表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
177/384

80


「阿蘇山大噴火ー?」


 サアヤの口調が呑気なせいで深刻さが伝わりづらいが、これは大変な事態だ。


「偏西風に乗って、早くて3時間、遅くとも1日以内に、東京は灰に埋まる」


 ケートが、めずらしく結論から言った。


「手早く行動しなければなりませんね」


 ヒナノが促すが、


「飯どうする?」


 削いだ薄切り肉を、さっと海水に浸して、味見するリョージ。


「あたしにもよこせ、リョージ! 腹が減っては戦はできねーぞ」


 あわてて肉をひったくるマフユ。


「……これは、生食できるよな?」


 リョージは昨夜の会話を思い出しながら、ヒナノに問いを向ける。


「ええ、日本のシカは現代でも比較的安全とされていますから、内臓には肝炎の危険がありますが、ロースやモモなら塩で洗えばなんとか」


 ジビエ料理の経験が生きている。

 せっかく津波が運んでくれた海水だ、利用しない手はない。


 天然の調味料に肉を漬けて、ちょっとした塩味の刺身。

 みずから味見をして、やや小首をかしげるリョージ。

 ジビエの最高峰といわれる「シカ刺し」、それも最高に自然で新鮮なものを、切りたてなのだから、まずい理屈はあまりない。


「味はともかく、2~3切れ、食っとけ。ここからは体力勝負になる」


 つぎつぎとスライスして、仲間たちに肉をまわす。


「倒れたら仲間に迷惑をかける、か。……無理してでも食えよ、サアヤ」


 自分も食いながら、隣に薄切り肉をわたすチューヤ。


「うん、がまんするー」


 目を閉じて、頬張るサアヤ。


「ボクはごめんだぞ、生肉なんて」


 ウェルダン派のケートは拒絶するが、


「これは料理じゃない、薬だと思え」


 リョージの言質が正解だ。


「そうだぞ、ケート。目を閉じて食えば、まずくはない」


 チューヤも援護する。


「いえ、むしろ珍味としていただけるのでは?」


 めずらしくヒナノがワイルドだ。


「うまうま、もっとよこせリョージ。あたしが全部食ってやる」


 がっつくマフユ。

 基本的に彼女が、まずい、と言うことはない。

 たとえ言ったとしても、食う。

 それが、この丸呑み蛇の生きる道なのだ。


 ──いよいよシリアスなサバイバルじみてきた。

 昨夜の呑気なキャンプファイヤーが一転、地獄の生き残りゲームに変わっている。

 ここからは、さらに重要な選択肢がつづくだろう。




 気候は一挙に変わっていた。

 まるでいやがらせのように、氷河期真っ盛りの様相だ。


 きのうは30度近くあり、泳げさえしたのに、いまは氷点下。

 このまま気温が低下すれば、夕方までには氷が張っているだろう。

 ──想定される災害は、阿蘇南海トラフ連動超巨大地震。

 日本の形に、かなりの変更を加えた事件といっていい。


「富士山は、たしかに身近にいて噴火されると厄介だが、見ての通り、規模は小さい」


 西を仰ぎ見て言うケート。


「そうか? だいぶでかい噴火のように見えるが」


 チューヤの見解のほうが、心情的には正しい。

 まだ火山灰は到達していないが、西方一面を埋め尽くしつつある黒いプレッシャーは、いまにも臭い立つような火山性の噴煙だ。

 そう、問題は「西一面」という点にある。


「噴煙が成層圏まで広がってるから錯覚してるだけだ。富士山の向こうから飛んでくるんだよ、最大の問題は。噴火が富士山だけなら、どんだけよかったか」


 「かなりの被害が出た」という程度の表現でまとめられることの多い、富士山の噴火。

 人類史上、富士山の噴火でどえらい目に遭った人々は多いが、それを「語り継げる」という時点で、彼らの多くは()()()()()ことを意味する。


「そろそろ言え、ケート。オレたちは、どうなる?」


 リョージの問いに、


「富士山の向こうに西方浄土を見るのさ」


 ケートの答えは弱々しい。


「詩的な言いまわしだね」


 サアヤとしてはそれれでもよかったが、


「はっきり言えよ」


 チューヤとしては結論を得たい。

 うつむいて首を振るケート。


「火山が本気出したら、()()()()んだよ」


 かすれた小声は、だれの耳にも届かなかったが、言うまでもない。

 かなり遠いが、見える。

 噴煙は瞬時に大気圏の上層まで達している。

 それほど遠いにもかかわらず、近くに感じられるくらい、巨大な噴火ということだ。


 x=√(2R+h)h


 地球は曲面なので、この計算によって、地平線のむこうに見えるものがわかる。

 徐々に広がりはじめている、「面」を圧する不気味な黒いもの……。


「ずいぶん遠いのに……」


 まだ、それほどの被害が出るのか、ヒナノは懐疑的だ。


「8.7万年まえだ。もっと早く気づくべきだったな。……阿蘇4だ」


 ケートには確信がある。

 ──破局噴火。

 その噴出量は、有史以来の富士山の噴火など、比較にならない。

 噴出物の量が、2桁ほど、ちがうのだ。

 富士山の最大噴火を1として比較する動画があるが、浅間山が4、ピナツボ山が10などと並ぶなかに、九州の縄文人を絶滅させた7300年まえの鬼界カルデラが、170とある。

 では、阿蘇4はどうか。


「カテゴリー7、破局噴火だ。8.7万年まえ、噴火規模は600──」


 ケートの言葉に、それは死ねる、とだれもが思った。

 リョージは厳しい表情でふりかえり、言った。


「死んでたまるかよ。行くぞ、おまえら」


「話聞いてたのかよ、リョージ。この規模の噴火だと、風下に住む大型生物は、ほとんど生き残れない」


「ほとんど、だろ。それに、まだ死んだわけじゃない」


 チャレンジもしないで死ぬつもりは、もちろんない。

 火砕流の直撃に見舞われる九州一帯は「瞬殺」だが、火山灰の影響を受けるだけのエリアであれば、まだ生き残るチャンスはあるかもしれない。

 ケートは短く吐息し、


「まだ、か。わかったわかった、行くよ、行けばいいんだろ。そうとも、たった600、ここ10万年くらいのオーダーで、よくある話だ」


 何億年のオーダーだと、さらに上がある。

 地球史上最大とされるシベリアトラップ(2.5億年まえ)は、ひとつの火山の扱いではないが、トータルすれば4桁ほど上の破壊力で、そうなると人類ではなく「地球生物の大量絶滅」という話になってくる。

 この「スーパープルーム」によって、生物種の約96%が死滅したという。


「そうだよ、生き物が滅びるわけじゃないもの!」


 カラ元気のサアヤに、


「だな。せいぜい人類が滅びる程度だ。小さな生き物たちは、けっこう元気に生き延びるだろうぜ」


 しかたなく乗っかるケート。


「ケート、自分だけ生き残る気!?」


 思わず言ってから、まずったという表情のチューヤ。


「おい、何気に失礼なこと言ったな、おまえ」


 小さなケートが牙を剥く。

 ぽかすか殴られるチューヤ。


 若者たちは、どうにかカラ元気を振り絞っている。

 火山トラフ連動地震、マグニチュード9、広域で同時多発。

 文明があったら滅びているレベルだが。


「どんな苦難が襲おうと、人間は、生物は簡単にやられはしないさ!」


「生命は光輝くね!」


 美しい言葉で行動を飾る者もいれば、


「けっ、ばからしい。たいがい死んだだろ、さっきのシカみたいによ」


「おまえも、さっき死んどけばよかったと後悔するのさ」


 事実に対して冷徹な者もいる。

 きれいごとを積み重ねるのは簡単だが、峻厳な事実を正しく把握することも必要だ。


 さまざまな思想がある。

 そのなかで「地面にへばりつくバイキンどもが、くたばってせいせいする」という種類のロジックがあったとして、それ自体をどうすることもできない。

 彼には彼の道があり、彼女は彼女の道を行くのだ──。




「それで、どこへ向かう?」


 もっとも重要な議案を提起するリョージ。


「やっぱ、スタート地点にもどるのが正しいと思うんだ」


 遠慮がちにチューヤが発言した。


「さっきの河原ってこと?」


 首をかしげるサアヤに、


「いや、じゃなくて、ジャバザコクのほう」


 北を指さすチューヤ。


「逃げるなら東じゃねーのか? 西から灰が飛んでくるならよ」


 マフユの指摘は朴訥で正しいが、


「どうやって東へ進むんだよ。千葉まで行ったところで意味なんかねーぞ」


 この場合はケートのツッコミが正しい。


「そもそも千葉まで行けないバカチンがいるしね」


 見えない壁に手を当てるパントマイムをするサアヤ。


「ごめんね! 俺のせいで自由度減って、ごめんね!」


 チューヤに課せられた与件は冷酷である。


「まあまあ、落ち着け。どうせ1両日中には、火山灰で埋まるんだろ? そんな短時間で、ハワイまで逃げられるわけがない」


 リョージの言葉に、


「そりゃそうだな」


 うなずくケート。


「ジャバザコクまでなら、行ける?」


 サアヤの問いに、


「この時代にそんなクニがあるかはわからないけど、白金台までなら、もしかしたら……」


 考え込むチューヤ。

 その程度すらも確約できないくらい、現在の東京の地理はハードルが高い。


「チューヤの言うスタート地点ってのは、そっちのことか」


 昨夜からの議論を思い返すリョージ。


「ああ、ごめん、そう。もうひとつ、銀座って可能性も考えたんだけど」


 チューヤには因縁がある。


「銀座? どういうことだよ」


 ケートの問いに、


「俺に呪いをかけてくれた鬼女たちが、銀座を拠点にしてるんだよ。いや、もちろん古代の銀座が谷の底なのか丘の上なのかは知らないけど」


「呪いが継続しているということは、まだ例の悪魔とつながっている可能性がある。そのつながりをたどってもどろうって案だな」


 うなずくリョージ。


「まったく自信はないけど」


 肩をすくめるチューヤに、


「だれにも自信なんてねーよ。よっしゃ、銀座か白金台か、どっちを目指す?」


 リョージが問題をざっくりとまとめた。

 それでいいの、という視線を全員に向けるチューヤ。

 だれも否定してこないので、同意と受け取る。

 彼はゆっくり、考えながらしゃべった。


「銀座も白金台も東京の中心だから、南の端の現状からは北上することになる。ただ、まっすぐ進むのはむずかしいと思う。一度、北西に進路をとるか、東へ出て湾岸を進むかだけど」


「海岸線を進んだほうが楽のような気もすっけどな」


 マフユが真っ先に選ぶのは楽な道だ。

 シナリオ選択だ、とチューヤが神経をとがらす必要はなかった。

 頭のいい仲間たちが、すでに答えを出してくれている。


「湾岸はダメです。いつ津波がくるか、わかりませんよ」


 通常、津波は複数回にわけて襲ってくる。

 しかも、第2波、第3波などの後続波のほうが、大きくなる傾向さえある。

 かなりの時間を空けてくることもあり、完全に津波がおさまるまで、地震発生から数日を要する場合すらあるのだ。

 そんな大津波厳重警戒期間中に、湾岸を歩くなど狂気の沙汰である。


「だね。北西から、高台の稜線に沿って進むのが正解だと思う」


 チューヤがうなずいて、一同に視線を転じる。


「ここがどこか、チューヤはわかってるんだよな?」


 リョージの基本的な問いに、


「まあ、だいたい。できれば海のほうも見られたらよかったけど」


 東京から出られない男、チューヤの最大の弱点でもある。


「あのあたりは品川ではないのですか? わたくしたちの出た入江は、たぶん日比谷だろうと思っていたのですが」


 海に出た女子のなかでは、ヒナノだけがなんとか地理を語る資格を持つ。


「うん、お嬢がそう思うのも無理はないけど、たぶんそこは羽田のほうだと思う。……あれは目黒川じゃなくて、古多摩川の支流なんじゃないかな」


 見下ろせば、壊れかけた川を伝い、濁流が海へともどされていく。

 多くの川の流れが、この津波によって引き裂かれ、合流し、新たな地形を築こうとしている。


「そうか。チューヤが弾かれたのは、東じゃなくて南の方向だったからな」


 腕組みして顎をひねるリョージ。


「多摩川の流れは、時代によってそうとう変わっているからね。この時代は、かなり南のほうに蛇行しているんだと思うよ。その北側の支流が、現代の23区の境界ってことになってるんじゃないかな」


「つまりオレたちは、いま六郷土手あたりにいるわけか?」


 リョージとチューヤの動きに合わせ、全員が周囲を見まわす。


「それよりちょっと北、いま登ってるこの高台は」


 鉄ヲタと地質屋の男子だけが、かろうじて東京の地図と現状を重ね得た。


「なるほど、荏原台か。だいたいわかってきたぜ。目指す方向もな」


 パン、とチューヤの肩をたたくリョージ。

 方針は決まった。

 あとは、その道が途切れていないことを祈るのみだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ