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「……アーメン」


 小声で神に祈るヒナノの声が聞こえる。


「ちょっと()()な、お嬢。()()()()()()()。ボクたちが、まだ()()()()()からだ」


 十字を切るヒナノの手元を眺め、ケートがあざ笑った。

 ヒナノは憎らし気にケートを見返したが、すぐには答えなかった。


 岩場に行く手を遮られたうえ、足元がひどくぬかるんでいる。

 チューヤとリョージが前後で助け、ロープを頼りに、どうにか全員を乗り越えさせた。

 一同しばらく呼吸を荒くして、短い休憩を余儀なくされる。


 ──この物語の性質上、神と悪魔への追求は避けられない。

 誕生した人類が必要としたため、生み出したもの──それが「神」だ。

 事実そう考える人々は、一定数存在する。


 もちろん、そう考えない人のほうが多い。

 21世紀、地球に暮らす過半数の人々は、なんらかの「信仰」を持っている。

 そのなかで、髭を生やしてシスティナ礼拝堂から地球をつくった神、というステレオタイプまでを信じている人は少ないが、なんらかの超越的存在が、世界の始まりから終わりまでを支配している、と信じる人は少なくない。


「あなたの『科学』とやらも、この現実には太刀打ちできないようですが」


 十全の反対論陣を構築したらしいヒナノが、まずはケートの依って立つ土地を掘り崩した。

 ケートの力が及ばないからといって、ヒナノの信じるものの力までが及ばないと決めつけるのは、僭越だ。

 しかしケートは、すこしも動じない。


「最初から認めてるよ。こうなったら数学は無力だ。──なるほど、そういうことか。いよいよ『宗教』の出番ってわけだな。たしかに、これは恐れ入った」


 彼の口調は、あきらかな嘲弄を含む。


「わたくしは宣教などしませんよ。むしろ、より押しつけがましいのは、あなたのほうではありませんか?」


 宗教の目から見れば、そうなるのかもしれない。

 かつて安穏と殿様商売をつづけてきた宗教界も、現代物質文明のなかに埋もれ、行き場所を失いつつある。

 ECサイトで「お坊さん便」などを売り出さなければならないくらい、ある意味、物質文明に敗北を喫してしまったとさえ言っていい。


 ──対極のようにも思われる宗教レリジョン科学サイエンスは、しかし必ずしも両極端というわけではない。

 かつて宗教は科学の領域を開拓してきた(抑圧もした)し、科学は宗教の果たした役割を明確にしつつある。


 現代社会における「科学」は、もはや「聖なる学問」として信仰され、ひとつの頂点を極めた。

 ケートの態度が大きいのは、彼の性格による部分も大きいかもしれないが、そのような盤石の基盤に支えられているがゆえ、ともいえる。

 それほどまでに肥大化した自我を持つがゆえに、いまだ科学の及ばない「自然」の力に打ちのめされたとき、鬱屈して当たり散らす相手に選ばれたのが、不幸にもヒナノだったのかもしれない……。


「こうなると、唯一の救いは、むしろ近代文明を持たないことかもしれませんね」


 ヒナノの反撃は的確だ。


「……なるほど。鋭い逆説を弄するね、さすがは文系特進」


 受けにまわるケート。


「どういうことよ」


 会話自体が元気を出させる役に立つと信じて、チューヤが先を促す。


「精密機器とか機械モノは、火山灰が降ったら使い物にならないんだよ」


 ケートも認める。


「ああ、なるほど。たしかに水とか埃に弱いもんね、家電」


 よく水まわりにリモコンを落とすサアヤには、実感がこもっている。


「防塵性能の高いスマホもあるぞ」


 一応、チューヤは「技術」の肩を持ってみるが、


「基地局がダメだろ。通信できなきゃただの板だ」


 単体でできることもあるが、基本、ネットワークに接続できない情報端末に価値はない。

 と、卑近な話題に引き寄せることで、会話がまわること自体が目的のようにも思える。


 ある意味、ケンカらしき行為にあえて身をゆだねることで、カラ元気を引き出しているとしたら、若者にしては老成した手管といえる。

 またそのくらいでなければ、ここまで生き延びてはこれなかっただろう。


「精密機械の塊である飛行機など、小規模な噴火ですら、手も足も出なくなるようですからね。アイスランドでエイヤフィヤトラヨークトルが噴火したときは、わたくし1か月もフランスから帰ってこられなくなりました。ま、それはそれで有意義に過ごしましたが」


 飛行機のジェットエンジンにとって、火山灰は痛恨の一撃である。高熱によって溶けた成分がエンジンの各所にはいりこみ、致命的な故障を引き起こすからだ。

 これにより2010年、ヨーロッパじゅうの空港は閉鎖に追い込まれた。

 噴火としてはごく小さかったにもかかわらず、風によって火山灰がヨーロッパの広域に広がった結果、1か月もの期間、航空網が麻痺状態となった。世界的な空輸量の低下はあらゆる業界に波及し、その被害額は天文学的な数字になったという。

 現代文明が、火山に対していかに脆いか、という格好の例証だ。


 と、そこで、なにやらくだらないことを思いついたらしいサアヤが、ぱたぱたと手を振って問いかけた。


「ヒナノンヒナノン、なんて火山?」


「エイヤフィヤトラヨークトルですか?」


 いぶかしげに応じるヒナノ。


「えいや……?」


 反問するサアヤに、


「エイヤフィヤトラヨークトル」


 短くくりかえすヒナノ。

 それからサアヤは、まえを歩くチューヤに向かい、


「チューヤ、私になんて火山か訊いて」


「……なんて火山?」


 しかたなくチューヤが問いかけると、


「エェーイーヤァー(↑)、フィヤトラー、ヨークトルーゥ♪」


 どこかで聞いたようなメロディで、こぶしをきかせるサアヤ。

 もらい泣く一同。

 彼女がいる世界は、すこしだけ明るい……かもしれない。




 再び、しばらく進んだところで、一同の足が止まった。


「……ああ? うるせえな、なにがカミだよ」


 マフユが、うざったそうに中空で手を振っている。


「どしたの、フユっち?」


 ふりかえって問うサアヤに、


「いや、なんか蛇みたいな鳥が飛んで、なんか言ってたような」


 マフユの答えは要領を得ない。


「そういうエキセントリックな鳥は、日本列島にはいないと思いますが」


 言い換えれば、熱帯地方やアフリカなどには特有の「しゃべる鳥」がいる。


「ヒナノンは鳥に詳しいね!」


「家紋は鳳凰ですわ」


 女子らしいトークが滑っていく。

 マフユは、しばらく周囲を見まわして、自分に話しかけたものの存在を探したが、無駄だった。

 肩をすくめて追及をあきらめる。


「ふん、禁断症状か、蛇」


 と、ケートの言葉に答えたのは、あにはからんや頭上の古代生物だった。


「あれは蛇であり、鳥である」


 ナノマシンを起動すれば、ケートの頭上にだけは古代生物が見える。


「……そういえば、ケートはガーディアンいたんだっけ。エグゼ」


 なんとなくナノマシンを起動するチューヤ。

 最初は、ナノマシンが使えない(使っても使役する悪魔がいない)なんて不便だなと思っていたが、考えてみれば3週間まえには、そんなものだれも使えなかった。


 それが現在、ナノマシン経由で見える悪魔といえばケートのハルキゲニアくらい……と結論しかけて、チューヤは動きを止めた。

 視線の端に、鳥の羽らしきものの動きが見える。

 それは一瞬で、正体までつかむことはできなかったが、チューヤが最新版にアップデートした悪魔相関プログラムが、たしかに反応していた──。


「あん? なんだよハルキゲニア、おまえ知ってるのか」


 頭上の古生物に問いかけるケート。


「されば調()()を受けよう。ともに行くべし……」


 答える間もなく、フッと姿を消すハルキゲニア。

 以後、ケートが呼びかけても返事はない。

 ピアスを何度かたたいてみるが、無反応。


「どうなってるんだ、悪魔使い」


 ケートの視線はチューヤへ。


「なんで俺に訊くのかわからんけど、俺のナノマシンにもハルキゲニアは見えないな。だけど……」


 言いかけて言葉を呑む。

 確信があるわけではない。だが、引っかかることはある。

 この世界に漂着した最初から、感じていた違和感だ。


 悪魔相関プログラムを組み込んだナノマシン。

 その力によって多くのミッションをクリアしてきたが、同時に「できること」と「できないこと」も、截然と思い知らされてきた。


 論理的に、()()()()()()()にはアクセスできない。

 言い換えれば、()()()()()()()()には、割り当てが可能である。

 0/12──これはバグなのか?


「まあいいか。……イグジット」


 ケートに次いで、チューヤもナノマシンを落とす。

 雑音だらけの内的微小機械が沈静化する。

 そもそも使えないプログラムが、誤動作を起こしただけだ。

 さしあたり、そう信じることにした。




「古生物、調整……。もしかして、あれでは?」


 男たちがあきらめた細い思考を、ヒナノが別の視点からつないだ。

 彼女の指さす先、石灰質の岩塊が転がっている。


 それは、日本では別段めずらしくもない凝灰岩。

 この世界に送り込まれて以来、何度見てきたかしれない。

 注意深く見れば、ある程度その価値はわかる。

 ──それは、化石を含む岩だ。


「……化石? 調整……なるほど」


 つぶやきながら思考を再開するケート。


「ハルキゲニアという生物は、5億年まえから存在していたのでしょう? ということは現在も、この世界のどこかにいるわけです」


 ヒナノの示唆に、


「あ、それ知ってるー! 同じ人間が出会ったら、大変なことになるってやつでしょー? えーと、タイムぱと……パトラッシュ!」


 エキセントリックなサアヤ。


「タイムパラドックスな。昔からSFが大好物にしてるネタだが」


 言いながらチューヤは、ケートに視線を向ける。


「あれ、おかしくないか? 過去の自分に会ったら大変なことが起こるとか、親を殺したら自分も消えるとか、理屈としてはわかるが、どうしてマクロの矛盾だけは採用して、ミクロの矛盾は無視するんだよ」


「どゆこと?」


 あまり聞きたくはないが、一応、礼儀として訊いてみるチューヤ。

 こだわりの強いケートには、昔話からSFまで、突っ込みたいことが多々あるようだ。

 こんなことで彼が元気になるなら、まあいいか、と心優しい人々は聞いてあげることにした。


「いいかよく聞け。何十億年もまえから、地球の生命は地球にある材料だけを使って生まれ、死んできたんだ。ボクの身体も、キミたちの身体も、何千年、何万年、何億年まえに、どこかの動物や植物が使ってた原子をリサイクルして使ってる。

 その原子が過去にもどったら、同じ原子が二重に存在することになっちゃうだろ。クレオパトラの身体を通過した水の分子を、全人類が持っているくらい、原子ってのは使いまわされてんだ。過去にもどったら、そんな原子に出会わずに済むか?

 かぎられた資源を使って構成されている、一時的な存在にすぎない自分が、たまたま過去の自分に会ったら大変なことになるけど、まったく同じ原子に出会うのは平気なのか? どう考えても発生しているミクロのパラドックスを華麗にスルーしといて、マクロで矛盾が発生したらさあ大変、って作者、出てこいよ!」


「……理屈っぽい人がSFとか見ると、大変なんだね」


 呆れるというより憐れむサアヤ。


「SF警察になれ」


 チューヤにもそのくらいしか言えない。

 まがりなりにもSFを名乗っておいて、科学的におかしい記述などしたら許さんぞ、という方々を「SF警察」と呼ぶ。


 過去に市場を占めた作品たちに対して、科学的におかしい設定、というテーマでツッコミを入れる書籍も存在するとおり、いわゆるエセSFというのは枚挙に暇がない。

 とはいえ、買い手としては当然に、内容がおもしろければ問題ない、というスタンスなので、いくら突っ込まれようがその手のSFは存在する。

 むしろ、SF的に矛盾のない(少ない)作品、いわゆる「ハードSF」のほうが、あまり売れないという現実のほうが、売り手としては問題視されている。

 上記のような「理屈っぽい」人間は、多数派ではない、という意味だろう。


 ちなみに、これらのパラドックスを整合する理屈としては、定型の解答が存在する。

 多元宇宙、パラレルワールドだ。

 過去にもどることができるとして、そのような事象が発生した時点で、その世界線は、現在へとつづく世界線から乖離する。

 つまり「そもそも別の世界」になるので、そこでどんなことが起ころうが矛盾は生じない、という考え方だ。


 多元宇宙論によれば、宇宙は無数に存在するので、いかなる「変な世界」があったところで許容範囲である。

 われわれが常識として適応している物理法則自体が異なる世界も、いくらでもありうる。

 あまりにも「なんでもあり」で、書き手としては便利な反面、ずるい。


 そこで問題は、その世界と行き来できるかどうか、という点に絞られる。

 ──もし、ここが多元宇宙のひとつなら。

 ここからもどる方法は、ありうるのではないか。


 ふいにやってきた「気づき」に、ケートは慄然とした。

 この考え方は、いや待て、しかし現に、あるぞ……。


 そこに時空の連続性が保たれているとすれば。

 いや、たしかに連続性は保たれている。

 一筋の確信のようなものが、ケートからヒナノ、そしてチューヤへと広がる。


 ハルキゲニアは、希望を残していったのかもしれない。



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