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 石神井公園駅に配置されている悪魔の名は、堕天使サレオス。

 ワニにまたがった屈強な戦士で、銀の鎧に冠をいただく。赤いマントを羽織り、赤の戦士とも呼ばれる。

 『ゴエティア』によると、30の軍団を率いる地獄の公爵、序列19番。酒を好み、人々の間に愛をばらまく。立ち居振る舞いは温和。追い詰められ、どうしようもなくなるまで戦おうとはしない。


「という事前情報によれば、話せばわかる相手であろうさ」


 表情をヒクつかせて、希望的観測を宣うチューヤ。


「それただのゲーム設定じゃないの」


「悪魔の設定自体は、ゲームができる何百年、何千年もまえからあるから!」


 著作権で争わなくて済む、という程度のメリットはあるだろう。

 サレオスの姿は徐々に明確に、克明に、存在感を増していく。

 同時に、周囲の景色が、目に見えて現実感を失っていく。

 いや、新しい現実に置き換わっている、と言い換えてもいい。

 あのときの石神井公園と同じだ。こちら側の世界線に、別の世界線が接近してきて飲み込まれ、混ざり、特異な第三の状態を呈している。


 ここで食われた人間の肉体は、悪魔が自分たちの世界線に持ち帰るかぎり、こちら側に残ることはない。

 だから騒ぎになりづらい。


「いや、食われないから」


 同じ最悪のケースを想定していた仲間たちは、うなずいて言葉を返す。


「だよな、サモナー。スキルを学ぶには、ぶっ倒して相手に強さを認めさせるか、平和的に交渉するか、らしいけど」


「もちろんチューヤのコトナカレパワーがあれば、平和的に受け取れるよね?」


 仲間たちの言葉と視線が、背中に痛い。

 チューヤは無言で吐息する。

 ──リラックスさせるんじゃなく、ハードルを上げるんかい。


「悪魔使いの力を高く見積もりすぎだと思いますが。コミュ障気味な俺に、悪魔の心をつかむ言葉を吐き散らせると思う?」


「思わんが、そっちの妖精たちは、戦わずして仲間にしたんだろ?」


 ふわり、と宙を舞うピクシー。


「ハロー。新しい仲間? あらやだ、好みのマッチョメン(はぁと)」


「スキル教えてやってくれよ、ピクシー」


「あいあーい、と言いたいところだけど、適性ちがうかもー」


 各スキルには適性というものがある。

 AタイプやMタイプだからといって、どんなスキルでも学習できるわけではない。

 無理やり覚えることもできないわけではないが、練度がまったく上がらず効率が甚だしくわるい。実戦的ではないのだ。


 そこで、すべてのDNAに対して最適化された最新のナノマシンは、その人間の所有するDNAに適合しないスキルを最初から拒絶する。

 もちろんリョージが回復魔法を覚えることはないし、サアヤがデビルパンチを覚えることもない。

 裏技を使って覚えさせてみたところで、だれも得をしない。


「やれやれ、それじゃチューヤ先生に、ひとつ体当たりの交渉術というやつを見せてもらうしかないな」


「ふうん、チューヤ、あたしをナカマにしたいの?」


 はい

 いいえ


 チューヤの目に拡張現実が浮かび上がる。

 ナノマシンの仕組みも、徐々に理解してきた。


「水臭いぜ、ピクシー。そんな間柄じゃないだろ」


「そしてARなんか目じゃない、この現実から目を背けないようにね。……完全にボスの風格じゃん、あれ。会話でナカマとか、どんな悠長な夢を見てんのよ」


 バカにするように言って、ピクシーは後方へ引っ込んだ。

 この布陣なら、前衛に出るべきケットシーが、まずはまえに踏み出し、


「あれが本当の敵であるか。ご主人、真実の報復の機会を与えてくだされたことに感謝する」


 つづけて、その横に陣取るのは、新たに加わったナカマ、セベク。


「先日はすまなかった、猫殿。混乱していたとはいえ、あなたの飼い主を」


「気になさるな、セベク殿。たしかにあのとき、そこもとの正気は失われておった。吾輩も、そこもとのはらわたをひっかきまわしてしまったことを、ここに謝しておこう」


 マージナル・サーバ(ストック中の待機場所)内で、仲間たちの間にあったしがらみも、ほどけつつあるようだ。

 三体のナカマと、人間が三人。

 このメンバーで立ち向かうは、堕天使サレオス。


 ホームの端、ゆっくりと浮かび上がる悪魔の姿は、もはや揺るぎない現実。

 代わりに、ホームを歩いていた数人の客の姿は、もうどこにも見えなくなった。

 このホームの端周辺だけが、いままでいた世界線と切り離され、第三の状態になったというわけだ。

 ナノマシンが、彼我の戦力を網膜から脳髄にかけて提示してくれる。


悪魔名/種族/レベル(現在)/時代/地域/系統/支配駅

サレオス/堕天使/12(?)/中世/ヨーロッパ/ゴエティア/石神井公園


 現状、相手の基本データと初期レベルしかわからない。

 今後、戦うか仲間にすることで、アナライズ機能も成長していくことになる。


 対するチューヤたちのレベルは、軒並み一桁。

 本来このレベルで特攻していい相手ではない、ような気もする。


 だが、こちらは6人いる。

 どんな強力な魔王だって、勇者は仲間たちと力を合わせて倒してきたのだ。

 チューヤは自分に言い聞かせる。


「6人寄ればもんじゅも廃炉、ってね!」


「早くも交渉をあきらめたのか」


 やれやれと首を振る仲間たち。


「我を呼び出すとは、不遜なる者どもよ。何用か」


 地の底から響いてくるような重低音。

 サレオスの第一声は、対する一同にさまざまな思惑と情緒を掻き立てる。

 斜め前方のセベクの様子を目に止めたチューヤは、


「どうした、セベク。なにか気づいたのか」


「いや、この声」


「やっぱり、こいつに洗脳されたのか?」


 セベクはしばらく自問自答していたが、やがて首を振り、


「たぶん……いや、わからぬ。ただ、食い尽くせ、と聞こえた声は、こんな感じではあった……ような」


 ワニつながりで、石神井公園の周囲の二駅に配置された悪魔たち、と思っていたが、もしかしたらそこには深い事情もあるのかもしれない。


「……用はないのか? ならば」


 サレオスが動きをはじめるまえに、ネゴシエーター・チューヤは慌てて言葉を発する。


「いや、待て。聞きたいことがある。サレオス、おまえ、石神井公園を攻撃したか?」


 サレオスは不快げに眉根を寄せ、

「ああ? 人間が、なにを偉そうに……。聞きたいなら、力ずくで聞き出したらどうだ」


「協定違反じゃないのか。勝手に世界線を揺らして、局所的な収奪をするのは」


 ルイから教えられた断片的な情報だけを頼りに、責めてみるが、


「ガキが……どこの裏切り者から聞き出した戯言かは知らぬが、いいか人間よ、そんな妄言を吐いて許されるのは、力を持つ者だけだ。力があれば、なにを言っても、やっても許される。だが弱い者には、言葉ひとつも吐く資格などないのだ。貴様に口を開く資格があるのか? 不愉快な連中め。そろそろ死ぬがいい」


 後退りながら、決まり文句を口走る。


「ま、待って。最後にひとつ、俺のナカマになってく……」


「死ねァ!」


 振り下ろされた武器の衝撃波で吹っ飛ばされる一同。

 交渉は決裂し、当然のように戦闘が開始される。




「まったく頼りない召喚士さまだな」


「最初から無理な相談でしたが、なにか!?」


 戦闘中にそんな会話が交わされるほど、戦力は意外に拮抗していた。

 たしかにサレオスは力強い。だが、その一撃で瞬殺されるほどではないことが幸いした。

 こちらには鉄壁の回復役2枚と、それなりの攻撃役が3枚、バランスよく配置されている。


 つまり持久戦に持ち込めた。

 こうなると、単体での戦闘の不利が明確になっていく。

 数の差は、よほど圧倒的な地力の差でもないかぎり、この手の近接戦闘ではきわめて強力なアドバンテージとなる。

 とくに、サレオスが「仇」であると信じて疑わない、因縁のある悪魔二匹の戦いは苛烈を極め、とうてい削り切れないとも思えた敵の体力を、じわじわとそぎ落としていく。


 アナライズ上のアイコンが「弱体化」を明示する。敵の体力を4分の1以下にまで削ったという意味だ。

 このまま戦えば勝てる。

 「発狂」さえされなければ。


 ゲームのボスキャラによくありがちなモード「発狂」は、相手の体力を一定以下まで削ることにより、強制的に発動する必殺の一撃だ。

 たしかに相手の体力も削っているが、こちらのHP、MPもかなり頼りなくなっている。

 とくに仲間の死を10回以上は救っているサアヤの精神力と、初戦闘にしていきなりボス戦に投入されたとは思えない、百戦錬磨を思わせるリョージの奮闘に、徐々に陰りが見えてくる。


 一方、あいかわらず、たいしたことをやっていないチューヤだが、それでも戦闘のノウハウを吸収し、「戦いをコントロールする」ことの意味を理解しはじめてはいる。

 その目に見えない成長を最後まで見届けてやれる包容力と運が、このチームにあるか、という問題だった。

 ほどなく、結論が出る。


「待て、わかった。我の負けだ」


 地面に膝をつき、サレオスがそう言った瞬間は、同じ言葉をチューヤたちのだれかが吐いてもおかしくない局面だった。


「はあ……はあ……っ」


「この野郎……どういうつもりだ……」


 まだこの結末を信じきれない。

 味方にはまったく余力がないし、敵にはまだそれがあるかもしれないと疑っていた。

 結局こうなったということは、予想以上に追い詰めていたのだと信じて喜べばいいだけの話ではあるが、どこか釈然としないものを感じている者もいた。

 なにも感じる余裕もないくらい疲れ切っている者が、大半ではあったが。


「負けを認めると言った。おまえたちの力を認めよう。なんでも聞くがいい」


 せっかく降参してくれている相手を、これ以上いじめるのも忍びないだろう。

 いや、罠かもしれない。いまのうちにトドメを。

 んなこと言ったって、こっちにもそんなに決定力はないんだぜ……。

 ぼそぼそと短い話し合いが交わされたが、結論は最初から決まっていた。


「いいだろう。まずは認めた証として、おまえのスキルをリョージに与えてやってくれ」


 それが、武装解除の方法としてはいちばん確実で損がない、という判断だ。

 じっさい悪魔の武装を完全に解除することはできない。悪魔は肉体そのものが武器みたいなものだからだ。

 だが、その武器をコピーして相手にわたす、という行為が可能となったいま、スキルを与えるところまでいけば、実質、契約の成立に等しい。


「ついでにナカマにも」


 あわよくば、と発言したチューヤの思惑は、言下に否定される。


「それは無理だな。そもそも、おまえのレベルでは、我を扱うことはできない」


「そ、そうかもしんないけど」


「もうすこし強くなってから出直すがいい。そのときは喜んでナカマとなろう」


「……わかった。それで石神井公園のことだけど」


 サレオスは素直にうなずき、とつとつと語りはじめた。


「世界線を揺らして、部分的に境界化する方法は、悪魔の間ではかなり知られている。力のある悪魔なら、ある程度は勝手にみずからの領地──餌場を広げることも、当然に許された権利と言えないこともない。力こそが正義なのだから」


「だが、こちら側の人間たちと()()したんじゃないのか」


 ルイによれば、無差別的な〝侵食〟が起こらないように、悪魔のお偉方と人間のお偉方が一堂に会して、なにやら密約のようなものを交わしたらしい。

 するとサレオスは皮肉な笑いを浮かべ、


「そうだな。おまえたちは、いい指導者を持ったものだよ。駅前に悪魔を住まわせ、そこを通過する人間たちの精力を、どうぞ奪ってくださいと。いちばん重要な交通の要衝を差し出して、地下にそれを加速する魔法陣までつくってくれるのだからな」


 政府が魔界と交わした密約。

 その前提で考えると、昨今、急激に進んだ公共事業を含むさまざまな事柄も、納得させられるところが多い。

 異常な速度で成立した法案も、行方不明事件が大きな話題に上らない報道のスキームも、だれかが、だれかにとって都合のいいように小細工を張り巡らせている結果なのではないかと。

 いつもは噴飯ものとして退けられるような陰謀論が、現実的な脈絡を伴って浮かび上がってくる。


「その代わり、世界線を大規模にぶつけて交わらせるような無茶はしないでくれ、できるだけ穏便に乖離する方向に、お互いが協力しよう。そういう約束だったんだろう」


 その交渉の内容に納得しているわけではないが、リョージは自分の父もかかわっている工事の裏側に、より深い闇が潜んでいることを予感して強い憂慮を抱いている。

 とにかくいま、この悪魔から聞き出せることがあれば、聞いておきたい。

 サレオスは、その言葉をふんと鼻先であざ笑いながら、


「人間側の交渉役にでも話を聞いたようだな。その通りだ。われわれ混沌側の悪魔は、必要以上の破滅をもたらさぬことに合意した。

 ただし混沌は混沌だ。なにもかも言いなりに従うわけではない。ときにはふさわしい行動も起こすし、それによって得られた利益は、当然に得られるべき既得権として、大魔王も認めるところだろう。

 そもそも、われわれに駅を差し出すということは、それらを受け入れるという意味なのだからな」


「ふざけんじゃねえぞ、おい。おまえらの利益ってのは」


 一方的な理屈だ。

 理不尽な犠牲を押しつけられて、リョージが怒るのは当然である。


「人間の命、魂だな。……いまさら、きれいごとは言うなよ、人間。貴様らが他の生物を食って生き延びているように、われわれも貴様らを食って生き延びる。適者生存、弱肉強食の摂理を、よもや否定はすまい」


 膨大な生命を食って繁栄の極みを謳歌する人間。

 おごれるものは久しからず、という言葉もある。


「やっぱり殺しといたほうがいいんじゃないの、こいつ」


「いや……」


 そうしたいのはやまやまだが、無理だ、とチューヤは気づいている。

 サレオスはどんな技を用いたのか、すでに単体での回復を果たしつつある。

 こちらの回復が、まったく追いついていない。

 やはり、これは罠だったのではないか。

 いまから第二ラウンドを、むしろ向こうから仕掛けられたら、危険なのはこちらだ。

 そんな危うい気配を感じ取ったのは、チューヤにしては的確な判断だった。


「わかった。またくるよ。下がってくれ」


 早めに術式の成功を確かめたい。

 戦闘が終了した状態で悪魔に一歩下がらせ、両手で上向きの三角形と下向きの三角形を同時に描き、それを合わせて閉じるしぐさをする。

 中心に結ばれた六芒星の力が、無理やり引き寄せられた世界線を再び元の位置へと通しもどしていく。

 長い戦いが、終わった。




 サレオスはなにもせず、目のまえで閉じる扉を見つめた。

 やがてふりかえり、静かに言う。


「あれでよかったのですか、ルシファーさま」


 闇の向こうから、声だけが聞こえる。


「わるくはない。おまえは役割を果たした。ご苦労だったな、サレオス」


 サレオスは、闇に向かって丁重に頭を下げる。


「恐悦至極。……しかし、あのような弱き者どもを手なずけたところで、果たして」


「なあに。手駒は多いほうがよい。あれはあれで、役に立つこともあるかもしれんさ」


「ルシファー様のご炯眼が透徹するところ、我ごとき者の推し量る術もございません」


 暗闇に響く悪魔たちの声。

 世界を動かし、狂言のようにまわす、いくつかの力の流れの、これがひとつ。



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