83 : Past Day 2 : Ōokayama
遭遇したナウマンゾウやヘラジカからは、即座に「逃げる」を選択した。
もちろん草食動物なので襲われる可能性は低いわけだが、あえて近づかないに越したことはない。
現在、「狩り」をする必要はないし、その体力もかぎられている。
──更新世は、10回におよぶ氷期と間氷期をくりかえしており、全体としては氷河が地表を覆う寒冷な気候であった。
日本列島にも寒冷地適応した大型動物が多数、住んでいたことが発掘によって確認されている。
とはいえ、ずっと寒かったわけでもない。
現在は間氷期か、それに近い環境であり、寒冷地適応した大型動物よりも、イノシシやニホンシカなど小型の動物に出会う確率が高い。
「ナウマンゾウとバトルにならなくてよかったな、リョージ」
冗談めかして言うチューヤだが、
「一度、戦ってみたい相手ではあるけどな」
リョージの表情は半ば以上本気だ。
現に2万4000年まえ、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物を、沼に追い込んで狩りをしていた後期旧石器時代の人類が、群馬県の岩宿というところにいたようだ、と推測されている。
「ばかばかしい。危険なことはおやめなさい」
反射的に批判するヒナノ。
「ヒナノンも心配してるよ! リョーちん、危ないことしたらメッメだよ!」
のっかるサアヤ。
「べ、べつに心配など……。ただ、素手で戦うなど愚かしいと言っているのです」
なんとか合理的な着地点を模索する。
旧石器時代に弓矢はまだなく、最新兵器はアトラトル(投槍器)だった。
地形と石槍を利用した狩りはいきおい接近戦となり、多くの危険を伴ったはずだ。
「あはは、まあ相手がマンモスになったら、さすがに力を合わせて戦うよ。オレには頼りになる仲間たちがいるからな」
豪放に笑うリョージ。
「あくまで戦う前提なんですね、リョージくんは……」
そのときは真っ先に巻き込まれるであろう代表のチューヤがぼやく。
「マンモスの肉、食いてー。骨に肉ついたやつ」
よだれを垂らすマフユ。
「あはは、フユっち、それ原始時代のマンガだよ」
昭和の歌娘サアヤには親しみのある世界観だ。
「たしかマンモスは、津軽海峡より南にはいなかったと思いますが」
まじめな表情で言うヒナノ。
──この分布境界線を、ブラキストン線という。
過去もっとも寒冷化の進んだ時期でも、潮流の速い津軽海峡が干上がったことはなく、マンモスなどの大型動物はわたることができなかったらしい。
それでも一定の大型生物は、日本列島に、たしかに存在した。
彼らも、現状の「異変」には十二分に気づいているだろう。
だが、みずからが数日後に生きている可能性がきわめて低いことまでは、まだわからない。
餓死した獲物を食料にできる、という意味では、チューヤたちはかなりの期間を生きながらえることができるかもしれない。
だが、彼ら自身が「大型動物」である事実も、忘れてはならない。
火山灰は確実に、彼らの肉体を侵食していくのだ。
降り注ぐ灰、あるいは雪。
太古の11月は、北海道よりも厳しい気候だ。
がちがちと、歯の根が合わない。
岩陰を選んで小枝と草を敷き、大きめの枝葉で覆う。
吹き込む風を多少和らげる効果しかないが、ないよりマシだ。
リョージが風上に向かって盾になり、その背後に女子たちが抱き合って丸くなる。
すこし離れた奥側にうずくまるケート。
チューヤは手前側に立って、吹き飛んだ枝を直している。
「すまんな、チューヤ」
リョージがその労をねぎらうと、
「いや、けっこう俺のせいってところあるし。だいじょぶ、これでも体力だけは、なぜかやたらに高い」
力強く応じるチューヤ。悪魔使いは、最後まで生き残ることが仕事だ。
「だな。使える男がいてくれて、助かる」
リョージの言葉に、
「それは皮肉か、リョージ」
岩屋の奥からの声。
リョージはしまったという表情で、
「いや、おまえはおまえの得意な仕事をしてくれ。おまえにしかできないこと、ってのがあるだろ」
「昨夜まではな。もう数学の出番じゃない。……石が転がりだすまえなら、方向を決めるための計算が重要なこともある。だが、転がりはじめた巨石をどうこうするのは、不可能だ」
ケートの口調は、常ならざる弱々しさだった。
火山が噴火するとわかっていれば、警告を発することもできただろう。
それが科学というものであり、その限界でもある。
「このままじわじわ死ぬだけなら、いっそ……」
膝のあいだに頭を突っ込んで、ぼやくマフユ。
「黙って、フユっち」
女子の小声が、ひどく空寒い。
体力を温存するため、必要以上の会話も自制されている。
あらゆる時代で活用されたはずの、岩陰。
上から降り注ぐものを自然に防いでくれると同時に、横に対する警戒も可能な重要拠点。
だが現状、それは吹き込む暴風と寒気に対して無防備だ。
「いま何時ごろかな?」
サアヤの声に、
「月も星も見えないからな……」
岩陰から身を乗り出して天を仰ぎ、チューヤが答える。
「ボクの時間感覚を信じるなら、午後9時ってところだ。夜明けまでは9時間近くある。まあ、夜が明けるとはかぎらないけどな」
必要以上に冷たく響くケートの声。
「明けない夜はないだろ」
リョージは反対する余地のない正論を宣ったつもりだが、
「いや、あるよ。太陽が出ないって意味なら、いくらでもある。過去の大量絶滅もそうだ。死ぬしかない状況に追い込まれて、死んでから夜が明けることに、意味があるか?」
そういうロジックなら、たしかに「明けない夜」はすべての生命が体験する末路ということになる。
「明けなきゃ、開けに行こうぜ、天岩戸を」
チューヤにしては、いいことを言ったつもりだ。
リョージは力強くうなずき返し、
「だな。……で、ここはどのへんだ、チューヤ? オレの見たところ、たぶん大田区から品川区にかけて、台地沿いを北上したと思うが」
「いい線だね。すこし西寄りに進んだから、目黒区にはいっている可能性があると思う。東急がどんな経営哲学で線路を引いたか、考えながら進んだ」
かなり特殊な思考回路でルートを選んだらしい。
人間オートマッパーであるこの主人公は、両足が鉄輪でできている。
「東へ向かうほうが近かったんだろ?」
リョージは苦笑する。
「池上線ルートならね。けど直行すると、台地が途切れたところで谷をわたるコストが高くつくと思った。一度、目黒線のほう、できれば田園都市線まで出て、目黒川を目指すルートがいいんじゃないかと」
21世紀の地図だと、池上線のルートにやや低くなっている場所があるが、ここはかつて大きな谷だった可能性がある。
津波の被害が比較的少ない台地の稜線に沿って、できるだけ北上してから東へ下るほうが効率がいい、という判断だ。
「さっぱりわかんねーけど、チューヤが言うならそうなんだろうな」
「いや、俺も線路から見える景色から類推しただけなんで、なにしろ10万年まえとかの地形はわからんよ」
「8万7000年だよ。水月湖の年縞からもAso-4の年代は判明してる」
ケートがぽつりと苦言を呈す。
「はいはい。……それよりリョージ、話でもしてくれよ」
適当に流しつつ、チューヤは話題を振る。
「にっぽん昔話か?」
肩をすくめるリョージに、
「やめい、ばかたれ」
ケートの苦情が出るまでもなく、苦笑して首を振るチューヤ。
「いや、その鍋さ。どこで手に入れたの?」
話せば長くなると言っていたので、冒険の当初、説明は端折られたのだった。
「ああ、これな。長い話だけど、聞くか?」
「手短に頼む」
「女神にもらった」
「短すぎ! もうちょっと、わかるように!」
リョージは、背負っていた鍋を取り出し、ぽんと地面に置いた。
異界の裏鍋。
ご都合主義のシナリオライターなら、ここでアイテムの本当の効果を発揮させてスタート地点にもどる、などというプロットを立てて顰蹙を買うところだ。
「しゃーないな。どうせ暇だし、昔話でもしてやろう」
ひとつ咳払いをし、とつとつと、リョージは語りだした──。




