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 解剖学的には、20万年まえには、すでに現在の人類と変わらない段階に、人類は進化を果たしていたとされている。

 だが、どこか決定的に異なる部分があったのではないか、上部旧石器時代の革命があったのではないかなど、まだ諸説が入り乱れている状況だ。

 そんななか、日本で「人間になる」革命があったという「説」を、彼らは知った。


 現在の東京からは想像もできないが、すくなくとも日本列島は長大な海岸線を有し、温暖期と寒冷期のいずれの時期においても、膨大な臨海域を有した。

 ことに海進期には、増しに増した干潟から得られる膨大な海産資源によって、縄文人などは、かなり豊かな食生活を営んでいたことが推定される。

 縄文海進期について研究する学者の多くがそれを語っており、古人類学者の想像の翼を喜ばせている。


 遡ること数万年──およそ8万7000年まえ、完新世にはまだ遠い。

 21世紀の考古学においては、まだ確たる証拠はないが、この時期に日本列島へ人類が到達していた可能性は否定できない。

 すくなくとも後期旧石器時代には到来していたが、中期にもいた可能性は高いのだ。


 一方、上部旧石器時代に「人間革命」があった、という議論については、異論もある。

 すでに人間はそれ以前に完成しており、わざわざヨーロッパ人が優位であるかのような、南ヨーロッパを中心に起こった技術・芸術的な表現のみを特別視して論じること自体がおかしい、と。

 今回の例でいえば、わざわざ「東京で」進化したのだ、という「説」自体が議論に値しないことになる。


 たしかに解剖学的には、人類に、それ以後の人類に可能だったすべてのことを実行する準備は整っており、単に表現のチャンスがなかったとか、あったとしても痕跡として残っていないだけという可能性は、否定できない。

 だが、爆発的な芸術表現の拡大は、たしかに「革命」と呼ぶにふさわしい水準と時期的な重なりをもって、一挙に花開いた、という感が強い。

 ある種の「きっかけ」は、あったにちがいないのだ。


 それが火山による2連発の時差式男女変化だった、というのがクロトの解き明かした人類史の趣旨だが、ヒナノが気になったのは別の部分だ。

 ──彼らは、ジャバザコクで()()()()()()()()

 生活していた痕跡はあったが、人間そのものを見てはいない。

 そこにとってつけられた理由こそ、最大の問題ではないか?


 すなわち、神──あるいは悪魔。

 事実、垣間見た異形の影。

 チューヤの悪魔相関プログラムは、12体の「なにか」の存在を示唆していた。

 それが「原初神」であるとすれば、ある意味、彼らが「人類を創った」と言えないこともない。

 であれば──。


 東京で暮らしていたプレ人類が、あのまま、あの場所で暮らしていたら、絶滅していた可能性が高い。

 1個の集団の絶滅なら、さほど問題はないのかもしれない。

 問題は、絶滅のまえに人々の流れを誘導した「力」の存在だ。

 それは恣意的な「介入」を意味しないか。

 そんなものがあったとすれば、人類の存在自体がチートである、という凶悪な推測にまで発展しかねない。


 人類は宇宙人が外から持ち込んだ「種」から生み出された、というケートの大好きな教科書『ヌー』の総力特集そのままの話になってしまわないか?

 その秘密を解き明かすことは──。


「たしかに、落ち着いて考えれば、すべての疑問が氷解したってわけじゃないな」


 チューヤにもようやく、問題の核心が見えてきた。彼の場合、意識して目を背けていた、という部分もなくはないが。


「あの場所には、たしかに集落があった」


 最初にその場所に足を踏み入れたリョージの脳裏に、打ち捨てられた集落のありさまがよみがえる。


「それがジャバザコクと呼ばれていたかどうかはともかく」


 ヒナノが解き明かしたいのは、その先だ。


「あのまま暮らしていたら、きっと死んでたよね」


 サアヤも生きることをあきらめたくらいの場所から、先住民を「逃がした」のはだれか。


「……なにを企んでる?」


 しかたなさそうに、ケートも思索の腰を持ち上げる。


「野生の勘、じゃねえよなあ?」


 ウソに敏感なマフユの冷たい目がクロトを貫く。


「昔から、シャーマニズムってやつはあってね。ここにいると危ない、北に逃げなさい、と巫女さまが言ったとか言わないとか」


 口から出まかせ、という気配が濃厚なクロト。


「……もういいだろ、鬼女さん。教えてくれよ。原初神の()()、彼らの()()、全部!」


 代表するチューヤ、突きつける要求。

 しばし沈黙。

 クロトは、ぽりぽりと頭を掻いた。


「うーん。頭が良すぎるのも考えものだよね。ま、そこまで言われちゃったら、しょうがない。あたしらがジャバザコクに行った理由にもつながるんだけど、人類の魂の形を、ある鋳型に合わせてつくりなおす必要──」


 瞬間、ピシッ、と空間にヒビがはいった。

 クロトは、ハッとして口に手を当て、あわてて背を向けた。

 トンネルのように流れる時の河に、異様な波紋が広がっている。

 あきらかに外部からの「干渉」を受け、ある種の危殆に瀕しているらしいことは、クロトのあわてようをみればわかる。

 つぎつぎと指示を変更する魔術回路。

 それでも「船」の揺れは収まる気配がない。


「え、ちょっと」


 呆気にとられる高校生たちの視線の先、


「まあ、自分の運命は、自分でつかむもんさね!」


 クロトの捨て台詞。

 稼働していた魔術回路につぎつぎ、強制終了をかける。

 「もとの場所」を目指して流れる川の先が、どうやら分裂しはじめた。


 あとは自力でもどれ、とでも言わんばかりに、クロトは「舵」だけを手に、ひょいと身を浮かせる。

 すると「船」は彼女だけを包み込んで、6人の高校生から離れていった。


「ま、待ちやがれ、こんにゃろ」


 魔女のしっぽに腕を伸ばすが、届かない。


「自分らで漕ぎな、人生ってそういうもんだろ」


 捨て台詞とともに、おそらくショートカットなのだろう、支流のほうへ飛び去るクロト。


「てめえ、もどってこい!」


 リョージは叫びながらも、バラバラになりそうな仲間たちを引き寄せるので精いっぱいだ。


「うるさいねえ、ほらよ」


 クロトの声につづいて見えたのは、まるでヨーヨーのように回転しながら、異次元の彼方から飛んできた──車輪。

 運命の女神らしいアイテムだ。


 巨大な水車を思わせる有名な意匠、西洋ではこれを「運命の車輪」と呼ぶ。

 永久に転がる機関。

 人々は、そこに巻き込まれるしかない。


 19世紀、エドワード・バーン・ジョーンズの描いた『運命の女神の車輪』が、その事実をよく象徴している。

 上には足かせをつけた奴隷が、中央には王冠を身につけた貴族が、下には勝者を意味する月桂冠をかぶった男がいる。

 回転する車輪に絡めとられた瞬間、そこには身分の上下、金銭の多寡、過去の経歴など、いっさい関係がない。

 人間は、運命に翻弄されるしかないのだ──。


「ちょ、おま……っ」


 割れる船からすべり落ちるケートの腕を、


「こうなったらしょうがない、移るぞ」


 リョージがつかみあげて、車輪の軸のひとつにつかまらせる。


「こんなんでもどれるのかよ、ほんとに」


 ひょい、と身軽に飛び乗るマフユ。


「やむをえませんね」


 ヒナノと並んで、


「ひえぇえ~、まわってまわって、まわる~♪」


 歌うサアヤの後ろ、


「もう、どうにでもなれって!」


 チューヤが最後に飛び乗った。

 時の河を。

 漂流する。

 少年少女。




 脳内に通り過ぎるタイムライン。

 8.7万年まえから、地球の映像がぐるぐると回転しながら、心の河を通り過ぎる。

 人類の最終工程、まとめだ。


「プレ人類は一度、日本列島、あるいは千島列島まで到達した。そこで阿蘇のイベントに出会い、引き返した」


 どこからか、ヒナノの声が聞こえる。


「そうらしいな。で、1万3千年かけて、東南アジアの島嶼部からインドまで引き返しながら、阿蘇イベントで得た鍵を、徐々にスペアしていった」


 ケートの理性をもってしても、説得力のある流れだ。

 ──Y遺伝子に、スペアキーが増えていく。

 そして7.4万年まえ、トバ・イベント発生。


 待ちに待ったX遺伝子の最終進化だ。

 鍵は、ぴったりと合う鍵穴を見つけた。

 人類は、爆発的な増殖を開始する。

 心に刻まれる数字が、もといた場所を目指してカウントを進める。


 7.3……6.1……4.5……。

 数字が下っていくに合わせて、人類を示す赤と青の光は輝きを増しながら、その位置を世界へと拡散させていった。

 その一部は、一度、アフリカにもどり、別の流れは再びアジア、ヨーロッパを目指し、あるいはオセアニア、オーストラリアへ。


「環境が良くなった」


 ヒナノの指摘は、風景に氷の白より植物の緑が多くなることを指す。


「一時的な温暖化か。そして……適応放散だな」


 無人の野を行くがごとき人類の拡大を、ケートは楽しげに評する。

 最後の出アフリカは、6.0から5.0万年まえにかけて。

 これが最後のトリガーである。


「神と、悪魔もね」


 ぽつり、とつぶやく悪魔使い。

 チューヤの視界には、エリアデータが表示されている。

 0/12という謎の表示が、その母数を増していく。


 30、60、150……。

 リンク可能な悪魔の数が増えていく。


 ()()()、神と悪魔の()()()()()()()につれ、ナカマにできる悪魔の数が急激に増しているのだ。

 悪魔使いの世界が、一挙に広がっていく。


 地表では、ときおり火山が噴火している。

 もう慣れたものだが、そのあたりに住む人々にとっては、死活問題である。

 先行した衝撃波を追って、帯電した粒子が、ぴりぴりと火山雷を伝えてくる。

 この自然の暴威が、インドの原初的な主役級の雷神インドラに()()()のだろう。


「多くの自然現象が、神さまになっていったわけか」


 自然崇拝の原点に立ち返って、つぶやくリョージ。


「インドラのじーさんか。懐かしいな」


 にやりと笑うケートも、派閥としては多神教だ。

 ナノマシンの表示を信じるとすれば、たしかに「神」や「悪魔」を創り出したのは人間ということになる。

 強大な自然現象というものは、不可避的に人間に一種の感動をもたらす。

 そうして生み出された、多くの神々。


「神様仏様、お助けください、ナンマンダブー!」


 サアヤが、火山で苦しんでいる人々を俯瞰して、代わりに祈っている。


「キミの神様にでも祈ってやったらどうだい、お嬢。ま、異教徒は助けないどころか、殺しに行く神さまだけどな」


 皮肉なケートの物言いに、ヒナノは唇を噛みしめる。


「これは、ただの自然現象。神とは、唯一の……」


 その存在をどう理解すればいいのか、アイデンティティのクライシスに見舞われる。


「自然現象にバカどもが困ってるのを利用して、集金しようって決めたんだろ、おまえらのカミサマもよ?」


 マフユがせせら笑う。

 真相を剔抉しているが、不快な響きだ。


「集金が邪悪なのは悪魔でしょう」


 ヒナノは鋭くやり返したが、


「おんなじだよ、お嬢」


 ケートは即座に決めつけた。

 見下ろせば地表の変化は、もう目視で追えないほどに目まぐるしく、人類の光は地球全体を覆って、物質と情報の往来は指数関数的だ。

 人類の来し方、行く末。


 5000……3500……2000……800……250……。

 カウントが……終わる。

 トンネルに、光が満ちた──。



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