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「そもそもリョージさ、あの酔っ払いのおねーさんに、さらわれてたんだよな?」
だいぶ昔のことのように、チューヤが言った。
すっかり忘れてしまっている者もいるようだが、彼らはそもそもハロウィンの夜の戦いにおいて、マフユが悪役を果たす一方、本隊のうち3名が銀座の鬼女にさらわれ、事実上バラバラになるという経緯をたどった。
チューヤたちの努力によって、散り散りになった仲間たちは集められ、最後にリョージを見つけて鍋部6人全員集合となったわけだが──。
「ああ、らしいな。それでオレは、どうやら目黒の地下の境界らしいところにほりこまれていた。しばらく複雑怪奇な地下道を徘徊しているうちに、どうやら状況がわかってきた。エキゾタイトとやらを掘削したり、運んだりする労働者街ができていてな、あちこちにトンネルが掘り抜かれていた」
あちら側の東京の地下も、こちら側に負けないくらい、いろいろと掘削され、地下道が張り巡らされている。
その複雑に絡み合う「境界」においては、東京駅や九段下駅さえも比較にならない巨大な「ダンジョン」が広がっている。
人間オートマッパーをもってしても、なかなか踏み出すのに勇気が要る世界だ。
「俺たちもそれは見たよ。境界経由で、東京の地下はけっこう移動できそうだ」
同意するチューヤに、うなずき返すリョージ。
「まさに穴だらけってわけだが、その広大な地下世界を創り出すのに最大の貢献を果たしているのが、地霊ドワーフなんだ」
東京の地下のほとんどは、ドワーフなくして成立しない。
「隈なく地底を支配している、レベル4の地霊だね」
悪魔使いにとっては、なじみのある名前だ。
「ファンタジーには欠かせないキャスティングだよね、ドワーフ」
サアヤも同意する。
「で、オレはそのドワーフの地底王国にたどり着いた。新大久保ともつながっているらしくてな」
話をつなぐリョージ。
──チューヤの悪魔全書によると、ドワーフの支配駅は新大久保ということになっている。
超巨大なコクーン・ドゥと呼ばれるドーム状の地底建造物を掘り抜いて、東京全土に労働者を派遣する、ドワーフ王国の本拠地だ。
リョージは目黒で、その支城のひとつに迎えられたのだという。
「ドワーフ王国……」
壮大な前振りに、チューヤ以下、興味を惹かれた。
「招かれたオレは、その国の王様に、世界を救うために魔王を倒してくれと依頼を受けた。もらったのは、布の服と10ゴールドだ」
ぶーっ、と何人かが吹いた。
悪魔の世界では一般に暗号通貨マッカインが流通しているが、ドワーフだけはゴールドという特殊な通貨を用いているところもあるという。
どうやら冗談で言っているわけではないようだ、と一同認めた。
「世界を救う勇者を雇うにしては安いな」
「どこのRPGだよ」
「それでどうしたの?」
一同の反応に満足し、リョージはゆっくりと語り継ぐ。
「依頼を引き受け、暗い地下道を進んだ。しばらく進むと、追剥に遭った女の子に出会ったので、布の服をあげた。すると、お返しに藁をもらった」
「藁……」
「ワラうところか?」
「どこのわらしべ長者だよ」
「いや、まさにそれだ。正確には、藁に包んだ納豆なんだが。水戸の実家の自家製、癖になる手作り納豆らしい。
断るのもわるいので、もらって歩いていたところ、ちょうど通りかかったタクシーから転がり落ちてきたお姉さんが、禁断症状でふるえていた。
慌てて駆け寄り、だいじょうぶですか、と。事情を聴いたところ、納豆が、藁に包んだ癖になる納豆が食いたい、と」
「あーね。納豆は、たしかに一定期間食べないと、禁断症状に陥るよね」
ナミさんを思い出しながら同意するサアヤ。
「だとしても、街角で出会うか?」
突っ込むのもアホらしくなってきているチューヤ。
語り手がリョージでなければ、完全にフィクション扱いされていただろう。
「たまたま持っていた納豆を差し上げたところ、その場で完食なされて、これはほんのお礼だと、絹の反物をくださった」
「まさに、わらしべ長者だな……」
それ以外の評価が見つからない。
「で、まあ、その後、米俵になったり、宝石になったり、稲妻の剣になったりと、いろいろあったわけだが……」
あまり話し上手ではないリョージだけに、早くもぼんやりとした話になりつつある。
「めんどくさくなりやがったな」
「だいぶはしょった感じだね」
「詳しく聞きたい気もするが、こんど時間のあるときに頼む」
リョージはうなずいて、
「ああ、で、ちょうど持ち物がキャビアに変わったところで、お鍋をしている近所の奥さんに出会ったんだ。どうやら、鍋にするシャケを泥棒猫に盗まれて、追いかけているようだった」
「その奥さんが裸で駆けてなかったことを祈るよ」
歌い出そうとするサアヤを黙らせるチューヤ。
「それで、世界を救う勇者が、ドラ猫の闊歩するご近所にもどってきてどうした」
ケートに促され、
「ああ、ドラ猫に逃げられて悔しがる奥さんに、キャビアを差し上げることにしたんだ。すると奥さん、大激怒だよ」
思い出しながら、内心忸怩たる様子のリョージ。
「なんでだよ……キャビアあげて激怒されるおぼえはないだろ」
同情するチューヤに、
「いや、思い出せ。鍋には、合うものと合わないものがある」
リョージは納得の一言。
そういえば……と、一同の脳裏に、鍋部のイベントとして闇鍋をしたとき、生モノを入れた愚か者の記憶がよみがえってきた。
奥さんも、どうやら「キャビアと鍋は合わない」と言いたいらしい。
ひとしきり怒られてから、今夜はパスタとブルスケッタとカナッペにするわ、と言い置いた奥さんは、リョージからキャビアをぶんどっていった。
「ひでー奥さんだな」
同情的なチューヤ。
「で、代わりにもらったのが」
区切りをつけるリョージ。
「なるほど、そしてその鍋を手に入れた、というわけですね」
察するヒナノ。
「ちっとも長者になってねえな」
つまらなそうなマフユに、
「まったくだ。そもそも、どこに女神が出てきたんだよ」
チューヤもどこから突っ込めばいいのかわからない。
「いやー、しかし長い物語だったねー。さすが、リョーちんに歴史ありだねえ」
サアヤがまとめにかかったところ、
「と落としたいところだが、まだつづきがある」
リョージは言を継いだ。
──そしてもらった「ただの鍋」を手に、ちょうど公園の近くを歩いていたとき、トーストをくわえた女子高生が「遅刻遅刻ゥ~」と走ってきたという。
そして、まるでわざとのようにリョージにタックルし、ぽーんと吹っ飛んだ鍋が、近くの泉に落下した。
女子高生は、そのまま全力疾走で駆け去った、という。
「なんて女だ……」
唖然とするチューヤ。
「どーでもいいけど、変な女にばかり絡まれる体質だな、リョージは」
「一度、御祓いでもなさったらいかが?」
やや不快げに言うヒナノ。
あきれたような一同の感想に、リョージも返す言葉はない。
とつとつと話柄をつなぐ。
「するとな、池から女神が出てきて、あなたが落としたのは、この金の鍋ですか、それとも銀の鍋ですか、って」
一同に、いろんな意味のため息が蔓延した。
「……リョージの人生って楽しそうだな」
「ようやく女神さまのご登場か」
マフユに促され、リョージはつづける。
「ああ、で、いや、ふつうの鍋ですって答えたら、正直なあなたに、この一見ふつうだけどスペシャルな鍋をあげましょう、と。いやな予感がしたので、いらないと言ったんだが、投げつけて消えてしまった」
「なんちゅう女神だ」
あきれることにも疲れたケート。
「それ、ただのイヤガラセじゃないの」
突っ込むことに疲れたチューヤ。
「オレもそんな気はしたんだが、悪魔使いに訊けば正しい使い方がわかるって言われたから、一応持っといた。なんでも〝裏鍋〟といって、リバーシブルで使えるらしいんだよ」
と言って、リョージは話を締めた。
「意味がわからん」
振られたところでどうしようもないチューヤ。
「頭が痛くなってまいりましたわ」
嘆息するヒナノ。
「裏鍋ねえ……」
マフユはもはや興味を失っている。
「どう見ても、ただの土鍋だが」
言いつつも、もう見ようともしないケート。
「なんか、使うべきところで使うと、あちら側に行けるとかなんとか……」
ぴくり、と悪魔使いチューヤの肩が反応した。
あちら側。
たしかに、それは重要なアイテムかもしれない。
「ともかく、使うべきところで使わないと、ただの鍋なんだな」
「ただの鍋こそ、もっとも役に立ったわけだが」
「たしかに。GJリョージ」
「ちなみに、その後は?」
尻切れトンボをつなぎにかかる。
「丹下さんというスカウトに目をつけられて、目黒の地下プロレスで勝ち残らないと、境界からは抜けられないと聞いた。で、そこから先は、おまえらも知っての通りだ」
「なるほどね」
満足したように、チューヤはうなずいた。
人に歴史ありだ。
とくにリョージの歴史は、完全に少年漫画のテンポで起伏があり、非常におもしろい。
「リョーちんの人生は、ほんと楽しそうだよね」
サアヤが眠そうに言った。
「まんま、昭和の少年漫画だよな。……オラ修行すっぞ! てか」
マフユの声もかすれている。
「読者を感情移入させるために必要だぞ。RPG的にいえば、つまらん経験値稼ぎになりがちだが」
チューヤはまだ体力を残している。
「リョージのはおもしろそうだ。どっちかっつーと、やりがいのあるお使いイベント?」
「分析すんなよ」
「それじゃ、ドワーフの魔王は?」
思い出したように問うケートに、
「まだ倒してない。いつか手伝ってもらうかもな、悪魔使いに」
リョージの物語は「つづく」らしい。
「俺たちに未来があればな……」
チューヤは短く嘆息して、話を引き取った。
おもしろい話だったが、現状すぐに役立ちそうな話でもない。
「……それで、目黒川を越えればゴールってわけだな?」
深い暗闇を見つめ、先行きを問うリョージ。
「たぶんね。地名を考えれば、わかりやすいと思うよ。白金台とか高輪台とか、駅名からでもあのへん台地ってのわかるよね」
うなずくチューヤの意図を、地質屋らしく察する。
「たしかに。その先、登ればジャバザコクのあった場所ってわけか。──鬼が出るか蛇が出るか、だな」
意識的にあおる口調のリョージに、
「蛇ならそこにいるだろ」
冷めた乗っかり方をするケート。
「うるせえ。あたしは疲れた。冬眠する」
応じる気力もないマフユ。
「めずらしく正解だよ、フユっち」
倣うサアヤ。
「そうですね。休みましょう」
消え去るような語尾で吐息するヒナノ。
女子の疲労がかなり激しい。
男子は黙って、彼女らの安眠を促す。




