15
月曜日。
それは鍋の日。
「お、きょうはカレーか?」
部室にはいるなり、ケートは荷物を壁の棚にぶん投げた。
リョージは葉物野菜を切りながら、
「おととい、ケンカ売られたからな。折衷してやった。和風カレー鍋スタートの、シメはカレーラーメンだ。まいったか、この野郎」
いぶかしげな表情で、ケートはリョージを見つめる。
「そんなケンカ、売ったか? まあ売りそうではあるが」
カレーVSラーメン戦争を起こしたのは、ケートを装っていたラキシスだ。
もちろんそのことはリョージも承知しているが、とくに深くは考えず、カレーラーメンという案に満足している。
そのとき、ガラッとドアが開き、はいってきたのはサアヤ。
「はーい、買い出しいってきたよー。材料追加、これでよかったよね、リョーちん」
「おう、サアヤ。サンキュ。おまえはほんと、役に立つな」
受け取るリョージ。
「この部活のみんなは、基本的に社会不適応者だからね。家事とか無理そうな人ばかり」
サアヤも、言うほど得意ではない。
「火事を起こしそうなやつならいるけどな」
自分のことを棚に上げて、マフユを見るチューヤ。
「なんだ、その目は。根性キャンプ(ファイヤー)されたいのか?」
食う専門マフユ。
「ボクは帝王学のトップ目だから、一般人の常識など知らなくていいんだ」
同じく食う専門ケート。
「帝王学のために、一般人の生活を知るべく、一般の高校に通ってるんだよな?」
一応突っ込むリョージ。
「ふん、そうだ。いずれ、キミたちを導いてやるぞ」
導く先が噛み合わず、ぶつかり合うことになる未来が見える。
「しかし男のくせに料理とか、似合わねえよな」
冷蔵庫の隙間に腐りかけのリンゴを発見したマフユが、迷わず食いながら言った。
「歴史に残る名人料理人はほとんど男だと思うが」
チューヤのイメージ。
「リョーちんは歴史に残る料理人だと思うよ!」
サアヤの見解。
「ははは、そりゃどうも。……ハクサイとってくれ」
リョージが指を伸ばした先、
「ほらよ。……料理番兼戦闘員として、うちに一匹、飼っておきたいよ」
マフユが放り投げる。
「地味にプロポーズすんじゃねえよ。よし、あとは煮込んで出来上がりだ」
あいかわらずの手際で、料理はさくさくと進む。
「うーん、いいニオイ。私、世が世ならインド人だったかもー」
胸いっぱい吸い込みすぎて、むせるサアヤ。
「なんだよ世が世ならインド人って。ただ辛いものが好きなだけだろ」
チューヤはだれより、サアヤの正体を知っている。
「じつはヒンドゥー教徒だったり?」
「まじか」
「うそうそ。ガネーシャの人形はあるけど」
「おまえ動物グッズそろえてるよな」
「そろえてるってほどでもないけどさ。同じ地球の仲間じゃん? 犬も猫もアメンボも、お友達になれると思うのよ」
「またそれか。ジョロウグモも友達なんだろ。なんかC組のアルケニーみたいなやつとも、つるんでたよな」
「なによアルケニーみたいなやつって。モデルみたいな子でしょ? 大変らしいよ、拒食症じゃないけど、なんかいろいろさ」
「八方美人すぎだろ」
「0方美人の引きこもりよりはいいと思うの」
「うっせ」
手は出さないが口は出す面々の多い部室は、いつも騒がしい。
「まだかよー、リョージー」
「意地汚い声を出すな、ケート。配膳くらい手伝え」
「最近めっちゃ寒いからな。鍋が食いたくなってもしかたない」
「真夏でも毎週食ってたろ」
「暑いときには熱い鍋がまた、たまらないんだな、これが」
会話するリョージとケートを、チューヤは複雑な表情で見つめる。
このふたりが、右と左の極に立っている、という。
だが彼らが、じつは仲がいいことも知っている。
たとえ本質的な差が両者のあいだにあったとしても、だからこそ強い友情が芽生えている。その友情を破壊する属性のちがいが、彼らの敵対を一層陰惨で、悲劇的なものにするかもしれない──そんなことを考える。
「なに暗い顔してんだよ。チューヤ」
一瞬、会話が止まる。
「あ、いや。……お嬢、まだかな?」
瞬間、開くドア。
「ごきげんよう、みなさん」
当然のようにトリを飾るヒナノ。
いつものように、鍋は開く。
通常、鍋部の会話は、直近の過去の整理に使われる。
しかし、きょうはふりかえる先がかなり古い。
先週、一度も鍋がなかったせいだろう(太古の世界線を除いて)。
「で、お嬢もあの虫けらの住処に行ったのか」
マフユがめずらしくヒナノに直接ボールを投げた。
「ええ、残念ながら」
眉根を寄せ、思い返すのも忌まわしげなヒナノ。
「ちょっと! 当人のまえで家を貶すの、やめてもらえる!?」
初週、引きこもり万歳のチューヤの家に、順次、部員たちが訪ねてくれたのは、そうとう遠い昔のようにしか思えない。
「ヒナノンはちゃんと玄関からはいったよね」
さすがのサアヤも、彼女を窓に案内するのは気が引けたらしい。
「窓から出入りするとか、思えばバカげたことをやったもんだ」
冷静に顧みるリョージ。
「ティンカーベルに案内されたら、しかたないよな」
ケートにとっては、いい思い出だ。
「まったく、たいそうなピーターパンたちのおかげで、窓の掃除が大変だよ」
苦言を呈するチューヤに、
「むしろ掃除をしないから、埃に残った足跡が目立つんじゃないのか」
「広い邸宅だからな、掃除が行き届かないのだろう」
友人らの的確な指摘に、
「皮肉はやめていただける!? 言っとくけど西荻で2DKって、たいそうな富豪だから!」
憤然と立ち上がるチューヤ。
「隣に住んでた私が言うのもなんだけど、たしかに家賃はお高いよね」
はむはむと野菜を口にするサアヤ。
「おばさんも住まないなら引き払えばいいのにな」
中谷家の隣宅は、サアヤ一家が引っ越した後、叔母にあたるナミが住んでいる。
「例の呪いの物件か? 事故物件として安くなってんじゃないの」
怪しげに記憶をたどるケートに、
「そこまでいわくつきじゃありません!」
一応否定するサアヤ。
「家賃なんて大家を蹴倒せば無料になるだろ」
マフユ式には、
「たしかに、それやると国が家賃を出してくれる塀の向こうにはいれるけどな」
チューヤ式の国家的報いがある。
「キョジューケンってのがあんだよ。フホーセンキョしといたら、いずれ自分のもんになるって、だれか言ってたぞ」
あくまでその上を行くマフユ。
「耳が腐る。しばらく黙っとけ」
ケートに言われるまでもなく、はむはむと肉をがっつくマフユ。
テーブル中央では、箸の戦いが熾烈を極めている。
「で、見せたかったよ。バロールぶっ倒したときのリョージ、超カッコよかったぜ。中略撲殺天使って必殺技が、とくに!」
チューヤが語るのは、先週のハロウィンの話題。
記憶の整理は進んでいく。
「撲殺……」
ヒナノの脳裏に、天使とリョージの合成が困難を極める。
「ヒナノンはそんなの見たくないよねー」
サアヤに問われ、
「え、ええ、まあ」
あいまいにうなずく。
「おもしろそうだな。こんどチューヤにかけて見せてくれ」
ケートが煽り、
「よっしゃ」
リョージが乗っかり、
「死ぬでしょ、やめて!」
チューヤが突っ込む。
「すこし見たくなりましたわ」
いつものリズムに、ヒナノもスムーズについていった。
「私もー!」
サアヤの本気のノリに、
「危険なプロレス技は禁止って、小学校で教わらなかったの!?」
慌てて流れを切りに行くチューヤ。
屈託なく話す6人は、どう見てもただの高校生なのに──。
一瞬、会話が止まった瞬間、駆け巡る視線の「意味」が深すぎる。
ケートが箸をもどしながら、静かに言った。
「……それでおまえら、おとといは大田区でバカ騒ぎってわけか?」
鍋の残量が、時間の流れを如実に示していた。
話題はついに、太古を通り過ぎて、先週末まで達している。
ここに、整理すべき問題が山積みだ。
そのことについては、リョージから冒頭、手短に伝えられてはいた。
いよいよ掘り下げるタイミングらしい。
「なんか、太古の神々の契約というか、賭け事みたいな、胡散臭い話だよね」
言って、チューヤは、ちらりとヒナノに視線を移す。
影響する最強の兵隊を持つのは、神学機構。
つまりヒナノだ。
「わたくしに化けるとは、許せませんね」
彼女の口が、結婚して、などと言うはずはない。
「見抜けよ、見る目のないやつらだな」
マフユが酒を飲むのは、あまりにも自然だ。
「私に化けてるのはいなかったんだね。そっかー、見たかったなー」
サアヤも含め、女たちは深い話には表向き、あまり興味を示していない。
「ふん。べつに驚くような話ではないだろ」
ケートにとっても、しょせん表層的なことはどうでもよい。
「それより、ジャバザコクの問題については、精査したほうが良いのではありませんか?」
女子のなかでは、やはりヒナノがいちばん核心をつく。
直近の話題だ。
当然、掘り下げる必要があるのだが、まだ「調査中」の部分が大きい。
必死で確保した大きめの肉を、箸で空中に持ち上げながら言うのはチューヤ。
「こーんな形をした、巨大な女王様がいるらしいぞ」
「もらい」
滑空するマフユの箸。
「あーっ! 肉! 俺の肉!」
負け犬チューヤにもらいは少ない。
「油断してるてめーがわるい」
はむはむ咀嚼するマフユの発言こそが、弱肉強食の世界を支配する。
「ああ、レストランにもいたな、そーいや。ジャバザハットだろ?」
記憶を手繰るケート。
ヒキガエルとチェシャ猫を足した姿、といわれる、スターウォーズのキャラ。
胡乱な部分が多すぎて、推論を進めるのがむずかしい。
「ヒミコサマー!」
めずらしく茶化すリョージ。
地下王国の女王、卑弥呼。
世が世なら地底の太陽。
港のチャカコとして、日本の行く末を占う偉大な女占い師である、という話だが。
「東京タワーに行けば、たいてい会えるらしいぞ」
ケートによれば、卑弥呼さまは東京タワーが大好きなのだという。
あたしは、この醜い塔が大嫌いよ。
だったらなぜ塔に昇るのか、ですって?
だって、東京でこの塔が見えない場所なんて、この塔のなかしかないもの。
「モーパッサンのようなことを言いますね。脂肪の塊ですか」
高度なメタファーを駆使するヒナノ。
「チャカコはそんなデブじゃないだろ。バブルで扇を手に踊ってたボディコン女だぞ」
ケートの指摘に、
「そうだ、原初神とは別なんだっけ。ややこしいな」
悪魔使いのチューヤですら、登場人物を整理できていない。
「ともかく、そこに『契約の箱』ってのがあるってさ」
つづけてリョージが言った。
あくまで運命の三女神の話を信じるとしてだが。
「アーク? ちょっとお待ちなさい、それは聞き捨てなりませんね」
キリスト教徒のヒナノにとっては、とくに重要だ。
「聖櫃か。たしかに、おもしろい話だ」
ケートも食いついた。
「この契約書を手にした者は、100億の魂の権利を得るものなり、ナムナム……」
意味はわからないながら、預言者のふりをするチューヤ。
「なんのことやらわからん……」
照合に時間のかかる断片的データを、ひとまず記憶の棚にしまうケート。
「ともかく、手に入れたら大変な利益があるってことだろ。そいつァ、ぶんどってやろうって気持ちもわかるな」
マフユすら、横取りする気満々だ。
「運命の女神すらも欲する、契約の箱か。たしかに、興味深いな」
考え込む一同の表情を、チューヤは静かに見まわした。
悪魔たちが蠢く動機や理由があきらかになればなるほど、こちらとしても相手の動きや計画を読みやすくなってくる。
それをどこまで部員たちで共有できるかが、ここから先、問題のような気がした。
過去を乗り越え、未来へ──。




