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「で、お嬢の()()は、どうなんだい?」


 机に座ってぶらぶらと足を揺すりながら問うケート。


「人間になった、ということの意味ですか? ええ。おそらく()()()の措定された時点、と考えるべきでしょうね」


 ヒナノは静かに答える。

 ──自然法は、事物の自然本性から導き出される法の総称である。

 人間を念頭に置く場合、それは「倫理」と意味内容がかなり重なる。

 神、自然、理性、といった概念を法源とする、人間が生まれつき持っている、本源的な共通意識だ。


「さすが文系特進。法律の立場からのご理解とは、恐れ入ったね」


「理系の立場は聞き飽きたのでね。ゲノムとか突然変異とか解剖学的ヒトとか、そういう無味乾燥な言葉に」


「おやおや、法律とか哲学とか、そういう世界こそウィットやエスプリの介在する余地がない、ドライな利益相反社会じゃないのかい」


「法律は、運用こそ本質なのですよ。その潤滑剤は、しばしば紅茶です」


 英語の通じるケートに、ヒナノが用いたのは「Wet the tea」という言いまわしだった。

 ウェット・ザ・ティー(紅茶を淹れる)という慣用表現は、アイルランドでよく使われるイディオムだ。

 それが単なるダジャレか高尚なエスプリかはともかく、あいかわらずケートとヒナノは仲がよろしくない。

 部室の片隅で、チューヤとサアヤは、そんなふたりをアホの子のように眺めている。


「なんか意味がわかんないやり取りだね」


「当人同士には通じているらしいから、そっとしておこう……」


 日本人の一般ピープル(バカ夫婦)は、こそこそと距離をとった。

 別の片隅には、洗い物をするリョージと、寝こけるマフユがいる。


「おいマフユ、目ェ覚ませ」


「うっせえな、リョージ。あたしを起こしたかったら飯をつくれ」


 巨躯同士というだけで、なんとなくお似合いだ。


「食ってすぐ寝ると太るらしいぞ」


 リョージの物言いは「女の子」には効果があるが、


「それはあたしに言ってるのか?」


 マフユはエネルギー効率のわるい女として有名だ。


「いや、健康にわるいだろ」


 方向転換を余儀なくされ、


「じゃあ寝ながら食うよ」


 あんぐりと口を開けるマフユは、おそらくいい夢を見ることだろう。

 リョージがポケットにあったパンの残りを放り込むと、マフユは満足げにもぐもぐやっている。

 それをすこし遠くから眺める、バカ夫婦。


「あれはあれでお似合いだね」


 ほほえましく言うサアヤに、


「一方的にリョージが損してねえか?」


 若い意見を返すチューヤ。

 彼が、世の中、完全に平等な男女関係など、そもそも存在しないということを理解するには、まだ時間がかかりそうだ。


「チューヤはまだまだお子さまだね」


 自分のことを棚に上げて大人ぶるのは、女子らしくもある。

 チューヤはなぜか、自分の甲斐性なしを責められている気分になり、


「男子諸君、いまこそ立ち上がれ!」


 部室に糾合をかける。

 生ぬるい視線がチューヤに集まり、やがてゆるやかな流れが部室中央へ。

 六角形のテーブルを囲み、6人の視線がなんとなく移ろい、まつろう。


「で、なんでリョージは、()()を知りたがった?」


 口火を切ったのはケート。


「……オレが? なんの話だ」


 応じつつ、予測を立てる。


「忘れたとは言わさんぞ。おまえは()()()()()()()と選んだな?」


 だいぶ遡る話だが、たしかにチューヤとサアヤが現在、ケートとマフユが未来を選んだのに対し、リョージとヒナノは過去を知りたいと選んでいる。


「お嬢はわかる。考古学趣味が横溢してるからな。おまえはなんだ、リョージ」


 ケートが掘り進む。


「ちっ、らしくねえってか?」


 リョージにもある、底知れぬ世界。


「人間はどこから来たのか、って顔かよ、おまえ」


 ケートは掘るのをやめない。


「はは、顔で人を判断すんなよ。──320万年まえのルーシーから、すべての人類ははじまったらしいぜ」


 最近、リョージも古人類学というやつに親しんだ。


「よく見りゃおまえの顔、ルーシーだな、ってなるか! 濃い顔だが」


 突っ込むケート。


「ウッキー!」


 冗談めかして話題の収束を図る。

 その会話に割り込むサアヤ。


「リョーちんはイケメンだよね、ヒナノン!」


「なぜわたくしに振るのですか」


 ヒナノは応じないが、


「サル系のイケメンだな」


 めずらしくマフユが加わり、


「けどさ、リョージが人類はどこから、ってちょっと唐突じゃね? ケートの多元宇宙とかブラックホールは、無茶苦茶わかっけど」


 チューヤが「全員の問い」としてまとめた。

 しばらく部員たちの視線を集めてから、リョージはひとつ咳払いをした。

 自分から話柄を開いていくことに慣れてはいないが、彼には言うべきことがあった。


「……聞いた話だ。ルイさんと欧陽先生が、話してた。()()()()()()()()()()()()のは、正しかったのか、とかなんとか」


 一同、動きを止めた。

 この流れは、かなり深層に食い込む。


「ルイさんは知ってるけど、欧陽先生って……」


 サアヤをはじめ、女子の視線がリョージに集まる。


「ああ、チューヤ以外はまだ知らなかったっけ。ケートは……」


 視線を移すリョージ。


「ボクも直接は知らん。だが、なにしろ敵の大ボスだからな。名前くらいは知ってる」


 ほんとは、もっと知っているケートだが、リョージの口から語らせたい。


「大ボス? またおまえは、そうやって問題を大きく……」


 ともに中華料理店を訪れたチューヤはリョージに側に立つが、


「必死に矮小化したがるキミのほうが問題だぞ、チューヤ。いいか、ルシファーは太上老君と近しい関係にある。どういう関係かは、まだよくわからん。そうとう深い関係があるらしい。欧陽先生ってのは、その太上老君のことだ。──そうだな?」


「ああ、まあ、なんかそうらしいな」


 そこまでは周知だろう、というリョージの視線を、


「中華街にかかわっていて、知らないやつはいねえよ。川東連合だって、そのチャイニーズの名前聞いたら、あんまり無茶はしないくらいだ」


 受け止めて言うマフユ。


「そ、その欧陽先生が、リョージの中華料理の先生なのかなー? なんちゃって」


 そちら側へ問題が広がった時点で想定を超えた、残念なチューヤ。


「ああ、まあそうだな。それから武術みたいのも、最近習いはじめてるぞ」


 型を見せるリョージに、


「聞き捨てならないな。そもそも道教のボスと、キリスト教最大の悪役がつながっているのは、あまりにも……」


 果てしなく広がるケートの陰謀論。


「胡乱、ですわね」


 ヒナノも興味を抱かずにはいられない。

 ──東京を分断する、四大勢力。

 中華系、インド系、唯一神系、そして原初暗黒系。

 だれが生き残るのか、まったく予断を許さない。


「あのー、中庸日本神話系、っていうのは数に入れてもらえてないんスかね?」


 チューヤの言葉に、一同はようやくそのことを思い出した、という表情。

 彼自身の存在感は、役に立っている度合いに比べて、あまりにもなさすぎる。


「仏教系の少女もここにいるよう」


 挙手するサアヤ。


「日本は神仏習合だから、おまえらはいっしょくたでいいだろ」


 めんどうになったらしいケートに、


「えー?」


 声を合わせて不満を呈するチューヤとサアヤだが、相手にしてはもらえなかった。


「──踊らされてんだよ、おまえらも全員、結局な」


 突然、マフユが冷たい口調で言い放った。


()? じゃあおまえ()闇の連合に、どんなダンスを仕込まれたんだ、蛇女」


 ケートとマフユが絡むと、必要以上に会話がピリつく。


「レッドスネーク、かもーん」


 緩衝材を自任するサアヤに、


「ピー、ヒョロヒョロヒョロ~、ってバカな話は」


 のっかる相方チューヤの動きに合わせ、


「おいといて。フユっちは、悪魔にこの世界を売りわたす側なの?」


 まとめるサアヤの問いは、全員の問いでもある。

 ──この6人のなかで、たしかに()()()()()()()()なのだ。

 彼女は敵かもしれない……すくなくとも、味方ではない。


「そんな悲しそうな顔すんなよ、サアヤ。()()()()()()()は、それぞれが選べばいいし、それぞれが選ぶしかないだろ。……全体がぶっ壊れるんだよ。もう、どうしようもなくな」


 マフユにしてはめずらしく、その言葉には一抹の哀愁があった。


「オレたちは一応、それをなんとかしようって側のつもりなんだが」


 リョージの道を「正義」と信じる者は、少なくない。


「ああ? どんな名前の神様が支配するのか、って話か? じゃあ悪魔が支配するのも同じだろ」


 つまらなそうに言うマフユ。


「同じではないとは思うが……」


 うまい言葉が見つからないチューヤに、


「いいや同じだね。拘置所の仲間が言ってたぜ。神様はたいそうおいしく、罪人どもの魂をむしゃぶり食ってくれるってな」


 マフユが視線を転じる先、


「携挙です。それは救いなのです」


 ヒナノが苛立たしげに応じる。


「人間を餌にするってロジックは、まあ同じかもな」


 部分的にうなずくケート。


「だが必要以上に殺す必要はないだろう」


 リョージの道を体現する言葉でもある。


「必要の範囲で殺すのはいいんだろ? じゃあ、いいじゃないか。この世には、殺されてしかるべき連中ばっかりだ」


 極論のマフユ。


「けれど、それで全滅はしないでしょう。あなたの物言いは、地球そのものが滅びるくらいの勢いではありませんか」


 鋭いヒナノの指摘に、


「ああ、滅びるよ。それが、いつになるかってだけの話だ」


 マフユの答えは明確だ。


「おい、2億年後なら心配しなくても滅びてるぞ、不可避的な天文学的理由によって、人類なんてカケラもなくな」


 ケートの言葉に、


「そんなに先じゃねえよ。ま、()()()()()()()ってところだろうな。あたしは短いほうに賭けてるってだけだ」


 またしても明確に、時限まで切ってくる。


「賭けんなよ! 短いって、いつだ?」


 声を荒げるチューヤ。


「だから2か月後だって何度も言ったろ」


 冷たいマフユ。


「言ってねえよ! いつもどんなやつらと、どんな話してんだよおまえ!」


 足踏みするチューヤに、


「ふん。むしろ、そこでさっぱり終わっちまったほうが、楽なんじゃねーかな」


 あくまでもマフユは冷たい。


「……なぜ、100年だ? 楽、だと?」


 的確に語彙をとらえるケート。


「あ? 絡むんじゃねえよ、チビスケ」


 舌打ちするマフユ。


「おまえ、なにを知ってる? 長くて100年とは、どういう意味だ」


 かなり根源的問いだ。


「人間なんて、ほっといても100年で死ぬだろ」


 その意味は。


「まさか……」


 冷たい汗が背中に流れる。


「くっだらねえな! 2か月後に終わるんだよ、それでいいだろ」


 ペッ、と吐き捨てて背を向けるマフユ。

 彼女を覆い尽くしている闇は、あまりにも濃く深い。


 ──そのとき。

 ピンポンパンポン♪ と、鳴り響くディナーチャイム。

 ハッとして、スピーカーを見上げる6人。


「生徒の呼び出しを行ないます。民俗化学部、中谷、発田、東郷、西原、南小路、北内、以上6名、ただちに校長室に出頭しなさい。くりかえします。民俗化学部6名は全員、ただちに校長室に出頭しなさい」


 ピンポンパンポン♪

 ぶった切られた話のつづきをする場所が、どうやら決まったようだ。

 こちらから行くつもりだったが、どうやら、むこうもそのつもりらしい。

 話は早い、と言えるのか──。



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