95 : Past Day 3 : Shirokanedai
どんぶらこ、どんぶらこ、と船は揺れている。
答えは出たので、あとは帰って寝るだけだ。
「しかし、まさか全員が生きてもどるとはね」
クロトは、回転する長針と秒針の中心に向けて、魔力を注いでいる。
「死んでももどったさ」
チューヤの軽口に、クロトの返す視線は冷たい。
「死んだらもどれないよ、絶対に。それがジャバザコクのルールだ。一度でも死ねば、永劫の反復世界に落ちる。それが知的好奇心の代償。この世界に流れ着いた瞬間にもどって、最初からやり直す。何度も、何度も、何度も、何度も……」
その輪から抜けてもどれる可能性があるとしたら、唯一、彼らが生きて、現世との連続性を保ちつづけることだ。
それが断たれていたら、どうあがいてももどることはできない。
死人が生き返ることがないように、切れたものが元通りにつながることなどないし、あってはならないのだ。
「それはたしかに恐ろしいが、好奇心にとっては喜ばしくもあるな」
言い放つケート。
好奇心が恐怖を乗り越えるのは、科学者の業である。
そうやって、何度も何度も謎の時代を生きることができれば、心行くまで調査ができる。
もしその魂が、心底から謎の答えを知りたがっていたなら、引き受けたリスクの分だけ、相応の満足は得られるわけだ。
「たしかに。納得がいくまで何度でも、信長を討つ光秀の顔が見られると」
歴史学者なら尽きないだろう興味に、文系のヒナノも同意する。
あきれたように、その「業」を眺めるクロト。
「そうやって永劫回帰の状態になると、生命体としては破綻する。すると、そこからわずかな情報が洩れる。別の次元にも、ほんのわずかに流れ出すんだよ」
「M理論における重力の取り扱いに似ているな」
なんとなく理解を示すケート。
4つの力のうち、重力だけが「弱すぎる」。
その説明を、異次元から漏れてくる力だ、というふうに解釈するのがM理論だ。
「わかった。その力を、占い師がキャッチするんだね」
というサアヤの予想は、結局のところ正しかったということになる。
「正解。そうやって、あちら側の占い師は、答えを知った魂から情報を吸い上げ、うまく利用する。よく考えられてるよね。魂になった連中が二度ともどれないってことは、占いの秘密を漏らされる恐れもないってこと。デルフォイの神託にしろ、港の母にしろ、ずるいこと考えさせたら人類の右に出る者はいないね」
クロトは意地悪く笑った。
「しかし、わたくしたちは」
ヒナノも含め、もどれるパターンもある。
「かなり特殊だね。生きていることと、時の女神という魔術回路の接続。この両方の条件が合致するなんて、ふつうはありえないから」
飄々と言い放つクロトの口元を、ヒナノは注視している。
「やっぱ、生きてるって大事なんだね。理屈はよくわかんないけど」
チューヤには、あまり理解するつもりもないようだ。
「魂と肉体が分離していないから、ってことじゃないかな。こっちに魂だけ飛ばされて、肉体がまだ向こうにあって、それで生きているから魂がもどってくる可能性があるってこと?」
サアヤの考えに、クロトは首を振る。
「ちょっとちがうね。あんたたちは、まだ魂だけの存在にはなっていないんだよ。だからこっちで傷ついた情報は、生きているかぎり持ち越される。あんたたちの未来は、まだ確定していないんだ」
「……なるほど?」
胸の傷口に迫る現実感を噛みしめ、理解を示すリョージ。
「物質は、波と粒子の性質を持っているんだよ。わかるよね、そこの坊やなら」
と、クロトはケートに視線を転じた。
「ふん、そういうことか。量子化したんだな」
彼なら理解は容易だ。
「どういうことだよ、ケート」
理解できないと理解しながらも、質問するのが本能のようになっているチューヤ。
「ボクたちは、ここにいると同時に、元の場所にもいるってことさ。どちらかの存在が消去されるまで、結果は確定しない。エンタングルメント(量子もつれ)ってやつだ」
「そう。不確定の状態だからこそ、もどるチャンスがあるんだ。死が確定したら終わり。あったりまえさね」
ぎいっ、と櫓を引くクロト。ゆらり、と船が揺れる。
「それこそ霊になって、同じ時代をくりかえす、ってか」
時の河を眺めるリョージ。
「なんか、そういうSFチックなラブストーリーなかった?」
無造作に外に手を伸ばして、たしなめられるサアヤ。
「わるいが、ごめんだね。こんな世界に興味はない。永遠の恋? くりかえしたいやつは勝手にすればいい。……残りたければ残っていいんだぜ、リョージ、お嬢。ふたりで永遠の過去を生きろよ」
「ケーたん、メッメ!」
サアヤに叱られながらも、
「さっさともどせ、魔女。ボクにはボクの未来があるんだ。ボクだけの未来がな」
ケートはクロトを指し、強い口調で言った。
「ふん、アトロポスにぶった斬ってもらいに行くがいいさ」
吐き捨てるクロト。
ここまでの帰路は順調だった、が……。
「しかし、まだ疑問は残りますね」
ヒナノが、冷たい目でクロトを凝視する。
「えー……っと、まだなんかある?」
チューヤの知的好奇心は、そろそろ枯渇している。
「苦労して解き明かした謎が、まちがってるってのかい?」
リョージは、半ば呆れ顔だ。
「いえ、まちがいとまで言うつもりはありませんが。……人類の最終進化が、アフリカではないという点に、違和感が」
彼女の立ち位置から考えれば、意外な見解ではある。
そもそも、ヨーロッパが世界最高であり、人類の到達点であり、選ばれた最高人種なのだ、という主張が彼女の根底にある(ように見える)からだ。
もちろん彼女は白人ではないし、白人至上主義者でもない。
しかし背後にはヨーロッパを中心とする一神教の巨大組織があるし、内面的には、ヨーロッパ中心主義に汚染されているといっていい。
ヨーロッパ中心主義的な考え方によれば、アフリカは人類のゆりかごであるが、人類に重要な変化が起こったのはアフリカを出て以降であり、とくにヨーロッパにおいてそれが完成された、と信じている人はいまでも多い。
ヨーロッパにかぎらず、アフリカを出て以降のどこかの段階であろう、と考える人もそれなりにいる。
「創造の爆発」が起こったのは、アフリカではない。
すくなくとも20世紀の研究者たちの多くは、この考えで一致していた。
が、この考えは、とても偏狭なものを含んでいる。アフリカに住む人々は、けっして認めないだろう。
保守的な考古学会でも、21世紀になると、爆発などというもの自体が存在しなかった、という意見が強くなった。
かつては氷河期以前の芸術品がほとんど発見されていなかったアフリカにも、昨今、遺跡が続々と発見されつつあり、すでに人類として完成されていた、という意見でアフリカ勢はまとまっている。
「……偽善者らしいな」
ケートの言葉に、
「取り消しなさい!」
ヒナノが、めずらしく激昂した。
キリスト教徒にとって最悪の非難、貶斥が、この「偽善者」という言葉である。
人間であるかぎり、まちがいを犯したり、小さな悪事に手を染めることは、人生のなかでいくらでもありうることだ。
しかし「偽善者」のレベルになると、意識的な悪意が一段上がる。
彼女の感情的な反駁には根拠がある──が、いま、より重要なのは、彼女の注意力がそうとうに的確な部位を射抜いているという点だ。
ケートは肩をすくめて、
「そもそも、あんたらの宗旨じゃ、ヒトは5千何百年かまえに、たったひとりのカミサマとやらにつくっていただいて、アブラハムやらユダやらアッチョンブリケやらに分裂していったんだろう?」
「あなた方の宗旨では、56億7千万年まえでしたか?」
イライラと足を踏み鳴らすヒナノ。
「いやあ、それは私かなあ」
てれてれと笑って頭を掻くサアヤ。
同じバラモンの系譜を継ぐインド系の思想だが、仏教は、インド本土ではほとんど潰えてしまった。それが逆に、仏教を「民族宗教」ではなく「世界宗教」に押し上げた原動力ともなっている。
キリスト教も含め、科学的視点に立てば、宗教が「吹いて」いる教義はいずれも、無根拠な妄想にすぎない。
トチ狂った教祖なり預言者なりが、生まれつきの分裂病かヤバいクスリをやって見た妄想を吐き散らしたところ、同病相憐れむ周辺の人々がそれに乗っかり、「宗教」という巨大な利益構造を生み出した。
それが現在の「世界宗教」たちの真実である。
「宗教ビジネス、ヒャッハー!」
マフユにとっては同じことだ。
「黙れ蛇、貴様の犯罪ビジネスはその下だ」
ケートが釘を刺す。
「集金構造を問題にするなら、ほとんどのビジネスが成り立たないだろ」
なんとなく気を使っているチューヤの言葉に、
「宗教は、政治ともビジネスとも切り離されています、すくなくとも近代国家ではね」
ヒナノは分断的な「教国」の視座にいる。
「なんかむずかしい問題だね、お釈迦さまでも気づくまい!」
気づくつもりもないサアヤ。
「さすが日本、無宗教けっこうだ」
苦笑するリョージ。
高校生たちが背負うには重すぎる議題だが、現に彼らはそれらの最先端のお先棒を担がされている。
一瞬、沈黙が場を支配し、見つめ合う6人。
いきおい、話題の発端であるヒナノに視線が集中する。
彼女は「宗教」の担ぎ出す「神」を問題にしているわけではなく、意識的にオミットされている「アフリカ」を問題視している。
ケートは両手を挙げ、話題をもどす。
「悪かったよ。宗教の問題は取り下げる。それより……アフリカか。なるほど、その視点は的確だ。お嬢は、てっきりEU至上主義だとばかり思っていたが」
「──過ちは、くりかえしてはならないのです。ヨーロッパ至上主義は、もちろんまだ根強いですが、反省している人々も多い。父も、アフリカの考古学的遺物に興味をもって、いろいろと蒐集しているようですし」
言いながら、視線をクロトに集める。
時の河の下、地球という船は高速で回転し、人類の輝きは世界に拡大をつづけている。
このまま「現代」にもどるのを待つだけと思っていたが、最後に一山ありそうだ。
「いや、信じなよ。人類は、そこから来たんだって」
増殖する地表の赤と青の点滅を指して言うクロトの口調は、あきらかに、なにかをごまかそうとしている、とヒナノならずとも看取した。
弾劾裁判の検察官を担う決意をもって、ヒナノは一歩を踏み出した。
「欺瞞はやめなさい。──あなたは、まだわれわれに教えていないことがある」
それは人類の「来し方」とともに、「行く末」をも包含する、巨大ななにか──。




