19 : Day -61 : Nishi-Ogikubo
素で寝坊した。
それがこの日、チューヤが学校を休んだ理由。
そもそも明け方まで地下鉄で戦っていたのだ。
その当日の学校など、行けるはずもないではないか。
という言い訳で朝、眠りについた。
昼ごろに鳴った着信音を無視して、夕方までにはまた、いつものめんどくさい引きこもり少年の顔をとりもどしつつある。
悲劇的な環境に陥れられた自分は、対処能力の限界を超えた現実に背を向け、引きこもってもいいんだよと、どこの偉い精神科医だか教育者だかが甘っちょろいことを言ってくれていたので、そうすることにした。
俺が引きこもっているのは、そうしてもいいって言ってるやつらのせい。
だから休んだ。
疲れたからとか、そういうつまんない理由じゃない。
「そうだ、俺は思想的な理由で休んだんだ」
「ふーん。それにしてはエグゼってるよね、まえよりちょっと元気だし」
空中にピクシーがくるりと輪を描く。
「やあ、ピクシー。きょうもかわいいね」
チューヤは薄く、透き通ったような姿のピクシーを見上げる。
境界でない場所においては、悪魔を実体化させるまではできず、ただイメージとして浮き上がらせる程度しかできないことを確認した。
「あーら、チューさん。お店に来てもくれないのに? ま、課金はネット経由でもできるけどぉ?」
皮肉な笑みを浮かべてデビル豪の画面を見下ろすピクシーに、チューヤは両者の間にあるデザイン的な共通性以上の乖離を感じ取って、思わず憮然とした。
「くそ……もう言うなよ、そういう冷めること」
『デビル豪』に費やした額は、高校生のお小遣いレベルの域を出ていない。
決して廃人と呼ぶようなハマり方ではなかったが、あっさりと引退を決められるほどライトなユーザーでもない。
ただ、それを継続することが、別の作業にかぶってくる可能性がある。
そちらの作業を進めることを、いまの彼は是としていない。
外で「バトル」することで成長させられた「デビル」たち。
だが部屋のなかに、すれちがい通信をする相手はいない。
俺はもう部屋から出ない。絶対、出てやらないからな。
窓に背を向けてフードをかぶる。
「あーらら。何年まえかに逆もどりだねえ」
窓の外、リンゴをかじりながら言うサアヤ。
三日目ともなると、チューヤにはもう「待ってました」という自虐突っ込みくらいしか思い浮かばない。
「なんだよ。勝手に上がるなって言ったろ」
「トムソーヤーごっこ、はじめたのチューヤじゃん」
窓から出入りできることに気づいて、それにロマンのある名前を付けたのは、たしかにチューヤではあった。
「無限に過去の出来事をほじくり返すな」
「女の子は忘れなーい。死ぬまで言ってやるー」
いつものようにおちゃらけるサアヤ。
くるりと椅子をまわすチューヤ。
「別れようサアヤ」
「付き合ってもいないのに?」
的確に返せなければ芸人失格だが、チューヤは早くも芸人であることを放棄する。
「生き別れた悲しい親子のアニメで、マルコはお母さんと付き合ってたのか? え? 付き合ってないと別れられないのか?」
「私たち親子じゃないじゃん。ま、兄弟のように育ちはしたけど?」
チューヤはパタパタと足を踏み鳴らし、
「なんなんだよ、おまえ。いいかげんにしてくれ」
「ぷんすこチューヤもかわうぃーね」
くるくるまわりながらチューヤの部屋に着地するサアヤ。
その瞬間、ぐっと右手を差し出すチューヤ。
「いいからさっさとそのタッパーをよこせ」
「あ、気づいた? えっへへー。きょうはイカ焼きスパイシー鍋だよぉ」
すでにチューヤの顔はツンデレ・スパイシー顔になっている。
「イカス! ……って、食い物なんかにつられないからな」
「つられたじゃん」
「部屋にある鍋は意地でも食う。外まで食いには行かない」
「もう、厄介だなあ」
「鍵もカーテンも閉めていいなら、いらない」
「わかってるよお。もう、これがアリババのセサミだもんねえ」
タッパーを差し出すサアヤ。
無言でガツガツと食うチューヤ。
この味だけは別世界。
「なんだよ、意外に元気そうじゃないか」
その声に驚き、チューヤは食べていた食材を鼻からすこし出した。
「きたないなあ」
「な、なんだよ、きょうもだれかいんの?」
顔を上げ、窓のほうを見つめるチューヤ。
「ふん、リョージの後釜に座るつもりはない」
小柄な体躯をひょいと浮かせて、窓からはいってきたのは──ケート。
サアヤが低い位置から煽りを入れる。
「よっ、男の友情!」
「……そういう流れになってんの?」
「いや、初耳だが」
視線を合わせる三人の芸風が、ゆっくりと絡み合う。
第二回、簡易鍋部ミーティング。
被告チューヤは鍋を食い、原告と検察はそれぞれ弁論を展開する。
「というようなわけでありまして、今週にはいってからこの男、一日も出廷しないのであります、裁判長検察官殿!」
右手を高く上げ、弁論を展開するサアヤ。
「けしからん。まあそれは好きにすればいいが、きみのおかげで鍋が一味足りない気がするのは、許しがたい」
しかたなく裁判長検察官とやらの役柄に乗っかるケート。
「……黙秘権を行使します」
口をへの字に曲げ、沈黙の美徳に酔いしれるチューヤ。
鍋を食う権は保持しつつ、黙秘をつづける被告はたいへん心証がわるい。
原告側代理人サアヤは、その点から激しく糾弾する。
裁判官ケートは大きくうなずき、
「被告が、このような行為にふけるのは、はじめてではないと。そういうことかね、原告」
「はい、検察官裁判長殿。中学のころでしたが、香ばしいチューボーの一時期、鬱屈した青い悩みを、恥ずかしくも被告は不登校という黒歴史で塗り固めようとしたのであります」
「異議あり!」
立ち上がるチューヤ。
ケートは言下に、
「却下する。原告はつづけなさい」
「はい、裁判官検察長殿! われわれが苦労して、どうにか中学を卒業させてやったのですが、それですこしは反省したのでしょうな。他科の方々はご存じないかもしれませんが、この男、一年半ほどまえになりますが、高校デビューを決めようと、すこしがんばっていた時期もあるのです。疑似リア充、こじらせたらキョロ充。どちらに向かうか。わくわく観察してました」
サアヤの怒涛の弁論を、苦々しい表情で聞かされるチューヤ。
ケートは大きくうなずき、
「なるほど、その時代にもどるか、ひきこもってオタクを極めるか、それとも疑似でもなんでもリアルを充実させに外へ出るか、と」
チューヤは、ぱたぱたと足を踏み鳴らしながら、挙手をして発言を求める。
「一方的議論かと思いますが、検察……いや裁判長? キョロ充を選べば、とりあえずリア充グループの底辺からスタートはできるし、努力と才能で中位くらいには登れるかもしれない。それがいやなら、オタク道に邁進するのも選択肢ではあった。リア充爆発しろと恨み言を宣っていればよいのでね!」
サアヤはしたり顔で、
「お聞きのとおりですぞ、お代官さま! この始末でやんす。これが卑屈で皮肉屋のめんどくさいチューヤってやつなんですよ、検察裁判長官!」
「そもそもなんだよ、そのケンサツサイバンチョウカンってよ」
ぐだぐだになってきたので、チューヤは素にもどって椅子に身体を落とした。
同じく裁判ごっこに飽きたケートも、ベッドのうえに腰かけると、それなりにそろったオタクグッズを見まわしながら、
「で、いつまで引きこもってるつもりだ、チューヤ」
「引きこもっていると楽なんだ。この結論は変わらないよ」
するとサアヤは、すこし表情を引き締めて、
「平時なら、それでもいいよ。だけど」
チューヤは再び、口元を歪めるような皮肉屋の笑いを浮かべる。
「非常時だから家を出ろ、か。けっこうなパワーワードだよな、それ。戦争だから巨大戦闘ロボットに乗れ、と。オタクの大好物じゃん」
日本の歴史を彩ってきたさまざまなロボットアニメの名作には、いやいやながら巨大ロボットに乗せられる才能豊かな少年、というパターンがあまりにも多い。
言い換えれば、そこにはあきらかに、なんらかの「傾向」を読み取ることができる。
「じっさい戦時中に、いわゆる困ったちゃんが、いまみたいに目立つことはなかった」
「もっと困っている社会の陰に隠れていたんだろうな。いや、現に巨大な共通の敵が現れたとき、多少のいさかいは、とりあえず置いとく、ってのはふつーだろ」
「……じゃ、とりあえず置いとけば?」
チューヤは、ほとんど無意識のうちに食べ終えていたスパイシーな鍋に両手を合わせてから、速やかに切り返す。
「それ、うまい解決方法だと思ってる? ただの弥縫策だろ」
「たまにむずかしい言葉使うよね。学校に行ってもいないのに」
「ひきこもって変態ゲームやってると賢さが増すことも、まれによくあるんだよ」
「否定はしないけど、マイナスも大きいよね」
「俺も否定はしないよ。そのマイナス部分の破壊力」
当人もわかってはいるのだ。
いや、世の中で引きこもっている全員が、おそらく理解はしている。
このままでいいわけはない、と。
ケートは立ち上がり、窓のほうに向かって言う。
「お互い合意が得られたところで、行くぞ、チューヤ」
「放課後アバンチュールは、拒否できない流れではあるよね」
よっこらせ、と立ち上がるチューヤ。
慌ててきょろきょろと男子二人を見まわすサアヤ。
「なによ、男子だけで。どんな合意で、どういう流れ?」
「ちょっと女子ぃ、空気読んでよねぇ」
ふつうに窓から出て行く男たち。そこでようやく気づくサアヤ。
「なんで靴が窓に」
「最初から、こっちから出るつもりではあったのさ」
「けっこう早めに気づいたよな、ケート」
「チューヤの考えそうなことくらいな」
男子の間には、とっくに合意ができていた。
こうして彼らは、夜の街へと繰り出す。
「言っとくが学校には行かないぞ。とりあえず、もうちょっとは」
「勝手にしろ。あんなところ、行っても行かなくても関係ない」
マンションの敷地を出るが早いか、交わされる会話を聞きとがめ、
「ちょっとケーたん、そういうこと言ったらメッメ!」
「とか言いながら?」
ふりかえるケートに、頭を搔いて笑うサアヤ。
「えっへへー、じつは私も。きょうは午前中、休んじゃった」
「サボる者たちが夕暮れ、さらにサボる者をたたくんじゃないよ」
チューヤの言葉に、ケートは視線をもどし、
「いや、さらにサボってる時点で、たたかれて当然だろJK」
「そんな陳腐すぎる常識的な考えとやらに、とらわれないでください」
「じゃ、女子高生はなんでも許される理論は?」
「超リアルに一部では通用する理論もやめて」
歩きながら見上げれば、月が妖しげな光を放っている。
「めんどくさいやつだな。チューヤのくせに」
「いや、昔からこういうやつよ、チューヤ」
「天才ならわかるが、ふつーのくせにめんどくさいってどういう了見だよ」
ケートの指摘が、サアヤの記憶を喚起する。
「先週までは、私もずっとそう思ってたよ。でもね、このチューヤごときがけっこう、ふつーじゃない才能をもっているらしいっていう事実が、最近、不本意ながら徐々に浮き彫りになりつつあるんだよね」
「なんのこっちゃ」
どうやら情報共有はそれほど進んでいないらしい、とチューヤは理解する。
「なんだよ、サアヤから聞いてないのか? リョージはいろいろ聞いたって言ってたぞ」
ケートは肩をすくめ、
「パンピーどもとちがって、ボクは日々、寸秒を争う忙しさなんだよ。それでも鍋だけは食いに出かけてやっているにもかかわらず、大事な一味すらも持ち込まない愚かな同級生のために、こうして足を向けてやっている自分の神のごときやさしさに、感涙にむせんでいいんだぞ」
「ゲホゲホゲホ! はい、むせました!」
後方でボケるサアヤを、あきれたようにふりかえるケート。
「キミは嫁にどういう教育をしているんだ?」
「離婚を考え中だ」
「しかたないからケーたんの後妻にはいってあげるよ」
「なぜボクがバツイチ設定なのかわからんが、ともかくそういうバカな話は」
「置いといて。大事な話なんだよね、ケーたん」
ようやく本題にむかうらしい、とチューヤは内心安堵した。
「そうだな。これは男と男の名誉にかかわる戦いだからな」
ここまで、なんとなくケートの進むがままに任せて、ついてきていたふたり。
どうやらサアヤも、まだケートの考えについては詳しく知らないようだ。
「ところで、どこに向かっているんだ? 駅はあっちだが」
「こっちでいいんだ」
「だって千歳烏山だろ?」
ケートはなにげなくふりかえりながら、
「? ああ、ボクの最寄り駅はそうだが、今回は駅に用はない」
「はあ? ちょっと待てよ。順当にいくと、そういう展開じゃないの」
「どういう展開を予想していたのか、聞いてやるから試しに言ってみろ」
チューヤは、先日来の展開を脳裏に思い起こす。
「駅ごとに悪魔が巣くってる、全部退治して地球をとりもどそう、ミッション490ステーション・イン・トーキョー、って話。鉄ヲタとゲーマーを取り込んで展開しようっていう、あざといビジネスモデルで……」
ケートはチューヤの言葉を途中で遮り、
「いいか、ボクはゲーム・プログラムは好きだが、ゲーマーではないし、キミの好きなゲームもやっていない。なにを言ってるんだ、いったい」
チューヤは内心恥ずかしいものを感じたが、一応は反撃を試みる。
「そもそも『デビル豪』は、プログラム・オタクのケートが、おもしろそうなゲームがあるからって、ベータ版の紹介コード教えてくれたからはじめたんじゃなかったっけ? 俺」
「ほんと影響されやすいやつだな、キミは。たしかにプログラマのひとりとは、ちょっとした知り合いで、紹介コードらしきものをわたしたような気はするが、ボクはまったくプレイしてないと言わなかったか?」
「そ、そんなこと、はじめたゲームをやめる理由には、ならないさ……」
「ふん。ボクに言われてゲームをはじめ、プロレスマニアのリョージの影響でプロレスを見る、と。まったく尊敬に値するよ、チューヤって男の主体性は」
「う、うるさいな。友情に篤いと言ってくれ」
言いつつも、はたと考え込むチューヤ。
もちろん、あまりゲームに寄せすぎて物事を考えないほうがいい、とはわかっている。
が、どうしても引きずられてしまう。
「たしかに『デビル豪』だと、千歳烏山の悪魔はヤタガラスで、現状のレベルだとちょっと厳しいかなと……」
ケートはゲームの話に一切の興味を示さず、切り捨てるように言う。
「なにが豪だ。寝言は寝て言え。……キミには昨年来の見届け人を依頼したい。これは男と男の戦いだ」
チューヤは足を止め、素っ頓狂な声を出す。
「……またぁ?」
「呆れた声を出すな! 今回は本気だ。決着をつけるべきときが、きたんだよ」
「一年まえにやったじゃん、同じこと……」
やっと糸口を見つけたサアヤは、急いでふたりの会話に割ってはいる。
「そーいえば去年、派手に喧嘩したんだよね、リョーちんとケーたん」
「そうだが、なぜサアヤが知っている? ……だれにも言うなと言ったはずだな、チューヤ」
「言ってねえよ。けど見りゃわかるだろ、あんだけ傷だらけになってたんだから」
サアヤは笑顔で、気づかずに傷口をえぐるタイプだ。
「いいおとなが、けんか広場で喧嘩してますよーって、危うく通報されかけたって話は聞いちゃったー、えへへー」
「世知辛い世の中だな……」
「まさか、これからまた、けんか広場行くのか?」
ケートはチューヤに向き直り、
「だったら駅に向かうだろ。心配するな、終電で帰れなくなると困るだろうから、近場にしてやった」
「いや5キロくらいなら歩いてでも帰るけど。チューブの地下道もあるし」
ケートは再びまえを向いて歩き出しながら、切り上げるように言った。
「リョージも納得してる。……あいつ、こんな日までバイトあるとか抜かしやがって、9時過ぎになるとか言ってたが、せいぜい武蔵を気取るがいいさ」
「きょうをどんな日にするか決めたのは、どちらかといえばケートだと思うが……」
ため息交じりに、チューヤも納得した。
待ち合わせ場所は、杉並区内にある善福寺緑地公園。
つぎの戦いは、まさかの身内同士──。
 




