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85 : Past Day 3 : Gakugei-daigaku


 夜半にかけて、降灰は猛烈の度を増した。

 火山が噴火したときには、しばしば灰が核となって豪雨がもたらされるが、今回にかぎってそれは尋常ではない規模であり、大量の水分で地面がぬかるむまえに、最初から泥が降ってくるようにも思えた。


 世界が暗い。

 岩の屋根の下、女子3人をまんなかで向かい合わせ、外側に向かったチューヤとリョージが背中を預けてふさぐ。

 ケートは壁側でつぶされる格好だが、そもそも小さいので隙間にフィットしている。


 吐く息の白さも見えない。

 事実、世界は暗黒だ。


「ここ、どこだっけ、チューヤ」


 リョージの声。


「たぶん、目黒通りのあたり。最後に曲がったとき、東に進路を変えた……」


 かすれた声で応じるチューヤ。

 彼の脳内には、かなり精密な地図ができあがっている。

 地形は過去用の更新がじゅうぶんとは言い難いが、21世紀の地図記憶と重ねてなんとか方向感覚を保っている。


 脳内で、行動のスタートから、イメージを膨らませる。

 地図を読めるどころか、隙間だらけの白地図に立体図を創造するレベルまで、彼の集中力は高められている。


「……見つけようぜ、ジャバザコク」


 リョージの言葉に、


「おまえは銀座推しじゃなかったのか」


 ケートが顔をあげる。


「ああ、だけど白金台に乗り換えた。ケートの実家に挨拶に行こうぜ」


 暗闇のどこかに、彼とつながる、なにかを求めて。


「ふん、なに言ってんだ。ジャバザコクだって」


 あるわけないだろ、という言葉は飲み込んだ。


「やっぱ、もどれるとしたら、あの場所がカギだと思う」


 希望を残すチューヤの言葉に、


「阿蘇4だと言ったろ。8万7000年まえの東京に、そもそも人がいるわけ」


 批判的なケートの言葉を遮り、


「これは、なんですか?」


 ヒナノが、壁に立てかけられた槍とヒョウタンに指を当て、暗闇にかすかな音を立てる。


「起きてたのか、お嬢。──ああ、そうだったな。人はいるのか。いや、だが」


 思い出したように考え込むケート。


「どのみち、そいつらもろともミナゴロシだろ、派手でいいな、火山ってのもよ」


 誘われるように目を覚ましたマフユにとっては、どっちでも同じことだ。


 ケートとマフユは、もはや崩壊に抗う気力を失っている。

 不断に希望とのあいだで揺れ動いていたサアヤも、そろそろ()()()()に混ざろうとしている。

 出口側に近い3人の意志はまだ強く、奥側にたむろする3人の意気は阻喪しつつある、といった状況だ。


「目的地までどれくらいかわかるか、チューヤ」


 力強いリョージの声が、ある意味、この6人を根底で支えていると言っていい。


「ああ……ええと、わかんねえ、けど、2~3キロかな……」


 東横線と目黒線を脳裏に浮かべる水先案内人の目測は、かなり正しい。

 さすがは男子、地図がなくても場所を読む、と女子は内心で敬意を表している。

 調子に乗るから口には出さないが、古来、狩りをするには欠かせない才能とされている。


「てことは、もう目黒区にはいったんだな」


 チューヤほどではないが、リョージなりに脳内に地図を想起する。


「たぶんね。西へ行けば世田谷だけど、東を目指して進んでる。……ごめんよ、お嬢。余裕があれば、懐かしい田園調布に寄ってあげたかったけど」


 西の高台に広がる高級住宅街は、彼女の故郷である。


「くだらない話はけっこう。それで、わたくしたちは白金台を目指すのですね?」


 ピシャリとチューヤの軽口を弾くヒナノ。

 彼女にとって大事なのは、なにより背中で感じるリョージの体温だったかもしれない。


「水先案内人の目算が正しければな。……ヘイ、チューヤ。あと何分?」


 リョージがナビゲーションに話しかけるような軽口を絞ると、


「中目黒で日比谷線に乗り換え、広尾まで8分デス……」


 ケートを顧みるチューヤ。


「黙れ人間乗り換え案内」


 広尾という地名だけで、かたくななケートの心を溶かすことはできなかった。


「あー電車ならすぐなのにねー」


 すぐ反対方向に乗るサアヤが言った。


「あたしの原チャリのほうがはえー」


 わけのわからないことを言うマフユ。

 やがて、再び沈黙。

 世界が明るくなるとはかぎらないが、まだもうすこし、夜明けを待って休んでおかなければならない……。




 まだあたりは暗いが、曇天の向こう、どうやら太陽が存在するらしい。

 目を覚ます時間だ。

 立ち上がる男たち。

 チューヤが暗がりに目をすがめて進路を確認し、リョージと短いやり取りをする。


 景色は、きのうからさらに一変していた。

 一夜のうちに、さらに数十センチも積もった灰。やがて圧縮されて40センチほどにまとまるらしいが、現状、一歩を進めることさえ困難を伴う。


 九州での火砕流堆積物の層厚は、5メートルほどとされる。

 西日本で3メートル、東日本でも1メートルは積もったはずだ。

 遠いほど、その灰は細かく、肺を壊すだろう。

 地底や水中生物、特殊な環境を生き抜ける小型の生物以外、絶滅か、すくなくとも激減した可能性が高い。

 火山とは、そのくらい「生物を破壊」する。


「ほらよ、これでいいか」


 ケートが短い板きれを、チューヤたちにわたす。

 木材加工を任された彼は、短いスキー板をつくれと命じられ、思考を停止させたまま機械のように木を削っていた成果だった。

 つたで足にくくりつけ、なんとか進めるようになった。


「厳しいだろうが、また先頭頼むぜ、チューヤ」


 しんがりもそれなりに厳しいのだが、リョージはあくまで仲間を慮る。


「あいよ。心配すんな、肉は食った。そこそこ寝たし、体力は回復だ。──みんな、一列になって、俺の足跡を踏んでついてきてくれ」


「……無駄だと思うがな」


 腕を引っ張られ、しかたなく歩き出すケート。

 チューヤは歩きながら、脳内で、これまでの道程を整理する。


 六郷土手を起点に、西回りルートで白金台を目指してきた。

 直線距離なら、10キロメートルほどだ。

 現代の道なら、徒歩でも2~3時間あれば着く。


 もちろん、そんな仮定に意味はない。

 道なき道を、谷間と台地を交互に乗り越えながら、降り注ぐ火山灰で泥濘と化した地面を蹴って、まえへ進むことの困難は想像を絶する。

 彼らのサバイバル能力を高く評価し、時速2キロメートル(這うような速度)を維持できたとしよう。また彼らの方向感覚を高く評価し、最低限の回り道(15キロメートル程度)にまとめられたとしよう。

 それでも、いっさいの休憩なく7時間半はかかる。


 しかも、太陽がかろうじて足元を照らしてくれる時間は、極度に短い。

 後半は降灰の勢いも増し、西日をほとんど遮断して、暗闇に近い環境となるだろう。

 1日に求められる行程としては、厳しすぎる。


 当然、初日は中途でビバークの憂き目となったが、それでも、ここまでは「大成功」といっていい。

 降り積もる火山灰は徐々に増していき、それにつれて体力は削られていくなか、速度を維持する、などという想定はほとんど夢物語に近いのだ。


 ──問題は、その先である。


 すべてのパーツが、なんの問題もなく組み合わされ、彼らが目的地に到達できたとしよう。

 それこそ最大の問題は、たとえ白金台にたどり着いたとして、そこが生還のオアシスたりうるという確約はないことだ。

 モチベーションを保てるほうが奇跡といえる。


 渾身の力を込めて、先頭のチューヤが地面をたたきつけるように踏みしめる。

 体力というパラメータに特化した彼が、どうにか「道」をつくることで、2日目の半ばまで歩を進めてきた。

 それでも、他の面々がつづくのはむずかしい局面に至っている。


「あきらめが肝心だよ。そう思わないか」


 ケートの声がうつろに響いた。


「だからあたしは最初から言ってるだろ、あきらメロンって」


 マフユが唱和する。


「メロン食べたい」


 サアヤまで闇に堕ちた。

 ──気温はこの世界に到達以来、最低を記録している。

 ふつうに灰と雪が混じり、指先はかじかんで感覚がない。


 むしろ火山のマグマが降ってくれたほうが、暖かくて助かる、という見当外れの夢物語までが脳裏をよぎった。

 もちろん、その場合は夢のように「即死」だ。


 ──噴火により発生した大量の火砕流は、厚さ2000メートルもの巨大な雲の壁となり、時速150~300キロメートルもの速度で周辺を呑み込む。

 噴火から2時間以内に、九州とその周辺部にいる地表の生命は焼き尽くされただろう。


 阿蘇の外輪山から噴出した火砕流は、直径200キロメートルの範囲に及んでおり、海を越えて山口県まで流れ込んだ。

 当然、そこにいた生物は「瞬殺」である。

 噴煙は地上30キロメートルに達し、降り積もった火山灰は関西で1メートル、関東で40センチ、北海道でさえ10センチメートルを記録しているという。


 マグマの噴出量は、瞬時に200立方キロメートルに達する。

 噴火後、()()()()に四国・中国・近畿には50センチメートルの降灰。東京でも20センチメートルを超える。

 ある程度の重さを持つ火山灰は、数日のうちに降り終わるが、硫黄を含んだガス成分など細かい粒子が硫酸エアロゾルとなって大気中に残り、長期間、太陽光を遮断する。

 植物は枯れ、食糧は尽きるだろう。


 ……ダメなんだって、マジでさ、見てきたんだから、とケートがぶつぶつと、その悲惨な顛末を、呪いの言葉のようにつぶやきつづける。


「キミたちも見てこいよ、カルデラ。ありゃ無理だって。人間にはどうしようもない」


 その繰り言に心を折ってばかりもいられない。

 ──チューヤは、ふと思った。

 そもそもケートは、なぜ九州へ行ったのか?

 このことには、なにか重要な契機があるような気がする。


 すくなくとも現状、たしかにケートの火山に関する知識は、正しい現状把握という意味で役に立っている。

 いやな話は聞きたくない、という現実逃避を望む気持ちもなくはないが、正しい知識を得ることはやはり重要だ。


「ケートは、どうして九州なんか行ったんだ?」


 チューヤの問いに、ケートの答えはいまいち要領を得ない。

 彼をして、かなり思考力がそぎ落とされている。


 脈絡もなく、ただカルデラの恐ろしさをぼやく。想像力さえあれば、遠くからカルデラという地形を見るだけで、もう「ダメだ」と理解できるだろう、と。

 なにしろカルデラのなかに、町ひとつが、すっぽりと収まっているのだ。

 それだけの体積をぶちまけるような噴火に、人類があらがう術はない。


「ちなみに『カルデラ』は、スペイン語の『鍋』に由来するらしいぜ。火山活動で、地形が鍋のようにへこむからだってよ。鍋部の終焉を飾るにふさわしいイベントだと思わないか?」


 力なく笑うケート。

 破局的噴火は、過去、地球上で何度も発生している。

 ウルトラプリニー式噴火とか、スーパーボルケーノという言葉があるとおり、これは現実に起こりうる噴火形式である。


「遠いのにね、九州。すごい遠いじゃん。それなのに」


 苦情をぶつける場所を見つけたサアヤ。


「ああ、おかげさまで即死はしない。ご覧の通り、じわじわと死ぬだけだ」


 真実は冷たい。

 噴火による被害でもっとも恐ろしいのが、じつは火山灰である。

 その範囲は圧倒的で、地球の気候をも左右する。


 火砕流や火山弾のように、瞬時に人間の命を奪う恐ろしさはないが、近代文明にとっては致命的である。

 交通網や物流、通信、送電への被害はもちろん、農産物をはじめとする生産も壊滅的な打撃を受け、水源が汚染されれば食糧どころか飲み水にも事欠くだろう。


 直接、生命が受けるリスクもある。

 呼吸器に与える被害は、PM2.5どころの騒ぎではない。

 火山灰には二酸化硫黄、硫化水素といった有毒ガスのほか、微細なガラスや鉱物の破片が含まれるため、肺にはかなりの負担になる。

 眼球へのダメージも大きく、よほどの装備がなければ生き残るのはむずかしい。


 移動の困難もすさまじい。

 逃げようにも、足元が粘土に変わるようなものだ。

 第一、逃げ場所などどこにもないではないか──。



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