20
「いる、近くに。私にはわかる。死にかけてる人が、近くに……」
ぴくぴくとアホ毛を揺らし、サアヤは言った。
「まえから気になってたけど、なんなんだ、それ」
やや後方から眺めるマフユ。
「なにって、毛でしょ」
自分の前髪を指さすサアヤ。
「ある種のセンサーらしいぞ。妖怪アホ毛アンテナ」
補足するチューヤ。
「なんのこっちゃ」
マフユならずとも理解不能だ。
──サアヤは変なところにつむじがあるため、前髪の一部がピョコンと逆立っている。
これを一般に「アホ毛」と呼ぶ。
このように、ふつうとちがうところに「まいまい」があると、夢の世界に旅立つことができる、という設定が高樹のぶ子『マイマイ新子』にある。
アニメ映画にもなって有名だ。
「人によるらしいが、サアヤの場合は、近くに死にかけた人がいると、アホ毛が反応するらしいんだよ」
チューヤが説明してやると、
「いつからあったんだ、その設定」
マフユもびっくりだ。
ぴくぴくと揺れる毛の先が、闇の彼方を指した。
「……あっちかな?」
トリュフを探すブタのように、とチューヤが表現したところぶん殴られたので、麻薬を探知するイヌのように、灌木の先の茂みに目を凝らすサアヤ。
ふきの下をめくってみれば……コロポックル。
小さな地霊が、瀕死の状態で横たわっている。
「さすが、死にかけを探す妖怪アホ毛アンテナ」
デビルアナライズの通知を見ながら言うチューヤ。
「たすけて……」
弱々しい声で救いを求める悪魔に、
「だいじょぶ、すぐ助けてあげるから」
当然のように回復魔法をかけるサアヤ。
すべてを疑うマフユの目が厳しく光る。
「クサイな」
通常、サアヤのこのアンテナは「役に立つ」ことが多い。
だが、ときにはわるい目を引くこともある。
「……ごめんなさい」
コロポックルの声が、かすかに響く。
「離れろ、サアヤ……っ」
マフユの腕がサアヤを引きもどす。
ぱかっ、と開いた細胞壁の口が、サアヤを噛み裂こうと空を切る。
ぎりぎりで引きもどしたマフユの下で、大地が割れた。
巨大な落とし穴は、自動的にその口を開く。
地霊がもう一度回復魔法をかけた瞬間、開いたのは巨大な「葉」で隠された地面の大穴。
オジギソウやハエトリソウなどが、一瞬で葉を閉じる「植物応答」という反応によく似ている。
ハエトリソウの場合、20秒ほどの間に二度、感覚毛に虫が接触すると葉を閉じる。
一度だとゴミや埃などが飛んできた可能性もあるからだ。
今回の場合、二度の回復魔法をきっかけとして、活動電位が閾値を超える。
そういう罠に、彼らは堕ちた──。
「おい、人間オートマッピング野郎」
背後からのマフユの声に、
「……呼んだ?」
いやそうにふりかえるチューヤ。
あざ笑うサアヤ。
「自覚はあるんだね」
「しょうがないでしょ、3人しかいなかったら、サアヤか俺なんだから!」
チューヤの苦言を無視して、
「方向わかってんだろうな? なんかさっきから、同じところウロウロしてる気がするんだが」
マフユが追及する。
──落とし穴の底は、ご多聞に漏れず「迷路」になっていた。
入り組んだ木の根と幹と枝が、解決困難のダンジョンを形成している。
この手のステージはよくあるパターンで、ゲーム的には慣れているといっていいが、現実に直面してみると──むずかしい。
「気のせいだよ、と言いたいところだけど、そうかもね」
人間オートマッパーをしても、高難易度だ。
「それ以外に取り柄ないんだから、ちゃんと働けよ」
手厳しいマフユ。
「うるさいなあ。さっきから考えながら歩いてるよ。──たぶん、道が組み替えられてる」
早速、取り柄を発揮するチューヤ。
「どういうこと?」
首をかしげるサアヤに、
「さっきは、ここに壁なんかなかったんだよ」
いまはある壁に手を添えて答える。
「じゃ、さっきと別の場所なんじゃない?」
一応、疑問を呈してみるが、
「俺の感覚が正しければ、同じ場所だと思う」
チューヤの結論は揺るがない。
「じゃ同じだ。フユっち、この壁、ブチ抜いちゃって!」
彼が同じ場所だと言ったら同じだ、とサアヤは信じている。
「信頼してんだな、サアヤ」
どこか不満げなマフユ。
「方向感覚だけはね。こいつ目つぶって駅のなか歩けるから」
「それ、ただ黄色い線の上を歩いてただけじゃ……よいこはマネしないでね」
「よっしゃ、この壁ぶち抜いたらいいんだな」
マフユが気合を高める。
なにをする気だろう、と思っている間に、踏み込んだマフユの足が壁を一撃、破壊した。
疑いもなく暴力的な彼女は、幼いころから、壁は破壊するものだ、という体験的な教育を受けてきた。
どこのご家庭にも、思春期の子どもさんが開けた壁の穴のひとつやふたつ、あるはずだ。
マフユの場合、その例が極端なだけである。
「……あいかわらずクセのわるい脚だな」
いつ自分に飛んでくるか、チューヤの心配はそれだけだ。
「ちっ、こんなことなら、最初から壁ぶち抜いて進めばよかったぜ」
ぴょんぴょん跳ねるマフユに、
「いや、ぶち抜ける壁と、そうでない壁があるっぽい」
冷静なチューヤ。
「どゆこと?」
首をかしげるサアヤ。
「俺の感覚がたしかなら、移動する壁には特徴がある。ないはずの壁の違和感を重ねた末に気づいた。──わざと乗り換えさせないつもりなら、強行振り替え輸送だ。ここからは、なるべく直行ルートを取ろう」
春のダイヤ改正後に新しい旅行プランを立てるときに使う脳内領域を、もっぱら転用した結果だ。
鉄道会社間の暗黙の了解に、意図的に割り込んだ不協和音のみを抽出する。
──移動する壁は破壊できる。
この結論に達してからの進行速度は、一気に増した。
最奥部。
そこまでたどり着けただけでグッジョブではあるが、今回にかぎっては「罠の底に着いた」に過ぎなかった。
周囲からはつぎつぎと、悪魔たちが群がってくる。
ここは妖樹の腹の中で、彼らはただ消化を待っている餌に過ぎない。
行き止まりなので、背後を気にする必要なく戦えるが、言い換えれば、逃げ道がない。
いままで進んできた道そのものが、閉ざされてしまった。
鬱蒼と組まれた樹皮の隙間から、悪魔たちが湧き出してくる。
閉じ込めて死ぬまで待つ、というつもりはないようだ。
そこに違和感がある。
閉じ込めておくだけでは足りないから、攻撃をつづけているのだろう。
さっきから、ずっと考えつづけていたチューヤは、最後にピクシーを呼び出した。
「そんな序盤のキャラ呼んでどうすんのよ」
サアヤの苦言に、
「こいつの弱点、知ってるってよ。……な、ピクシー」
チューヤが促す。
「ひさしぶりだね、チューヤ。うん、まーね。こいつ、厄介だよね。倒すには、前面にまわりこまないと」
「どういうことだ、チューヤ」
いいかげん戦い疲れたらしいマフユに、
「俺たちは、敵の背中に取り囲まれている……つまり、隙間をつくって正面にまわりこめってことか」
アナライザのデータを参照しつつ答えるチューヤ。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
スクーズスロー/妖樹/33/中世/スウェーデン/民間伝承/御嶽山
スウェーデンの妖精伝説に登場する森の精の一種で、美しい女性の姿をした妖樹だ。
前面は美しい女性の姿だが、背中は樹木そのものであるとされる。狩人の銃に息を吹きかけ幸運を授けたり、森の中で旅人が眠っている際に炭焼きの火を守るという。
またその見返りとして男に愛を求めてくるが、前面の美しさに惑わされた男は、背面の姿を知った途端に逃げ出してしまうのだという……。
スコットランド系の悪魔なので、チューヤはイングランドの妖精に助けを求めた。
当然(?)、イングランドとスコットランドは仲がわるい。敵の弱点くらいは、よく知っている。
現状、自分たちは悪魔の背中に囲まれている。
背中はいくら攻めても倒せない。正面にまわりこむしかない、という。
「結論から言え、どうすりゃいいんだ」
「厄介な魔術回路が組まれているから、抜けるのはかなりむずかしいみたいだけど……」
要するに、隣り合ったスクーズスローの隙間を、無理やりこじ開けてやる。
相手がそれを閉じるまえに抜け出して正面にまわりこみ、叩きのめす、という算段だ。
本来、チューヤたちはそうとう疲弊した状態で、この奥まった行き止まりの場所にたどり着かなければならなかった。
しかし現状、まだ隙間をつくれるだけの元気が残っていそうだ、と敵は判断したからこそ攻撃をつづけている。
その期待に、応えてやろう。
「よっしゃ、さっさとこじ開けろ」
促すマフユに、
「開くのは一瞬だよ。一瞬で抜けられなかったら、潰されちゃうから」
ピクシーの警告。
「どのみち、やんなきゃ死ぬだけでしょ。……さて」
一歩まえに出るチューヤの、
「待て、あたしが行く」
さらにまえへ、マフユが足を踏み出した。
「行けるのか?」
問うチューヤ。
これが戦術だとしたら、彼もそうとう手練れてきた。
マフユに「行け」と言っても、行ってくれるとはかぎらない。
自分で行かせるように仕向けた、としたらその技量には端倪すべからざるものがある。
「てめえはここでサアヤ守ってろ。いいか、絶対守れよ」
「いや待て、だったらおまえが残って」
「あたしは守るのが苦手なんだよ。敵のどてっ腹ブチ抜いて引っかきまわしてくるのは好きだが、ぶちこまれて引っかきまわされんのは好きじゃねえんだ」
「表現よ……」
らしいといえばらしいが。
「その点、女々しいてめえなら、引きこもって女ひとりくらい守れんだろ」
そして的確である。
悪魔使いは召喚する悪魔によって、攻撃型にもなれれば、防御に徹することもできる。
一方、マフユは先手必勝、一撃必殺を旨とする、著しく偏ったタイプだ。彼女に、ねぐらにこもって民間人を守れというのは、高軌道爆撃機に要塞を防衛させるようなもので、戦略としてナンセンスである。
「わかった、じゃあここは俺が」
戦略としての正しさを認める。
「いいか、死んでも守れよ。あたしがもどったとき、もしサアヤ死んでたら、てめえ殺すからな」
「いちいち脅すな。安心しろ。万一サアヤが死んだとして、そんとき俺が生きているとは思えん」
いくら死力を尽くして守っても、力及ばずに死ぬことはある。
守るべき人の盾になって死んだ後の責任までは負えない、という意味だ。
「うるせえ、だから死んでも守れ、守れなかったら、てめえ殺すって言ってんだ」
「何度死ぬんだよ俺」
詭弁とされる循環論理だが、言いたいことはわかる。
「チャンスは一瞬だよ。最速で駆け抜けないと喰われるよ」
ピクシーの言葉に、
「だれに言ってんだ。あたしが本気出したら、シャブチュウ百万ボルトにだって負けねえよ」
胸を張るマフユ。
「よく意味はわからんが、なぜかそうだろうなと思えるところがすげーわ」
うなずくチューヤ。
「フユの瞳は百万ボルト、地上に堕ちた最後の蛇よ♪」
歌うサアヤ。
マフユはスタートラインに立ち、クラウチングした。
彼女の「速さ」は、一頭地を抜いている。
チューヤは悪魔を召喚し、戦術を伝える。
「いいか、一点突破の火炎魔法で森に隙間を開ける。森が再生するまえに抜けろ」
「うっせーな、わかってんよ。せいぜいデカい穴ァ頼むぜ」
チューヤの指示で、悪魔が巨大な火炎魔法を使う。
ダメージは微々たるものだが、わずかに破れた包囲網に向け、マフユが突っ込んだ。
「いけー、カワサキのケツァルー」
どこか間の抜けた応援。
その動きはまさに電光石火で、瞬時に見えなくなった。
その後、マフユがどこで、どう動き、どう戦い、どう勝ったのかはわからない。
ただチューヤたちは、わずかな綻びから森が枯れるという厳然たる事実を見、やるべきことをやったマフユの功績を思った。
彼女は、あらゆるものを引き裂き、破壊する。
そういうタイプの人間であることを、あらためて思い出す。
一瞬、開いた森の隙間から見えたものを、チューヤは忘れない。
あわててふりかえり、サアヤの視線を遮った──。




