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「ここは、嵐が丘と呼ばれるにょですよ」
ブブ子の声に呼応するように、空気が渦を巻いた。
「……天気?」
チューヤの素養では、これから嵐がやってくる、くらいの意味しか受け取れない。
ブブ子はゆらりと歩を進め、半ば埋められた山田を見下ろす。
一瞬、その目に希望の光を宿す山田。
「わるい人たちを罰するのは神様の役目だよ。私たち人間は許すことをおぼえなくちゃ」
演劇的な「セリフ」を詠むブブ子。
山田の膨らむ希望を、その冷酷な笑みが凍りつかせる。
『嵐が丘』には無数のキャシーが、ヒースクリフを待っている。
復讐に燃えたヒースクリフを……。
チューヤがあのとき、パーティにヒナノを選んでいれば、別の展開があっただろう。
前述、ヒースクリフにキャシーがかける言葉も含め、エミリー・ブロンテによる世界三大悲劇のひとつ『嵐が丘』を、欧米文学に通暁する彼女なら精緻に解説してくれたはずだ。
愛するキャシーが病気で死んでも住みつづけ、40年後に彼女を追って死んだ、ヒースクリフの物語……。
ブブ子の視線の先、山田の肉体を穿って縛る魔力回路が形成されていく。
彼は生きたまま、この土地の「人柱」となるのだ──。
そんな呪いのサーキットが組み立てられているなど慮外の域で、チューヤたち3人は馬鹿げた会話をしている。
「百合ヶ丘なら住んでる知り合いいんぞ。まえの地元で、チョーシくれてたからシメたけどな」
マフユの言葉に、
「カワサキ国出身だもんな、マフユは」
相槌を打つチューヤ。
「フユっちが百合とか言うと、なんかしっくりくるね!」
サアヤも呑気に応じている。
やがてふりかえったブブ子は、状況の推移を察していない三人を呆れたように眺めながら、
「あなたたちも、たいていバカチンだということを、どうやら忘れていたですよ」
さすがのチューヤもカチンとくる。
「どういうことだよ、ブ……部長。せっかく助けてやったのに」
「そのブブチョウ、いいかげんやめるですよ。腹の立つ。……ぼくは調べたですよ。魔界の民が、なにを企んでいるか」
ブブ子の上に、徐々に形成されていく魔術回路。
「魔界って悪魔の住んでる国だよね!」
まだサアヤは呑気だ。
ブブ子は口元に侮蔑的な笑みを浮かべ、サアヤからマフユに視線を移す。
「そう、そこの女の故郷ですよ。……すごいですよ。そこのニョロっとした女子が考えていることは。ほんとに怖いですよ」
「ああ? なんだ、てめえ」
マフユはもちろん、ケンカを買うタイプだ。
「まあまあ。マフユはまえから怖いから」
チューヤがなだめにはいるが、
「どっちの味方だ、チューヤ」
マフユが状況の確定を急ぐ。
そろそろ、ブブ子が「まともではない」ことに、チューヤも気づきはじめていた。
あるいは彼女が、この境界を形成しているのか……?
「そいつにつくのは危険なのですよ? 中谷部長」
一瞬、ぎくりと背筋をふるわせるチューヤ。
見透かされている。
危険人物の名を叫べ、と言われたら、残念ながら真っ先に思い浮かぶのは……。
ゆっくりとふりかえり、マフユを見つめる。
この行動自体がタブーのような気もするが、ブブ子から放たれる異様な魔力が、マフユへの注目を強いる。
「マフユは……人類滅亡のために、なにを企んでいるの?」
「べつに、あたしはなんも企んでねえよ。ただ、自然にそうなるだけさ」
マフユは冷たく言い放つ。
「なるわけないでしょ! 正直に言わないとぶつよ!」
サアヤじみた叫び方で迫るが、
「だから知らねえって言ってんだろ」
マフユはそっぽを向いた。
「その女は、東京を滅ぼすつもりなのですよ。いや、東京だけじゃない。世界を滅亡させる大計画なのです」
にやにや笑うブブ子。
「くだらねえ。その手の世界終了ものが見たきゃ、石でも投げれば当たるから拾って読め」
言いつつマフユがなにかを投げた。
一大ジャンルを築いているくらい、滅亡系のフィクションが食傷気味であることは、
「否めないけど、ほんとに終わらせようって狂信者もいるからね」
「中途半端なやつらだ。やるなら、ちゃんとやれってんだよ」
「やっちゃダメでしょ! で、どうするのがちゃんとなの?」
「ミサイルでも落とすか?」
冗談のように言っているつもりなのだろうが、マフユが言うとシャレにならない。
ブブ子は人差し指を立て、淡々と言った。
「計画は、いくつかあるはずですよ。もちろん重火器を使うのが映画的で派手なのはまちがいないですが、悪魔はいやらしく、クレバーですよ。とくに、この手の魔女は、毒物を使うのが得意なのです」
ちらっ、と視線がサアヤに移った瞬間、チューヤは足を踏まれて短く悲鳴を漏らした。
「世界人類を毒殺なんかできるわけないでしょ!」
「ウイルスばらまいてバイオハザードっていう映画は多いけどな」
「局地的なら、水を使うのがわかりやすく効果的ですよ。……荒川の浄水場の周辺に、どんな悪魔がいるか考えるといいですよ」
ぞわり、とチューヤの全身が総毛立った。
まさか、マフユは──。
「もういいだろ。正体あらわせよ、ブブ子」
「……その呼び方は、イジメなのですよ」
やおらブブ子の表情が暗くなった。
ちょっとした小太りで、豚っ鼻で出した「フゴッ」という音を、どこかのタイミングで聞かれてしまった瞬間から、彼女の小中学時代の呼び名は「ブブ子」に決定した。
そんな過去を、だれも知らない高校に、進学しようと決めた。
荒川区の話など、練馬区の住民が知るはずもない。
そうして国津石神井高校で、新たな自分デビュー、オカルト部・部長という肩書を手に入れた。
「なんだよ、彼女のこと知ってたのか、マフユ」
「いま思い出したんだよ。志茂出身の十条のキャバ嬢が、そんなこと言ってたんだ」
北区・志茂には、なでしこ中学校というものがある。
現役キャバ嬢の彼女は、中学校時代、北区から荒川区に引っ越し、そこで、なでしこという本名を持つブブ子の存在を知った。
その後、彼女は十条のキャバ嬢として、北区に舞いもどった。
ある日の店で、用心棒のようなバイトをしていたマフユと知り合い、そんな話をした。
人は、どこでどうつながるか、わからない。
「てか、高校生でキャバ嬢はまずいだろ!」
「あ? 履歴書は18歳に決まってんだろ」
「…………」
そういう世界が実在するのだから、しかたがない。
「暗黒の北区、侮れないですよ」
「ちっとも褒めてないよね」
「足立区のつぎにヤバいってことだろ」
「怒られるよ!」
東京の北方勢力図はともかく、
「──ロキは、ベルゼブブと組んでいるのか」
「はっ。そういや、そんな名前の大物もいたな。仲間ってわけじゃねえけど、目的が共通してりゃ、お互いにやるこた決まってんよな」
マフユとブブ子が、線でつながっていく。
チューヤは警戒しながら、忌まわしい女たちの背後を忖度する。
「どういうことだ、おまえら、なにをするつもりだよ!?」
「……だからよう、べつに、なんもする必要なんてねえんだよ。人類の役目は、もう終わったんだから、あとは消えっちまやいいだけさ」
「役目ねえ? どこのおっさんに吹き込まれたのやら」
嘲弄するブブ子。
たしかにマフユらしくない言いまわしだ。もちろん彼女の考えであるわけがない。
ただ結論が、彼女の意向に沿ったから受け入れた、というだけなのだろう。
「最初から言ってんよんな? あたしは知らねえよ、なんにも」
たしかに彼女は、率先して計画を先導しているわけではない。
ただ、あきらかに敵側の内部にいて、その流れの一部、あるいは重要な部分にかかわっている可能性すらある。
「どういうことなんだ、ブ……部長。あんたとマフユは、いったい」
「その蛇が、ロキの手駒ってことは知ってるですよ。ルシファーが太上老君と、なにやら結託していることも。うちらはうちらで、好きにやるだけです。使いっ走りにはちょうどいい蛇かと思って、呼んでみたですよ」
「べつに、フユっちと話したかったら、教室いったらいいじゃん」
「あんまりいねーけどな」
「じゃ部室だね!」
にこやかにコミュニケーションをとる鍋部員たち。
疎外されるオカルト部。
「和気あいあいしてるんじゃねーですよ! ……こほん。まあ、蛇を連れてくることには、たいした意味はないですよ。ただ、北方勢力との窓口を一個、増やす程度の意味ですよ」
「負け惜しみだね」
「悔しいんだ」
「哀れだな」
「うっせーですよ! 大魔王をナメると、えらい目に遭うですよ?」
たしかにベルゼブブは当然に終盤の大魔王であり、こんな序盤に毛の生えたところで出てくるようなキャラはない。
だが、それを言えばルシファーやガブリエルも同様だ。
「つまりブ……部長は、俺たちの敵ではないんだよな? 場合によっては」
味方になれる相手かどうか見極める、そのためにチューヤと絡んだ可能性。
最終盤の大魔王に、そんな動機があるだろうか?
ブブ子は、心底の読めない表情で唇をゆがめ、
「この世に敵以外が存在するなんて、ナメた考えはやめとくですよ。せいぜい生き残るがいいですよ。それじゃ、路面歴程で待ってるです」
「都電、荒川線」
ごくり、と息を呑むチューヤ。
ふだんは愛好している路面電車も、悪魔の気配を感じてしまうと一気にキナ臭くなる。
「荒川線は怖くないですよ。……それじゃ蛇の王、あとは頼むですよ」
ブブ子は言いつつ、一歩、足を引いた。
その影がぐにゃりとゆがみ、境界のあちら側に溶けていく。
境界の形成者が了解して、彼女を外に出そうとしていると考えてよさそうだ。
つまり、この境界を形成したのはブブ子ではないが、彼女の意を汲むもの、ということになる。
「蛇の王……?」
名前的に、シンパシーを感じそうなマフユを見るチューヤたち。
「……あ? なんであたしを見るんだ」
「蛇の王か。ってことは……」
つぎの瞬間、蛇の尻尾のようなトゲが、つぎつぎと地上から突き出されてくる。
「うわっ、あぶね!」
「よけろ、蛇には毒があんぞ」
サアヤを抱えて、ひょいひょいと攻撃を躱すマフユ。
それでも数が多い。
ダメージは避けられず、サアヤの回復と解毒の需要が高まる。
「もう、なんとかして、チューヤ、早く!」
「だから魔法節約だって言ってるのに」
チューヤは飛行系の悪魔を呼び出し、中空に舞う。
「便利なやつだな、おまえ」
「長くはもたん。本体を探せ、マフユ」
「なんであたしが」
「おまえのそのデコに光ってるポンは、なんだ?」
「……はん。気づいたかよ、第三の目に」
マフユはRタイプだ。悪魔の力によって、自分の肉体をつぎつぎに改造していく。
現在のガーディアンは、どうやら鬼女ダーキニーらしい。カーリーの眷族とされ、敵を殺してその血肉を食らう女夜叉だ。
いま、彼女の額には3つめの眼球が開き、敵の隠れ家を見通せる。
「どんどん人間離れしていくな、おまえ」
「そのうち6枚羽根でも生やしてやんよ。──そこだ!」
空中から飛び降りながら、右腕を硬化させ、槍のように突き刺す。
地面が揺れ、跳ね上がった下から現れた、巨大な蛇の王。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
ナーガラジャ/龍神/35/紀元前/古代インド/ヴェーダ/井荻
かなり手ごわい。
しかも無数のナーガを引き連れ、乱戦の様相。
敵の布陣も確定したので、地上に着地し臨戦態勢を整えるが、多勢に無勢だ。
「はじめてのガーディアンだったやん、マフユ、会話で穏便に片付けらんないの?」
「ああ? バカかてめえ、人類に会ったことがあるって理由で、拳銃ぶっ放してきてるやつにも仲良くして、とか言えんのか?」
いまいち意味が通じづらいが、勝手な仲間意識は危険、というほどのニュアンスだろう。
そもそも戦いはじめたら、人類同士がいちばん凄惨だ。
勝手に仲間意識を主張することに、意味はない。
「……偉そうにしてやがんな、取り巻き連れてよ」
「おまえの王様だろ」
ナーガラジャ。並のナーガより強力な力を持ち、その意味は「蛇の王」。
本来は西方勢力だが、解脱して仏教徒になった。
「あれ、中尾先生じゃない?」
サアヤがアホ毛をピンと立てて言った。
だれとでも仲良くなる彼女は、どこにでも知り合いがいる。
「あんな先生、見たことないぞ」
「学校の先生じゃないよー」
つぎの瞬間、中尾先生ならぬナーガラジャは叫んだ。
「そもさん!」
仏教徒の戦いがはじまる……。




