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「……なんだ?」
チューヤの視線の先に、4人の……人間?
「おいおい、新手かよ」
つづいて出てきたリョージが、臨戦態勢を整える。
「こいつら……悪魔だ」
チューヤは慎重に、ナノマシンのデータに目を走らせる。
悪魔相関プログラムの反応によれば、敵は4体。
ナノマシンの表示を信じるなら、この場に、この世界でリンク可能な12体のうち、4体が集まっているということになる。
激しい砂嵐が、一瞬止んだ。
視線の先、やや遠目ながら、四つの影が、そのシルエットをはっきりと示す。
ひとりは、老人。
骨太で、海の男を連想させる。
『老人と海』に出てきそうな、強情で屈強そうなアジア系。
白髪と白髭の向こうに見え隠れする瞳は漆黒だ。
ひとりは、若者。
色白のコーカソイド系で、線が細く、ウェーブのかかった黒髪を垂らす。
まばらに髭を生やし、神経質そうな青い視線を、うつろに虚空へ泳がせている。
ひとりは、壮年。
褐色の肌、筋肉質で、髪の色は明るい。
完璧と呼んでいいほど美しいボディバランスで、悪魔的な魅力を放っている。
ひとりは、女。
やや太めの土偶を思わせる体躯だが、こちらもどこか惹かれる魅力に満ちている。
蠱惑的な視線を投げて、微笑んでいる。
──チューヤは混乱した。
ナノマシンが、プログラムループを起こしているかのように、その挙動は不安定だ。
悲鳴らしききしみ音までが、鼓膜の内側に響いている。
どうやら、そこにいる4人をどう評価するかで、ナノマシン自身が惑乱しているようだ。
そんな悪魔使い特有の混乱の一方、ガーディアン・プレイスにおいて、悪魔との相関をサスペンドせざるを得ないタイプの仲間たちは、別の視点から4人を眺めている。
「老先生、それに……ルイさんか?」
リョージの傍白は懐疑に満ちている。
「2丁目あたりで見たことあんな、あの女。いや、フィリピンパブだったか」
マフユの感想は率直だ。
「神の肖像に似ていること自体は、罪ではありません」
ヒナノの声は、必要以上にふるえていた。
リョージ、マフユ、ヒナノも、似た顔を現代において知っている。
ただそれだけの話だ。
この原始時代に、関係など、あるはずがない──。
つぎの瞬間、猛烈に風が吹いて人影は掻き消えた。
ザッと最後に雑音が混じり、悪魔相関プログラムは静穏をとりもどす。
「あーあ、完全にめっかっちゃったね」
背後からのクロトの声。
チューヤたちはハッとしてふりかえる。
急いで竪穴式住居内へと場所をもどすと、そこには、さっきと同様にクロトだけがいたが、どうやら回線が開いたらしく、鍋のなかから別のふたりの声がする。
「最初から見透かされていたと思っておいたほうがいいでしょう」
まんなかのお菓子お姉さん、ラキシスの声だ。
「ま、うちのボスがなんとかしてくれるっしょ」
年下の泥酔幼女、アトロポスの声は比較的呑気である。
チューヤはあらためて、この懐かしくも忌まわしい3人と対峙する。
──運命の3女神、いや、鬼女。
自分たちをこんな世界に放り込んだ、悪魔のごとき張本人だ。
魔力回路の権化となった室内には、さまざまな意匠が空間に浮き上がり、「時」を象徴して蠢いている。
それは「生」であり「死」であり、あるいは大切な「瞬間」でもある。
メメント・モリ。死を思え。
転がる頭蓋骨は魔女にふさわしい、ヴァニタス。人生の虚しさの寓意だ。
カルペ・ディエム。その日を摘め。この瞬間を大切に。
人生の諸段階を、3人の魔女が表す。
有名な絵画の主題であり、一般には、幼年、青年、老年、という姿で描き分けられ、老年は死の象徴である頭蓋骨などを持つ。
若作りをしていたクロトの皮膚が剥げていく。
その手のドクロが輝きを放つ。
時はもどらない。ただ積み重なる。
「運命というフィールドに、手は出させるものか……」
クロトの喉が、しわがれた声を漏らす。
彼女らは、どうやら何者かと戦っている。
ふつうに考えれば、先ほど外にいた面々である可能性が高そうだ。
クロトがはがれた皮膚を持ち上げると、それは意外に簡単にもとにもどった。
言い換えれば、彼女の姿は薄皮一枚ということになる。
魔術回路がつぎつぎと重なり合い、ジャバザコクのルールに抗おうとする「運命」と、互いの領分を奪い合う。
「……おや、壁が崩れましたね」
壺のなかから響くラキシスの声に、
「融和的な一部、原初神のご理解を、いただけたんじゃない?」
アトロポスが乗っかる。
どうやら鬼女たちの主張が、対立していたどこかの勢力の、かたくなな一部を溶かし、ほぐしたらしい。
鬱血が解かれ、魔術回路が正常な稼働をとりもどした。
「原初神……?」
チューヤのつぶやくような問いに、
「──いるだろ、あんたらの身近にもさ。何度も会ってる。だから見逃してもらえたのかもしれないね」
クロトが答えた。
運命の女神としては、どこか納得のいかない部分もあるようだが、結果オーライだ。
チューヤたちも、考える材料を得て、これまで以上に知恵熱が出そうだった。
魔術回路が、さらに別の姿をとる。
オオカミとイヌとライオンが、いずこからか現れて、鍋のなかに消えた。
「なるほど、それが〝賢明〟ですか」
見透かしたように言うヒナノ。
クロトは、わずかに舌打ちをしたが、だれにも気づかれはしなかった。
こいつらは賢すぎる、すくなくとも一部は。
ある種の図像学で主題ともなっているテーマ「賢明」。
過去の経験を記憶し、現在を賢く行動し、将来を予見する、という運命の処方箋だ。
西洋人にとって、この種の「賢明」こそが、もっとも尊敬を受けた。
おそらくヒナノは、この6人のうちで、もっとも正確に「過去」を把握し、だれより精密に「現在」を理解し、かぎりなく正統の「未来」を予見しうる。
食べ物をオオカミに食われたが、逃げるヤマネコを追いかけて、ここまで来た。
あれはライオンだった、とチューヤはほざいたが、ホラアナライオン(ユーラシア東部、シベリアに生息。絶滅)が日本にいたという記録はない。
「よくわかんねーんだけど、説明してもらえないかな。とりあえず、俺のナノマシン。ひどいエラーが出てるんだけど?」
その責任は、目のまえの鬼女にある、というチューヤの主張。
「安心しなさい。あなたのプログラムは正常に稼働していますよ」
鍋のなかから、ラキシスの声。
「召喚枠なら、すぐ空けてあげるから」
つづいてアトロポス。
「で、問いの答えは得られたかな? 若人たちよ」
まとめにはいるクロト。
思わず顔を見合わせるチューヤたち。
こちらが相手に行動と答えを求めているのだが、むしろ相手からこちらに何事かを問うている。
チューヤには、まだ「答え」が見つからない。
それにクロトが見つめているのは、チューヤではない。
──リョージだ。
あんた、まだリョージ狙ってんスか、とツッコミを入れたいところだが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「オレ……?」
自身を指さし、つぶやく。
「たぶん、あんたがいちばん近い。その喉が、答えを知っている。いいから、あんたの答えを言いな。それが、ここから抜けるカギだ」
長い杖を持ち上げ、リョージの喉を強めに押すクロト。
一同の視線が交錯する。
問題と、答え。
ジャバザコクのレーゾンデートルでもあるところのテーゼが、いかにして止揚されるかの瀬戸際だ。
「オレは……」
リョージはゆっくりと呼吸する。
「そうだ、あんたは、あんたの先祖は、この環境に置かれて、どうする?」
重ねられる問い。
「オレは、オレは人間を、人間をやる……オレは人間をやるぞ、徐々にィイィイィ!」
リョージが叫んだ瞬間、空間に、ピシリ、とヒビがはいった。
空間が回転し、呪いの回路が解けていく。
ジャバザコクが人間と悪魔にかけたすべての呪いが、コンパイルのフェーズへと移行する。
クロトが用意していた魔法の鍋の魔力回路は、リョージの答えを受けて、すべてのプロセスを再起動した。
魔力回路の先では、彼女の妹たちが、リョージたちを過去の世界に送ったのと、まったく逆の回路を順に、巻きもどしている。
忌々しいジャバザコクの呪いを解くプロトコルを、運命の三女神であればこそ、解き放とうとしているのだ。
クロトの指さす鍋の内側、水鏡のようになった面に、たしかに異次元への通路が垣間見える。
ここから現世へ、もどれる──。




