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 大規模な地震が起こった以上、そしてそれが連動していると考えられる以上、いずれにしても、どえらい津波がやってくる。

 このような低湿地にいては、まちがいなく──飲まれる。


「ああ、そうだな。たしかに、いまは逃げよう」


 ケートの同意を得るまでもなく、逃げることは最優先だ。

 とはいえ、方向くらいは統一しておいたほうがよい。

 リョージに指示され、先頭はチューヤ。

 こと「ルート探索」系のミッションでは、チューヤが最適解を導くことが多い。


「できるだけ高いところを目指せばいいんだな」


 与えられたミッションをクリアする、というお使いRPGの癖が役に立つ。


「頼むぜ、人間オートマッパー」


 有能な仲間はパーティプレイに不可欠だ。


「……努力するよ」


 期待の大きさに、チューヤの小さめの心臓がすくむ。

 きのうリョージたちと、北側の高台、連続する丘の地形は、だいたい把握している。

 はー、いずれここを〇〇線が……などというトンチキな視線で眺めていたことは事実だが、理由はともかく、重要なのは役に立つ「マップ」が脳内にあることだ。


 地震のあとは、とにかく高所へ逃げなければならない。

 津波てんでんこ。大きな地震がきたら、取るものもとりあえず、友人や肉親も関係なく、まずは自分が高いところへ逃げろ。これは鉄壁の教訓だ。

 東北地方太平洋沖地震(3・11)の体感から導けば、このレベルの大地震がきたら、津波の高さはすくなくとも30メートル以上になるだろう。


「標高30メートルだぞ、足りるかチューヤ」


 ケートのハードルに、チューヤは頭を悩ませつつ、


「正直、足りない気がする。けど、海があっちだから、たぶん流れがいちばん弱くなるのが……」


 鳥観図を脳内に構築できる立体把握能力を持ったチューヤが、本能的に流体力学をも踏まえていることに、ケートはすくなからず安堵した。

 てんでんことはいえ、最適のルートを求めうる仲間がいるなら、その引率に従ったほうがいい。


 津波は、低いところだけを襲うわけではない。

 地形によっては低くてもさほど被害がないところもあれば、高いのに被害が大きいところもある。

 流れが集まる河川沿いなどは、波動が集中して、平均以上の高所まで被害が及ぶ。

 この場合、流れが入り組んで、遡上するのに時間のかかる丘を目指すのが、最適解だ。


「北西だ。登るぞ」


 方向を定め、走り出すチューヤ。

 ──東京には、山の手と呼ばれる高台のエリアが広がっている。

 現在、その「手」の指の隙間にあたる、やや低い場所にいる。

 目測で20メートルほどは、すぐに高度が稼げそうだ。海水準の低下分を考慮に入れれば、津波はしのげる──かもしれない。


 平坦地がしばらくつづいてから、一気に高さが増す。

 21世紀の国土地理院が提供する標高データとは、もちろん大きく異なった地形だが、チューヤは不完全ながら、堆積や侵食の程度を8.7万年まえのモードにアップデートしている。


 背後から、不気味な水音が迫る。

 自然のざわめきは、大音量で耳孔を聾する。

 雑多な動物たちのざわめきも混じるが、彼らに正解ルートを教える余裕も方法もない。


 それに、チューヤの道が正解であるともかぎらないのだ──。



 ここから先は津波の状況が流れます。

 ご注意ください。


「ここまでだ! みんな、木に登れ!」


 叫ぶチューヤ。

 彼らは時間と場所が許すぎりぎりまで、高所に達した。

 それでも物理的に足りない。

 あとは木に登るしか、津波を逃れる術は残されていなかった。


 奔る津波。

 地表は洗われ、若い木々はなぎ倒され、中空に舞う鳥と虫以外、生物の姿は見えない。


 サル系のリョージが、巨体に似合わず身軽に木に登る。

 他の面々もつづくが、手掛かりが近くにあって登りやすい小さな木を選んだ面々に、危機が迫る。


 倒される木、放り出されるサアヤとヒナノとマフユ。

 たまたまヒナノを受け止めるリョージ。

 サアヤを受け止めるチューヤ。

 マフユを無視するケート。


「てめえ、助けろクソチビ!」


 濁流のはざまから叫ぶマフユ。


「ふざけんなウミヘビ、勝手に泳げ」


 あかんべーをするケート。


「なんだとこの野郎!」


 またやってるよ、と周囲の一同はあきれ顔。


「そのまま流れて死ねと言ってるんだ、地球のために」


 だが仲裁する余裕はない。


「ざけんな、てめーより先に死んでたまっか!」


 全員の視線が集まった先、おかしなことが起こっている。

 ちょうど手近を流れてきた木片を投げるマフユ。

 直撃を受け、木から落ちるケート。

 ぼちゃん、と波紋が広がる。


 あっけにとられる他の面々。

 彼らは、いったいなにをやっているのだろう……。

 怒り心頭のケートは、手近の流木をつかまえて飛び乗り、


「てめえ……ぶっ殺す!」


「かかってこいや、決着つけてやる!」


 同じく流木に乗り、サーフィンの要領で挑発するマフユ。


「クソビッチ!」


 怒髪天を衝く。


「クソチビ!」


 逆切れ地を裂く。

 チビとビッチを言い合いながら、手あたり次第、手に触れたものを投げ合い、流されていく愚かなふたり。

 あきれるのを通り越して、なぜか感心する仲間たち。

 あそこまでの仲の悪さは、もはや驚嘆の域だ。


「ちょっと、この大変なときに喧嘩しないでよー」


 サアヤは弱々しく苦言を呈するが、


「心配すんな、あいつらはどこに流されようと死なん……気がする」


 チューヤの結論には、不思議な説得力があった。

 たしかに、津波の勢いはすさまじいものの、高台に避難していたため、流れが集まる低地に比べてその勢いは弱い。

 そのまま危険地帯に流されて渦にでも飲まれないかぎり、安心だと思われる。


 津波は沢に沿ってかなり進んでから、ほどなく引いていった。

 木の高みから眺めたところ、東京のほとんどは水没したようだが、入り混じる雑木林のなか、時折見かける高木は頑健だ。


「氷河期らしく針葉樹が残ってて助かったな」


 ゆっくりと、泥土と化した地面に降り立つリョージとヒナノ。


「ああ。……ケートたちは?」


 チューヤとサアヤも地に降り立ち、あたりを見まわした。

 先ほどとは一変した、凄惨な風景が広がっている。

 木々の根元には土砂と流木が折り重なり、引き潮に取り残された海の藻屑なども見える。


 4人は顔を見合わせ、互いの無事を確認すると、再び周囲に視線を転じた。

 それぞれに手分けして、ケートとマフユの名を呼ぶ。


「安心しろ、ボクならここだ」


 ほどなく、答えが返った。

 傾斜の緩やかな崖下から、濡れた身体を引きずるようにして登ってくるケート。

 おそらく彼の数学的知見が濁流を計算し、安全地帯を導出したに相違ない。


「フユっちは?」


 サアヤの問いに、


「ぶっ殺した、と言いたいところだが生きてるよ。途中まで近くにいた。なんか見つけて駆け下りて行ったぞ」


 ケートはそれだけ言うと、疲れ果てたように、やれやれと木のたもとに腰を下ろした。


「ひどい目に遭ったな」


 チューヤとしてはタオルをわたしたいところだが、あいにくそんなしゃれたものはない。


「まったくだ。あの蛇、もどってきたら殺していいか? いいよな?」


 ぶつぶつ言いながら、懐のナイフを取り出すケート。


「待て、落ち着けケート、気持ちはわかるが、そのナイフはマフユのだ」


 説得の理由としては弱い。


「自分の道具で息の根を止められるなんて、あの蛇にふさわしいじゃないか」


 ケートの気持ちも、わからないではない。

 と、そこへ、どうやらマフユがもどってきたらしい気配が伝わる。

 殺意を胸に立ち上がるケートたちの視線の先、マフユにしては巨大な影。

 ──彼女は、巨大な鹿を背負っていた。


「食いもんだ、リョージ。朝食はシカナベにしろ」


 どさり、と巨大な哺乳綱偶蹄目ウシ科カモシカ属、ニホンカモシカを放るマフユ。

 彼女は一同の生存にとって、ある程度「役に立った」と言えるのか──。




 そのシカは、日本古来の在来種。

 やや小型とされるニホンジカのなかでも、北方系の大型種だった。

 ベルクマンの法則により、生物個体は寒冷地に適応するほど巨大化する。

 きのうのイノシシよりも、はるかに有意義な食卓を演出してくれる可能性がある、が……。


 一連の行為についての疑問が払拭しきれない面々は、顔を見合わせて「審議」のモードである。

 口々に、しかつめらしい議論を口走る。


「しかたないだろう、今回はそれしかない」


「しかしあの行為についてはしかるべき」


「しかるに私感ですが食料は死活問題ですからね」


「しかめっつらしかしないみんなにしかとお叱り!」


「シカトされて悲しかったのでしかと承るしかなしかと」


 どうやらこの連中はふざけているらしい、と理解してマフユの血管が浮いた。


「シカシカうるせえな! ……リョージ、できんだろ鍋」


 リョージはマフユの足元のシカを眺めつつ、


「解体はするが、鍋はむずかしいな」


 マフユは問い返すまえに、みずから周囲を見まわした。

 ──水浸しだ。


「なるほど、こりゃまずいな」


 火を起こせない。


「あたり一面、この始末だろ。よほど高いところまで登らないと、乾いた土地を見つけるのはむずかしい」


 言いつつ、ケートからナイフを受け取り、とりあえず鹿の処理を開始するリョージ。


「シカって英語でなんていうの?」


 暇を見つけて話題を振るサアヤ。


「小鹿ならバンビじゃね?」


 チューヤのアホな回答。


「それは固有名詞でしょう」


 ヒナノの指摘に、


「そういえば、おとなになってからもバンビって呼ばれてたね!」


 うなずくサアヤ。


「歌にもありますよ。Doe - a deer, a female deer♪」


 ヒナノの歌声に、


「ドーナツの歌だ!」


 チューヤが食いついた。

 『ドレミの歌』の「ド」は、日本ではドーナツだが、英語ではドー(雌鹿)はフィメール(雌)のデア(鹿)と歌っている。


「つまり鹿はデアなんだね!」


 チューヤを押しのけるサアヤ。


「エレファントやパンダは、自然に見かけないにもかかわらず知っていても、身近な鹿を知らないというのは盲点だったな」


 是が非でも意見を宣いたいチューヤ。


「奈良の人はマイシカ乗って通勤してるくらいなのにね!」


 サアヤのボケに、


「奈良すげえ」


 気づかないマフユ。


「怒られるぞ」


 一応、突っ込むチューヤ。


「ちなみに雄はバック、小鹿はファウンだ」


 英語圏で育ったケートが知識を追加する。


「ラムとマトンのちがいみたいなものか」


 チューヤの見解に、


「ひどいたとえですね……」


 いやな表情のヒナノ。

 ──そうこうしている間に、シカの解体はある程度、片づいた。


 きのうから食肉処理を引き受けているリョージは、一同がくだらない会話で避けようとしている現実、すなわち「臓物」を見えないところに放擲し、食べやすそうな部位を木に吊るして血抜きにあたっている。

 よし、というリョージの声に視線を向けた先には、どうにか「食肉」らしいと理解できる程度まで進んだ解体処理。


「マフユ、そのへんの潮だまりから、海水とってきてくれ」


 臓物すら食いたそうにするマフユに、鍋をわたすリョージ。


「あいよ」


 食い物に関する指示だけは、彼女も素直だ。


「食い物も大事だけど、これからどうする、って話しないと」


 チューヤが遠慮がちに問題提起すると、


「そうだね。チューヤにしては、正しいね」


 サアヤがうなずいて、話の流れが決まる。


「わたくしは、津波の届いていない西の山地を目指すべきかと……」


 ヒナノの言葉にうなずくサアヤ。

 女子的な算段では、乾いた土地で火を起こして温まりたいのだが、


「いや、東京の中心から離れるのはどうかな。なにがあるかはわからないが、なにかを探すべきだと思う」


 リョージの見解に、ケートもうなずいた。

 ──またしてもシナリオ分岐だ。

 期せずしてチューヤに視線が集まる。


「……北しかないと思うんだ」


 今回、チューヤの決断は早かった。


「なるほど。そりゃそーだね。チューヤは東京から出られないもんね」


 皮肉っぽく言うサアヤ。


「なんだよ、結局チューヤの都合かよ」


 リョージに海水鍋をわたしながら、口をとがらせるマフユ。


「それもそうだけど、白金台地はやっぱり調べとかなきゃでしょ!」


 チューヤにも言い分はある。


「悠長なことをやっている時間もないんだがな」


 ぼやくケートに、


「それだ。さっきから言いかけてたこと、そろそろ言えよ」


 木に吊るしたシカから肉を削ぎ落としながら、リョージが顔だけ顧みて言った。

 視線が集まるなか、西のほうに向けて、あごをしゃくるケート。


 ──その空は部分的に、恐ろしく暗い。

 一同にも、ようやくケートの言葉の意味が理解されつつあった。

 あの一面の黒は、地球規模の、なにかだ。



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