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 まず、白いものが落ちてきた。


 一同、ゆっくりと視線を持ち上げる。

 寒さともあいまって、雪が降ったのかと思うが、ある意味美しい軽石成分の乱舞は、先触れにすぎない。

 やがて安山岩や玄武岩マグマが冷えて固まった、黒い砂礫が飛来するだろう。


 大気中の水分が無理やり核を突っ込まれて水滴化し、墨汁のような雨に変わる。

 地面ははじめ白くなり、ほどなく黒が混じってまだらとなり、やがて暗い灰色の底に沈む。じっとりと足下を桎梏する泥濘は、時とともに厚みを増す。

 そうやって、鬼界カルデラは西日本の植生に大打撃を与え、回復に数百年かかったことがあきらかになっている。


「てかさ、ケートはなんでそんなに詳しいの」


 先頭のチューヤが、ふりかえらずに問うた。


「……ちょっと、熊本いってきてね」


 短く答えるケート。


「そういや、俺に断りもなく、勝手にアオガエル乗ってたよね」


 チューヤの感情的な語調に、


「なんでキミに断らねばならんのかね、チューヤくん」


 皮肉っぽく応じる。

 ──アオガエルは、熊本電鉄が保有する元東京急行電鉄の5000系で、渋谷駅前に静態保存されている姿がよく知られていた(現在は秋田へ移設された)。

 熊本電鉄では2016年に最後の1両が現役を引退したが、北熊本駅構内で動態保存されているため、乗ろうと思えば乗れる。


 それに乗ってきた、という話をしたときのチューヤの悔しがり方は尋常ではなく、その姿を見て楽しむためにケートは熊本に行ったのではないか、と思われたくらいだ。

 が、じっさいケートが熊本を訪れた理由はともかく、彼の火山に関する知識は正しい。


「げほ、げほっ」


 敏感なサアヤが、まずはせき込みはじめた。


「おいでなすったな」


 一同、口元に毛皮をたくしあげて覆う。


「あまり吸い込むなよ。粒子が細かいから肺胞を破壊する」


 ケートの指摘に、


「息しなかったら死ぬだろ」


 絡むマフユ。


「おまえはとっとと死ね、クソ蛇」


 切り捨てるケートに、


「なんだとクソチビ!」


 踏み出したマフユの足が滑り、ずちゃっ、と音を立てて転んだ。


「おっと」


 背後にいたリョージが、すばやくその腕をつかむ。


「おっ、わるいリョージ。……てめえのせいだからな、チビ」


 リョージが背後から押さえていなければ、殴りかかっていただろう。


「うるさい。リョージ、その蛇を甘やかすな」


 ふりかえりもせず言うケート。


「まあまあ、おふたりさん。……どうする、リョージ。そろそろ休憩するか」


 先頭のチューヤが足を止め、ふりかえって問うた。

 方向感覚と「体力」だけは高いチューヤと、サバイバル専門のリョージが前後をはさんで進軍する、というプランは最適だが、まんなかの面々がいつまでもそのペースについてこられるとはかぎらない。

 とくにサアヤ、ヒナノの体力の消耗が激しいようだ。


「だいじょぶだよ、まだがんばれる」


 サアヤの声はかすれ、


「わたくしも……」


 ヒナノの声はほとんど聞こえない。

 意地っ張りな女子をなだめるようにして、てきとうな木陰を選んで休憩した。




 胃が受け付けない、という女子に生肉をわたしておき、男子が集まる。


「あとどのくらいだ、チューヤ」


 リョージの問いに、


「どこを目的地とするかによる。途中までコースは同じだけど」


 いかに人間オートマッパーとはいえ、未踏の地はまだマッピングできていない。


「チューヤは、呪いをかけた女神に会いたいんだろ?」


 ケートが問うと、


「銀座ってこと? うーん。だけど、すこし遠いよね」


 首をひねるチューヤ。


「否定しないのかよ。女神に会いたいとか、恥ずかしいと思え。ポンコツのバカチンが、女の尻ばかり追いかけているからそうなる」


 どこか嫉妬交じりに悪態をつくケート。


「ちょっとケート、悪意あふれすぎでしょ! おかげで地方の路線へ乗りに行けなくて、こちとらたいへんな迷惑してんだよ」


 チューヤなりの理由で地団太を踏んだ。


「そこかよ」


 あきれ顔のケートに、


「しかし地図もないのに、白金台とか銀座とか、よくわかるな」


 リョージは素直に感心している。


「人間GPSだからな、チューヤは」


 事実その点での評価は高いのだが、


「それなんだどさ、俺をあまり非人間的なコンパスかなんかと思わないほうがいいよ。たしかに方向感覚はわるくない自信あるけど、あくまで勘だから。目標物があって、はじめて感覚調整できるんだよ」


 控えめに注釈を入れると、


「地形を見て進んでるんだろ?」


 眉根を寄せるリョージ。


「それ、あくまで現代の東京の地形だから。ずいぶん変わってるし、こんな原始時代に適用できるか自信はない。もといた場所にもどる、っていう選択なら自信あるけど」


 人間オートマッパーが一度歩いた道は、脳髄に刻み込まれる。

 彼がもどる「道に迷う」ことはない。


「とりあえずヘンゼルとグレーテルのようにはならずに済むわけだ」


 皮肉っぽく言うケート。


「サアヤなんか、元の場所にすらもどれないんだろ? その点、オレたちは安心だよな」


 リョージも苦笑する。


「ハードル低すぎ!」


 チューヤとしては、もうすこし上を目指したい。

 ふりかえり、女子の体力の回復を勘案する。

 あまり長く休憩をとってはいられない。


「……銀座へ行こうぜ」


 リョージの意見に、


「いや、可能性があるとしたら、白金台のほうだろ。すくなくとも近いしな」


 ケートの視線が交錯する。

 地質屋および鉄道ぽっぽ屋(?)の男子は、脳内に地形図を思い浮かべる。


 東京は平らな土地だと思われがちだが、「坂」のつく地名が多いことでもわかるとおり、それなりに起伏がある。

 何万年も過去の地形であることを考慮しても、東京であるかぎり、痕跡はあるはずだ。隆起と風化、堆積と浸食が交互にやってきたと考えれば、プラマイゼロの可能性もある。

 たとえば大陸移動説を決定づけた「海岸線」は、何億年もまえの痕跡を、たしかに残していた。人為的な変更を加えないかぎり、その変化は「類推の範囲内」であるはずだ。


 チューヤの感覚を信じるとすれば、ここはおそらく大岡山あたりである。

 文字通りの「山」であり、津波の通り過ぎた痕跡はあるが、ほとんど地表を撫でた程度のようだ。


「なんで銀座なの?」


 チューヤの問いに、


「わかんねーけど、なんか()()()()()()ような気がすんだよな」


 リョージの答えはつとめて感覚的だ。


「老先生って、太上老君か。ふん、中国人は銀座がお好き、ってか」


 ケートは何事かを考え込む。

 ──21世紀現在どうかはともかく、かつては中国の指導層に「銀座」への強い執着があった、という。

 銀ブラしたい、デパート行きたい、地下街を見たい、銀座線に乗りたい。

 中国の首相が来日したとき、このような希望を受けて、日本側の外交・警備担当者は苦労したらしい。


「いるわけないでしょ! ここ原始時代だよ。……それで、ケートはなんで白金台?」


 視線を転じるチューヤに、


「広尾のじいちゃんちが近いからだよ」


 ケートの答えも半ば投げやりだ。


「却下! なんだよ、その私的な理由」


 判断材料がなくなり、チューヤは眉根を寄せた。


「9万年まえの白金台、一見の価値はあると思うぞ」


「9万円台の白金台?」


「あら、お手頃価格ですこと」


「どうせワンルームでしょ」


「築年数によるかな」


「耐震構造だけはちゃんとした物件選べよ」


 軽口をたたきあっているうちに、なんとなく落ち着いてきた。

 それぞれ漠然とした連想の根拠があるのかもしれない。


 もしチューヤを呪った鬼女が、いまも銀座にいるとすれば、そこを目指すのも一案だ。

 しかし、そもそも戻り口と入り口は同じであり、ジャバザコクを目指すべきだ、という考え方にも説得力がある。

 ──銀座か、白金台か。


「ともかく北へ向かおう。その先は……流れだ」


 答えを先送り、チューヤは言った。

 男子が方向を決めたので、女子も、よっこらしょと立ち上がった。

 彼女らに、とくに意見はないようだ。

 移動の問題では、男子に任せておいたほうが良い。


 それが無能な男子であれば問題だが、すくなくともここにいる男たちの能力は、「地図を読む」点ではきわめて高いことが証明されている。

 重々しく進軍はつづく。



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