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11 : Day -43 : Hakusan


 その覆面警察車両は、法定速度を順守して、白山通りを南に向かっていた。


「なるほど、上野界隈をこそこそ這いまわる、薄汚れたジャーナリスト崩れ、ですか」


 運転席の若手の言葉に、中谷は窓の外を眺めながら返す。


「三河島の情報屋が、王子の女狐と駆け落ちする算段で、いつまで引っ張れるかは知らんがな」


 曇天は這うように垂れこめ、外気はより冷たさを増している。

 エアコンが猛然と温風を吐き出すほど、車内の空気は乾燥の度を増していく。

 若手はぺろりと唇を嘗めて湿し、助手席の中谷は黙って暖房を切った。


「信濃町の件にもかかわっていると?」


「知ってりゃ持ってくるだろ。しょせんケチな物書きさ。……左だ」


 暖房によって聞きまちがえようもなくなった相手の声に対して、若手は素っ頓狂に応じる。


「え? でも」


「わかってる。もどるが、そのまえに三河島の事務所に寄る」


 若手は黙って左にウィンカーを出しながら、


「いますかね?」


「いないほうが都合がいいのさ」


「中谷さん……」


「物書きとしては三流以下のケチなやつだが、動機はどうあれ情報屋としちゃ優秀な若造だ。せっかくの情報を()()()なんて、それこそ才能の無駄遣いってやつだと、死ぬまえに理解できりゃいいがな」


「使い倒す気、満々に見えますが」


「お互い様だろ。しょせん情報屋だ」


「…………」


 休日の空いた不忍通りを、警察車両は忍ぶように進む。

 中谷は、苦虫を噛み潰した表情の若手をしばらく眺めてから、ようやく思い出したように、


「そういやおまえ、来週結婚だったな。仕事してる場合じゃないか?」


「結婚するから一週間、休んでいい仕事なんてないですよ」


 バチェラーパーティ華やかな欧米も、結婚()の一週間は働くだろう。

 さすがに結婚()は一週間くらい、ハネムーンを楽しんでもバチは当たらない。


「土曜だっけ」


「中谷さんにはすいませんが、出席お願いしますね」


「相棒の結婚とあっちゃ、出ないわけにもいくまいよ。……半蔵門アークか。キャリアのお披露目としちゃ、わるくない舞台装置だな」


 ロイヤルアーク半蔵門は、警察関係のパーティ会場として御用達だ。

 お膝元である桜田門から、皇居4分の1周でたどり着く好立地。警察関係者のパーティが多数開かれることでも知られている。


「ちょうど政治家が集まる会議もあるらしいですしね」


「──防衛系の族議員か。そんなの霞が関か市ヶ谷でやれよって話だ」


 市ヶ谷もまた徒歩圏内だ。

 言うまでもなく、このエリアには国家の枢要が集中している。


「警察に敬意を表しているつもりなんでしょうよ、一応」


 警察庁と防衛省、国家公安委員会と外務省、なにやら噛んでくる相手が大仰であることに、中谷の第六感はヒリついている。

 一介の現場警察員を自任している中谷をもってしても、キナ臭い連中が向こうから寄ってくるのだから、降りかかる火の粉を払わずにはいられない。


「──警察と国防の政略結婚、ってやつか?」


「当人をまえに、そういう前時代なこと問わんでくださいよ。たしかに嫁の祖父は、防衛族議員の塩川先生ですがね」


「偶然てことにしておくよ。ただの警察官の結婚式にしちゃ、あんまり派手だからな。ま、おまえは()()()()()()じゃないか」


 交番勤務を卒業したての新人、とは言い条、この若手はいわゆる「キャリア」として任官ただちに警部補の職掌を手にしている。


「ただの警察官ですよ、いまのところ。──警察御用達なんでしょ、ロイヤルアークは」


「幸せな結婚生活を祈ってるよ。早くこんな現場から抜けられるように協力するぜ」


「当人が希望した職場なんですがね」


「……変なキャリアばっかり、俺んとこまわってきやがる」


 ノンキャリの星である中谷は、しばしば出世どまんなかコースのキャリアとバディを組まされてきた。

 本庁には、その嚆矢が陣取っている。

 ──「もっとも優秀な現場」は、キャリアにとって必須の「手駒」になる。

 だからむしろ、キャリアから望んで、中谷のような人材に白羽の矢が立つのだ。


 事実、中谷の経歴ならノンキャリのトップを目指せるくらいだが、すばらしい「手柄」の反面、一定の「汚点」も伴うため、これ以上の出世は見込めないと巷間の噂だ。

 当人も「警部くらいがいちばんやりやすい」と思っているので、身体が動くかぎり「現場の星」を貫くのだろう。


「──CIAやインターポールも、東京の地下には興味を持っているようですね」


「ネタはつかまれてる、ってわけかい。そりゃそうだよな。この国はスパイ天国だ」


「以前よりはマシになってますけどね。……あの国際的サイコキラー、逮捕したの中谷さんでしたよね」


 現場を這いまわって、すべての時間を捜査に費やすと、たまに「大物」の尻尾を捕まえることがある。

 とくに中谷は「殺し」をぜったいに許さないので、その逮捕にかける気合は桁外れだ。


「必ずしも読み通りじゃなかったがな。たまたま()()()()()だけだ、ラッキーだったよ。……まさか外人とはな。さっさとインターポールでもなんでも引きわたしゃいい」


「そう簡単じゃないんですよ、あのハンニバルの取り扱いは」


「……俺はただの刑事なんだよ。刑事の仕事をさせてくれ」


 国際政治など、遠い世界でやっていてくれればいい。

 中谷が捕まえたいのは政治犯ではなく、人殺しなのだ。


「そういえば、赤坂(アメリカ大使館)からも直接、コンタクトありましたよね。なんだかんだ、中谷さんって大物ですよ」


「もう10年近くまえだがな、送られたんだよ、アメリカに。国内で()()()()()、ほとぼり冷めるまで島流しってやつだ。そんときに知り合った。──女だてらに空軍パイロットだってよ」


「それが、いまやアメリカを代表する軍事アタッシェですからねえ」


 国防総省から送り込まれた駐在武官として、アメリカの軍事部門を代表して活動している黒人女性がいる。彼女の名は、リョージの父親との絡みで一度、出てきた。

 とくに、都庁あたりの地下施設に入り浸っているらしいが、警察は、そのへんには関知できない「仕組み」になっている。


「まさかあんときは、そんな大物になるとは思わなかったよ」


「けど中谷さんだって、マンハッタンに島流しなら、栄転っていうんじゃないですかね、それ」


「スコットランドヤードに飛ばされたやつもいたぞ。半年でもどされたがな」


「国内に必要な人材ですからね、そういう人たちは。……気づいてます? ノンキャリの星ですよ、中谷さん」


 ノンキャリでも、がんばれば警視正くらいまではなれる。

 理屈の上では警視長までなれるが、ほとんど(9割)は警部補あたりで退官するのが実情だ。

 中谷「警部」という時点で、かなり優秀な人材なのである。

 試験を受けなければ出世はしないから、当人が上を目指さないと決めれば、そこがゴールだ。


「これ以上、出世する気はない。貫地谷にも言ってある」


「ええ、先輩もよく言ってます。ああいう現場人間は絶対に味方にしておけ、ってね」


「ふん、使い勝手のいい駒だろうからな。──その代わり、おまえらにも融通はきかせてもらう」


「そんなにもどりたいんですか、一課」


「……ほんとは、どこでもいいのさ。コロシを挙げられればな」


 殺人犯の検挙にもっとも近いのが、殺人事件を取り扱う捜査一課である、というだけの話だ。

 中谷は、()()()()()()()()()()に、警察にいるのだ。


「あんまり無茶な()()は、どうかと思いますが」


「安心しろ、キャリアの経歴に傷をつけるつもりはねえよ、土屋。いや、もう塩川か」


「まだ土屋ですよ。土曜まではね」


 貫地谷にしろ土屋(塩川)にしろ、中谷の周囲には意識の高いキャリアが集まってくる傾向があった。

 日本の警察を変える、などと大仰なタンカを切るつもりは、中谷にはないのだが。


「政治家の家に婿入りってのは、将来の議員さんルートまっしぐらだなぁおい」


「そんなつもりはないですがね。この業界、政略結婚がないとは言いませんが、ぼくの場合は、ふつうに大学からの付き合いですから」


「だったら、なんで婿入りなんだよ。はいるにしても別姓でいいだろ」


「自分の姓にこだわりがないので」


「ちっ、最近の若い者は……」


「ぼくは中谷さんみたいに、下の名前で生きたいんですよ。ねえ、ケンゾーさん」


 にやり、と笑う土屋。

 米軍の上級職が、職場に「ケンゾー」と呼びながら、にこやかに表敬訪問したことが、土屋には忘れられない記憶として刻まれている。


「アメリカ人は派手好きなんだよ」


「彼女の日本語の半分は中谷さんが教えたって、もっぱらの噂ですよ」


「デマはやめろ。それもパンデモニックの一環か?」


 吐き捨てる中谷。

 ──やがて、ゆっくりと速度を落とす警察車両。

 目的とする私立探偵事務所から、やや離れた路肩に停車した。


 おまえはここにいろ、と言い置いて助手席から降りる中谷。

 ここから先、キャリアの経歴に傷をつけるような捜査を見せるわけにはいかない。

 土屋はしばらく、自分も臨場したい雰囲気で中谷を見つめていたが、おとなしく従った。

 結婚式まではおとなしくしているように、妻からも言われたばかりだ……。



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