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「……またですか」


 最初につぶやいたのは、地震に敏感らしいヒナノ。

 ほどなく、だれもが感じられる大きさで、ぐらぐらと地面が揺れる。


 鳥たちが飛び立ち、しばらく不穏なざわめきが森の静寂をかき乱す。

 が、日本列島に住む野生動物として、地震などは慣れたものだ。

 すぐに日常がもどってきて、地震の痕跡などおくびにも見せない。


「なにしろ断層だらけだからな、この国は」


 きのう見た巨大な断層崖を思い出しながら、リョージはつぶやいた。

 ──東京では「立川断層帯」が有名だが、それ以外にも無数の断層がある。

 21世紀にはいってからもつぎつぎと発見されている、埼玉県南部の荒川沈降帯や、千葉と埼玉の境目にある野田隆起帯は、およそ8万年まえ以降から活動しているという。

 沖積層という柔らかい地層には、埋もれた断層はいくらでも発見される。

 それらの事実を並べた無数のレイヤー上に、現代のハザードマップはつくられている。


「関東大震災とか、来ちゃったりするのかな」


 空恐ろしげな声音のサアヤに、


「そりゃ、長い目で見れば、必ずくるけどな」


 冷静な男子の見解を重ねるチューヤ。

 警戒感を高めた一同は、本能的に崖から距離をとる。

 見上げれば朝焼けのなか、奇妙な雲──。


「……見える。なんだ、あれ」


 電気属性のケートの周囲、ぱりぱりと、空気が振動している。


「いやな予感しかしねえ……」


 振動する大地属性のリョージの予感は的確だ。


「地震雲とかいうやつじゃないか、あれ」


 見上げるチューヤの視線の先、特徴的な形と色の雲がたなびく。


「都市伝説だろ。地震は予知できないって、科学界ではもっぱらの評判だぞ」


 リョージは父親の意見を反映して宣うが、


「正確な日時を確定はできないってだけだ。ある程度の範囲で、予測はできる」


 ケートは最新科学というより陰謀論の口調で、情報を上書きする。


「いつか必ずくる、ってのは予測とは言わないぞ」


 見つめ合う男子。


「明日までにくる、ならいいか?」


 ケンカ腰、というほどでもないが。


「怖いこと言わないで!」


 サアヤの叫びに反応するように、鳥が飛び立った。

 空に網がかかったように、奇妙な雲が西に向かって走っている。

 偏西風が吹き散らした雲の形に、地表から漏れた微粒子が反応して光っているように見える、という地震の予兆がまことしやかにささやかれたこともある。


「大地震が……くるのか?」


 チューヤは努めて冷静を装ったが、声帯のわずかな震顫までは隠せない。


「人類を壮絶に絶滅させるくらいのやつか? くっそ、おもしれえ」


 滅びないなら自分が滅ぼしてやる勢いのマフユ。


「わたくしたちは、どんな問いのなかに立っているか、思い出してみなさい」


 もっとも空恐ろしい暗示を伴うのは、ヒナノ。

 一同は顔を見合わせ、ごくりと息を呑む。

 われわれが、ここにいる理由。


「われわれは」


「どこから来たのか」


 リョージとマフユの記憶にも、そのくらいは残っている。


「宇宙から飛んでくるところとか、見られるのかなー」


「バカですか、あなたは」


 サアヤとヒナノのやり取りは真剣味に欠けるが、


「まえの種族が絶滅して、代わりに適応するってのがセオリーだ」


「絶滅って、なにが?」


「人類」


「人類絶滅したら、来るもなにもないじゃん!」


 むしろコントに堕する、ケートとチューヤ。

 ともかく一同、なぜここにいるのか、という根本的な問題について、おのずから問い直す必要には気づいた。

 それを理解したところで事態が解決するとかぎったわけではないが、理解する努力を惜しむより、できることをやったほうがいいに決まっている。


「いろんな人類がいたんだよな、たしか。それで、われわれ以外の人類が絶滅して、われわれだけが生き残ったって話か」


 リョージにも、そのくらいの知識はある。


「われわれ自身も含めて、一度絶滅の危機に瀕した、と」


 思索するヒナノ。


「ああ、なんとかカタストロフとか、あったな。遺伝的浮動を促すボトルネック、しかるのち無人の野を適応放散ってのは、数学的だったからおぼえてるよ」


 ケートの数学的理解が、おそらく核心に近い。

 が、偏差値の高い人々の学説を中心に、掘り下げている時間は──なかった。


 一瞬、閃光のようなものは、西から。

 太陽とは反対の方向。

 心底に鬱勃たる恐怖。


 ふるえる空気。それから低周波音。

 ──空振だ。

 大きな空振になると、数千キロ離れた場所からでも観測されるという。

 桜島や浅間山の噴火などではしばしば観測されており、伊豆大島三原山の噴火では関東地方でも聞いたことのある人は多いが、今回は──規模がちがう。


「なんかあるぞ、西のほう、なんだあれ」


 最高身長のリョージが背伸びする。


「8.7万年まえ、日本列島、西……」


 考え込むヒナノ。


「おい、どうしたケート」


 真っ青な彼の表情に気づいて、いやな予感しかしないチューヤ。


「ここまで空振が響きわたるってことは……まじかよ……」


 呆然と立ち尽くし、西の彼方を見つめるケート──。




 つぎの瞬間、()()はやってきた。


 どーん!


 突き上げるような揺れが、全身を包み込む。

 人類が規定した、最高震度は──7。


「うわわ……っ、ななな、なにこ、これっ」


 扇風機に向かってしゃべるような音を漏らすサアヤ。


「か、関東大震災か?」


 直下型、という言葉がチューヤの脳裏をよぎる。


「落ち着け、崖から離れろ」


 リョージの指示に、


「待て、まだ動くな、すぐに横揺れが来る」


 その場に手足をつき、叫ぶケート。


「すげえな、なんかのアトラクションみたいだ」


 やけに楽しそうに、ステップを踏むマフユ。

 ──それは、立つのも困難な「最強の揺れ」。


 震度7は、規定された階級のなかで最大である。

 震度6強では固定していない家具が転倒するが、震度7になるとピアノやテレビが空中を飛んで壁に激突する。

 この状況で人間にできることは、ない。

 ただ、うずくまって頭を抱えるだけだ。


 21世紀の防災会議が予測した「東京湾北部地震」では、震度6強から7の揺れを、強く警戒している。震源が浅ければ、地盤が軟弱な東京23区の海沿いと、多摩川の河口付近の揺れはさらに強い、という。

 軟弱地盤──ここは多摩川の河口部だ。


「けっ、地震なんて、ただ地面が揺れるだけのもんだろ。怖くもなんともねーな」


 マフユが吹くが、あながち強がりというわけでもない。

 地震はたしかに恐ろしい。が、それを()()()()()()()()のは、人間だ。

 すさまじい揺れで、立っていることもむずかしい。

 だが、()()()()だ。


「子どもみたいな感想だが、まちがってもいないな」


 揺れが弱まったところで、部分的にチューヤが同意した。

 すさまじい破壊力の「震度7」だが、状況によっては、たしかに恐れるに足りない。

 その恐ろしさは、周囲のすべてが()()()()()ことであって、周囲に()()()()()()()どうということもない、とも言えるのだ。


 現代の被害予測の数字を見てもわかる通り、死者の7割は「火災」によって死ぬ。

 言い換えれば、周囲に燃えるものがなければ、死なない。

 それ以外も、倒壊する建物の下敷きや、関連する交通事故など、周辺環境の破綻によってもたらされることがほとんどだ。

 すさまじい破壊力で知られる「火災旋風」も、周囲がビル街であってこそ、その被害が最大化する。


 日本は地震の巣だ。

 地震はコンスタントに発生しており、そのたびに、それなりの被害を出してはいるが、その規模を比較すると重要なことがわかる。

 大正時代の関東大震災と同規模の地震が、元禄時代にも起こっている。

 このときの死者は、数百人。一方、関東大震災は十万人以上。


 人口の差か? そうではない。

 当時の江戸はすでに大都市であり、東京と比較しても3倍程度の差しかない。

 それなのに、死者の数が3桁ちがう。

 なぜか。

 人類の創り出した建物、道具などが、被害を拡大させたのだ。

 ──マフユは飄々と言い放つ。


「家なんかつくるから、地震が怖いってことだな」


 数少ない原始時代の有利な点だが、サアヤは首を振って、


「だからって屋根のないところで暮らしたくないよー」


「とりあえず、まわりになんもなくて助かったな」


 リョージはまだ崖のほうを警戒していたが、どうやら危険はなさそうだ。


「自然に還れ、ですね」


 ヒナノはまぶしそうな目で、リョージを見つめている。

 文明の極みにいる彼女にとっては、彼こそが野生の象徴なのだろう。


 「自然に還れ」は、フランスの思想家ルソーの言葉として知られる。

 リスボンの大地震で被害が拡大したことを指し、自然界が人間に対して起こす災害よりも、人間が集まって暮らすことによって起こる災害のほうが恐ろしい、という論旨である。


 密集した燃えやすい家屋、逃げ道をふさぐ入り組んだ道。

 大都会であればこそ、地震は最大限に恐ろしい災害だが、周囲に人工物の存在しない原始時代においては、地震で死ぬ、というような状況は考えづらい。

 死ぬとしたら、せいぜい崖の間近にいて崖崩れに巻き込まれるとか、海沿いで津波に巻き込まれるとか、その程度だろう。

 「大震災」による被害は、ほとんどが「人類であるがゆえの災害」なのである。


「助かっちゃいねーよ」


 と、ケートの冷たい声音に、リョージが反応する。


「お、そうだな。それでも津波は来る。逃げるぞ」


 高台を目指し、動き出す。

 しかしケートの言わんとするところは、そんなことでもないようだ。


「地震なんて、()()()みたいなもんだ、って言ってんだ」


「だから本番は津波ってことだろ? ……なんだよ、ケート」


 足を止め、ふりかえるリョージ。

 一同の視線がケートに集まる。

 彼がこういう態度を示すときは、ろくなことがない。


「地震は()()()()って話、聞いたことあるだろ」


「ああ、隣り合うプレートが、つられて動くとか、そういうやつ?」


 チューヤの問いに、


「この地震は、オマケなんだよ。本番は、見ろ、あれだ」


 あらためて西を指さすケート。

 もうもうと煙を吐く富士山が揺れている。

 どうやら小規模に噴火したらしいが──。


「泣き面に蜂だねー! 地震、津波に、火山オヤジ!」


 サアヤにしてはうまいことを言った。


「オヤジだれだよ……」


 うちのオヤジはろくでなし、と付け足しながら西を仰ぐチューヤ。

 おそらく、いま、富士山が噴火した。

 このような噴火を繰り返し、8万年後、われわれの見慣れた「富士山」を形成することになる。


 新富士の形成は、直近1万年以内の話だ。

 かなり高くなってから、2900年まえに大規模な山体崩壊を起こし、現在の形になるまで1000年以上。

 そうして21世紀、世界遺産にまで登録される美しい山体が形成されることになる。


「ともかく、まずは高いところへ!」


 ヒナノが声を張り上げる。

 黙っていれば、またケートの長い話がはじまりそうな気配だ。

 が、それがどれほど重要な内容であれ、いま、掘り下げている状況ではない。

 津波てんでんこ、だ。



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