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90 : Past Day 3 : Shirokanedai


 どさっ。


 背後から、いやな音。

 ふりかえるまでもないが、先頭のチューヤは、ひとまず足を止める。

 ……それはそうだ。まともな食事も摂らず、呼吸困難のなか、道なき道を、数キロも歩けば、だれでもそうなる。

 むしろ、ここまで来られたこと自体、奇跡に近い。


「サアヤ、お嬢」


 ゆっくりとふりかえるチューヤの視線の先、まずは体力のない女子から、倒れている。


「だから、言ったろ、無理だって」


 せき込みながら、つづいてケートもその場にくずおれる。


「あきらメロンってか。……どうするよ、リョージ」


 木に背中をもたせ、マフユが皮肉っぽく言った。

 現状、まともに動けるのはリョージと、チューヤくらいのようだ。


「……どうする、チューヤ」


「ハァ……ハァ……そうね、まあ、メロンはおいしいよね……」


 そもそも高くない思考力までが鈍磨している。

 これ以上、全員で進むのは無理だ。

 そう判断するしかない。


 風と灰は、さらに強く、濃く、降り注ぐ。

 息ができない。


「言ったろ、ダメなんだって」


 ほとんど自嘲気味に、ケートは吐き捨てた。


「男の子だろ、立てよ、ケート」


 リョージとしては、面倒を見る対象が減ってほしいのだが。


「何度も同じことを言わせるな。あがくなら勝手にすりゃいいが。……あの規模のイベントになったら、もうダメなんだよ。人間には、いや、生物には逆らうことができないんだ。

 宇宙が、地球が、()()()()()()()()()ら、もう従うしかないんだよ」


 ケートには見えている、地学史上、何度も生命を絶滅させた「境界線」が。

 大量絶滅。

 生物は、その破局的イベントに逆らうことはできない。

 スーパープルーム、全球凍結、隕石落下、PT境界、すべからく大量絶滅──。

 その瞬間、その場所に居合わせた生物は、死に絶えるしかない。

 それしか、選択肢がないのだ。


「ふん、わかりやすくていい。これは死ぬ」


 死を想うマフユは、心から楽しそうだ。


「そうだねえ、みんな死ぬんじゃ、しょうがないよねえ」


 死を忌避するサアヤにしても、あきらめざるを得ない。


「生物には、逆らえない力、ですか」


 気高く生きてきたヒナノも、国が滅びて王だけ生き残る意味のないことは知っている。


「わかってくれたかい、みんな、だからさ、あきらメロン」


 地面に足を投げ出し、ケートが笑った。

 一同からつぎつぎ、力が抜けていく。


 火山の力は絶大だ。人間には、どうすることもできない。

 激烈な大気変動で荒れ狂った大気、渦巻いた暴風が泣き面に強烈な一撃を加えていく。

 たまたま地面にへばりついていた人々は飛ばされず助かったが、なまじ立っていたチューヤとリョージが大ダメージを受ける。


「うわぁあ……っ」


 先頭から木片の直撃を受けて吹っ飛ばされる運転士を、最後尾の列車長が腕を伸ばしてつかみ、ぎりぎりで踏みとどまる。

 全員を結んでいた冗談のような電車ごっこロープが、かろうじてチーム離散を回避させたが、そのことに意味があるようにも思われなくなった。

 ボロボロのメンバーを慮る余裕すら、着実に削り取られる。


「があ……っ、く、はあ……っ」


 リョージをもってしても、苦悶の表情で生きることに精一杯。


「絶滅……」


 何度も聞いたことのある言葉が、ようやくチューヤにも、その本当の()()()()()()()できる。


 白金の台地に張り巡らされた、結界。

 最後の関門は、6人が生き残ることを認めなかった。

 ──この門をくぐる者は、まず生きることを諦めよ。




 魔女は暗がりで、ゆっくりと鍋をかき混ぜていた。


「練れば練るほど色が変わって……ヒッヒッ……」


 謎のワードを吐きながら、不気味な色の中身を混ぜつづける。

 ──周囲は、粗末な「竪穴式住居」。

 中央に掘られたいろりに、鍋がかけられている。


 生活用品らしきものは、ほとんどない。

 なにやら、住人があわてて夜逃げをしたかの様相で、運び漏れた、いくつかの道具が転がっている。


 魔女は、かき混ぜる手を休めることなく、気配に反応した。

 出入り口のほうに、だれかが近づいている。

 この家から漏れる暖かい空気に気づいたのだろう、と察した。


 なるほど……ヒッヒ……彼は、たどり着いた。

 最初から知っているよ、という表情で、魔女は作業をつづける。


 荒くれる大地。

 空は闇に閉ざされ、垂れこめる雲は暗黒。

 その直下、降り積もった火山灰にきしむ板壁、隙間に垂れ下がっていたこもの覆いが、向こうから跳ねのけられる。


 奥深い空間に烈風が舞い込み、炎を揺らしながら渦を巻いて、ほどなく静まる。

 頭だけわずかにふりかえり、視線をあげた先、そこには男の巨体がひとつ、ただでさえ吸いづらい空気に呼吸を荒げている。

 ──死にかけだ。


「おいでなすったね、ヒッヒ……」


 魔女は言いながら、かぶっていた衣装を脱ぎ捨てる。

 どちらが本物なのか、あるいはどちらもが偽物なのか、そこには現代的に、それなりに美しい女の顔がある。

 ──彼女は、21世紀東京の悪魔使いからは、クロトと呼ばれる。


 出入り口に立ち尽くした男は、ハァハァと呼吸を荒げ、全身にまとわりつく灰を振り払う体力も残っていない。

 魔女はしたり顔で、もったいつけるように言う。


「あんたなら、生き残ると思っていたよ。そう、あの老人の罠、鬼門八陣を抜けてきたね。あんたにはおぼえがあった。そうだろう。しかし確信があったとしても、あの距離を踏破できるのは、力のある男だけだ。

 安心しな。ここは、()()()()()()だ。生きる力がある人間が生き残り、そうでない人間から死んでいく。気にすることはない」


「ハァ……ハァ……」


 男は応えない。

 ただ呼吸を整えるので、いまは精いっぱいだ。


「もどりたいんだろう、現世に。心配いらない。いま、あたしもそこにもどるための準備を、どうにか整えたところさ。……まったく、ジャバザコクってやつも、複雑な魔術回路を築きやがるよ。過去を支配するあたしのアクセスすら、容易に受けつけやがらない。まあ、無駄なあがきだけどね。運命の三女神の手にかかれば、ちょろいもんさ」


 ずり、と這うように男は一歩進み、住居の内側の空気が変わる。


「……ハァ、ハァ」


 クロトは、もったいつけた目線を持ち上げるのもおっくうという所作を示しながら、


「あんたが、あたしと()()()()くれるなら、現代に連れて帰ってあげてもい……」


「そいつァ……ハァハァ、助かるぜ、おねーさんよ、ハァハァ……ただし、結婚はできねえけどな……ハァ……」


 男は……リョージは、きっぱりと言い放った。

 そして、自分のかついでいたものを、ゆっくりと地面に降ろした。

 ──それは、ケートとヒナノ。

 まだ、呼吸をしている。


「あんた、まさか……自分が生きるか死ぬかのときに、仲間を()()()のかい」


 呆然とするクロト。


「わるいけど、まさか、じゃねーんだよな。呪いのおねーさん」


 リョージの背後から、声がする。

 ぎくり、とクロトは再び揺れた。

 まだいる。まだ生きている。


「あんた、どーでもいいフツメンの……いや、まあ、あんたくらい生き残るのは、想定内さ」


 負け惜しみのように言いながら、クロトはチューヤのほうに視線を移す。

 しぶといだけが取り柄の男、生き汚い男子高校生は、やけに重そうに、背負っているものを下ろした。

 ……まだ、生きているモノがいる。


「っくらせ、と。おーい、生きてるか、サアヤ」


 確認するまでもなく、背中で体温は感じていた。


「あんたもかい」


 クロトは舌打ちする勢いで、しぶとい高校生たちのありさまを見つめる。

 リョージが生き残るのは、当然だと思っていた。

 チューヤも、まあ想定の範囲内だ。

 両者の「体力」パラメータは高く、なかなか死なない。

 ──だが。


「覚悟はいいか、てめえ、ぶっ殺す!」


 もうひとり、チューヤの後ろから現れた女、マフユ。

 自分が大変な目に遭っている責任を、全部、目のまえの魔女に向けることを決意した女の、必殺の一撃が放たれる。

 それがクロトの脳天を破壊するまえに、リョージが割ってはいった。


「やめとけ。いまのところ、あの女は必要だ」


 リョージの腕にかかる力は強くなかったが、


「……ちっ。あいかわらず甘いな、てめえはよ」


 マフユの腕の力も、負けず劣らず弱っている。

 だらり、と拳を下ろし、息を切らせる彼女の生命力も、どうやらギリギリだ。

 マフユは、だれも背負ってはいなかったが、とりあえず自力で生き残る程度の体力はあった、ということか。

 要するに「体力」パラメータの順に、生きる力が発揮された局面だった。


「ともかく、水をくれないか」


 リョージの求めに、


「勝手に家探ししな。いくらかは使えるものも残ってるだろうよ」


 丸投げ応対のクロト。

 見まわせば、大慌てで夜逃げした一家の残した家財道具を、目のまえの魔女も勝手に借用して使っている、という状況らしいと察する。


 壁際にそのまま残された、自然石を単純加工しただけの水がめから、木をくりぬいただけの椀で水を汲み、まずはマフユが、それからチューヤとリョージが口に含み、ついで気絶している仲間たちへの対処へと移る。

 その間、魔女は何事かを考えながら、問わず語りにぶつぶつとつぶやいている。


「鬼門八陣は、まともに進めば十倍の距離がかかる、頑迷な牢固の道だ。それを避けようとすれば、バックドアをすり抜けるしかない。()()()()()()いて、体力のある男が全力で突き進んでも、どうにかたどり着けるかどうか。それが……どうして?」


 なぜ、チューヤたちは生き残ることができたのか?

 彼らは、どうやって「答え」を知ったのか?



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