21
「遅かりし由良乃介ぇ」
演劇風に大仰な所作で立ち上がり、ふりかえるケート。
リョージは苦笑しながら、まずはサアヤに視線を向け、
「いいのか? 女の子がこんな時間に」
「私、きのうは男子だったのかな?」
「連日の遅いご帰宅には、ご家族もご心配なされよう? と」
ケートは腕組みして、軽く首を振った。
「だから女子は帰れと、さっきから100万回ほど言ってる」
「まあ、これは男の戦いだからな。サアヤ、今回は遠慮しとけ」
「えー? 見たいのにー」
リョージとケートは真正面から向かい合い、
「議論の結果ならあとで聞かせてやる。ボクが勝つに決まっているが」
「だからウサギとカメの話は決着ついたろ」
「どちらかが諦めないかぎり、決着などというものはつかんのだ」
「はいはい、そうでした。場合によってはオレの負けでもいいけど?」
ケートは憤慨してベンチに片足を載せ、腕をまくる。
「なんだと? 調子に乗るなよ、リョージ。貧民のくせに、いい気になって見下しやがって」
「いや、いまの言動、あきらかに見下してるのはおまえだろ」
「黙れデカブツ! 身体の大きさが戦力の決定的差ではないことを教えてやる」
「はいはい、わかったよ。ちょっと待ってろ、駐輪場にバイク置いてくるから」
背を向けるリョージに、ケートはぶつぶつと苦言を呈する。
「岡持ちとか、つけてくるんじゃないよ。まったく緊張感に欠けるやつだな」
「……さ、行くぞサアヤ。駐輪場まで案内してくれ」
「ぶー。あとでちゃんと教えてよねー」
リョージに連れられて、サアヤが公園の外に導かれていく。
ボソッと割り込むチューヤ。
「でもさ、じっさい、負けたじゃん、ケート」
「TKOだ! キミが止めたから、しかたなくその結果を受け入れただけだ」
「おまえらが目線で、そろそろ止めろって言うから」
「読み過ぎるくらい空気を読める、そのキミの感覚を買ったんだ。目を外に向けていれば、だが」
ケートがチューヤを立会人に選んだ理由が、このあたりにある。
再戦するにおいても、チューヤを選んだ意図を汲むとわかりやすい。
「まあ、負けたっていってもさ、リョージだって言ってたじゃん。この差は純粋に体格だけだって。同じウエイトとタッパがあれば、勝ったのはケートだったって」
「黙れ! ビジネスの世界は結果がすべてなんだ。喧嘩だってそうだ。敗者の言い訳ほど醜いものはない」
ケートは、ぱたぱたと足を踏み鳴らしながら、自分のなかに折り合いを見つけようとしている。
「わかってるよ。ケートは一度も言い訳してないし、かっこいいと思うよ」
チューヤもその点、素直に認めている。
「諦めないかぎり完全に負けたわけではない。つぎに勝った者が勝者なのだ。ビジネスでも一度失敗しようが……」
「ビジネスの話はいいよ。諦めてないから、まだ試合は終了してないんだろ」
ケートはゆっくりと首をまわし、けだるそうにベンチに腰掛けるチューヤをねめつける。
「第二試合が開始されるんだ。さっさと立て。キミを再び審判に指名してやる」
「めんどくさい男っすね……ほんと、昭和の青春って感じ」
「あのころのボクとはちがう」
「昭和? あ、いや、向こうもだいぶ、ちがうと思うんだけど」
チューヤの脳裏に、遅まきながら組みなおされる時系列。
「ボクシングや護身術にも磨きをかけた」
「向こうは、それ以上の力を身につけているかもしれないよ?」
チューヤの言葉を、ケートは当然のように聞きとがめた。
「なにを言っている、チューヤ。……なにか知っているのか?」
「い、いや。俺はべつに……」
「ふん。とにかく、やつとはいずれ決着をつけなきゃならないんだ」
意外にあっさりと引き下がり、ケートは再び公園の外に視線をもどした。
チューヤは考える。
リョージとケートは、仲はいいとは思うが、ときどきこぶしで決着をつける、というわがままを言い出すケートに付き合って、ガチンコ対決イベントが催されることがある。
それは、いい。
どっちも、ある程度は事情を理解してやっている。
リベンジを挑む以上、ケートもそれなりに身体を鍛えるなりしているのだろう。
じっさい怠け者のチューヤの目から見ても、ケートの五体はかなり絞り込まれている。まともに喧嘩をしたら、体格に勝るチューヤもまったく勝てる自信はない。
リョージに言われるまでもなく、同じウエイトで戦えば、ケートはトップクラスの実力を持っている。
だからこそ、はるかにウエイトのちがうリョージに対しても、真っ向からタイマンを挑んで、それなりの勝負をする。
だが、いまのリョージは、きのうまでのリョージとはちがう。
まさか、同級生との喧嘩で悪魔の力を使う、などという大人げないことを、リョージがするはずもない、とはわかっているが。
「待たせたな。ケート」
空手でもどってきたリョージは、軽く腕をまわしながら、上着を脱いだ。
「ふん。吐き気のする因縁に決着をつけてやる。覚悟はいいな?」
「どうしてもやるのか?」
「いまさら命乞いか」
ゆらり、と体躯を沈める両者。
こうなったら、もう気が済むまでやらせるしかない。
チューヤはふたりのあいだに立ち、派手なリアクションで言った。
「んじゃ、いくよ。……コホン。
リョージィイ、バーサァス、ケイィートォオ! ラーンドワーン! ……ッファイッ!」
「たく、ふざけやがって」
苦笑いとともに、間合いをつけるリョージ。
一方、ケートは最初から、禁断の世界に足を踏み入れる。
「見せてやるよ、リョージ。人間を超えた力ってやつをな。……エグゼ!」
「……なに!?」
チューヤとリョージは、同時に目を見開く。
自分たちがその技を使っていいものかどうか迷うそばから、本来、そんな武器を持っているはずのない側のケートが、悪魔の力を起動してきたのだ。
これは、どんなサプライズイベントだろう?
「くらえ、ニードルゥウ、ストライィーク!」
ケートの上半身に浮き上がる針山のようなトゲの塊が、ぶわっ、と膨張したつぎの瞬間、一点から弾けてリョージに襲いかかる。
「ヴェノムカッター!」
反射的に起動されたリョージの悪魔の力が、直撃の瞬間に発動して、襲い来る針の衝撃波を弾き返す。
それを見たケートは一瞬、驚いた表情を見せるが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、
「やっぱりな、そういうことかよ」
「そーいうことって、どういうことだよ、ケート。おまえ、なんでその力を」
「デメトリクス社の恩恵は、すでにこちら側の世界線も侵食してるってわけだ」
ケートから聞くべきことは、かなり多そうだった。
「キミらが飲んだのは、これだろ?」
ケートがポケットから取り出したのは、1個のカプセル。
黙ってうなずくリョージとチューヤ。
ケートは、カプセルをぐっと握りこみながら、
「こいつをつくっている会社、デメトリクス社は、うちの父親も出資してるベンチャーキャピタルなんだよ」
「つくってる会社が、あるのか」
半ば阿呆のように、チューヤとリョージは声を合わせた。
冷静に考えるまでもなく、だれかがつくったから、そのモノはそこにある。
当然のことなのだが、チューヤたちはなんとなく、それは異世界線のほうから流れてきたモノだと思っていた。
だがモノが流れてくるということは、技術も流れてきているということだ。
であれば、こちら側でもそれを製造することはできる。
「悪魔相関プログラムを内蔵したDNAチップ、ナノマシンってやつだよな」
チューヤの言葉に、ケートはうなずいた。
「そうだ。ARMSといわれる長大なプログラムで、全人類の適性に合わせた発現が可能となった。天才の熱狂がつくりあげたとしか思えない、変態的なプログラムだよ。個々人の才能に合わせた、あらゆる実行が可能となっている」
リョージは脳内にナノマシンを起動しつつ、自己のパラメータを確認する。
「オレはAタイプらしいんだが」
「そうか、おまえらしいよ。ボクはAMの重複型だ」
「それって、AB型みたいなもんか?」
「血液型みたいに言うな。アビリティもマジックも同時に身に着けられる、天才型の賢者タイプだよ」
「で、俺は少数派のSタイプ、召喚士さまと」
チューヤも胸を張って言ってみたが、現状さほど響かなかった。
ケートはカプセルをポケットにもどし、改めて身を低く構える。
「とにかく、お互い悪魔の力を持っているなら、条件は互角だ。──決着をつけようぜ、リョージ!」
ふりまわしたケートの腕から放たれる疾風は、彼が悪魔の力をそうとう使いこなせることを意味している。
一方、跳躍して躱すリョージの運動能力も、悪魔の力によって強化されていた。
「待て、やるのはいいが、まず理由を説明してくれ。なんでオレたちが喧嘩しなきゃならないんだ? まさか、まだウサギとかカメとか言ってるんじゃないだろうな」
「それどころじゃなくなったよ、残念ながらな。……ルイとかいうやつと、手を切れ」
両手に強力な魔力の弾丸をためながら、ケートは静かに言った。
リョージはゆっくりと顔を上げ、
「どういうことだ? あの人はただの」
「ただの酔っ払いだ、とでも言うつもりじゃないだろうな。……ミッテルの機密情報を盗んだ産業スパイだぞ、あいつは」
「産業、スパイ?」
「ボクの名を騙って葛西の事務所に侵入した」
そのとき、再び新たな声が夜の公園に響く。
「それは本当に、私だったのかね?」
一斉に声の方向をふりかえると、昨夜と同じ姿の自称政府系コンサルタント・ルイが、サアヤに連れられてやってきていた。
「サアヤ?」
呼ばわれて、言い訳がましく説明するサアヤ。
「や、公園の近くで偶然、会ったのよね。で、みんなの話になって、青春の激突を展開してますぜって教えてあげたら、ぜひとも見たいって」
「ルイさん!」
「どうなってんだ、これ」
状況の理解が追いついていないリョージとチューヤを無視して、かなりインサイダー側にいるケートが鋭く声を発する。
「ここで会ったが百年目だ、クリス……!」
「あいっさー」
軽い声を上げながら、さらに新たなる登場人物。
ケートの呼び声に呼応して、緑の帽子をかぶった朗らかな青年がひとり、空中を舞うようにして姿を現した。
直後、彼は有無を言わさぬ勢いでルイの間近まで突撃する。
「殺風檄!」
「暗黒陣!」
クリスとルイ。ふたつの強大な力が交錯する。
その力はほとんど一点に集中していて、間近にいたサアヤの髪の毛をわずかに揺らす程度の衝撃しか、外部には漏らしていない。
だが見る者が見れば、両者の間に交わされた魔力のエネルギーが、どれほど強大で激烈なものだったかがわかる。
最終盤のスキルを交錯させ、直近で視線を交わすルイとクリス。
「さすが、ルシ……いえ、コンサルタントのルイ氏。眉毛ひとつも動かしませんね」
「そちらこそ、クリシュ……ミスター・クリスでよろしいのかな?」
クリスは身軽に距離を置き、ちらりとケートのほうに視線を転じつつ、
「所属はインドのミッテル・コンツェルンですが、日本法人では大株主である西原家の御曹司と、親しく付き合わせていただいておりますよ」
「なるほど、道理で、葛西あたりでお見かけした記憶があった。私のほうの自己紹介は必要かな?」
「いいえ……ですが」
ふたりの会話は、しかしそこまでだった。
チューヤはハッとして、襟元に忍び寄る寒気に全身を震わせる。
同じ体験をしたサアヤも、震えあがって押し寄せる恐怖に唇を嚙んだ。
「世界線が」
「揺れている」
「またかよ……っ」
ぶん……!
景色が二重になり、それからもとにもどる。
あちら側とこちら側の世界線が重なり、第三の状態へ。
それは足元から押し寄せ、新たなる状態に更新された世界は、まずチューヤたちを地の底に飲み込むことから始める、と決めたようだった。
ぱっくり。
地面に開く口。
支えを失ったチューヤ、リョージ、ケートの三人が、どちらの世界でも揺るがない重力というエネルギーに引っ張られて、消えていく。
「おっと、危ない」
急激に広がる暗黒の口に巻き込まれ、落下しかけたサアヤの手を取るルイ。
クリスは一瞬、ケートを助けに行くべきか逡巡したが、すぐに諦めたらしく、肩をすくめて黒い穴から距離をとった。
同じくサアヤの手を取り、そこから離れようとするルイに、
「離して」
「なに?」
「みんな助けないと、私はいっしょにいないと!」
「しかし……」
一瞬の隙にルイの手を振り払うと、開かれた大口に向かって身を躍らせるサアヤ。
つぎの瞬間、大口はぱっくりと閉ざされ、周辺にはいつもの善福寺公園の景色だけが広がる。
──ルイは静かに、クリスに視線を転じる。
「……どういうことだね、クリス」
クリスは肩をすくめ、
「世界は、われわれの力だけで動いているわけではない。それは、あなたもご承知のとおりだ」
「私は、きみたちのコスモスを認めないが」
「われわれも、あなたのカオスを否定する」
交わされる視線の先は、あまりにも複雑系だ。
ただ、両者が合意していることもある。
「しかし、世の中には別の秩序、別の混沌もある」
「そういうことですね」
ふたりは同時に、閉ざされた黒い穴に視線を落とす。
「彼らが世界を理解するか、それともそのまえにすべてを放棄することになるか」
「楽しみですか?」
「いいや。それほどでもないな」
ルイとクリスは、最後にそれだけの会話を交わし、緩やかに別方向へと歩き出す。
東京の地下には、まだコスモスでもカオスでもない(あるいはその一部でありながら、そのものではない)世界が、広がっている──。




