88 : Past Day 3 : Naka-meguro
濁流をまえに、チューヤたちは立ち尽くした。
それはおそらく、後世「目黒川」と呼ばれることになる河川。
「ここをわたれば、ゴールはすぐそこ、だと思うんだけど」
自信なげに言うチューヤ。
「こんなんわたるの無理だろ」
諦めモードの多いケート。
「越すに越されぬ大井川、だね!」
どういうつもりかわからないサアヤ。
「板子一枚下は地獄だぜ。ヒャッハー!」
なにも考えていないマフユ。
「盛り上がるな!」
めずらしく突っ込むリョージ。
「わたるしか、ないのでしょう?」
まとめるヒナノ。
──21世紀現在、桜並木などで人々の目を楽しませている、目黒川。
流路は何万年のうちに大きく変わったろうが、何万年とかけたからこそ、あれだけの広域を削り取ることができた、と言い換えることもできる。
目黒周辺のやや低くなっている土地は、すべてこの目黒川の仕業だ。
逆に言えば、この時点ではまだ目黒川(流域)は小さな川で、そのぶん急流であり、渡河はきわめて難易度の高い作戦と考えられた。
ふと、すこし上流を眺めるケート。
彼の視線が何事かを計算している。
「どったの、ケート?」
期待とともに作戦担当を見つめるチューヤ。
「3年ほど寝ていいか?」
飄々と言い放つケートに、
「ダメ! いま言って、ケーたん!」
速攻ダメ出しのサアヤ。
「はいはい。……あの上流の木のあたり、流木も重なって、火山灰質の粘土が積もってるように見える。その上の岩塊を支えるには、不安な強度計算だ」
ケートの指さす方向を、一同の視線が追う。
「……ああ、たしかに」
ふむ、と考え込むリョージ。
「バランス悪そうだね!」
答えを待つタイプのサアヤは、とくに考えるつもりもない。
「あれを崩して、一時的に水を止める」
ケートにしては、めずらしく簡潔にまとめられた意見だ。
三年寝太郎は、三年も寝てから村を救ったが、ケートには3分ほど考えるだけでじゅうぶんのようだった。
展開が早すぎてついていけない面々を残し、頭の回転の速い面々はどんどん先行する。
「リョージ、いっしょに行こう。チューヤ、女たち頼むぞ」
ケートは言いながら、チューヤの手からロープをひったくり、リョージにわたす。
「え、なにそれ」
手持無沙汰で不安げなチューヤ。
「力をかけるべき的確な角度は、ボクがいなきゃわからん。リョージがいなきゃ、必要な力がかけられん。──いいか、流れが途切れるのは一瞬だ。その間に、おまえが責任をもって全員わたらせろ」
既定路線のように、リョージもケートの動きに追従している。
トロいチューヤは、女子たちの冷たい視線にも気づかず、おろおろしはじめる。
「え、ちょ、ま」
空を切る指先。
「行くぞ、リョージ」
先に立つケート。
「あいよ、ケーたん」
楽しそうに軽口をたたくリョージ。
そのまま立ち去りかけて、さすがに哀れを催したらしいケートが、引き返してきて言った。
「──いいか、チューヤ。流れをよく見ろ。速く見える場所は浅い。人間乗換案内くんには言うまでもないだろうが、一時的に干上がるのは浅い場所からだ。よく見きわめて、的確にトレースしろよ」
「り、了解」
人間乗換案内に対しては、どうやら通用したらしい。
最安でも最短でもなく、最速のルート検索を指示。
要するに、そういうことだ。
ケートは満足げに笑い、リョージと連れ立って上流へと向かった。
残されたチューヤには、残された仲間たちの責任がのしかかった。
鉄道路線のように最適化できる自信はないが、これまでの経験でなんとなく「マップを進む」本能は育まれている。
広域に展開して狩りの成果を出さねばならなかった男たちには元来、この手の面的把握・探索能力が備わっている──すくなくともメンバーにだれかひとりは、そういう能力をもった人間がいなければ生き残れなかった。
人類は、そうして互いを補完することにより、集団として生き残ったのだ。
「頼むぜ、知恵者。おまえの見立てが必要だ」
先に立って進むリョージ。
「あいよ、力自慢。おまえのバカ力こそ、こういう時代には不可欠だよ」
言うまでもなく、互いを認め合っている男たち。
彼らの最後の声が、濁流にかき消されて消える。
飛び抜けて優秀な男ふたりが、パーティから抜けた。
残された面々を、あまりにも大きな〝喪失感〟が覆う。
そこに立ちすくむ貧弱な男の背中を眺め、
「チューヤは何自慢なのかな?」
ぽつりとつぶやくサアヤ。
「残りカスに自慢できるもんなんかねえだろ」
マフユの見解は明確だ。
「思い出しますね、部室にぽつんと残されていた姿を」
肩をすくめ、冷たい笑みを浮かべるヒナノ。
そうして女子たちは顔を見合わせ、あははは、と笑った。
特段、チューヤに聞こえないように話そうという配慮はないようだった。
それは、彼自身にとっても忘れえぬトラウマ。
悪魔たちからすら魅力のない獲物として、ガン無視されたのだ……。
「……ちょっと! そういうの本人に聞こえないところで話してくれる!? 言葉だって暴力なんですよ!」
地団太を踏みつつ、認めざるを得ない平々凡々な自己を省察するチューヤ。
「あ? あたしは陰口がきらいなんだよ」
マフユが悪びれもしないのは当然だが、
「当人に聞こえれば陰口ではありませんね、たしかに」
ヒナノまでが理論的に支持している。
「ただの悪口ではあるけどねー」
だからといって批判するつもりはないらしいサアヤ。
再び、女子たちは当然のように、あははは、と笑った。
──視線を移せば、リョージとケートが小さい滝つぼを形成する上流、巨大な岩陰に見え隠れしている。
ここで待てば、彼らが道を開いてくれる、そう期待していいのだと理解する。
「あのふたりなら、やってくれそうだよね」
笑顔のサアヤ。
「わるくないですね。あれが男の友情、でしょうか」
微笑のヒナノ。
「最悪なのは男じゃねーチンカス野郎が残ったことだけだな」
冷笑のマフユ。
女たちはチューヤに視線を移し、笑顔をため息に変えて首を振った。
わなわなとふるえるチューヤにも、一応、男としてのプライドはある。
「ちょっと! 言い方! 俺には大事な役割があるって、ふたりも言ってたでしょ!」
何度でも地団太を踏む。
「はいはい、期待してるわよ、チューたん」
期待の「き」の字もない無感情な声音で言われる、これが現実だ。
いまは、期待も不安もいらない、ただ、やるべきことをやる。
チューヤは決意を固め、わたれそうもない濁流に向かい合う──。
ケートは岸辺にうずくまり、狭まった滝口の一点を注視しつつ、周囲の環境と考え合わせている。
その脳裏では、いかなるピタゴラスイッチが展開しているか。
一方、リョージは手槍の石突に刻み目を入れてロープを括りつけ、投擲準備を整えている。
川幅は20メートル近いが、ロープは実用距離で10メートルもない。
こちらはこちらで、自力で渡河する算段が必要だ。
「……よし、なんとかなりそうだ。リョージ、あの岩を動かせるか?」
かなり大きめの岩塊を指さすケート。
「あれか? 待て待て、さすがのオレもあの大きさは……」
両手で抱えるよりも大きい。
「岩の根元を見ろ。テコの原理くらい、おまえも知ってるだろ」
手近の倒木を指して、指示するケート。
「あー、なるほど。そんじゃま、いっちょやってみっか」
ひょいひょいと岩場を登り、ケートの指示する角度に向けて、巨大な岩を転がり落そうと奮闘する。
一方、ケートは粘土状になった土砂で堤防のようなものをつくり、そこに小さな岩をつぎつぎと埋め込んでいる。
これがガイドレールとなって目的の場所に岩を落とせる、という机上の空論を立ててみたわけだが、天才だけに侮ることはできない。
ついでに川岸の流木に蹴りを入れて、障害物の数を増す。
「このへん、ちゃんと狙えよ」
足先で指すケートに、
「そんな余裕ねーよ、そっちで修正してくれ……よっと!」
リョージが渾身の力を込めてテコにかけた力が、巨大な岩塊を動かした。
ごろり、と動き出せば、あとは力学的エネルギーの方程式に従う。
巨大な物体が「動いた」時点で、リョージは十二分の「仕事」を果たしたことになる。
ごろり、ずる、どん、どかっ、どかかかっ!
いくつかの連鎖反応を伴って、巨大な岩が濁流を埋めていく。
最近、崩れたばかりで鋭利にとがっていた岩場の先端を砕いて、その破片が滝口を埋めていく。
強力な流れが一瞬だけ行き場を失い、渦巻いて滞る。
「こっちもわたるぞ、リョージ!」
鋭く言い放ち、先に立つケート。
一時的にプールになった溜まりに、何本もの倒木が渦巻いている。
それを踏み台にして、ケートとリョージは一気に川の半ばまで距離を稼ぐ。
つぎの瞬間、堤は弾けた。
急激に増した嵩が、滝つぼへ向けて一気に解放される。
──落ちる。
交錯する視線。
それだけで、ふたりは自分がやるべきことを理解する。
「っくぞぉらァア!」
空中から体勢を崩しながら、リョージはケートの腕をつかみ、渾身の力で放り投げる。
空中で回転するケートに直撃コースの流木。
「パワーは合格だが、コントロールはいまいちだな、リョージ!」
身体をひねり、流木の端を蹴って逆回転しながら、空中でさらにそれを踏み台にジャンプする。
一気に向こう岸にたどり着くと、ふりかえった視線の先、滝つぼに落下するリョージが見える。
「ぶっ刺さって死ぬなよ、ケート!」
中空で投擲モーションにはいるリョージ。
ケートに向かって放物線を描く槍は、こんどもバッドコントロールだったが、全力疾走で空中キャッチしたケートは、その勢いのままロープつきの槍を近くの大木に絡ませる。
リョージは、張り詰めるロープに支持され、振り子運動しながら岩を踏み台に数メートルほど進んだが、勢いはつづかず水中に落下。
「ちっ、サルも滝流れかよ」
いろいろ混ざった慣用句を吐きながら、ケートも動きは止めない。
滝つぼの直下なので、水圧を受けてまともに引き上げられない。
ケートは、張り詰めたロープの途中を一度、水際の岩に引っ掛けて固定し、その先を太めの枝に二重にまわす。
こうすると1本ずつにかかる力が4分の1になる、という理屈は小学校の理科実験で学ぶ(その運動方程式は高校物理)。
引っ張る距離は長くなるが、その分、4分の1の力で重いものを持ち上げられる、という動滑車の実験に懐かしさをおぼえる人も多いだろう。
「おー、らくちん。力持ちだな、ケート」
ほどなく水中から引き揚げられたリョージに、もう危機感はない。
「運動の第2法則だよ、ばかちん。そっちも引っ張れ」
憮然としてロープを引きつづけるケート。
両方から引っ張ることで、すぐに位置エネルギーは回復された。
チューヤが見たら、もうおまえらふたり主人公でいいだろ、と言いたくなるほど美しいコンビネーションが、そこにはあった。
上流は、こうしてミッションをコンプリートしたが……。




