81 : Past Day 2 : Ishikawa-dai
道なき道を進むにあたって、登山同様の「パーティを組む」ことは重要だった。
形としては、長く編んだ一本のロープを前後にわたし、チューヤも喜ぶ「電車ごっこ」の様相となる。
もちろん遊んでいるわけではなく、堅実なロープワークは、メンバーの安全の土台となる重要な基礎技術だ。
ちなみにこのロープ、昨夜から、サアヤが中心となって編んでいた。
甘いものが欲しいというマフユのため、食材として調達したツタが、ロープに変わったのは必然だった。
ツタは日本に1種のみ自生し、古来からアマヅラと呼ばれる甘味料として利用された。もちろん樹皮を剥がして内側の繊維を編めば、りっぱなロープになる。
「ウテシーは俺だー、レチはリョージだー♪」
先頭を行くチューヤが一瞬、楽しそうに見えて、背後の面々は一様にげんなりした。
「高校生にもなって電車ごっこの先頭で喜ぶなよ……」
「めっちゃうれしそうだな」
あきれるのを通り越して感心する男子。
「おい、あいつ殺していいだろ?」
「よろしくてよ」
心からの殺意に従う女子。
「許してやって、みんな、バカなチューヤを許してやって」
涙声で鉄ヲタの助命を嘆願するサアヤ。
当のチューヤはウテシモードで、何度も進路を指さし確認している。
殺意を込めて、後方から木片を投げるマフユ。
ふりかえり、いまにも左右のロープからはみ出していこうとする自由な彼女を見とがめたチューヤは、
「危険ですので窓から物を投げないでください! そこ、列車から身を乗り出すのはやめましょう! 列車長、ちゃんと注意して!」
無線を持つようなゼスチャーで叫ぶ彼は、まさに安全を司る魂の「ぽっぽ屋」。
しばらく自分のことだと理解していなかったリョージは、あわててマフユをなだめ、列車の枠に収めた。
心情的にはどうあれ、現状、チューヤの人間オートマッパーは必要だ。
ちなみに、この「列車長」という言葉、日本の鉄道の歴史とほぼ等しく、1881年に発足している。1900年、現在まで親しまれている職制「車掌」に統合したが、電報の呼び名に「レチ」は残っている。
「第一閉塞、進行、ヨーシ!」
脳内の出発信号機が進行を示現し、指差喚呼するチューヤ。
突っ込む気もなくして緘黙する乗客たち。
この原始鉄道666は、はたしてどんな終着駅を目指すのだろう──。
ざっ、ざっ、ざっ。
重く湿った足音を引きずり、6つの人影が台地の道なき道を進む。
長い沈黙に耐えられないように、また必要な情報を交換するためにも、だれかが、なにかをしゃべっている。
それは体力の浪費か、不可欠のコミュニケーションなのかは、わからない。
「……で、灰が降るまで、どれくらいだ?」
最後尾から、車掌リョージの声が届けられる先は乗客ケート。
「偏西風か? 冬季には、対流圏界面付近で毎秒100メートルくらい、だったと思う」
お客様のなかに科学者はいらっしゃいませんか? と問われたので、しかたなく答えてやっているという体。
「結論から!」
厄介な専門家に、素人代表のサアヤが単刀直入。
「風に乗った悪魔の気の早いやつは、そうだな……3時間もすりゃ降ってくるだろう」
ケートは軽く肩をすくめ、西の彼方を仰ぐ。
大気圏上層まで吹き上がった火山灰は、ジェット気流に乗って、その流れる先を灰色に染めていく。
これは「現象」であり、抗えぬ事実だ。
「阿蘇って、そんなすげえの?」
ちらりとふりかえるチューヤ。
「世界を代表するカルデラだよ。日本人だろ、知っとけ」
どうにか気を取り直したらしいケートだが、まだ感情的にダウナーな気配が色濃い。
──日本を代表する活火山、阿蘇。
カルデラの直径は東京23区とほぼ等しく、4回の大噴火によって形成された。
21世紀にも大地震を起こして被害を出した熊本だが、これは活火山である阿蘇山(という山は存在しない)の活動にほかならない。
地震と火山はワンセットであり、地質学の観点からも、豊肥火山地域で起こる地殻変動の特徴は事実、何十万年と維持されている。
本来は引き裂かれてしかるべき九州の傷口を埋めている、マグマ。
これが時々、埋めるどころの騒ぎではなくあふれ出す。
そのうち最大規模とされるのが、直近8.7万年まえの噴火「Aso-4」だ。
「──破局噴火?」
だれともなく、生命にとって致命傷の名を口にする。
地形を大きく変えるほどの大規模なマグマの噴出で、地球規模の気候変動を起こし、しばしば生物の大量絶滅の原因にもなった、壊滅的な火山活動。
縄文時代にも、鬼界カルデラで似たようなことは起こったが、阿蘇4はそれを上まわる。
現在の阿蘇山に行けばわかるが、あの「地形をつくった」のが、阿蘇4だ。
そのとき、もし九州エリアに人間がいたとすれば、衝撃波と火山噴出物で、ほとんどが即死しただろう。北は山口県、西は島原半島まで、高温のマグマで埋め尽くされた。
関西までエリアを広げても、半分くらいは即死に近い。
関東では、しばらくは生き残る人もいたかもしれないが、結局は同じことだ。
降り注ぐ灰に、肺を破壊され、食べ物を奪われ、急激に気温が下がり、ほどなく死んだ──。
「行ってこいよ、九州。びっくりするような岩が見られるぜ。あまりにも高温すぎて、吹っ飛んできた岩石が地面に落ちたあと、一度溶けてから、また固まったんだってよ。九州一帯は瞬時に、ほとんど壊滅だよ」
「それは壊滅だな……」
自分で訊いておいて、げんなりするリョージ。
死が、面で押し寄せてくる。
そんな世界にいれば、生き残るチャンスもない。
──しかし、ここは東京だ。
灰は積もるかもしれないが、即死をもたらすような岩石は降ってこない。
現在、ここにいることは幸運なのか、あるいは。
「噴煙は高度30キロまで埋め尽くし、偏西風に乗って日本列島全体を覆った。北海道も例外じゃない」
淡々と語るケート。
さすがに近隣ほど厚くはないが、北海道東部にも10センチほどのオーダーで阿蘇4の痕跡があるという。
「これから何十センチも積もる灰が降ってくんの?」
チューヤの問いに、
「マスク、マスク」
サアヤがコミカルな動きで応じる。
「無駄だよ。だから死ぬって言ってるだろ。大型生物が生きられる環境じゃないんだから」
ケートは否定的だが、
「ネガティブ発言禁止! どうしたら生き残れるかを考えよう!」
努めて盛り上げるリョージ。
「方法はあるよ、教えてやろうか?」
ケートの罠に、
「ぜひ!」
真っ先に食いつくサアヤ。
「殺されるまえに自殺する」
つまらないレトリックで落とすケートに、
「ぶつよ!」
サアヤの手は早い。
「いてて……まあ、この時代の技術水準でも可能な選択肢があるとすれば、逃げる、だな」
「シンプルでいいね。逃げるの大好き」
今回ばかりはチューヤも同意する。
「ケーたんは、どこへ逃げたいの?」
サアヤの問いに、
「風上だよ。できるだけ早く、窒息しないうちに。長距離航行が可能なら海に出るって選択肢もあるが、地上を移動するという選択肢しかないなら、そうだな……氷期であれば北にはまだ陸橋があって、簡単に樺太へわたれた可能性が高い。そこから大陸方面にまわりこんで、西へ向かえば生き残れるかもしれない」
「おい、ふざけんなよ。車も飛行機もないのに」
「3時間後には灰が降ってくるのでしょう」
後方からマフユとヒナノが苦言を呈する。
しんがりから支えるような、リョージの力強い声。
「ま、とりあえず白金台のジャバザコクを目指そうや」
「そんなもんがあればな」
ケートが冷や水をかける。
──時刻は正午をまわった。
本来、もっと明るくていいはずなのに、火山灰に集められたかのごとき曇天が空を覆い、太陽はすこしも見えない。
必要以上に暗く、そして寒い。
ケートが、早々に生きることを諦めた理由が、他の面々にも共有されてきた。
破局噴火の意味が、ひしひしと感じられる。
「縄文人を絶滅させた、って話は有名だよね」
チューヤすら、歴史の授業で習ったおぼえがある。
7300年まえ、九州一帯の縄文人が鬼界カルデラの大噴火によって絶滅した証拠が、多数発見されている。
このとき火山灰は、上空の対流圏を抜けて、成層圏に流入した。
ジェット気流が吹く高度を埋め尽くした細かい火山灰は、こうして東へと運ばれた。
「けど、絶滅したのは九州の縄文人、だよな?」
リョージの言葉が力強く一同を励ました。
──そう。火山は、たしかに巨大な影響をもたらす。
が、それは「限定された範囲」において、だ。
超巨大噴火による地球規模の環境変動。
たしかに、あるかもしれないが、それは全体の「絶滅」を意味しない。
ありうるとすれば、その近辺に「たまたまいた人類が、甚大な影響を受ける」という程度だ。
事実、九州の縄文人は絶滅しても、縄文人そのものが絶滅したわけではない──。




