09 : Day ago : Sakuradamon
受電台のポールが、黄色から赤へ。
──四谷より。都内在住、男性が変死体を発見。
110番通報は桜田門、警視庁の「通信指令センター」へ入電される。
警視庁本庁舎の4階、5階部分までの吹き抜けフロアは、つねに臨戦態勢だ。
主として23区全域をカバーする受電台が30台並び、各地からの110番通報を受けている。最低件数は、毎日5000件。
受電台に座る警察官のまえには3台のモニターが並び、通報場所の主な目標物、道路や鉄道、現場付近の地図が表示される。
固定電話や公衆電話からかけると、すぐに場所を特定できる。それを知らないアマチュア犯罪者が、身代金の要求に公衆電話を使って、簡単に逮捕された事件もあった。
110番入電中は、各受電台についているポールが黄色に点灯する。
変死体発見という重要案件の場合、赤に変化する。
殺害された可能性が濃厚。
特別捜査本部設置の事案だ。
情報は即座に指令センター内の無線指令台に送られ、同時に所轄警察署にも送られる。
受電台の係官が情報を書き込んだデスク画面を転送、事件発生現場管内の警察官に無線で通報内容を伝達、現場付近の地理状況やパトカーの位置を表示するロケーションシステムで、情報を送りつづける。
担当である所轄警察署の刑事課ないし組織犯罪対策課(強行犯捜査係)、および地域を受け持つ機動捜査隊の私服刑事が、現場に駆け付ける。
先着した交番勤務やパトカー乗務員が、立ち入り禁止の黄色いテープを張り、現場保存に当たる。
屋根に赤色灯を光らせた白ナンバーが何台もやってきて、そこから捜査員が降り立つのは、ドラマなどでもよく見かけるシーンだ。
「ご苦労さん」
敬礼する制服警察官に軽く手を挙げながら、中谷は黄色いテープをくぐった。
通り雨が地面を濡らした夕刻の闇のなかに、死体を見つけたのは近隣の飲食店従業員だ。
「なんだこりゃ」
目前でブルーシートをめくった刑事の声が、中谷の耳朶を打つ。
死体はひとつで、一見きれいだが、頭のほうにまわった捜査員は全員、ぴたりと動きを止めていた。
それからある者は慌てて外へ駆け出し、ある者は目を背け、あるいは手を合わせる。
中谷も、流れのなかでその死体を仔細に眺め、いくつかのことを理解した。
頭蓋が、ずれている。
そしてその中身が、ない。
背後から、ざわめきが近づいてくる。中谷は静かに場所を譲った。
所轄が現着してほどなく、本庁からも捜査一課と鑑識スタッフが続々と到着した。
四谷といえば、本庁の目と鼻の先だ。
「なんで中谷がいるんだよ?」
顔見知りの捜査一課の刑事に言われ、中谷は軽く肩をすくめた。
「別件の地取りで近くにいたんだ」
本庁、所轄、機動捜査の私服、鑑識、ジラタイ(本庁自動車警邏隊)、交番勤務の制服らが勢ぞろいして、初動捜査の準備は整った。
「組対の出る幕じゃねえよ。……おい、大塚に一本入れとけ、最優先ってな」
同僚らしい刑事がうなずいて、いつもの短縮ダイヤルを入れる。
──だれが見ても殺人事件。それも猟奇だ。
死体はただちに豊島区大塚にある監察医務院へ送られ、司法解剖に付される。
「さあ、どうかな」
中谷は能面のような表情で、ぐるり周囲を見まわし、それからゆっくりと目線を持ち上げる。
そこには信濃町を代表する宗教団体の本部ビルが、大きくそびえたっていた──。
被害者は日本人、もしくはアジア系外国人の可能性が高い。
頭から血を流していると110番通報がはいったのは午後7時21分。
現着時、頭頂部は離断。頭蓋内容物は除去されていた。
血液中からは、違法薬物が検出されている。
チャイニーズマフィア、暴力団、宗教組織が絡んでいることが推測されるため、殺しの一課をはじめ、組対二課および四課、使用薬物の関係から五課も召集された。
「村上が、でけえツラしてやがんな」
所轄に設置された特別捜査本部で、中谷はつまらなそうに言った。
本来、自分がそこにいるべきと信じている場所に、いまは同期の別人が立っている。
「まあ、ここは一課の帳場ですからね」
中谷の相棒に抜擢されているのは、最近ようやく交番勤務を卒業した若手。
殺しの主管は「捜査一課」と相場は決まっている。つまりここは「捜査一課の特別捜査本部」ということになる。
四課の出る幕は──まだよくわからない。
一課にはいくつかのグループがあり、各々に管理官(警視)がヘッドとしてつく。
その下に係長(警部)がおり、その下の主任(警部補)が現場における捜査指揮を行なう、というのが普通だが、事件によっては上役が直接動くこともある。
たとえば連続殺人事件や猟奇殺人事件となると、課長レベルも現場へ赴く。
捜査会議にも一層、熱がこもっていた。
地取り、鑑取り、証拠分析、映像解析などの分担が決められ、第一期(初動から30日間)の捜査が本格的に開始される。
役割を決められた捜査員たちが、つぎつぎと部屋を出ていく。
彼らは足を棒にして駆けずりまわり、夜中まで帰ってこない。
捜査本部には庶務をはじめ数人が詰めていて、それぞれの担当からの報告や調整を引き受ける。
翌朝、全員が朝8時に集合した。
捜査一課長、所轄の署長、捜査一課理事官、管理官といった上級スタッフが、数十人の刑事たちに向き合う。
捜査会議の開始だ。
捜査員は対外的に捜査一課特別捜査本部員。
大多数は本庁各課の刑事と所轄の刑事がコンビを組む。
被害者の身元は、すぐに割れた。
近くの教団の信者だったことがあるが、いまは脱会しているという。
宗教団体。
こうなると、公安の出番も見えてくる。
──警察は、もともと「現体制を保守」するものであり、天皇制を含めた体制に対して表立った意見を言う者はない。
じっさい多くの警察官が、体制を支持しているだろう。
ときには「共和制でいい」などと言う人間もいるが、考えるだけは自由であり、暴力的な転覆を計画するなど想像すらしていない。むしろそれを取り締まる側だ。
警察官の思想や宗教は、捜査活動に大きな影響を及ぼす。
思想については、口頭試問でさまざまに聞かれ判断される。
宗教については、身上書に記入欄が設けられている。
真言宗は大歓迎らしい。
もちろん現体制を批判する右翼や左翼は、敵である。
──佐藤武威作という人物が中興の祖とされる舎利学館は、日本に隠然たる力を持っている。
共明党という政党として与党に食い込み、捜査活動に圧力がかけられるのも、学館がらみの事件が多い、というのは現場より上層部に位置する者たちからの見解だ。
警察のなかにも学館員がいることは、資料的に判明しているが、それを公言するのははばかられる。
学館の思想は、仏教を基調とした東方思想のリミックスだ。
ある種、荘子にも近い。
自然を基本とし、人為を忌み嫌う。
「キナ臭くなってきやがったぜ」
この手の死体が発見されたのは、今回が最初だ。
しかし中谷には、すでに多くの「予断」をもたらすだけの情報が集まっている。
脳みそを空っぽにされて死んだ人間は、彼が最初ではないし、最後でもないだろう。
車にもどると、相棒の若手があんパンを差し出しながら言った。
「あの警部、さっき無線で、すぐ本店もどれって」
中谷の表情が、不快げにゆがんだ。
いやな予感がする──。




