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12 : Day -43 : Ōji


「もういいよ、さっさとつぎいけよ。……いいよな、マスター」


 男の声に、目のまえのウェイターは一瞬、文句を言いかけたが、すぐに従って下がった。

 問われたマスターはなにも応えていないが、沈黙がひとつの答えになるようだった。


 客はいない、つまり仕事もない。

 ウェイターが最後の仕事として、男のまえに黙って新しいコーヒーを置くと、そのままエプロンを外して出て行った。


 カウンター席に座る男は、出てきたコーヒーを飲みながら、自分を「羽鳥」と自己紹介した。

 さっきまでいたウェイターの「久能」の恋人らしいが、高校生たちの目にも、あまり健全な関係のようには見えない。


 先刻、この羽鳥と電話で会話していたチューヤの想像通り、若い男。

 やつれたような表情で老けて見える分を差し引いても、二十代前半というところか。

 薄汚れたジャケットとチノパン、片手にタブレット型端末、ぴったりとしたボディバッグを胸に抱いている。どこにでもいそうな「若者」だが、特徴らしい特徴といえば、季節感を無視した大きめの「麦わら帽子」だろうか。


 彼と電話で話したのが数分まえ。

 後ろから見ているぞ、の宣言通り、携帯電話を手に話しながら店内にやってきた。


 そのままボックス席に座り、コーヒーの到着とチューヤたちの移動を待った。

 のろのろと、カウンター席からボックス席へと移動するチューヤとサアヤ。

 目のまえの男に、麦わら帽子を脱ぐつもりはないようだ。たしかに、視線を隠すにはちょうどいい。


「俺の仕事は、物書きでね。いいネタあれば、よろしく」


 差し出された名刺には、名前と連絡先、それから「ルポライター」の肩書がある。


「物書き……?」


 情報屋でしょ、と言いかけて言葉を呑む。

 その意図を読んだように、


「ま、小遣い稼ぎにネタの売り買いをすることも、たまにはあるがね」


 羽鳥は自分の立ち位置を素直に認めた。

 事実、彼の収入のほとんどは、情報の売買に依っている。

 もう一本の柱を支えるのが、久能との不適切な関係から吸い上げられる「アガリ」であることまでは、高校生たちの忖度も及ばない。


「さっきの、もう一度見せてくれよ」


 右手を差し出す羽鳥に、大事な個人情報の塊をわたすのも気が引けたが、なんとなく逆らえない雰囲気があった。

 ケートから送られた写真を表示して手わたすと、しばらく興味深くその写真をスワイプしていた羽鳥は、すぐに端末を操作してトップ画面にもどす。


「ちょっと」


 手を伸ばして奪い返そうとするチューヤの目のまえで、なにやら操作する羽鳥。

 ほどなく、羽鳥の携帯電話が鳴った。


「なに、友達になろうってわけじゃない。情報の取り扱いについて、交渉するテーブルが必要だろ?」


 スマホを投げ返しながら、彼は言った。

 チューヤは、薄汚れてしまったものののように発信履歴画面を消しつつ、


「言っとくけど、俺はどの勢力の代表でも代理でもないからね」


 人間と交渉など、したくもない、という態度を示す。


「さあ、そこだ。たしかに、おまえは〝中立〟とかいう、わけのわからない立場で行動しているらしいな?」


「わけわからなくはないでしょ。いちばん正しいとされている道ですよ」


 羽鳥は、毅然として中道の精神に胸を張る少年と、黙ってケーキを食いながらアホ毛をふりまわす少女を交互に見ながら言った。


「どこぞの勢力が無理やり改宗を迫ってきたら、どうするんだ?」


 これは、重い問いである。

 状況を決定的に変更してしまう「要素」として、歴史の多くの場面を彩った。

 チューヤの意識に、先刻「南蛮」に対して怒りの態度を示した羽鳥の背景について、いくつかの予断と理解が形成される。


「それじゃ、あなたの立ち位置は……」


「中立だよ。ジャーナリズムっていうのは、中立でなきゃいけないんだ」


 どこか自分に言い聞かせるかのような物言い。

 そうありたいのに、どうしても、そうではいられないことへの煩悶、撞着。


「情報屋なんでしょ、ヤクザの」


「ガキに、なにがわかる」


「ルシファーとか、異世界線とかの話じゃない。あんた、警察にマークされてるでしょ」


「産業スパイで訴えられたって話は、まだ届いてねえけどな」


「……情報屋が、どこに、なにを売るか、俺もすこしは知ってるよ。あんた、犯罪組織の一味といってもいいくらいじゃないのか」


 ぴくり、と羽鳥の眉が跳ねた。

 思い当たるところがありまくる、という表情だ。


「その写真の情報を売ろうってんなら、俺は買わないぜ。あの女も、たぶんな」


「俺が、あんたと同じことをしない、って保証はないんだぜ」


 交わされる視線が、多くの情報をやり取りする。

 チューヤはただの高校生だが、くりかえされた悪魔との交渉によって、かなりの鍛錬を受けている。

 その鍛錬された話術を支える情報も持っている。父親の仕事の関係上、ヤクザや情報屋といった種類の職業にも、ある程度詳しいのだ。


 情報屋は一般に、警察やマスコミに情報を売るものと考えられているが、ある種の情報屋の収入源は別にある。

 たとえば、資産家やセキュリティ会社について。

 どこに、どれくらいの現金があるか、という情報を、金持ち狙いの犯罪グループに売ったりするのだ。

 警備会社のセキュリティが弱くなる瞬間、現金が一か所に集まるタイミングなどの情報は、闇の組織にとっても喉から手が出るほど欲しい。

 この手の情報屋は、犯罪に直接関与せず、情報や人材の供給に特化する。


「てめえ、サツ、じゃねえよな……」


「高校生だって知ってるでしょ。だけど友達がいないわけじゃないんでね」


「少ないけどね」


 ぼそっ、とサアヤが付け足した部分は、聞こえないふりをする。


「どういう意味だよ」


「あんたが身内だと思ってるやつに、俺の友達がいるかもしんないよ」


 ぞくり、と羽鳥の脳裏に最近踏んだ「ヤマ」が思い浮かんだ。

 とある暴力団の身内から「今日の何時から何時まで、組事務所に500万ある」という情報が寄せられた。それを盗んで分け前をくれ、という意味だ。

 羽鳥はその情報を、必要とする場所に流し、おこぼれを受け取った。


 チューヤが同じことをできるとすれば、「北」の要所に親しい知り合いがいる、ということになる。

 もちろんこの時点で、チューヤがそこまで詳しい情報を知っているわけでも、つながりを利用する計画を立てていたわけでもないが、水面下で何事が《《行なわれうるか》》ということは、暗示するだけで効果を発揮する。

 むしろ、それ以上の直接的な発言は不要なのだ。

 予想以上に厄介な相手だな、と羽鳥の表情はやや厳しさを増した。


「まあ、南とつながってるんじゃなきゃ、俺にとっては敵じゃねえ」


 もちろん南──一神教ともつながりはあるが、それを教えてやる必要はないと判断した。


「あんたは、一神教がきらいなのか?」


「……こいつを見な」


 意識的に魔術回路を開くことで、ガーディアンを部分的に表出させることができる。

 ナノマシンを起動すると、羽鳥に重なる悪魔のデータが現れた。


名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅

パトリムパス/龍神/16/14世紀/リトアニア/民間伝承/三河島


 リトアニアで崇拝された主要な三神の一柱で、海と水の神だ。頭に麦穂の冠をかぶった若い男の姿か、渦巻状に立ち上がる人頭の蛇の姿で表される。

 それで「麦わら帽子」か、とチューヤは理解した。


「ええと……あんまり詳しくないんだけど」


「ロキさんによれば、キリスト教が日本を乗っ取ろうとしてんだろ? だから、俺があの人の指示で動くのは、当然なんだよ。もう二度と、あんな悲しい世界は見たくねえんだ」


 悪魔は、ひとつの嘘を信じさせるために、巧妙にいくつかの真実と状況証拠をからめる。

 彼はロキに、なんらかの誘導を受けて、彼の思惑通りに動く手ごまにされている、と考えてよいのだろうか?


「あんな世界?」


「前世なんて信じちゃいなかったが、あんまりリアルな夢を見せられるもんでよ」


 彼は前世、リトアニアのキリスト教化で犠牲になった若者だった、らしい。

 あるいはガーディアンのパトリムパスから流れ込んできた記憶に過ぎないのかもしれないが、歴史の事実として看過し得ない「真実の重み」をもっている。




 歴史上、パトリムパスについて最初に言及したのは、これを信仰する異教徒をキリスト教化することに成功しました、と教皇庁に誇る現地の司祭の文書だ。

 ザルティス(蛇)に巻き付かれる偶像の姿が象徴的な古い神は、ご多分に漏れずキリスト教によって駆逐された。


「たしかに、日本の中枢も侵食されてますが」


「そいつらを排除するために、力が必要なんだってよ。そりゃ貸すだろ、俺なんかの力も必要だって言われたらよ」


 と、キリスト教を恨みながらも、誇り高い神格が浅薄な報復を是としない。

 ある意味、その中途半端さが、邪神に付け込まれる隙を生んだのか。

 彼はロキに操られている、とチューヤは直感したが、どう言ったものだろう?


「それと、産業スパイが、どうつながるんですか。あなた、利用されてるだけじゃ……」


「世の中ってのはな、きれいごとじゃ済まねえんだよ」


 どん、と激しい勢いで、羽鳥はコーヒーをテーブルに置いた。

 憎悪のこもった視線で、たかが高校生が、自分を見透かそうとする態度に異を唱える。


「すいません、けど」


「話は終わりだ。そのデータをどう使おうが、知ったこっちゃねえ。俺は請け負った仕事を()()()()だけだ。下っ端をつるし上げたいなら勝手にすりゃいいが、その結果は受け入れろよ」


「どういうことです?」


「俺は情報屋だ。三河島に小さな探偵事務所も持ってる。力がないわけじゃないんだぜ」


「……まあ、事件の背景がある程度わかれば、俺はそれでいいんですけど」


 チューヤが鉾を収める態度を示すと、羽鳥のほうもやや表情を和らげ、


「うちの情報は価値が高いぜ。サービス価格で仕事を請け負ってやってもいい」


 硬軟織り交ぜる、というのは正しい交渉術だ。

 結局、今回は産業スパイ事件について、ある程度の背景がわかった、というところでチューヤとしても納得することにした。


 立ち上がった羽鳥は、コーヒー代としては多すぎる額をカウンターに置いた。

 ある種の「ショバ代」のようなものも含むのかもしれない。

 ともに店を出ながら、最後に羽鳥は軽口のようなものを叩いた。


「浮気調査の依頼も格安で請け負うぜ」


「お願いします」


 と、食いついたのは、終始寡黙だったサアヤ。


「ちょっと! おもしろくないよ!」


 この手の漫才的やり取りには、チューヤも乗らざるを得ない。

 しかし、つづけて羽鳥の展開する世界は笑いではなくリアルに、高校生の許容する次元を超えていた。


「なーに、男ばっかじゃないさ。女だって、やることはやるんだぜ。おまえも必要になれば、依頼してくれよ。このかわいいお嬢ちゃんの腹んなかにいるガキの親が、自分じゃなく、まさかあの人だったなんて、ってような話も暴き立ててやるからさ」


「行こ、チューヤ! 耳が腐るまえに!」


「だね……」


 サアヤに引きずられるように、チューヤはその場から立ち去った。

 これが冗談で済めば幸いだ──。



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