を置き換えるだけでいい。

 それだけで、対極であるはずの道が、並行することもある──。


「似て非なるもの、ということかな」


 校長のかすれた声が、場をまとめるように低く響いた。

 ぱたん、ぱたん……。

 ドアがふたつ、同時に閉じる音がした。


 チューヤははっとして、周囲を見まわした。

 せきをしても、ひとり……。




「犀の角のように、ただ独り歩め」


 どこかから、そんな声が聞こえた気がして、部屋の中央、チューヤは立ち尽くした。


「……サアヤ?」


「って、ゴータマさんが言ってたよ」


 にっぱり笑う、サアヤがそこにいる。

 考えてみれば、彼女の背後にも「勢力」はあるのだ。


「そうか、仏教か」


 日本は「仏教国」である、と主張する人々は少なくない。

 チューヤ自身は、八百万の神道に近いはずだ(悪魔使い的に)という気がするが、どこかの先祖や親戚が仏教徒であったことも、かなりあった。

 じっさい実家を含めた葬儀万般は、ほぼ例外なく仏教式だった。

 しかし初詣をする自分の姿を「しっくりくる」と感じているし、八百万かどうかはわからないが、この世には神さまがたくさんいる、とも思っている。

 日本人としての最大多数の領域に、たしかに彼は立つだろう。


 ──日本史において、キリスト教やイスラームは無視できても、仏教を無視することはできない。

 神仏習合は、たしかにある種の「答え」である。


「だれひとり、選ばなくても、私はそばにいるよ。ねえ、そうでしょチューヤ」


 そうなのだ。

 サアヤという道が、あまりにもあたりまえすぎて忘れていたが、たしかにここに、つねに開けている。

 彼女の言葉を聞いた瞬間、チューヤは心から安心した。

 その事実を否定するつもりはないが、同時に、曰く言い難いべつの思いも、全身を駆け巡っていることを感じないわけにいかなかった。


 昔から、一心同体で、兄妹のようにしか思っていなかった時期が、とても長い。

 いろいろ混ざった怪しげな念仏を唱える、サアヤの魔女おばあちゃんと笑い合った記憶もある。

 違和感は、ほとんどなかった。


 世界をどちらにもどすとか、進めるとか、唯一の神の名を呼ぶとか、欲望を認めるとか、そういう高邁で原理的な思想をすべて捨象したところに、サアヤの笑顔を見つけたら、反射的にその手をつかんでしまっても異とするにはあたらない。

 そんな彼女の言葉を虚心坦懐に受け止めつつ、チューヤは言った。


「ゴータマさん、か。そうだな、たしかにゴータマさんの思想には、共感する部分が多い」


 そうやって学んだ高校生は、やがて、この世と、かの世とを、共に捨て去る。

 蛇が脱皮して、古い皮を捨て去るようなものである。


 ──ぞわり、とチューヤの背筋が震えた。

 ゴータマさんのむこう側に、開けている道が一瞬、見えた気がした。

 それは永劫への回帰か、あるいは破滅の門か──。



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