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76 : Past Day 2 : Rokugōdote


「さすがケート、天才だね」


 手放しでたたえるチューヤ。


「まさか、ほんとうに夜空を見ただけで年代がわかるとは」


 天を仰ぐリョージ。


「まちがいないんだろうな、チビ」


 毒づくマフユ。

 一応、全員にケートの割り出した計算結果は伝わったと考えられる。

 それをどのように理解し、自己の内部に消化するかは各自の問題だ。


「キミたちでも気づいたくらい、星座が変化しているんだ。本来はそこから割り出したいところだったが、データが足りなくてな。()()()()()者が見れば、だいたいわかるのかもしれんが、ボクはそこまでマニアじゃない」


「安心なさい。じゅうぶんマニアですわ」


 断言するヒナノ。

 ──ケートによれば、「ヒッパルコスやガイアのデータが使えれば、こんなややこしいことをせずに済んだ」のだが、もちろんそれに対する一同の見解は、「どちらさま?」だ。

 その答えは、欧州が打ち上げた観測衛星で、地球近傍の天体について三角測量を用い、きわめて正確な位置(移動)データを提供してくれている。

 これにより、われわれは近傍にある恒星などの正確な位置を知ることができる。


 何万年も過去、あるいは未来を描いているにもかかわらず、星座がちっとも変わらない、登場人物がその点にいっさいの注意を払わない、というエセ・タイムスリップものが多数あるが、星空とは永久に変わらないものではなく、むしろその逆、非常にダイナミックに変化するものである、という前提に立つべきだ。

 もちろん何千万、何億光年の彼方にある銀河や星団は、われわれが銀河系内でどれだけ動きまわろうが、見え方はほとんど変わらない。

 が、近傍の恒星であれば、何万年も経つうちには相互の位置関係は大きく変わるし、なにより近くの星であればあるほど明るく見えるため、その位置が変わるというのは、天体観測にとっては大きなインパクトだ。


「写真記憶……本物なんですね」


 ヒナノは驚嘆を込めて吐息した。

 ケートを信じるとすれば、彼は記憶していた星空の位置から推論し、その変化を計算したということだ。


「ああ、まあボクじゃなくても、漠然とした予測はつくだろうが。崩れ方からして、何千年レベルのオーダーじゃないってことは一目でわかる。逆に何百万年というのもおかしい。恒星には固有運動ってのがあって、近傍天体の地図はヨーロッパ宇宙機関が詳細に調べてくれている。さすがに数値までおぼえちゃいなかったが、計算できれば結果オーライだろ?」


 だいたいの人間が見おぼえ、聞きおぼえのある、ひしゃくの形の北斗七星、Wの形のカシオペア座、明るい星が多く目印になりやすいオリオン座といった星座が、大きく歪んでいたとしたら──。


「言われてみれば、だよ。たしかに、あれがオリオン座だって言われても、そうだっけー? って考えちゃうよね」


 南東の夜空を見上げ、つぶやくサアヤ。

 ──およそ8万7000年まえ。


 オリオンは、腰にあたる三ツ星はほとんど変わらないものの、頭部がだいぶ伸びてろくろ首状態だ。ウラノメトリアにおけるオリオンの雄姿に重ねれば、右手に持っているライオンの毛皮が、かなり伸びているように見える。しかし、リゲル、ベテルギウスといった主要な位置の変化は少ないので、なんとかオリオン座であることはわかる。

 北斗七星はひしゃくが小さく、底が深くなり、取っ手が伸びている。とはいえこれも北斗七星であることを理解するのは、さほどむずかしくない。

 ひどいのは、カシオペア座だ。Wではなく、歪んだ小文字のuになっている。これを高慢な王妃カシオペアのボディラインに重ねるとしたら、ベッドから転がり落ちて苦悶に丸くなっている断末魔の姿でも想像するしかない。


「そして、あれがシリウスだ」


 星空を指さし、ケートは言った。


「おおいぬ座だね」


 サアヤがイヌ派であることと、無関係ではないかもしれない。


「どう見ても、記憶にある星座とちがうよな」


 ケートの言葉に、最低限の知見を持った数人がうなずく。

 ──シリウスを頭部としたら、そっ首落とされ鮮血をほとばしらせて吹っ飛んでいる、といったあんばいだ。隣の英雄オリオンを怒らせ、ぶった切られたのかもしれない。

 地球から、ごく近い距離にある分だけ、シリウスの固有運動は顕著である。

 もちろん地球から見た相対的な位置の話であり、本来あるべきところにあるにすぎないのだが。


「最初、別の星かと思ったよ」


 21世紀の時点で、シリウスは全天でもっとも明るい星であり、つぎに明るいカノープスの2倍もの明るさをもっている。

 オリオン座の先にあり、「冬の大三角」を形成することで知られる。

 秋には、夜半にかけて日本人の目を楽しませるのだが。


「位置も、明るさもな」


 ケートの理解は当然、他のだれよりも深い。

 ──シリウスは地球から、8.6光年しか離れていない。

 とくに近傍の天体は、見た目にも固有運動が大きい。

 望遠鏡による精密な観測によって、数年単位でようやく把握できる微差でしかないが、数万年単位の時差を考慮すれば、肉眼でもその差を把握できる。

 ケートの目と脳は、それらの微妙な位置の差を的確にとらえ、補助的な計算を加えて証明の足しにした。


 シリウスは21世紀時点で、地球からもっとも明るく見える星であり、今後6万年かけて近づくため、わずかに明るさが増す。

 その後、遠ざかることによって、21万年後には、全天で2番目に明るい星になっている可能性があるが、言い換えれば、20万年まえにはもっと暗かったはずだ。


「星がとっても青いから~♪」


 歌うサアヤ。


「オオカミさんに気をつけて、ってな。わかったか、チューヤ」


 含みをもって視線を移すケート。


「どういう意味かはわかんないけど、わっかりましたァ」


 もちろんチューヤに、天狼星という隠喩が示す答えは予測もつかない。


「数学ってな、そういうものだ。いくつかの公理、公式を積み重ねて、類推し、答えを証明していく」


 ケートの謎解きはつづいている。


「で、ほんとうに、その結論は正しいのでしょうね?」


 一抹の疑いを、まだ捨てきれていないヒナノ。


「正しいかって? 反論できるならしてみなよ」


 挑発するケートに、


「ケーたん!」


 釘を刺すサアヤ。


「はいはい……。まあ、たぶん、そこそこ正しいと思うぜ。オオカミさんによればな」


 あらためてシリウスを指すケート。

 ──現在、腕時計などというしゃれたものを所有している者はいないが、現代風に言えば時刻は午前0時をまわった。

 11月初旬、東の空に冬の星座であるシリウスが昇る、という事実は、何万年たっても変わらない。


「オリオン座がゆがんでいることは認めますが……」


「それだけじゃない。……やけに赤い星が多いのは不吉だが、そもそも、あんなところに赤色巨星なんてあったか? ぞくぞくするね。あれも見慣れない星だ」


「シリウスが赤く輝いた、という記録は、たしか古代ローマ史あたり……キケロやセネカにあったような気がしますが」


 さっきから引っかかっていた記憶が、ヒナノのハイスペックな脳髄から引き揚げられた。

 直近の歴史にも、天文学の記録は少なくない。ギリシャ・ローマ時代はヨーロッパ文化の母体であり、ヒナノにとって、上流階級として最低限求められる素養となっている。


「さすがお嬢、博識だね。その通り。たしかプトレマイオスだったと思うが、当時、シリウスが短期間、赤く輝いたという報告がある。ふつう、そんな短いオーダーの天体現象など考えられんのだが、そうなると、その謎に挑戦したくなるのが天文屋だ。

 大気成分など諸説あるが……いや、じつにおもしろい。もどったらラーマパパに、あのへん調べてもらおう。ファイナル・ヘリウム・フラッシュかもしれないな」


 瞬間、ピンときたアホな男子が、すかさず反応する。


「くらえリョージ、ファイナル……ヒーロー・フラァアーッシュ!」


 受け止めるのは希代のベビーフェイス・リョージ。


「なんのォ、クロス・ガンマGTP・バァアーストォ!」


 転げまわる悪役チューヤ。


「ぐわぁあぁ、かっ、肝臓がぁァア!」


 ウエスタンラリアットとクロスチョップに中2が喜びそうな必殺技名をつけて、ごろごろと地面を転がっている、アホな男子2名。

 そうして楽しそうにプロレスごっこする男子を、すこしうらやましそうに眺めるのはサアヤとマフユ。

 ちなみにガンマ線バーストは、極超新星爆発で発生すると考えられている発光現象。ガンマGTPはアル中にとって深刻な肝機能の数値である。


「バカどもが……」


 嘆息するケート。


「けれど、シリウスの位置や光度から計算したわけではないのでしょう?」


 核心を問うヒナノ。


「ああ、計算自体はミランコビッチ・サイクルだ。地軸の傾きは、夏至か冬至のデータがあれば手っ取り早いが、日付や緯度はわかっているから、北極星からでも計算はできる。

 離心率ベクトルは、データが足りないからかなりテキトーだ。10万年問題(太陽と気候変動の関係。未解明)ってのもあるくらいだから、測定できればだいぶ助かったんだが、道具(黒点望遠鏡など)がないしな。

 歳差運動は、ギリシャの昔から知られていた。ヒッパルコスは、スピカを使って角距離を測ったんだが……」


 いちいち地面の計算式を指さしながら、解説するケート。

 最初から理解を放棄している面々に代わって、ヒナノだけがなんとか理解しようと試みている。

 それは、考えれば考えるほど、すさまじい「人類の英知」を感じさせずにはおかない。


「あなたはそれを、そこにある、それだけの道具で……?」


 ヒナノの視線の先には、使い倒された六分儀。

 ケートはその部品であるルビーの指輪を取り外し、


「ほら、返すぜ、キミの指輪。なーに、たいしたことじゃない。この程度の計算、石器時代からやっていた。もっと原始的な方法でな。

 幸い、ボクにはその後、人類が積み重ねた、より洗練された道具(公理・公式)が与えられていた。できて当然さ。

 あとは蓋然性プロバビリティに依って割り当てただけ。わかってくれたかい?」


 ヒナノは、しばらくケートを見つめてから、短く嘆息した。


「あなたは天才ですね。まぎれもなく」


「知ってる。……おいこら、いつまでじゃれてんだ! カラビヤウ多様体アターック!」


 ケートはふつうのボディプレスに中2ふうの名前をつけ、からみあうたような男子たちの上に飛び込んでいった。

 いかに天才といえど、16歳の男子であることに変わりはない。


 8万と幾星霜の夜が更ける──。



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